第七話 第一階層
リーズリウム深緑ダンジョン第一階層は藻倉ダンジョンと同じような水路で構成されている。
とはいえ、廃坑とは異なり天井は存在せず、灰色の空が広がっていた。幅七メートルほど、深さ五メートルほどの水路は足元を常に水が流れ続けている。勢いは通路によってまちまちだが、速い場所では立っているのもやっとで戦闘どころではなくなるほど。
全体的には水路が複雑に入り組んだ、いわば迷路のような構造となっていた。
しかしながら、この第一階層はすでに攻略されている。当然だ。水の流れなど完全に無視できる天狗たちが鍛え上げた剣術を用いて潜っているのだから。
そして現在、南藤たちはリーズリウム深緑ダンジョン第一階層にて戦闘を行っていた。
とはいえ、ダンジョンの外の森で討伐してきた魔物たちと顔ぶれは変わらない。戦闘は非常に安定しており、苦戦らしい苦戦もしていなかった。
「前方、三百メートル先、シイ、四体。夜雀、一体」
「分かった。オルさん、お願い」
「任せなさい」
オルの足元に魔法陣が描かれる。水の下で輝くその魔法陣に、橙香は藻倉ダンジョンでのテレポートを思い出すが、頭を振ってイメージを振り払った。
南藤の索敵通り、三百メートル先の曲がり角からシイが四体通路に駆け込んでくる。まっすぐに橙香たちを目指して駆けてくるシイの群れにオルの魔法が放たれた。
青い燐光が衝突したシイが青い火柱に包まれる。足元の水に体を沈めて消そうとするも、魔法による炎はそう簡単に消えてはくれない。
突如燃え上がった仲間を一瞥した三体のシイは足を止めることなく水路を駆けてくる。水の流れもあって常より加速しているが、すでに南藤が操る団子弓が狙いを定めていた。
キャン、と見た目にそぐわぬ甲高い鳴き声で悲鳴を上げ、シイが倒れ伏す。背中を団子弓のエアガンで撃ち抜かれたのだ。
間をおかずさらに一体のシイが悲鳴を上げて前のめりに転がった。
「橙香さん」
「よっと!」
オルに声を掛けられた橙香が鉄塊で足元の水を巻き上げてシイを押し流す。その隙に、オルは次の魔法の準備を整えていた。
「――炎にて禍根を焼き切る」
橙香が巻き上げた水を堪えきって反撃に移ろうとしたシイが燃え上がる。
後一体、夜雀がいるはずだと視線を走らせ、水面ギリギリの低空飛行で突っ込んできた夜雀を見つける。
しかし、迎撃に移る前に夜雀は燃え上がっているシイを避けきれずに勢いそのままに衝突し、その青い炎に混乱して水に落ちた。小さな水しぶきが上がった落下地点にはシイの棘に全身を貫かれた夜雀の死骸がある。
「同士討ちしちゃったね」
橙香は苦笑しつつ、夜雀にとどめを刺してしまったシイを見る。青い炎に焼かれながらもまだ生きていたシイには、夜雀にとどめを刺してしまったことで変化が生じていた。
青い炎をまとったまま南藤たちに突貫しようとしていたそのシイは夜雀の能力で夜盲症に似た症状を患い、完全に視力を失って右往左往した挙句、青い炎に燃やし尽くされて絶命した。
何とも締まらない終わり方に気が抜けてしまったが、橙香は構えを解きつつわざとらしく鉄塊で水路の床を叩いて少し大きな音を出して気を引き締めなおす。
「終了」
「お疲れ様でしたー」
「はい、お疲れ様」
南藤の戦闘終了の宣言に、橙香とオルは互いを労う。
シイの死骸には毒があるため、血を抜きだすのに危険が伴う。人数も少ない事から、今回はシイの血液採取は見送って通路の先へ歩を進めた。夜雀の方は全身をシイの針に貫かれたせいで血が水路に流出してしまっている。もともとが体の小さな魔物であり、とどめを刺した者の視力を奪う呪いを持つだけのお邪魔虫のような魔物だ。血液を取れても量はたかが知れている。
「二百メートル先、右折」
「あれ? 芳紀、ここはさっきも通ったと思うんだけど」
見覚えのある風景に、橙香は首を傾げる。
オルも同様に水路の壁を見た。
「この白い石が段状に積まれているのは見た覚えがあるね」
オルが指差した水路の壁は大きな石を斜めに積みあげた形をしている。谷積みと呼ばれる石垣だ。
橙香も見覚えがあったのか、不思議そうに南藤を見る。
いかにこの第一階層が迷路であろうと、南藤は上空からドローンで全体像を把握できるのだ。迷うとは思えない。
「やっぱり、変化してるの?」
「刻一刻」
南藤の答えに納得して、橙香は南藤の指示通りに水路を右折した。
第一階層は薄闇世界の住人が潜り続けていたにもかかわらず地図が存在していない。クラン『鞍馬』が攻略してからも同様だ。
なぜなら、第一階層には移動する壁が存在しており、地図があまり役に立たないのである。
クラン『鞍馬』は上空から撮影した写真を攻略にあたる冒険者に配っているが、移動する壁のせいで階層スロープまでの遠回りを余儀なくされている。
「こんな仕掛けのあるダンジョンは初めてで最初は目新しかったけど、慣れてくると面倒なだけだね」
「その通りさ。私たちも手を焼かされたからね。まさか、空から全体像を見るだなんて強行突破をする冒険者たちがいるとは思わなかったけど」
オルは両手をパタパタと羽ばたくように動かしてみせる。
天狗たちによる第一階層の強行突破は薄闇世界の冒険者たちが半ば笑い話として酒の席で話している。
空を飛ぶ魔法が存在せず、方法すらない薄闇世界の冒険者たちにとって、クラン『鞍馬』が取った常識はずれの探索はダンジョンの裏をかいた痛快な話であるらしい。
そんな話をしていると、南藤が橙香たちを呼びとめた。
「引き返す」
「また移動する壁?」
「そう、だ」
カシャンカシャンと六本の脚を器用に動かして後ろを向いた機馬が来た道を引き返し始める。
今日のところは第二階層の様子を見て帰ろうと話していたのだが、ひどく遠回りをさせられている。
橙香は水路の壁を見上げた。
「これ、乗り越えちゃえばショートカットできないかな?」
「それを試みた冒険者は何人もいたのだけれど、その壁を登ると周辺の魔物たちが集まってくるんだ」
この現象は空を飛んでいた天狗たちも確認している。
迷路をショートカットしようとすると魔物が集まってきて磨り潰されるという事なのだが、自由に空を飛べる天狗たちは高空からのヒットアンドアウェイを繰り返して群がる魔物を蹴散らしたという。
集まってくる魔物にはシイが多く、討伐しても魔力強化のために血液を採取するのが難しいため、天狗たちはこの方法での大量狩り、俗に言われる廃狩りを諦めている。
「塗り壁」
「塗り壁がどうかしたの?」
「塗り壁ってなにかな?」
南藤の一言に異なる反応を見せる二人。
橙香はオルに塗り壁について説明する。
「霊界の動物で、三つの目がある毛の短い生き物だよ。視野が広くて透視能力もあるから遠くに捕食者を見つけると透明な壁に化けてやり過ごそうとするの」
「妙な生き物がいるんだね。それにしても、壁か……」
オルは思案顔で左右の石垣を見ると、南藤へ目を向けた。
「動く壁の正体がその塗り壁じゃないかって話かな?」
「そう」
「でも、芳紀、塗り壁って透明な壁に変化するし、壁に変化した後は動かないよ?」
「魔物、だから」
「生態が変わってるかもしれないってことだね」
確認してみよう、と南藤の案内に従って動く壁の元へ向かう。
南藤たちが同じ通路に到着すると動く壁はぴたりとその場で停止した。
水路の左右を隙間なく埋めるその壁は見た目の上では左右の石垣と変わらない。
橙香は近付いてコンコンと壁をノックする。
「変化すると鬼が叩いても壊れないんだよ。ほら」
実演して見せようと、橙香は遠慮も何もなく腰をひねって鉄塊を叩きつける。
バンッと衝撃音が水路に轟き、動く壁が衝撃に揺れ、その振動が伝わった水路の水が大きな波を作り出す。
波に足を取られそうになりながら、オルは橙香に手振りで横にずれるように指示を出しつつ魔法の詠唱に入った。
放たれた青い燐光は壁に衝突すると同時に燃え上がるが、壁に燃え移ることも溶かすこともできない。そのままこめられた魔力を消費しきった青い炎は意気消沈したように弱弱しくなって消えていった。壁には煤跡一つついていない。
「この通り、この壁は魔法でも破壊できなくてね。強力な魔法耐性の素材かもしれないってことで研究しようとした人もいたのだけれど、そもそも人の力ではびくともしないから研究もできないのさ」
だから迂回するしかない、というのが薄闇世界の冒険者たちの通説である。
橙香が壁に歩み寄った。
「霊界の塗り壁だったらこうやって足元を払うと――」
ひょい、と橙香は足元の水を蹴り払う。すると、突然壁が消失した。
「……消えたね」
「そのようだね」
まさか本当に塗り壁だとは思わなかったのか、橙香は壁が消えた場所を眺めている。
「塗り壁そのものはどこかに逃げちゃったみたい。でも、これで遠回りしないで済むかな」
魔力強化に必須の血液を採取できなかったのは残念だが、冒険者を悩ませていた動く壁の消し方が分かった以上、天狗たちが撮影した迷路の全体像と合わせて第一階層を容易に抜けられるようになった。
「芳紀、階層スロープはどっち?」
「まっすぐ、すぐ」
南藤の言葉通りにまっすぐ進んでいくと、ほどなくして下り坂が見つかった。水路の水が入らないように一段高く作られている。
「かなり時間取られちゃったけど、覗いて行こうよ」
率先してスロープを下りはじめながら、橙香は坂の下を指差す。
オルが頷いて橙香の後に続き、南藤は慎重に機馬を坂道に乗り込ませてそろそろと下り始める。
魔力酔いの症状に気を付けながら下りていく。
「ふぇあ」
「芳紀、ミントキャンディー舐める? ハッカとかもあるよ」
「手馴れているね」
症状が悪化するや否や素早く介抱を始める橙香にオルが苦笑する。
そうこうしながらも坂道を下り切ると、当初の目的であった第二階層に到着した。
覗くだけという話もあり、三人は安全圏であるスロープから第二階層の様子を確認する。
「墓地、かな?」
橙香が呟くと、オルが肯定するように頷いた。
「この世界の墓地だね。もう見慣れてしまったつもりだったけれど、ダンジョンでこの風景が広がるのは皮肉だ」
複雑そうな面持ちで第二階層の墓地を見つめていたオルが踵を返す。
「さぁ、帰ろう。あまり見ていたい景色でもないからね」
※
ダンジョンから帰った南藤と橙香はオルと別れ、定宿に帰った。
「南藤さん、お帰りなさい」
「杷木儀さん、例の件ですか?」
ダンジョンの外に出た事で復調した南藤が来客、杷木儀に訊ねる。
杷木儀は鞄から書類束を出してきた。
南藤が依頼した、中井から聞いた殺人予告とオルとの関係について考察するための資料だろう。
「極秘です。上を説得するのに苦労しましたよ。コピーなどは取らないでくださいね」
「ありがとうございます」
書類を受け取って、南藤は橙香と並んでソファに腰掛ける。ざっと資料を確認した南藤は隣の橙香に書類を渡す。
橙香が書類を覗き込んで内容を読み始めた。
南藤は先に話を進めてしまおうと、杷木儀に問いかける。
「つまり、オルさんに該当しそうな人物が唯川上流ダンジョンを通った形跡はないんですね?」
「その通りです。薄闇世界は国交を開いたばかりで冒険者であっても唯川上流ダンジョンを通る際に確認があるのはご存知ですよね?」
「俺たちも顔写真を撮られたりしたから覚えてます」
出入国管理のようなものだ。
杷木儀は触れなかったが、薄闇世界はダンジョンの氾濫により滅亡寸前であり、安全な日本がダンジョンの先にあるのなら、と難民と化してやってくる可能性があるため、出入国が厳密に管理されている。
その管理記録に照らし合わせれば、日本から薄闇世界へと渡った冒険者についても調べがつくのだ。
管理記録によれば、日本から渡って来た冒険者の中にオルと特徴が似ている人物はいない。明らかに日本人ではない見た目から、南藤も予想はしていた結果だ。
「藻倉ダンジョンの裏ギルドのような変装は?」
「あり得ません。オルさんが南藤さんたちとダンジョンに潜っている間に日本から来た冒険者すべての所在を確認し、全員の存在を確認しました。身体を二つにする能力でもあれば別ですが」
「なるほど」
オルが魔法を使っている姿を見ているだけに、分身体を作り出せる可能性が否定しきれない。
とはいえ、それについては後で考えようと、南藤は次の質問をぶつける。
「他国の、あるいは異世界のダンジョンを経由して薄闇世界にやってきた可能性は?」
「薄闇世界に存在が確認されているダンジョンは全部で五つ。うち一つは唯川上流ダンジョンで他の四つは未踏破です。未知のダンジョンが存在し、なおかつそれが攻略されている可能性までは否定できませんね」
「国が三つにまで減って人の目が行き届かない状態ですからね。では、オルの特徴に該当しそうな知性種については?」
むしろこちらが本題だ。
魔法が使用できる以上、地球人ではないだろう。しかし薄闇世界の住人とは魔法の発動形態が違うという。
ならば、どこの世界の出身か。
期待する南藤だったが、杷木儀は残念そうに首を横に振った。
「色素の薄い肌、青い髪、灰色の瞳、強い光を避ける傾向、体外の魔力を用いて発動する魔法。そういった特徴を全て持つ知性種は現在、地球から行ける異世界にも確認されていません。公式には、と但し書きが付きますが」
「地球で起きている事とは無関係の可能性が高いという事ですか」
「そうなります」
当てが外れた形だが、オルと殺害予告に関係が薄いと分かったのなら収穫だろう。
いまだに姿の見えない殺害予告の主がどこに潜んでいるか分からない不気味さはあるが。
橙香が資料を読み終わり、杷木儀に渡す。
「それでは、何かあったらご連絡ください」
「はい、杷木儀さんも」
帰っていく杷木儀を見送って、南藤は思案する。
「ねぇ、芳紀、オルさんを問い詰めたりする?」
「なぜ薄闇世界の住人のように振る舞っているのかは気になるが、本人が隠している上に悪意を感じない。状況次第だが、いまは放置でいいと思う」
「よかった。なんか、オルさんも話しにくそうだったし。故郷の話になるとちょっと無表情になるんだもん」
橙香は安心したようにそう言って、軽食を作るために立ち上がる。
荷物から割烹着を引っ張り出す橙香から窓の外へと視線を移し、南藤は目を細める。
「無表情というより、寂しそうに見えたんだがな……」