第十九話 諸悪の根源
フレィケルが住んでいるのは街の西寄りにある少し上等な民家が立ち並ぶ区画だった。
赤レンガの美しい建物の前には色とりどりの花が咲き誇る小さな庭がある。
氾濫で村や町を追われた人々が押し寄せたこの街の中で、こういったスペースが維持されているのはこの区画に住む人々の社会的立場を表しているようだった。
中井に教えられた住所を探し当てると、そこには二階建ての小さな家が建っていた。周りと比較すると小さいとはいえ、庭を含めた敷地面積は勝るとも劣らない。
表札の類がないため一抹の不安を抱えながらも玄関の呼び鈴を鳴らす。金属製の細い棒がいくつも連なった呼び鈴は紐を引っ張るだけで重層的な金属音を奏でて来訪者を家人に知らせた。
「はい、ただいま」
八十過ぎの老婆にしては溌剌とした声が聞こえてきて、ゆっくりと扉が開かれる。
「あら、まぁ」
南藤と橙香を見るなり、扉を開いた老婆は口に手を当て、上品にほほ笑んだ。
「――お早いお着きですこと」
来訪を予期していたようにそう言って、老婆フレィケルは南藤たちを室内へ手招いた。
※
客間に通された南藤と橙香は促されて椅子に座る。落ち着いた色調の椅子はクッションが上等なのか座り心地も良い。
フレィケルはお茶と菓子を用意して対面に腰掛けた。
「ようこそ、日本の冒険者さん」
「こんにちは。回りくどい事をせずに直接呼んでくれても良かったんですよ?」
来訪を予期していたような言動といい、フレィケルは南藤たちの訪問を待っていた様子だった。
オルとの関係性について聞き込みを始めたのも、南藤たちをこの家に招くための策略だったのだろう。
まんまと釣り上げられた形になったのは面白くないが、敵意は感じないため南藤は態度を決めかねた。
フレィケルが菓子を食べるのを見て、橙香も手を伸ばす。焼き菓子のようだが中にはクリームのような物が入っている。
「果物のペーストと生クリームを混ぜてあるのかな?」
「あら、よく分かったわね。最近は乳製品が手に入りにくいのだけれど、ダンジョンからお二人が街に帰ってきたと聞いて昨日のうちに買ってきたの」
大分状況が持ち直したとはいえ、氾濫の影響で物流は未だに混乱が見られる。乳製品などの腐りやすい品は影響が顕著で、主要な牧場なども魔物に襲われてしまった事から乳製品は非常に高価だ。
そんな高価な材料を使った菓子を振る舞うところから見ても、歓迎されているのだろう。
フレィケルは甘い菓子の余韻をお茶で打ち消すと、南藤を見つめた。
「なぜ直接招かなかったかというと……そうね、老婆心、とでも言おうかしら」
「老婆心?」
「えぇ、老婆心」
おっとりと復唱して、フレィケルは続ける。
「順を追って話した方がいいとは思うの。けれど、オルさんからどこまで聞いているのか気になっていてね。申し訳ないけれど、そちらから話してもらえるかしら?」
「大したことは聞いてませんよ」
フレィケルの立場が分からないため、南藤は言葉を濁す。
オルについての情報だけを抜き取られては困ると考えている南藤を見透かしたようにフレィケルは微笑んだ。
「そう。オルさんが異世界人だという話さえ、あなたにとっては大した話ではないのね」
「そうです。影がない事も含めて」
話の流れに乗っかると、フレィケルはうんうんと頷いた。
「探り合いは苦手なのよ。嫌いではないのだけどね」
そう言って立ち上がったフレィケルは壁際の本棚から一冊の本を抜き出す。
革表紙のそれを南藤の前に広げて、フレィケルは席に戻った。
目の前に広げられたそれに、南藤と橙香の視線が釘付けになる。
古びた革表紙から想像もつかないほど鮮明なカラー写真が収められたアルバムだった。
南藤たちの反応を楽しむように目を細めて笑ったフレィケルが口を開く。
「薄闇世界には写真がないのは知っているかしら?」
ページを何枚めくっても、近未来的な建物を背に三十代の女性が映っている。
薄闇世界で撮られた写真でない事は明白だった。
南藤は写真を見つめ、背景に映っている建物を観察する。魔法で飛んでいるらしい金属製の飛行船や透明素材に覆われた道路など、見た事のないモノばかりだ。
「……どこのダンジョンの先ですか?」
「ここから北にずっと行った所にあるアメイ海岸ダンジョンの先の異世界を経由して二つ異世界を跨いだところにあるわ。あった、といった方がいいかしらね」
ちらりとフレィケルが視線を落としたのはアルバムの写真だった。
フレィケルの他、多種多様な知性種が雑多に武器を構えて写っている。その武器で破壊されただろう街並みや、墜落しつつある飛行船。
まぎれもなく、戦時中の写真だった。
「見ての通り、異世界から人を召喚して戦争をする世界だったの。最終的には召喚された私たちが革命を起こした。私たちにとっては異世界で、無理やり召喚されたものだから世界が崩壊しようと構わなかったの」
「つまり、フレィケルさんがこの写真の世界を滅亡に追い込んだ?」
「引き金は引いたわ。おそらく、あの世界にはもう知性種は一人も残っていないでしょう」
後悔はしていない、と続けて、フレィケルはお茶を飲む。
「この写真に写っている知性種はフレィケルさんの革命仲間ですよね。彼らももうこの世界にはいないんですか?」
「えぇ、いないわ」
「オルさんもこの革命のメンバーだったと?」
「彼女についてはまた別の話になるわね」
そういうと、フレィケルは手振りでアルバムのページをめくるよう促す。
五ページほどめくってみると、荒廃した街を背景にフレィケルを含む七人の男女が立つ写真があった。
「帰還の扉」
写真の下に書かれた文字らしきものをフレィケルが読み上げる。
「私たちが立ち上げた組織よ。私は故郷のこの世界に帰ってこられたから引退してしまったけれど、オルさんは現役」
「なるほど。内紛ですか」
「察しの通りよ。巻き込んでしまってごめんなさいね」
「この情報を知らないよりはましでしょう。フレィケルさんはオルさん側という事ですし、老婆心というのも納得ですが、正直俺達の手には余りますね」
南藤は写真に写っているメンバーの顔を覚えて、アルバムを橙香の前に押し出す。
と、ここで今まで沈黙していた橙香がおずおずと片手を上げた。
「ボクは話が見えないんだけど……」
「あら、ごめんなさい。南藤さんったらすべてを知っているような口ぶりで話を進めるものだからつい釣られてしまったわ」
フレィケルは申し訳なさそうに言って、南藤を見る。
しかし、南藤は自分から説明するつもりがないらしく、フレィケルを見つめ返した。
「そちらの事情に巻き込むのなら、説明するのは義務でしょう?」
「厳しいわね」
フレィケルは苦笑を返して、橙香を見る。
「帰還の扉とは、異世界に召喚、あるいは転移してしまった知性種によって作られた、故郷へ帰る事を目的とした組織」
「冒険者って事?」
「いいえ、逆よ」
ゆっくりと首を振って、フレィケルは申し訳なさそうに眉を下げる。
「私たちはダンジョンを造りだして異世界への道を開いているの。ダンジョンという形態をとっているのは、次のダンジョンを作るための魔力を集める効率を高めるためよ。作製者でさえ、ダンジョンがどんな世界へ繋がるかが分からないから、目的の世界へ繋がるまでいくつものダンジョンを造りだすことになる」
「早い話が諸悪の根源だ」
南藤が歯に衣着せぬ物言いで断罪すると、フレィケルは眉間に皺を寄せた。
「誤解しないでほしいわ。帰還の扉は二つの派閥に分かれていて、私たちは穏健派、言語での意思疎通を行う文化を持つ知的生物を除く生物を絶滅しない範囲で生贄にすることを前提としてダンジョンを造ってる。生態系に影響を与えているのは確かだけれど、無辜の民にまで犠牲は出さないようにしているつもりよ」
フレィケルは抗弁するが、それでも申し訳なさを感じているらしく声のトーンは抑え気味だった。
「穏健派がいるという事はもう一つは急進派ですか?」
橙香の問いかけにフレィケルは頷いてまた申し訳なさそうな顔をする。
「急進派は知性種を含む全生物を無差別にダンジョン内で生贄にすることで早期帰還を成し遂げようとする一派。貴方たちがマスター権限を奪おうとしているリーズリウム深緑ダンジョンも急進派が作ったダンジョンよ」
魔力を集める効率を考えるのであれば、制限を設けない急進派の方が早期帰還を成し遂げられるというのは理解できる話だった。
橙香は頭の中で話を整理する。
新しい情報が多すぎて処理しきれなくなりそうだった。
「えっと、帰還の扉っていう組織がダンジョンを作っていて、フレィケルさんたち穏健派と急進派が組織の中で争っていて、ボク達がそれに巻き込まれてる」
「南藤さんが巻き込まれているのよ。帰還の扉にとって、ダンジョンは自分たちの故郷へ戻るための道であると同時に、自分たちの故郷へとつなげる道を開くのに必要不可欠な魔力の収集場所なの。ダンジョンのマスター権限を奪い、機能停止に追い込む冒険者の存在は帰還を目的する帰還の扉にとって死活問題。南藤さんは活躍しすぎたの」
「急進派がこれ以上マスター権限を奪われないように芳紀を殺そうとしてるって事?」
自然と険しい顔になる橙香に、フレィケルは申し訳なさそうにしながらも頷いた。
「そう。急進派が地球の冒険者の中でも際立った成績を残す冒険者たちを狙い撃ちにしているの。穏健派のオルさんたちは彼らを止めるよう命じられている。場合によっては、あなたたちを殺そうとする急進派の刺客を殺してでも、ね」
「内紛ってそういう意味……」
橙香は納得して南藤を見る。
自分たちが置かれている状況は理解できたが、橙香にはまだわからない事があった。
「フレィケルさんはなんでオルさんのことを他人行儀に呼ぶんですか? 話を聞いていると同じ穏健派の仲間みたいなのに」
「私はもう帰還の扉に関わる事が出来る立場ではないから」
フレィケルは部屋を見回して、ため息を吐く。
「この世界に、故郷に戻ってくるまで私は帰還の扉に所属していた。だからこそ、ダンジョンが生まれる理由が郷愁だと知っている。自分が生まれ育ったこの世界に帰れたからって一方的にダンジョンを悪だと断じる事も出来ないわ。そんなの身勝手だもの。だから、もう関わってはいけない立場なのよ。穏健派にも急進派にも、ね」
「――早い話が、自分は資格を失ったがそれでもオルに罪悪感を抱かせるような人殺し、急進派の排除をさせたくもない。だから帰還の扉に無関係な俺たちを使ってオルの手助けをさせようって魂胆なんだよ、フレィケルさんは」
詰まらなそうにそう言って、南藤はスマホを取り出した。
フレィケルの老婆心の対象は南藤や橙香ではなくオル個人に向けられているとの南藤の指摘に、フレィケルは暗い顔をしながらも反論しなかった。
「身勝手は承知の上で、それでもお願いしたいの」
下げられた頭に橙香は悩みながらも南藤を見る。
しかし、期待したような答えを南藤は一切示さなかった。
どうするかは橙香が考えろ、と南藤は一任しているのだ。橙香が如何なる答えを出そうとも、南藤は徹底して応援する事だろう。
しばし黙考した橙香はぽつぽつと話し出す。
「郷愁はよく分かります。ボクもそうだから」
でも、と橙香は続ける。
「誰かを犠牲にしてまで帰っても、多分自分自身が許せなくなると思います。サトリが読んだオルさんの心境もきっとそういう事だと思うから、ボクはオルさんに人殺しはさせたくないです」
「では――」
「でも、根本的な解決にはならないですよね?」
帰還の扉という組織が穏健派と急進派で仲たがいしているのなら、穏健派に属するオルは遅かれ早かれ抗争の中で人殺しに手を染める事になるだろう。
今回だけ助けたとしても根本的な解決にはならない。
だから、と橙香は続けた。
「オルさんと話をしてから決めます」
橙香の言葉にフレィケルは驚いたような顔をしたが、南藤は知ってたとばかりにスマホを掲げる。もう片方の手にはドローンのコントローラーが握られていた。
「オルを見つけた。とっちめに行くぞ」