第十一話 再会
リーズリウム深緑ダンジョンは内部の魔物に新種が加わっても構造そのものは一切変化していなかった。
相変わらずの谷積み石垣に挟まれた水路迷宮で構成された第一階層に入った橙香はさっそく空を見上げる。
しかし、空にはいつもとは違ってドローン毬蜂ではなく団子弓が浮かび、索敵を担う天狗の法徳が大太刀を片手に周囲を睥睨していた。
「日本からの冒険者と思われる者はいない。これから日本側出入口を探すが、日本人らしき者との接触は控えた方がよかろう?」
「どうする、芳紀? ボク達なら相手が日本人の場合、すぐに攻撃されることはないと思うし、冒険者登録証を見せれば問題ないと思うけど」
「おぅろ」
「わかった。法徳さん、日本人との接触は極力なしで。裏ギルドがいるかもしれないから」
「あい分かった」
法徳はそう言って、地図を広げると南藤たちを先導し始める。
今まで黙っていたオルが橙香に訊ねる。
「裏ギルドっていうのは何かな?」
「人殺しとかを目的にダンジョンに潜っている犯罪者たちの事です」
「へぇ。日本にはそんな危険な人がいるの」
「日本人とも限らないみたいですけどね」
藻倉ダンジョンでの一件は守秘義務があるため話せず、橙香は言葉を濁す。
しばらく水路を進んでいると、頭上を飛んでいた法徳が声を掛けてきた。
「魔物の群れが来る。我が飛んでいるのもあって、集まってきたようだ。対処できるか?」
「数と種類は?」
「野伏間が七体、夜雀が二体、シイが七体、大山椒魚が二体だ」
「分かった。飛行型魔物だけ片付けて」
「了解した」
答えると同時に、法徳へと風呂敷のような平たい何かが飛びかかった。尻尾がたなびいているのを見て、橙香はその風呂敷こそが野伏間だと気付く。
短い毛に覆われた縦横三メートルほどの平たい生き物は飛びかかろうとした法徳に大太刀で切り裂かれ、赤い血をまき散らしながら落下していく。野伏間の巨体が作る死角から法徳を狙った黒っぽい雀、夜雀は南藤が操るドローン団子弓に搭載されたエアガンで撃ち落とされている。
夜雀による夜盲症の呪いはとどめを刺した者へと向けられるが、ドローンで間接的に殺すことで南藤までは届かないことが分かっている。オルによれば魔法や弓での攻撃では呪いを受けるとの話であり、攻撃が届く前に物陰に隠れた場合には呪いを受けずに済む。
夜雀の呪いは死の直後に直線的に放たれるというのが通説だった。
「ボクも頑張ろうかな」
鉄塊を腰だめに構えた橙香が正面へと視線を移す。
水路を駆けてくる七体のシイと二体の大山椒魚。
しかし、橙香が待ち構えている間に先頭を走っていたシイに青い燐光が衝突して燃え上がった。
さらに、夜雀を全て落とした団子弓が上空から鉛玉を撃ち下ろす。四足で駆けるシイは上空から見ると的が大きく、二体、三体と数を減らしていく。
橙香の前に到着する頃には毒を持つため厄介だとされているシイは全滅し、全長十メートルほどもある大山椒魚の魔物が水路の水ごと橙香を丸呑みにしようと大口を開けて迫ってきていた。
「お口臭い」
辛辣な一言と共に、橙香が鉄塊を振り上げて大山椒魚の下あごをカチ上げる。
巨体が浮き上がったとみるや、橙香は鉄塊で大山椒魚の横っ面を殴り飛ばした。大山椒魚の頭蓋が砕け散る鈍い音が水路に木霊する。
殴り飛ばされた大山椒魚はもう一体を巻き込んで水路の壁に叩きつけられる。しかし、その体には脂肪が多いのか衝撃自体はさほどでもないようだった。
「いっぱーつ」
呟いた橙香が走り込んだ勢いを乗せて大山椒魚の腹部に鉄塊を叩きつける。衝撃は二体の大山椒魚の身体をくの字に折り曲げ、さらに奥にあった丈夫なはずの水路の壁面を陥没させる。
「もう一回!」
くるりと一回転しながら後ろに飛び下がった橙香は鉄塊で大山椒魚二体を横に薙ぐ。先の一撃でくの字に折り曲げられた大山椒魚の身体を折り畳むような一撃だ。事前に腹部へ加えた一撃で大山椒魚の背骨を破壊していた事もあり、分厚い大山椒魚の身体が畳まれた。
「アンコール!」
右足を一歩踏み出して、橙香は鉄塊を縦に振り降ろす。
すでに意識が飛んでいる大山椒魚二体は折り畳まれた身体を叩き潰された。
「よし、流石にこれで死んだでしょ」
半分に割かれてもなお生きていると伝えられ、はんざきの異名を持つ生き物を模しているだけあって、この大山椒魚の魔物は生命力がきわめて高い事が分かっている。
しかし、いくら生命力が高くとも橙香が繰り出す一撃必殺の鉄塊を何度も受ければ原形をとどめない。元が巨大故に歪さが際立った死骸となっており、オルが目をそむけた。
「やりすぎよ」
「やりきれない生涯は嫌だから、やりすぎるくらい頑張る事にしたんだよ、ボクは」
そう抗弁しながらも、橙香は自覚があったらしく視線を逸らした。
上空から法徳が高度を落としてくる。
「……なにやら、ずいぶんと酸鼻を極める状況となっているな」
「賛美を極められてもボクは反応に困っちゃうよ」
「わざと言葉を曲げているな? まぁ、よい。血を抜く暇はあるまい。先を急ぐべきだ」
「賛成。日本を目指そう」
水路を歩きながら、集まってくる魔物を仕留めていく。ほとんどは毒を持つ魔物であるシイであり、目的がなくとも魔力強化を狙うのは難しいだろう。
「……蜂が来る」
法徳が苦々しそうな顔で言って、水路に降りてくる。
すると、頭上を黒と黄色のツートンカラーが禍々しい手のひら大の蜂が群れを成して飛び回り始めた。
スズメバチを想起させる凶悪な顔にかえしが付いた毒針を持ち最低でも二十匹で群体を作る魔物だ。
大太刀を自在に操る法徳たち天狗衆といえども、身体が小さく数が多いこの魔物は相手にしたくないらしい。
「オル殿、任せてよいか?」
「えぇ、得意分野よ」
事前に話し合っていた対処法を実行すべく、オルが杖を片手で持つ。同時に足元には魔法陣が浮かび上がった。
「――炎にて禍根を焼き切る」
いつも通りの呪文を唱えた後、オルの足元に浮かんだ魔法陣が変化する。前後左右に鏡写しのように魔法陣が複製され始め、杖の先に灯る青い燐光が数を増やし、統合されて光を強くする。
「――来る災いを祓い清めて白と成す」
強くなった青い光はその色を失い白くなる。
オルは杖の先に灯った白い燐光を頭上の蜂の群れへそっと押し出した。
瞬時に蜂の群れに着弾した白い燐光が花火のように砕け散ったかと思うと――蜂の群れが灰となって風に溶けた。
「ふぅ」
「あの数が一瞬とは。恐れ入る」
「対象が小さいので燃え尽きるのが早かっただけですよ」
オルは法徳に応えて、ちらりと南藤を見た。
機馬の脚の一本に上半身を支えられるようにして身を乗り出し、水路に嘔吐している南藤を見たオルはため息を吐いた。
「蜂への対処もできると分かった事だし、さっそく進もう!」
「もうじきのはずだが……」
歩き出す橙香につられて空に飛びあがった法徳は遠くを見て飛翔を止める。
「仕舞った。今の戦闘の合間に冒険者に近付かれている」
「天狗が空を飛んでいない内は仕事を任せるなっていうよね」
「ケンカを売っているのか、鬼娘」
「二人とも、喧嘩をしている場合ではないよ。法徳さん、冒険者はこちらに気付いているの?」
「あぁ、我の姿を見て一直線に向かってきている」
「武装は?」
「高枝切り鋏と……なんだあれは、手ぬぐいの類か?」
法徳の報告に、橙香はもしかして、と南藤に声を掛ける。
「芳紀、毬蜂で確認してみて」
「えぁ」
「どんな感じ?」
すでに飛んでいた毬蜂から送られてきた映像をスマホに表示した南藤が画面を橙香に見せる。
映されていた二人組を見て、橙香は胸をなでおろして水路の向こうに呼びかけた。
「大塚さん、室浦さん、お久しぶりでーす!」
橙香が呼びかけた直後、水路の突き当たりから男女二人組が姿を現す。
乙山ダンジョン攻略戦で共に戦った冒険者、大塚と室浦だ。
「おぉ、橙香ちゃん! 天狗を見つけたから会えるかなって思ってきてみたら正解だったね」
「南藤は相変わらずか。新顔もいるようだが」
「先輩、眼つき悪いんですから初対面の相手にはきちんと挨拶してくださいって言ってるじゃないですか」
「ちっ……」
舌打ちした大塚は得物の高枝切り鋏を肩に担ぐと、南藤に声を掛けた。
「おいこら南藤。藻倉ダンジョンまで潰しやがって、復讐計画が丸つぶれじゃねぇか。どう落とし前つけんだよ」
「大戸峠ダンジョンを攻略したら乙山での借りを返せるって出張ってきた先輩がなんか言ってるー」
「……借りなんかねぇよ」
そっぽを向いて弱弱しく反論する大塚に室浦がにやにやしている。
橙香は二人に法徳とオルを紹介しながら、二人が入って来たという日本側出入口へ歩き出した。
「室浦さんたちがいるって事は、やっぱり地球に繋がっちゃってるんですね」
「そうだね。掲示板では薄闇世界に繋がってる説もあったけど、本当につながってるとは思わなかったよ」
室浦は橙香が見せたクラン『鞍馬』謹製の地図を見て、腕を組む。
「やっぱり迷路になってたか。かぁーめんどくさ!」
「第三階層への階層スロープが見つかってるので、迷路の攻略は必要ないですけどね。注意しておきたいのは塗り壁で――」
情報交換を始める橙香と室浦を後ろから見ていた南藤は隣に大塚が立ったことに気付いて目を向ける。
「掲示板で冒険者の同士討ちの話が出てる。西洋剣を持った冒険者の話もな。心当たりはあるか?」
大塚の問いに南藤はオルの位置を確認してから頷いた。
大塚は南藤の視線の意味を考えて一瞬沈黙した後、苛立たしそうに舌打ちした。
「このダンジョン、かなり複雑な状況に置かれていそうだな。南藤、いまは魔力酔いがあるから無理だろうが、外に出たら話して聞かせろ」
「えぁ」
「相変わらず分かんねぇな」
変わらない南藤の様子に大塚が苦笑して水路の先を指差す。そこには上へと伸びる坂道があった。
「ほらよ。日本に到着だ」