第十五話 第四階層
リーズリウム深緑ダンジョン第四階層に足を踏み入れた橙香、南藤、オルの三人は階層スロープならぬ階層階段の前に立って周囲を見回していた。
事前に集めた情報通りの光景に、橙香は興奮の色を隠せなかった。
「ダンジョンの中に家がある!」
「住宅街といった様相だねぇ」
はしゃぐ橙香にオルがおっとりと返した。
第四階層は木造建築物が居並ぶ住宅街である。
平屋の物もあるが、ほとんどの建物は二階建てから三階建て。区画整理は最低限で道は複雑に分かれており、全体の高低差もかなり激しい。
橙香は南藤を振り返った。
「あの建物の中に魔物はいる?」
「えぁい」
「ちょっと見てくるね!」
魔物も含めて動くものの気配がない木造二階建ての建物へと駆け寄った橙香は建物の玄関を見て確信を深めた。
この建築様式は霊界にある鬼族の住宅だと。
橙香の後から遅れて南藤とやってきたオルが建物を見上げて橙香に声を掛ける。
「この間行った日本の旅館と同じつくりのようにも見えるけれど、どこか違うのかい?」
「あの旅館は日本の建築様式だけど、この建物は鬼族の建築様式なんだよ。玄関の扉に格子があるでしょ? 鬼の腕力で勢いよく扉を開けて扉が向かい側の人に直撃すると吹き飛ばされちゃうから、確認用の格子がついてるの」
「勢いよく開けなければいいだけの話だと思うけれどねぇ」
「鬼は自宅にいると酔っぱらっちゃうから」
「木造に見えるのにアルコールで出来ているのかい? それとも、住居じゃなく酒蔵かな、此処は」
苦笑しながらも律儀に突っ込みを入れたオルは橙香の横を抜けて玄関の扉を開けようとして、首を傾げる。
「重いね」
「構造上、力がドアに行き渡りにくくなってるからね」
「勢いよく開けないようにするための対策かい?」
訊ねながらも渾身の力を込めて扉を開けようとしていたオルはすぐにあきらめて扉から離れた。力を籠めすぎて疲れた右手を振りながら、肩を竦める。
「もしかして、鬼以外の腕力では開けられないようにしている?」
「正解だよ」
「鬼の膂力が鍵ってわけだ。乱暴な防犯対策もあったものだよ」
呆れたように言いながらも、オルはこの異文化交流に面白みを覚えたらしく、建物の外観的な特徴を検分している。
オルに代わって玄関に立った橙香は扉に手をかけたが、ふと気になって南藤を振り返った。
「なんでこの中に魔物がいないって分かったの?」
玄関が開かないのでは、ドローンで中を偵察する事も出来ないはずだと、橙香は疑問に思う。
しかし、南藤はスマホを掲げて答えを示してみせた。ドローンが囲炉裏の煙を逃がす通風孔から進入を果たす一部始終が画面に流れてる。
橙香が建物の屋根を見上げてみると、越屋根となっている。通風孔として設けられていただろう格子が破壊され、ちょうどドローン毬蜂がその格子から出てきた。
「入り口から入れないなら作ればいいって事だね」
「鬼も驚く強引な不法侵入だこと」
高度を落としてくる毬蜂を見上げながら、オルが肩を竦めた。
しかしながら、通風孔まで上る意味もない。橙香は改めて玄関に向き直って扉を開けた。
家具も再現された生活感のある建物の中が露わになる。下駄箱や行燈まで置かれているというのに、どこか不気味に感じるのはその配置がどこかわざとらしく思えるからだろう。
「あんなところに行燈を置いたら蹴倒しちゃうよね」
ダメ出ししながら建物の中にお邪魔しようとした橙香だったが、オルに肩を掴まれて引き留められた。
「わざわざ靴を脱がなくてもいいと思うよ」
「あ、つい癖で」
なんというトラップだろう。これに引っかかる霊界と日本の冒険者はたくさんいるはずだ。
さっさと橙香は靴を履きなおす。
内部を見て回ってもやはり建築様式は鬼族の建物を模している。
「大戸峠ダンジョンと繋がった事もそうだけど、やっぱりこのダンジョンって霊界に繋がってそうだね」
「ぇぁ」
南藤に相槌を打ってもらってご満悦の橙香は試しに食料庫を開けてみた。
ダンジョンは生き物を連れ込んで魔力に変換する。同時に、物品の類も魔力に変換する。
しかし、この建物の中には行燈など照明器具や家具の類が散見された。最初からダンジョンの構成物であるため、魔力に変換されないのだろう。
そして、家具の類があるのなら食料品があってもおかしくないのでは、と試しに開けてみたのだが、
「……やっぱり食べ物もお酒もないね」
「仮にあったとしてどうするのさ。食べるのかい?」
「外に出たら魔力に変換されるからダイエットできそうだなぁって。正真正銘ノンカロリーだし」
「胃が荒れるだけだと思うけれどね。それに、南藤さん辺りが食べると死んじゃうだろうよ」
オルが後ろを振り返る。
大柄な鬼の体格に合わせた建物だけあって廊下であってもそれなりの広さが有り、壁も丈夫であることから、南藤は機馬に乗ったままついてきていた。
六本脚の角度などを変えて全体を斜めに傾がせているため、やや窮屈な印象を受けた。
いくらか家の中を見て回って、めぼしい物がないと分かると建物を出る。
「芳紀、こうも建物が多いと索敵も一苦労だけど、大丈夫?」
建物の中を虱潰しに探すのは流石に難しい。時間がかかりすぎるのだ。
索敵が間に合わずに建物内からの奇襲を受ける事もあるだろう。
南藤も索敵が間に合わないと自覚しているらしく、毬蜂を引っ込めて遠距離攻撃用ドローンの団子弓を起動させた。
建物の中に魔物が潜んでいる可能性を警戒して、橙香たちはなるべく広い道の真ん中を選んで進んでいく。
「新種の魔物がいるらしいけど、厄介なのはやっぱりサトリだね」
「霊界にもいたのかい?」
オルが訊ねるのに、橙香は頷き返す。
日本のインターネット掲示板でその存在が報告された魔物、サトリはその厄介な性質からサークルクラッシャー、CCのあだ名で呼ばれ始めている。
読心術を用いてクラン内の不和を顕在化させるため非常に嫌われている魔物だ。
「霊界にいるサトリは別に心を読んでるわけじゃなくて、カナリアみたいに人の声を真似るだけなんだけどね。悪口を良く覚えるって言われてるけど」
「つまり、読心術への対処方法はない?」
「そうだね。魔物としての固有の能力なんだと思うよ」
対処方法がないため冒険者たちは例外なく、見つけたら有無を言わせず殺せ、とゴキブリのように嫌っている。
オルも嫌そうな顔をして周囲を見回していた。しかし、建物の中に潜んでいた場合は発見が間に合わないため、あまり意味のある行為とは言い難い。
「もう一種類の新種は木霊だっけ? 霊界にもいるけど靄の塊みたいな生き物で山にいるんだよ」
「靄って……倒せるのかい?」
「実体はあるからね。殴れば倒せるよ。魔物になって強化されてるかもしれないけど」
第四階層に潜っている冒険者たちからの情報によれば、木霊の能力は周辺の魔物を呼び集めるというものらしい。厄介さではサトリにも並びそうだが、連携に致命的なダメージを与えかねないサトリの方が嫌われていた。
「そういえば、ネット掲示板とかいう物に殺害予告が新たに書き込まれたそうだね。大丈夫なのかい?」
「芳紀の動画を見て顔を把握したって書き込みがあったそうです。今まで芳紀の顔も知らなかったって事になるんですけど、それまでの殺害予告と失踪事件の話を考えると、そんなに段取りが悪いなんてあり得るのかなって芳紀も不思議がってました」
もっとも、南藤は活動歴も短くメディア露出も藻倉ダンジョン第三回の氾濫後くらいであり、映像などはあまり出回っていない。写真がないのは仕方がないのかもしれない。
頭上で団子弓が民家の窓に向かってエアガンを発砲する。魔力強化で威力が向上しているため、窓の格子を容易く撃ち抜いてその先の魔物に命中したらしい。
魔物の悲鳴を聞いて、橙香が鉄塊を真横の壁に叩きつける。如何に頑丈に作られているとは言っても破壊を目的として重量物を叩きつけられた壁はひとたまりもない。
壁に開いた巨大な穴から飛び出してきた魔物を鉄塊で潰し、橙香は後ろに下がった。
「終わりかな?」
「いぉ」
「じゃあ、血を抜こうっと」
建物の中で団子弓に撃ち殺された魔物の死骸も回収する。
「これがサトリだよ」
橙香はそう言って、建物の中から引っ張りだした、薄汚れた白い毛に覆われた狒々のような魔物を片手でぶら下げる。
「これがCCって悪名高い奴かい。意地の悪い顔をしているね」
興味深そうにサトリを観察するオルに死骸を渡して、橙香は鉄塊で潰した魔物の死骸を回収する。こちらは小ぶりな大山椒魚の魔物だった。
「建物の中に潜まれるとサトリをすぐに殺すこともできないし、嫌われるのも分かるよ」
「建物ごと燃やしてしまおうか?」
オルが無事な建物の壁を拳で軽く叩きながら物騒な提案をする。
「もし延焼してこの階層全体が大火事になったりしたら、ボク達以外の冒険者にも被害が出ちゃうから駄目だね」
「言ってみただけさ」
オルはくすくすと笑って、サトリの死骸の首をナイフで切り、南藤に血を浴びせ始める。
「魔力耐性の強化を狙うって事でいいはずだよね?」
「うめぁ」
「うん、何言ってるか分からない」
オルが苦笑した時、橙香が大山椒魚の魔物の死骸を捨ててオルに声を掛けた。
「木霊が来るって。いったん退避しよう。芳紀、どっちに行けばいい?」
南藤が指差した方向へ、橙香を先頭にすぐさま走り出す。
「さっきの、私に対する返事じゃなかったのかな?」
「木霊って言ってたんだよ」
「やっぱり、分からないなぁ」
コツでもあるのかと聞きたそうなオルだったが、そんな余裕はなかった。
道の先の十字路にいくつもの影が現れたのだ。
「サトリの群れ?」
「うわぁ、やだなぁ」
突っ切るどころか近寄るだけでも心を読まれてしまう。魔物を呼ぶ性質を持つ木霊から出来るだけ距離を取りたい今、来た道を戻る選択も取れない。
「芳紀、お願い」
橙香の願いを聞くより早く、サトリの群れに鉛玉が撃ち込まれる。
オルも足を止め、足元に魔法陣を浮かび上がらせた。
「とりあえずボクが前に出るよ。芳紀への惚気が聞こえてきてもスルーしてね!」
「そんな心配はしてなかったのだけれども」
鉄塊を構えた橙香が前に出ると、サトリの群れもこちらに気付いて駆け寄ってくる。
団子弓に撃ち抜かれ、あるいはオルの魔法で焼き殺されているにもかかわらず、仲間の屍には一切の興味を示さずにサトリたちは距離を詰めてきた。
『弱ってる芳紀もいいなぁ』
『ギャップ萌え!』
『芳紀さいこー』
『早く芳紀と結婚するんだ!』
「ボクのだよ!」
「サトリは心を読んでいるだけだから張り合っても仕方がないと思うけれど」
しわくちゃの顔をした薄汚い狒々の群れが口々に南藤への好意を口にしながら殺到してくるおぞましい状況に、オルはため息を吐きながら魔法を詠唱する。
『芳紀は絶対に渡さない』
『ボクの芳紀だもん』
『狙うなら容赦しない』
『絶対殺す』
橙香の心を読んだサトリたちが唐突に足を止める。自らに向けられる尋常ではない殺気を、心を直接読むという方法で知ってしまったが故に対処の必要性を感じたのだろう。
しかし、橙香はサトリたちへ睨み殺さんばかりに鋭い視線を向け、鉄塊を構え、口を開いた。
「ボクのだもん」
唸りを上げる鉄塊がサトリの群れの中心に叩きつけられる。
慌てて逃げ出そうとしたサトリの尻尾を右足で踏みつけて止め、左回し蹴りで本体を蹴り飛ばす。あまりの威力に尻尾がブチブチと音を立てて千切れ、本体は錐もみ回転しながら逃げる仲間のサトリの背中にぶつかった。
虐殺が終わるまで、あと三匹。