第十二話 故郷と居場所
「状況はかなり悪いですね」
そう言って、異世界貿易機構職員、杷木儀赤也はノートパソコンで書いた報告書を眺めた。
「実は、すでに大戸峠ダンジョンで正体不明の冒険者たちによる襲撃を受けたとの被害届が一件出ています」
もみ消しましたけど、とさらっと言ってのけて、杷木儀は南藤と橙香を見る。
ここは大戸峠ダンジョンに近い旅館の一室だ。
元は霊界からの親善大使などをもてなすために作られた立派な旅館ではあるが、外交目的でも利用される施設だけあってプライバシーや防犯には力を入れている。ここでの会話が外に漏れる事はないだろう。
「薄闇世界と日本でダンジョンが同時に地震に見舞われ、次いで日本側大戸峠ダンジョンが氾濫、魔力濃度が急上昇し、マスター権限が消失。霊界との連絡路でもある事から大戸峠ダンジョンの再攻略を進めるべくすぐに攻略対象ダンジョンに再認定して冒険者を送り込んだのが今から三日前。被害届が出たのは昨日。現在も冒険者は大戸峠ダンジョンに入れる状態で、薄闇世界と繋がっていることについてはこれから発表……」
南藤は情報を整理しながらコーヒーの空き缶を右手で弄ぶ。
「裏ギルドが動くには早すぎる気もします。事故か、事件か」
「薄闇世界の行政、司法は機能しているとは言い難い状態です。犯罪者の身柄引き渡しに関しての条約もまだ協議中でまとまっていません。仮に事件だとすると事態が収束するまで何年かかるか」
南藤と杷木儀が暗い未来予想に項垂れていると、紅茶の缶を握り潰して如何に綺麗な球体を作れるかで遊んでいた橙香が口を開く。
「同士討ちしないような状況を作ろうよ。腕章を配るとか」
「それでは裏ギルドの暗躍を防止できませんね。攻略にあたる時間を完全に分けるくらいしないとダメなんですが……」
杷木儀は首を横に振る。
ダンジョンの攻略は自国、あるいは世界規模での防衛に関わる重大事だ。時間を完全に分けてのフェアゲームが成立する土壌はない。
しかし、南藤の意見は異なっていた。
「薄闇世界は残り三国を残すのみでリーズリウム深緑ダンジョン以外にも未攻略のダンジョンが存在しています。日本の冒険者に対してダンジョンを解放し、さらにそのマスター権限を譲渡する条約も結んでいます。他の未攻略ダンジョンに戦力を割り振れると判れば、薄闇世界の連邦も利を認める可能性はありますよ。後は、ダンジョン内でも魔物が来ない安全圏である階層スロープに日本、薄闇世界双方から派遣した監視員を置くといった方法もあります」
「まぁ、確かにそうですね。その辺りは担当者に掛け合ってみましょう。しかし、南藤さんたちの話では薄闇世界側にも同士討ちの犠牲者が出ているとの話ですから、向こうの民意次第では覆る可能性があります。残り三カ国にまで疲弊しているせいで、薄闇世界の政府はどれも実行力に欠けていますからね」
「薄闇世界の住人の支持を取り付ける手を打つ必要がある、と?」
「その通りです」
杷木儀が頷く。
座敷童、可燕のコンサートや炊き出しのようなイベントを企画するなどの交流を行う必要があるらしい。
法徳たちの活躍もあって、薄闇世界の冒険者たちから一目置かれている地球の冒険者でも、多数の支持を取り付けるのは難題だった。
考え込む南藤に杷木儀が助け舟を出す。
「可燕さんに打診する事も出来ますが?」
「いえ、コンサートはともかく炊き出しはそこまで効果がなくなっています。ダンジョン外の魔物を駆逐して物流が正常化し始めているので」
「そうですか。事が事ですから異世界貿易機構に申請すれば予算が下りる可能性もありますが、効果が見込めないのでは上を説得できませんね」
悩む男二人の横で丸めた紅茶缶を指先で転がしていた橙香が口を開く。
「親善試合とかする? 互いに手札を見せながら油断できない相手だって認識できれば同士討ちも減ると思うし、顔見せもできるよ?」
「面白い案ですね」
橙香の提案に興味を示した杷木儀がキーボードを叩き始める。
「あまりお金もかかりませんし、親善試合に参加する冒険者を事前に調査すれば裏ギルドの介入も防げます。薄闇世界側との協議は必要でしょうけども」
「復讐鬼みたいな人は参加しなかったり、芳紀みたいな特殊兵装の冒険者は参加が難しいのが難点かなぁ」
「それなら、特殊兵装持ちの戦闘方法を見せる名目でダンジョン内で魔物狩りツアーを組むのも一つの手だな」
橙香の懸念に南藤が答えると、杷木儀が困り顔をした。
「命の危険が大きい企画となると、異世界貿易機構が絡むわけにはいかないので魔物狩りツアーは難しいですね」
「俺の方で企画立案して、民間レベルで留める分には構わないでしょう?」
「申し訳ありませんが、お任せします」
宮仕えで自由がきかない立場に配慮した南藤の提案に、杷木儀が素直に頭を下げる。
企画の参加者についての調査はしてくれるというので南藤は杷木儀に礼を言い、薄闇世界の冒険者との調整をするために立ち上がる。
「これからちょくちょく日本と薄闇世界を行き来すると思います。唯川上流ダンジョンよりも大戸峠ダンジョンの方が距離が近いので、こっちを利用させてもらってもいいですか?」
「出入口に立っている自衛隊の方に話を通しておきましょう」
杷木儀が請け負ってくれたのを確認して、南藤は橙香と共に部屋を後にする。
外に出てみると、縁側に腰掛けて涼んでいたオルが顔を向ける。
「この格好では目立つようでね。一人歩きは躊躇ってしまうよ」
そう言って苦笑するオルの衣服は丈の長い黒のスカートやつば広帽子、極めつけに長い杖という魔法使いルックであり、薄闇世界と繋がっていると噂されている大戸峠ダンジョン周辺では悪目立ちするのも致し方ないモノだ。さらに、本人のプロポーションも優れており、美女と呼んでどこからも異論が出ないような麗しい女性である。
南藤と橙香は顔を見合わせてから、オルに謝った。
「配慮が足りませんでした。すみません」
「気が付かなくてごめん」
「良いって事さ。それより、日本、だったか。良い世界だね。ちょっと日差しが強すぎる気もするけれど」
雲の切れ間から顔を出した太陽に気付いて、オルがつば広帽子を傾けて顔に影を作る。
橙香はオルの隣に腰掛けて太陽を見上げた。
「薄闇世界と違って太陽が顔を出すからね」
「ここが橙香ちゃんの第二の故郷というわけだ。羨ましいね」
「うーん。ちょっと違うかな」
「違うのかい?」
意外そうな顔で見つめるオルに、橙香は南藤を振り返る。
スマホを使って情報収集に努めている南藤を見ながら橙香は微笑む。
「ボクは霊界で生まれたし過ごしてきたけど、そんなにいい思い出はないよ。それは日本に来てからもあまり変わらなかった。それでも家族が霊界に里帰りする時に日本に残ったのは芳紀が日本にいたから」
「南藤さんの隣が君の故郷という事か」
「それとも違う」
穏やかに、しかしはっきりと否定した橙香は空を見上げた。
「霊界はいまのボクを作る土台の一つで、振り返りたい時もあるけど、いまのボクが居たいと思うのがここなだけ。故郷じゃなくて居場所なんだよ」
「それって違うのかい?」
オルに問いかけられて、橙香は口ごもる。何と表現していいのか分からなかったからだが、そんな橙香の頭にポンと南藤が手を置いた。
「親離れみたいなものだろう。軸足を故郷から新しい生活の場に移すって事だ。その場所に俺の隣を選ぶっていうのは告白みたいだけど、いまさらだな」
「不束者ですが、今後ともよろしくお願いいたします」
「歓迎する。という事で、ご両親に挨拶に行くためにダンジョン攻略を急がないとな」
「おあついねぇ」
橙香と南藤のやり取りにオルは苦笑しながら顔を手扇でパタパタと扇ぐ。
茶化すようなオルの言葉に対して、橙香は真剣な目を向けて問いかける。
「ねぇ、故郷に帰りたい?」
「……帰りたいさ」
嘘偽りのない言葉なのはオルの表情が語っていた。
しかし、橙香が踏み込む隙を与えずにオルは立ち上がり、笑顔を向けた。
「どうせ日本に来たのだから、美味しい物が食べたいね。何かおすすめはあるかい?」
半ば強引に話を打ち切ったオルにこれ以上は無駄と分かって、橙香も立ちあがる。
「帰りもあるからお酒はダメだし、何にしようか?」
「寿司でも食って帰るか」
「オルさん、生魚って大丈夫?」
「え、生?」
海産物の味を知っていても生で食べた事はないらしく、オルは戸惑ったような顔をする。
「ラーメンにでもしておくか」
「ボクは鯛だし塩ラーメンが食べたい!」
「私にはすしとらーめんの知識がないからわからないのだけれど……」
「その辺りは道中で説明するよ」
旅館を出て歩き出しながら、寿司やラーメンについての話をする橙香とオルを眺めつつ、南藤はスマホでラーメン屋を検索するのだった。