第八話 塗りポーション作成依頼
杷木儀赤也からのメールを受けて、南藤は橙香を伴って異世界貿易機構が間借りしている中学校を訪れた。
下駄箱を横目に見ながら、メール文面に書かれていた面談室を探す。
橙香が廊下の奥を指差した。
「あれじゃないかな?」
橙香が指差した教室の入り口には三年二組と書かれたプレートの下に面談室と印字された紙が垂らされていた。やっつけ仕事の匂いがプンプンしている。
開きっぱなしの扉から中を覗くと、先に来ていた杷木儀ともう一人の男性が顔を上げた。
「ようこそ、南藤さん、橙香さん、お待ちしておりました」
「どうもこんにちは」
頭を下げて入室し、用意されていた椅子に座る。
南藤の隣に座った橙香が教室内をきょろきょろと興味深そうに見まわした。
「……アニメで見たのと同じだね」
「生徒用の机と椅子はないけどな」
橙香は日本の学校に通った経験がないため、初めて入った教室に興味津々だった。
橙香が鬼であることを知る杷木儀が橙香に声を掛ける。
「この教室内であれば歩き回っても大丈夫ですよ。後ろの掲示板に張られている紙もこの中学校がまだ使われていた頃からあるものです。ご希望されるなら、職員室もお見せしますよ。今は私たち異世界貿易機構乙山ダンジョン支部の職員が使用していますが、ほとんど当時と変わりません」
「良いんですか?」
瞳を輝かせて喜ぶ橙香に杷木儀が頷く。
やった、とガッツポーズする橙香を横目に、南藤は杷木儀の後輩が差し出してきた紙を見た。
「軟膏の魔力強化ですか」
「はい。南藤さんたちは二カ月と絶たずに魔力強化を八回も行っていると聞いています。魔力強化をした軟膏は異世界貿易機構で買い取らせていただきますので、お願いできませんか?」
こんな依頼をされることもあるのか、と南藤は紙に書かれた買い取り金額を確認する。
南藤が確認している間に、杷木儀が机の上にプラスチックケースに入った軟膏を置いた。手のひら大の円筒形で、高さはせいぜい三センチメートルといった所だろう。
「魔力強化をしていただくのはこちらの軟膏です。魔物の血を浴びせるのは軟膏であって、外側のケースではありませんので注意してください」
橙香が南藤に代わり、軟膏のケースを手に取る。様々な角度から確かめたり、強度を確かめたりしてから首を傾げた。
「軟膏を握った手で殴れって事?」
「殴って倒せる魔物なんてそうは……鬼ならできるんですか?」
「コンクリートの壁くらいなら穴を開けられるよ」
「その細腕で……」
橙香の腕を見つめる杷木儀たちだったが、気を取り直したように咳払いをして話を戻す。
「軟膏で魔物を倒す必要はありません。まず魔物をいつも通りに倒し、その死骸が消滅する前に軟膏へ血を注いでください。血そのものは魔力を残して消滅するので、軟膏が生臭くなったりする心配もいりません」
「分かりました。芳紀、このお仕事受けるの?」
橙香に問われて、南藤は読み終えた紙を机に置いて頷いた。
「とりあえず、五十個ほど作ってきます。機馬を外に停めてあるので、今から材料の軟膏を受け取ってもいいですか?」
「用意しましょう。それから、軟膏の魔力強化に関しては体育館での儀式を優先的に受けられます。体育館入り口で冒険者登録証を提示していただければ、係りの者が案内しますので」
話はまとまり、南藤は教室を出た。
軟膏が入った段ボール箱を杷木儀の後輩が運んでくる間に、職員室を見学させてもらう。
「ここが職員室です」
「冷房がちゃんとある。やっぱり教師ってずるいんだね!」
「こら橙香、誤解を招く表現はやめろ」
全国の教職員に喧嘩を売りそうな発言をした橙香を窘めて、南藤は職員室を見回す。
杷木儀の事前説明通り、南藤が学生時代に見た職員室とそう変わりはないように見える。
しかし、職員の私物と思われる魔力強化が施された武装などがデスクの近く、すぐに手に取れるところに置かれているところは、ここがダンジョンのすぐ近くであることを嫌でも意識させた。
ダンジョンから魔物が氾濫した際、ここにいる職員たちは戦いながら非戦闘員の避難誘導を行う。そのための武装だろう。
本物の職員室を知らない橙香は楽しそうに部屋を見回している。棚の上に残されている各学年、各クラスの出席簿が収められた棚を見てはしゃいだりしていた。
だが、南藤は出席簿を見て堪えきれずため息を吐く。
「南藤さんは登校拒否児童ではなかったようですね」
「何の話ですか?」
「いえいえ」
すべてわかっていますよ、とばかりに笑った杷木儀が肩を竦める。見透かされていると分かったのなら問いかけてもいいだろう、と南藤は杷木儀に訊ねる。
「ここの生徒たちはどうなったんです?」
「隣の市にある中学校に分散して登校しています。人数が人数ですから、友人とは別の学校に通う事になった生徒も多いでしょうね」
聞くんじゃなかった、と後悔する南藤を見て、杷木儀が微かに笑う。
「人が良いですね」
「そうでもないですよ。橙香、そろそろ外に原料が届けられている頃だ。行こう」
「はーい」
体育祭の行事進行が書かれたままの黒板を眺めていた橙香が南藤の下に駆け寄ってくる。
杷木儀に見送られて職員室を出た南藤に追いついた橙香が、心配そうに南藤を見上げた。
「寂しそうな顔してるよ?」
「身勝手な共感だよ。誰に伝わるわけでも、慰められるわけでもない。俺にやれるのはせいぜい、乙山ダンジョンを攻略してこの中学校に生徒が戻って来れるようにすることかな」
大きなお世話かもしれないけど、と南藤が呟くと、橙香は背中で両手を組んで笑顔を向ける。
「思い出がある場所って大事だよ。それを取り戻そうとする事が大きなお世話なわけがないでしょ」
「そうか。なら、頑張るとするよ」
「うん。ありがとう」
「どういたしまして」
※
今にも死にそうな青い顔をした南藤を乗せて、機馬は第二階層の夜間平原を駆け抜ける。
ぐったりしたままの南藤が右手に持ったコントローラーを操作すると、機馬は右に曲がって速度を上げた。なぎ倒される草と轢かれて飛ばされるガスキノコ。
「芳紀、とまってー」
橙香の声にピクリと反応した南藤が機馬を停止させる。
後ろからついてきていた橙香がガスキノコの死骸を抱えて駆け寄ってくる。
のろのろと機馬を降りた南藤が広げたシートの上に、橙香はガスキノコの死骸を放り出してからてきぱきと軟膏の蓋を開け、ガスキノコから出てくる透明な液体を軟膏に振りかける。
機馬の背中に縋りつくように身を横たえた南藤はドローン毬蜂を飛ばして周辺を警戒し始めた。
「ドローンも飛ばせるようになったんだね。魔力に耐性ができてきたのかな?」
「……おぉう」
「ごめん、ごめん。無理して答えなくていいよ」
明らかに乱れたドローンの挙動に橙香は慌てる。
南藤の魔力酔いの症状は吐き気と平衡感覚の狂い、そして思考能力の大幅低下だ。
普段であればドローン三機を同時に飛ばしながら周辺の状況を把握し魔物を討伐、次の獲物を発見して機馬で向かうという一連の動作を並行してこなす事さえ出来るのだが、魔力酔い中の南藤ではどれか一つをこなすのに全精力を傾けなくてはならない。
「……ふく、まりょく」
南藤が震える指先で橙香の服を指差す。
ガスキノコを抱えていた事で、橙香の服には透明な液体が染み込み、魔力が宿り始めている。
「そうだね。このお仕事が終わるころには魔力強化ができるようになってるかも」
衣類を魔力強化する事で伸縮性をそのままに防御力を付加した防具は日本の冒険者にとっては一般的な物だ。
防刃ベストなどを利用する冒険者もいるが、多くの場合は入手の容易さと価格、動きやすさや重量を考えて普通の衣類を魔力強化する。手間はかかるが初期費用が安いのはありがたい。
また、魔力強化された衣類は手続きを踏めば指定区域の外でも利用できる。デザイン性が高く頑丈で安価な護身用品としての需要があるため転売も可能だ。魔力強化した衣類のネット販売で生計を立てている冒険者もいる。
軟膏に魔力を込める処理を終えた橙香がてきぱきと片付けを進める。
「……いつも、すまない」
「それは言わない約束だよ。どんどん頼ってくれていいからね」
片付けを終えた橙香が武器の鉄塊を片手で持ち上げる。
「じゃあ、出発!」
「おー」
力のない声で応じた南藤が機馬を走らせ始めた。