第六話 スポットライト
続報があったら知らせると言って中井は南藤の元を離れ、コンサート会場へまっすぐ向かっていく。歩きながら可燕ちゃんグッズを取り出して身に着け、どこからともなくペンライトを取り出すと鼻歌を歌い始めた。
南藤は他人のふりをして橙香とオルの元へ向かう。
中井の話は興味深い物ではあったが、オルが犯人であるという根拠はない。しばらくは放置しても構わないだろうと思えるのは、橙香に屋台料理を説明しているオルの眼差しのせいだろう。
あくまでも警戒に留めて、今後とも付き合いを継続していきたいところだ。
「芳紀、芳紀、これ食べてみようよ!」
「こっちの通貨を持ってないだろう」
「日本円でいいって。レートも決まってるんだって」
「え、本当か?」
屋台の主に聞いてみると、日本からの冒険者向けに日本円と薄闇世界の通貨をトレードできるように可燕が今日限定の為替屋を置いているらしい。
「あの子、見た目によらずやり手だね」
オルがくすりと笑う。
「オルも食べるか?」
「あぁ、私は自分で出すよ」
「そうか。とりあえず三つください」
「はいよ」
渡されたのは焼き菓子にキャラメルをかけた物だった。キャラメル部分に薄闇世界の動物を象った押し印がされている。
「ほろにが甘いね」
「結構好みの味だな」
屋台の横でサクサクとした歯ごたえの菓子を食べる。
「鼈甲飴みたいだよね」
「べっこうあめ?」
橙香が口にした菓子の名前にオルが首を傾げる。
橙香は手に持っている菓子のキャラメル部分を指差した。
「水あめを加熱して型に入れた後に冷やして固めるお菓子だよ。いろんな形があって、こういう屋台とかでよく売られてたの」
「へぇ」
「そういえば、日本ではあまり見なかったね」
「屋台料理で菓子といえば綿あめとかチョコバナナとかになったからな」
「そうなんだ。かわいい猫の鼈甲飴とか形で選べて食べられるっていうのが面白かったんだけどなぁ」
ちょっと残念そうに言って、橙香は菓子を頬張る。
南藤はオルを見た。
「オルの故郷でもこんな感じの祭りだったのか?」
「そうだね。屋台がこんなに軒を連ねる事こそなかったけど、食べ物屋台はあったよ。あとは影絵の見世物小屋とか……。南藤さんのところの祭りはどうなんだい?」
影絵の見世物小屋というのが気になった南藤だが、それを問う前に訊ねられて橙香を横目に見る。
「俺は親戚の屋台を手伝ったりしてあまり遊べた記憶はないな。タコ焼き売ってた」
「タコ焼き?」
「足が八本ある軟体の海産物をぶつ切りにして出汁で溶いた穀類の粉に放り込んでから球状に焼く料理」
「芳紀、その説明はあまりおいしそうに聞こえない」
「八本脚で軟体って……想像するだにおぞましいのだけれど、食べるの?」
「美味いぞ。歯ごたえもいいしな」
「異世界は謎だらけだね」
想像して嫌そうな顔をするオルに南藤だけでなく橙香も苦笑する。霊界にタコ焼きはないが、タコそのものは食べるのだ。
しかし、タコを食べないとなるとどんな海産物を食べるのか興味が湧く。新種の海洋生物が見つかると最初に食えるかどうかが気になる国民性である。
「薄闇世界の海産物ってどんなものがあるんだ? 海藻とか?」
「魚が主だけど、貝も食べる。巻貝は毒を持っているモノが多いから素人は手を出すなと言われているね。あとは、海キノコか」
「海キノコ?」
「日本にはないのかな。屋台には出ていないだろうし、説明も難しい。一部の魚が卵を守るために海藻で作る巣が元になるのだけれど、孵化した卵の残骸を養分にして育つクラゲのような生き物さ。触手がなくて、海藻と繋がる軸一本を持ってる。食べる時は笠の部分を何かに和えたりする」
「へぇ。コリコリしてそう」
「どちらかというとトロリとした食感だよ。腐りやすいから内陸ではまずお目にかかれないけれどね」
興味を引かれるが、この辺りは内陸に位置しているらしく手に入らないだろうとの事だった。
屋台を見て回りながら、南藤はオルに訊ねる。
「海キノコって奴を知ってるなら、オルさんの故郷は海沿いにあるんですか?」
「あぁ……。海沿いというほど近くもないかな。海キノコも子供の頃に海へ遊びに行ったときに食べたのが最初だった。それに、いまは魔物に占拠されてしまって廃村になってるからね」
「そういえば、故郷を追われた身だと言っていましたね」
オルの出身地を聞くために鎌をかけたのだが、これ以上続けるのも難しいと南藤は橙香へ目を向ける。
「霊界のお祭りってどんな風なんだ?」
「日本とあまり変わらないよ。屋台が並んで祭囃子が聞こえてくる感じ。録音じゃなくて生演奏だけど」
そう言って、橙香は太鼓を打つような仕草をする。しかし、横向きに置かれる打楽器がイメージできなかったらしいオルは首を傾げていた。
「オルさん、薄闇世界にはお神楽とかあるの?」
「お神楽ってなんだい?」
「神様に音楽や舞を奉納する事」
「宗教行事と祭りは切り離されていたから似たものはないよ。楽団が演奏したりはしていたけど、他所だとどうかは知らないね」
「宗教行事じゃないんだ。どんな理由でお祭りやるの?」
「畑仕事が忙しくなる前の景気づけさ。それを聞くって事は、橙香ちゃんのところだと宗教行事なんだね」
お祭りの意味について話している内に文化論染みた内容に傾いて行ったが、あまり深い話になる前にこの祭りの本来の目的であるコンサート会場に到着した。
しかし、舞台を前にした南藤と橙香はそのおかしな光景につい足を止め、顔を見合わせる。
「祭壇になってる……」
本来可燕が歌って踊るはずの舞台の上に貢物らしき布や野菜、毛皮などが置かれていた。
オルが舞台を眺めて堪えきれなくなったようにくすくす笑う。
「感謝の気持ちなのだろうさ。さっきも話したけれど、この世界では神様に感謝してお祭りをやる事はない。自然、即物的な物になりがちだ。そんな背景に加えて街の暗い雰囲気を払拭するこのお祭り騒ぎの企画責任者が無料で炊き出しなどすれば、皆が感謝の気持ちを伝えるためにモノを贈る事にもなる」
「炊き出しに振り込めない詐欺の要素が加わってこの状態って事か」
「――おにいちゃーん」
聞き覚えのある声が聞こえて来たかと思うと、南藤は背中から抱きつかれた。
「可燕さん、なにあざといことやってるんですか」
「お兄ちゃん、可燕にさん付けなんてよそよそしいよ。妹よ! とか言ってくれないと。それはそれとして、舞台に載ってるあれの片付け手伝って!」
承諾するまで離さないとばかりに、南藤の腹へ回した手でぎゅっと服を掴む。
「片付けるって言っても……」
舞台の上に詰み上がった雑多な品を見つめる。ダンジョンの氾濫により滅亡寸前の世界だけあって高価な物はないようだが、感謝を込めて贈られた品である以上粗雑な扱いも出来ない。
運び出すのはなかなか骨が折れそうだ。
「手伝うって言ってくれないと事案にするよ」
「座敷童は児童に定義されませんよ。あなたがネットで合法ロリと呼ばれている事くらい知っているでしょうに」
「薄闇世界で座敷童を知っている人は皆無なんだよ、お兄ちゃん」
「中身は本当に真っ黒ですね」
「誰も掃除してくれないからね」
「自分で掃除してくださいよ」
話しながら、南藤は橙香に視線を送り、片付けを手伝ってくる旨を伝える。
「ボクも手伝うよ」
「なら、私も手伝おうか。舞台裏を覗ける良い機会だ」
「おねえちゃんズもありがとう!」
腹の黒さを忘れさせるような笑顔で感謝の言葉を口にすると、可燕は舞台の裏へと南藤たちを引っ張り込む。
台車まで持ってきて積み込み作業を始めているスタッフたちが鬼の橙香を見て歓声を上げた。
「鬼っ娘きた!」
「ガチの百人力だよ!」
「いくら鬼でも百人分にはなりませんよ」
誤解がないように訂正しながらも重い物を率先して運び始める橙香を見つつ、南藤は何人か適当に見繕って指示を出し始める。
全体を見ながら指示を出しているからこそ、南藤はオルの動きの違和感に気付いた。
悟られないようにオルを観察していると、南藤の隣に雪音が立った。
「スポットライトを舞台に運びたいのですが、構いませんか?」
「えぇ、どうぞ」
雪音さんも気付いたのか、南藤は視線を向ける。
「雪女は強い光に弱いのです。すぐに肌が焼けてしまいますからね。火も人より遠くに居るにもかかわらず火傷を負いやすいので、スポットライトのような強い光源にはあまり近寄らないようにしているんですよ。ですが、あの女性は雪女ではないですよね」
不思議そうな顔をしながらも、南藤の表情で詮索はしない方がよいと悟ったらしく、雪音は一礼して力持ちの男性スタッフ数人に指示を出し、貢物を片付けて空きスペースができた舞台へスポットライトを運び込ませた。
まだ点灯していないスポットライトを避けるように動いていたオルの動きが正常化したのを確認して、南藤は空を仰ぐ。
薄闇世界は分厚い雲が垂れ込める空に覆われている。この雲に切れ間はなく、太陽が顔を出す日もないという。事実、南藤たちが薄闇世界に来てからの二週間、雨の日はあっても晴れの日は一度もなかった。
日光が遮られる環境ゆえか、この世界の人々は色素が薄い。黒髪の比率はかなり低く、分厚い雲を通した光の作用によるのかやや青みがかって見える髪の持ち主や赤、金といった色が目立つ。
オルの髪の色は青みがかった黒であり、その瞳は灰褐色だ。地球であれば珍しい部類だが、薄闇世界では特徴的というほどでもない。
情報が足りない、と南藤は思考を切り上げる。
足りない以上は集めるべきだ。