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2020  作者: 伊織 詩季
3/6

二話

何処かに異世界へ続く穴がないかな……。

 暗闇の中。光や時間、個人や意識、世界の主さえ介在を許さない空間。虚無である。


 そこを彷徨っていた魂が偶然か必然か、一つの出口を見つける。


 それは一筋の光。永遠にも一瞬にも感じられた時は動き出す。


 自身を感じ、思考が目を覚ます。


 次は身体の番だ。


 ぷつりぷつりと断絶的に映像が映し出される。


 ごぉごぉ音が聞こえてくる。


 手や足は上手く動かせない。


 ぼやけた視界は次第に鮮明になる。


 真っ白だ。羊毛のような真っ白だ。それは大海のように広がっている。


 真っ白な大海に覆いかぶさる円形の黒いキャンバス。


 水彩絵具が染み込んだ筆を子供が振り回し、キャンバスに絵具が飛び散った。絵具の色は光色。


 キャンバスの中で一際目立つ朱殷の目。彼の光は滴るように大海へ注がれる。


 ごぉごぉ、ひゅぅひゅぅ耳障りな音が鳴りやまない。


 どんどん真っ白な大海へと落ちてゆく。


 既に飛び込み三秒前。


 落ちてもぽふっとバウンドしそうだ。


 二秒前


 もう手が触れそうだ。


 一秒。


 すーすー白い水が体をすり抜けてゆく。


 いつまでたっても止まらない。


 一寸先も全く見えない。


 体は全く言うことを聞かない。


 暗闇の次は白紙の世界か。


 そんなことを思った矢先。ぽつりぽつりと光が見える。


 色とりどりの小さな光。


 ファジーな視界は再びクリアになる。


 世界が広がる。


 僕は息を呑む。


 吸い込まれるような黒い海は波頭を白くきらめかせ、朱殷の月へと続く一直線の道を描く。


 本物の海を見たのは初めてだった。本の中ではよく海は物語の出発点や終着点、転換点でもあった。物語の作者にとって海は神秘的で深い意味を持つ存在だったのであろう。僕はそれがどんなものかよく想像した。


 しかし本物の海を見て、そんな想像は紙くずに思えるほどに美しかった。この美しさはどんな文豪でも表現することはできないだろう。


 そんな美しい海と隣合うのが雄大な山岳地帯。


 こちらも当然初めて見るものだった。


 海辺の土地は穏やかなものだと勝手に思っていたが、そんなことは全くなかった。


 今まで生きてきた所は全てが平らであったからだろうか。険しい山々が織りなす陸地からは自然というものの力強さを感じる。


 そんな土地の上には巨大な都市が築き上げられている。


 厚い石壁に半円アーチの小さな窓が特徴的な建築物。豪華な装飾柱を扱っている尖塔。均等比率を重視していたり、複雑さや多様性を重視した民家が立ち並ぶ地域。円屋根が特徴的な聖堂のような建築物。他より高い土地に建っている機械仕掛けの時計塔。


 赤、白、黒様々な色が混ざり合う。夜の暗闇を街の光が払いのける。


 そこにあるのは人工物だけではない。


 自然が街と絡み合う。木々は街の光に照らされて、川は街の至る所に流れている。


 そしてこの街を動かすたくさんの人間たち。


 彼らは自由に夜を楽しんでいる。


 音楽を楽しむ者、食事を楽しむ者、会話を楽しむ者、夜の景色を楽しむ者。


 楽しんでいるのは人間だけではない。


 夜空を泳ぐクジラに、海の上を走る馬。


 正に混沌な世界が広がっている。


 その中心にあるのが巨大な城。


 一際高い場所に建てられ、街を一望している。


 巨大な城は悠悠たる面持ちだ。そこに権力の圧迫感はまるでない。


 むしろ、この夜を街の全てと共に楽しんでいるようだ。


 光が溢れる夜の世界。


 僕はそこへ真っ逆さまに落ちてゆく。


 さっきまではあの現実にいたのに、気が付いたら本の世界に転落している。


 それでも僕はひどく落ち着いている。


 ここが僕の終着点。


 もう終わった後のエンドロールかもしれないが。


 街の喧噪や光が届かない丘。花々が咲き誇り青く光り輝く。まるで青いヴェールに包まれたような空間がそこにある。


 僕はそれがとても美しく感じた。心臓が痛いほど美しく感じた。


 これがホンモノ。最後に自分が求めていたものが分かったようだ。


 青いヴェールに体が包まれる。既に瞳には青い光しか映っていない。


 花々の中に落ちる直前、体が急に落下を止めた。一厘の花がその風圧で花びらを散らせた。


 海の方角から風が吹く。その風は一直線にこちらへ向かってきて、青く光る花弁が次々と舞う。


 そして風は鈍い音を立てて僕の体と衝突した。


 航空機事故が描かれた昔の映画を観たことがある。ラストシーンで飛行機は不時着し、乗客は全員無事。そんな場面を思い出した。


 この場合飛行機は僕の身体。乗客はゼロ。


 その映画みたいに僕の体は地面と平行を保ちながら、ゆっくりと高度を下げる。そして地面と体が触れる。花々を押しつぶしながら速度が落ちてゆく。視界がぐるぐる回って脳も揺さぶられる。やっとのことで体が転がるのをやめると僕は仰向けになっていて、星が瞬いているのが見えた。


 平衡感覚が狂って全身も痛くて立ち上がることができない。しかし思考は正常。とりあえず命拾いしたらしい。


 むせかえるような草の匂いを上書きする花の匂い。静かな風の音。遠くから聞こえてくる波の音。何故だか全てが懐かしく感じる。


 耳を澄ましているとこちらに向かってくる足音が聞こえた。その足音は僕の足元のすぐそばまで迫ってから止まった。


 なんとかして体を起こした。


 「ごめんよ。勢いつけすぎて止まれなかった。でも感謝して! もし私が君を助けていなかったら君はもう死んじゃってたんだから!」


 短く切り揃えられている金色の髪が風になびく。白い肌が青い花の光を受ける。そして赤い月光が一面を照らす。


 幼さの残る少女がそこに立っていた。片手に箒を持って何故かとても嬉しそうな顔をしながらそこに立っていた。


 「君は誰? それにここは……」


 そう聞くと彼女の顔にほんの一瞬憂愁の影が差したように感じた。しかしすぐに彼女の顔は明るさを取り戻してこう言った。


 「私の名前はユカ。そしてここは常夜の国ノクス」


 「ノクス……」


 やっぱり知らない場所。知らない世界。今まで教えられてきた世界の外にいる。


 「君の名前は詩織でしょ?」


 彼女……ユカは得意げな顔をして言った。


 「なんで僕の名前を知ってるの? 君とは初対面のはずだけど」


 「私は魔法使い。いろんなことを知ってるよ」


 本の中の物語に出てくる魔法使い。箒にまたがって空を飛び、指を鳴らせば全て思いのまま。ちちんぷいぷいで病気もケガもなかったことに。


 「この世界の人間は皆魔法が使えるの?」


 「そんなことないよ。もう、魔法使いはほとんどいないんだ……」


 笑顔のままだったが声からは顔と同じような明るさは感じられなかった。


 「そう……。とりあえず助かった。ありがとう」


 「どういたしまして」


 ユカは僕に手を差し伸べ、僕はその手をとった。


 華奢な肩にはそれほど力はなかった。しかし単純な力だけではないなにかが僕を立ち上がらせた。


 「どうして君は空から落ちてきたの?」


 「わからない……」


 僕にはわからない。どうしてと言われても目が覚めたら空から落ちていたのだから。朝目が覚めたら自分が毒虫になっていた話みたいに。不条理はきっと人を選ばない。


 「君はどこから来たの?」


 「……こんなこと言っても信じてもらえないと思うけど、たぶん……こことは違うまた別の世界。」


 そう答えることしかできない。今まで居た世界が僕が享受した全てだったのだから。


 「そうなんだ。それはどんな世界?」


 思ったよりユカはあっさりと受け入れたようだった。


 「どんな世界かって聞かれても上手く答えられない……。とにかく此処とは何もかもが違う」


 「そこにいる人たちはみんな幸せ?」


 ユカは一歩前に踏み出して顔を一層近づけた。その瞳は僕の奥底まで見つめているかのように感じた。


 「ま、待って。色々聞きたいのは僕の方だ。本当に全く何が起こってるのかわからないんだ」


 僕は一歩下がった。


 「ご、ごめんなさい。それもそうだよね……」


 申し訳なさそうに俯いて金色の髪が目にかかる。


 「……ここは本当にXVIの20じゃないのか……」


 「XVIの20?」


 「さっきまでそこに居たはずなんだ。そこで黒猫を追いかけて裏路地の更に奥へ入って……。その後はよく思い出せない」


 「素敵な話ね」


 「え?」


 僕はユカの言葉に驚いた。僕にとってこの出来事は不条理そのものなのだから。


 「素敵な話だよ! だって君は今まで知らなかった世界を知ることが出来たんだから! 新しいことを知るのって素敵で素晴らしいことだと思わない?」


 そんなことは一度も考えたことがなかった。しかし、この世界に来てしまったきっかけを作ったのはきっと僕の好奇心だ。根底にはユカと同じような心があったのかもしれない。


 「そんな風に考える人とは初めて会った」


 「なら、これもきっと私たちにとって素晴らしい出会いだよ!」


 ユカは満面の笑みでそう言った。


 彼女みたいな人は元居た世界には一人としていなかった。全てが新鮮に思えるけれど、彼女の笑顔は過ぎ去ってしまった時間を埋めるようななにかさえ感じた。


 「ノスタルジア……って言うのかな? 確かにユカとの出会いは『新しいこと』のはずだけど、懐かしさも感じる……。まぁ気のせいだと思うけれど」


 「案外気のせいじゃないのかもよ。忘れているだけで昔仲が良かったのかも」


 「いや、たぶんそれはない。今まで何処で誰と会って何をするとか色んな事をシステムが決めて、僕はそれに従って生きてきたから……。学校って知ってる?」


 「ううん。知らない」


 「同じ集団が同じ場所に集まって同じことを毎日毎日やるんだ。それが学校っていうところ。僕はそこにずっと居たから君とは会ったことはないはずだよ」


 「そう……。その学校っていうところは楽しいところ?」


 「……どうだろう。楽しいとか楽しくないとか、そんな風に考えて行くところじゃないんだ。社会への適応値を高めるため、大人になるために行く場所」


 「そこに行かないと大人になれないの?」


 「そう、学校っていうのは工場のベルトコンベアみたいなものなんだ。ベルトコンベアに乗って流れてくる子供に色んな部品をはめたり、調節したりして社会に納品していく。その過程が大人になっていくってことなんだ」


 まぁ僕はそのベルトコンベアから落とされてた不良品だったようだけど。


 ユカは少し難しそうな顔をして言った。


 「よくわからないけど、その言い方からして君は元居た世界の事が嫌いなの?」


 重たい鉄球が頭に当たったような衝撃だった。


 それこそ今まで一度だって考えもしなかったことだったから。そこに生まれたのだから、そこで生きてきたのだから嫌いとか好きとかそんなことは考えることじゃない。でも、どうだろう。思い返してみれば本や映画を見るほど無意識下でマイナスな感情を社会に対して募らせて、絵画を見るほど別の世界に興味を持っていったのではないだろうか。


 「元居た世界に帰りたい?」


 何も答えられずにいるとユカは心配そうにこちらをじっと見つめて言った。


 「わからない」


 僕が今答えられるのはこれしかない。元居た世界のことも、この世界のこともあまりに何も知らないから中身の見えない箱二つのどちらがいいかを問われているような気分だ。


 「というか帰る方法とかわかるの?」


 「いや、わからない」


 「ならどっちにしろ帰る方法がわかるまでこの街にいればいいよ!」


 ユカは僕の手を引いて海側から街のある方角へと視点を変えさせてからまた手を放し、軽やかな足取りで少し離れてから光が溢れる街を背に両手をいっぱいに広げて言った。


 「ここは常夜の国ノクス! 私の大好きな街。私の大好きな世界。これからそこへ君を案内してあげる!」


 花々は相変わらず青いヴェールを織り続け、星々は街の光に負けないぐらいの明るさでスポットライトを地上に当てている。風が海の匂いや花の匂いを運びながらユカの金色の髪をなびかせる。


 その光景が嘘みたいに綺麗で、美しくて、夢を見ているんじゃないかと思った。僕が常夜の世界に落ちるそんな夢。


 上着のポケットにはちょうど今見ている光景と同じ色彩を持っている三角ピンが入っていた。これは紛れもなく現実のようだ。


 きっとこれから新しいページが描かれるのだと感じた。何百回、何千回と読み返した一ページの本に新しい何万ものページが重ねられていくのだと。




 僕は第二章の一文字目を書き始めた。

誤字脱字の指摘、感想等お願いします。








音楽等の活動もしているのでよろしければTwitterなどフォローしてください。




Twitter https://twitter.com/siki_iori_

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