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青い記憶  作者: 宮森マヤ
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M 彼についての僅かな事柄

大変申し訳ありませんが、当店の一部のメニューは食材本来の味を楽しんでいただくために店主の独断でソースのご用意がない場合があります。塩のみでお楽しみください

 右足に包帯を巻いている彼。本を読む代わりにスマートフォンの画面に小説を書くようになったのは最近だ。

 そんな姿を見ていると、ぼんやり過去のことを反芻していた。

 彼と出会ったのは高校三年生の時。私は吹奏楽部員でサックスのパートリーダーだった。サックスパートは先輩方が卒業して人数が少なかったから、正直新入部員が私のパートに来てくれたのはありがたかった。まさか楽器未経験とは思わなかったけど。

 だって高校だよ? 中学で初めての人なら普通だと思うけど高校から楽器やるパターンはかんっぜんに想定外だった。

 無表情、なんか堅い、ときどき敬語がおかしくなる。それが最初のイメージ。まあ練習を真面目にやってくれたから良かったんだけどね。

 定期演奏会と夏の野球応援。全部は吹けなくても何曲かはやってもらった。放課後練習して、本番前には真っ青な顔して椅子に座ってた。そして夏休み前、突然彼は部室に来なくなった。

 顧問の先生と部内の一年生の話から、どうやら別パートの女の子とトラブルがあったみたい。

 曰く、告白されて、はっきりとは断れずに翌日を迎えて、その日の部活終わりにノーと答えて。女の子の方は付き合ってると思ったからもう周囲に明るい報告をしてて。

 聞いたとき、まあ正直「なんて軟弱な」って思ったね。自分のせいじゃん。

 責める気もないけど無理に引き留めることもないかなってその時は割り切れてた。

 でもなんとなーく無責任な気がして、来なくなってから二週間くらい後にメールで呼び出した。一緒に練習して、ふとした時に照れながら笑うアイツの癖を知って、それをなぜか思い出してしまう。そんな思い出にけじめをつけたい私の我が儘。

 結果だけ書くと、呼び出したことを後悔した。少し話をして、彼が何度も私に謝っておしまい。彼は一度も笑うことなく、私の中に残った彼の笑顔はぐちゃぐちゃに壊れた。あいつは泣くでも恨むでも怒るでもなく、ただ失望だけしていた。誰でもない自分に対して。そんなに思い詰める必要があるか? って疑問になったけど、それを考えるのは私の課題じゃない。

 それっきり、高校生の私が彼と会うことはなかった。私の他人への希薄さが原因で友達と喧嘩しても、彼氏に罵られながら別れても、彼を思い出すことはなかった。それで終わりにならなかったから、今こうしているわけだけど。

 転機はそう、やっぱり下校途中に倒れたあの日。卒業式も意識し始めた冬。立っているのも辛くなって、急に目の前が赤と黒に染まった。病名は詳しく書く必要はないだろうから書かないけど、臓器の一つが良くない状態で、薬で抑えるか切り取っちゃうのがいいって。すごく怖くていっぱい悩んで、思い切って手術受けることを選んだんだ。

 お医者さんはそうそう死ぬような病気じゃないからって言ってたけど、私は生きた心地がしなかった。もちろん不安を周囲に悟られるような失態はしなかったけど。

 ついこの前までなんともなかったのに今は手術の準備をしてる。因果関係なんて整理する暇もなく日常は崩れる。その唐突さに吐き気を覚えた。

 手術が無事に終わって退院してからも変な強迫観念にとらわれた。私はいったいどこに存在するんだろうって。この高校? 新しい大学? サックスをやってるとき? どれも私だけど私じゃない。どれも他の人にも当てはまる。上手には説明できないけど、他の人に取って代わられるものじゃない私ってなんだろう。

 そんな疑問を抱きながら進学し、気がつくと私は紙とペンを握っていた。

 どうしようもなく支離滅裂な文字の羅列。目的無く生きてる主人公。でも、どこかで先を目指してもがいている。そんなお話たち。ここには私がいる。

 誰にも見せない私だけの秘密。自分だけに当てた手紙みたいなそれらは一年でそこそこの量に増えていった。私という存在を紙の上に刻み込む。

 これが、私。

 書き始めて二年くらいが経った春、懐かしい名前を聞いた。古い映画を見て毎回感想を書くって授業。講師が捻くれた感想だと読み上げたのは、特徴的な男子の名前。記憶の奥底で聞き覚えがあった。

 講師の元へ歩く男の子の顔。最後に見たときと同じように少し虚ろな目。

 部活をやめたときと同じくらい突然、彼は再び現れた。

 私は「あの目」を知っている。手術を受けた時の私と同じ目。どこに向かっているのか判らない目。

 計算したわけでも先輩面したいわけでもない。理由なんて知らない。ただ自然と講義のあとに声をかけていた。

「ねぇ、小説書いてみない?」

 彼は私のことをすぐに思い出せなかったってオチね。許せないわ。

 ***

「完成……です」

 うとうとしている私の肩を彼が叩く。

「やっとか。もうすぐ仕上がるって言うから来たのにかなり待たせるじゃないか」

 そう口にしながら彼の差し出すスマホを受け取る。

 しばしの沈黙。

 約束通り恋愛もの。同級生に恋する男の子が告白する話。

「どうですか? 宮森先輩」

 あぁ。なんて。

 なんて不出来なんだろう。

 なんて粗悪なんだろう。

 なんて下らない、夢だろうか。

 彼はもう私のことをを『宮森先輩』とは呼ばないというのに。

 ***

「出来ましたよ。起きてください」

 肩を揺すられ、私は目を覚ます。

 シーツで仕切られたベッド。

 右足に包帯の彼。

「ごめん寝てたわ」

 私の言葉に答えず、彼はただスマホの画面を見つめて……いや、見直している。

「見せて」

 私の左手に、まだ熱を持つ彼のスマートフォンが渡される。

 ……。

 一読してから大きく息を吐く。

「ねぇ」

 私が呼ぶと彼は少し怯えたように目線を上げた。

「私、最初は恋愛もの書こうって言ったよね」

 私は努めて冷静でいようとした。

「そのつもりですけど」

 今頃彼は私が怒っているだろうなんて勘違いしてるかもしれない。

 でも残念。それはハズレ。私はどこか歪んで歪な彼の物語が、その最初の読者になれたことが、うれしかったのだ。

「まあいいや。これで載せちゃおう」

「えっちょっ、ちょっと待ってください」

 文をコピーしようとする私の手からスマートフォンが奪われる。

「ホントにネットに書くんですか?」

 何を今更。相変わらず情けない。

「だぁいじょぶだって。誰も読みゃしないし、私のも一緒に投稿するから」

「それもですけど、ハンドルネームとかどうするんですか」

 ハンネ?

「私の苗字とキミの名前じゃダメなの?」

「いや……」

 はっきり言わないで首を回す癖。下唇を噛む仕草。実に分かりやすい。

 そしてめんどくさい。

「じゃあさ、書き手だからカキでいいじゃん。私はそのままでもいいから。ハイ決定」



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