第三話 蜘蛛の糸
街に入るなり自分達へと注がれた視線に、南藤は不快感を覚えて顔を上げた。
石積み建物の三階部分にある木の格子窓から四十歳そこそこの女性が南藤たちを見下ろしている。その視線はとても好意的とは言えず、ごくわずかな敵意とそれを塗り潰しかねない怯えが混ざっていた。
街の活気もない。怪我人や病人、物乞いの類が道にいるわけではないが、視界に入る人々の健康状態は良好とはとても言えず、服も擦り切れている。
建物に使われている建築技術や擦り切れた服の縫製などを見れば文化水準は産業革命以後の物だったと思われるのに、度重なるダンジョンの氾濫で工業都市などが壊滅して物が不足しているのだろう。
工業的に大量生産されたと思われる服や靴に雑な当て布がされているため、なおさらみすぼらしく見えていた。
腹を空かせて動く気力もないらしい子供がぼぅと空を流れる雲を目で追っている。
橙香は法徳を見た。
「炊き出しはしないんですか?」
「我らも資金に余裕があるわけでなくてな。魔物の駆除は率先して行っているが、提供できるのは戦力だけなのだ」
法徳は苦い顔をする。
すると、スポンサーである可燕が肩を竦めた。
「可燕の資産も有限だからさ。まぁ、コンサートで一回だけ炊き出しをする予定だよ。アイドルコンサートで振る舞うのが豚汁っていうのが些か不満だけどねー」
可燕に抗議するような目を向けられた雪音はどこ吹く風と言った様子で口を開く。
「栄養価の高い食材を使いつつ、味もこの世界の住人にはそこそこ受け入れられやすいようですので、選択としては妥当でしょう」
文句があるなら代案を出せ、と雪音は続けるが、すでに食材を発注した後である。いまさらのメニュー変更は難しい。
コンサート会場の下見を終えて、提供された宿へ到着する。
コンサートの最終打ち合わせをしに行く可燕と雪音を見送って、南藤と橙香は法徳とテーブルを囲んだ。
「まずは周辺の地図を渡しておこう」
「どうも」
法徳に渡された周辺の地図を見た南藤はダンジョンの位置を確認し、書き込まれていた魔力濃度の計測結果に眉根を寄せる。
「近付くだけで精一杯ですよ、これ」
「そうか。では、当初の予定通り、我ら『鞍馬』の天狗衆でダンジョンの攻略に当たる。南藤殿と橙香殿は魔力強化をして耐性を高めてから来てほしい。道中の様子を見る限り、ほとんどの魔物に対抗できるのだろう?」
「そうですね」
シイであれば南藤のドローン雷玉や団子弓で仕留める事が出来る。蜃、糸繰り狢は橙香の鉄塊で討伐可能なことが確認されていた。
夜雀にはまだ出会っていないが、この魔物は夜行性で攻撃能力を持たない特殊な魔物であるため、考えからは除外している。
「攻略に当たっているのは?」
「我らの他に、雪音のクラン『雪華』が来ている。それと、日本からもクラン『魔法探究班』が参加してくれている」
「え? 『魔法探究班』って特殊兵装の作成だけを目的にしたクランですよね? 攻略に参加してるんですか?」
クラン『魔法探究班』は民間団体であるにもかかわらず魔力強化に使用する魔法陣の法則性の研究や新たな強化効果を持つ魔法陣の開発を行っている生産系の大規模クランである。
ダンジョンの攻略には興味を示さず、もっぱら研究成果を異世界貿易機構へ売却したり、研究中に作った魔力強化品、特に特殊兵装を冒険者向けに販売して活動資金を得ている。
法徳は頷いて、パソコンの表計算ソフトで作ったらしい一覧表を渡してきた。
「クラン『魔法探究班』はこちらの世界の魔法を研究し、同時に魔力強化品を薄闇世界の冒険者に提供してくれている」
「薄闇世界には大気中に魔力がないはずですよね。こちらの世界の魔法と言うのは?」
「体内に有している魔力で魔法を使用できるらしいのだ。発動に時間がかかる上に連発は出来ず、威力としては弓以上、拳銃以下のようだがな」
「体内に魔力があるなら、魔力強化し放題ですね。羨ましい」
魔力耐性を上げるために魔力強化をし続けるある意味自転車操業の南藤は心の底から羨ましがるが、ことはそう単純でもないらしい。
法徳は首を横に振った。
「それが、体内の魔力は魔力強化に使えないようなのだ。質が違うらしい。それどころか、体内の魔力とダンジョンの魔力が反発して南藤殿のように魔力酔いを起こすらしく、その症状を緩和しなくてはダンジョンで満足に戦う事も出来ないと聞いた。この世界が滅亡しかけるほどダンジョンに押し込まれているのも、戦力となる知性種が魔力酔いを起こしてダンジョン内で満足に実力を発揮できなかったからなのだ」
「何とも身につまされる話ですね」
魔力酔いの辛さを知る南藤は一転して同情的になる。
「――そんなあなたにこのマスク!」
突然フロアに響いた声に驚いて目を向ければ、とんがり帽子に黒マントという如何にもな姿をした眼帯の青年が市販品と思しき使い捨てマスクを突き出すように構えてポーズを取っていた。
青年の姿を見つけた法徳が何とも言えない微妙な顔をしつつ、手で青年を示して紹介する。
「クラン『魔法探究班』の中井レン殿だ」
「法徳さん、中井とは言わないでもらいたい。私にはレンという心を現す名があるのだから!」
「聞いての通りの御仁だ」
「なるほど」
「これが中二病なんだね」
橙香が何故か感心したような顔で中井レンを見る。
中井はいそいそと三人の下まで歩み寄ると、テーブルの上に使い捨てマスクを置いた。
「お話し中に失礼。魔力酔いどれ冒険者として有名なキノコ狩りの人が来たと聞いていても立ってもいられず駆け付けた次第なんだ。それで、このマスクなんだけどね。なんと、大気中の魔力を呼吸で取り込まないように魔力強化した代物なのだよ。これにより、薄闇世界の冒険者たちは魔力酔いの症状に悩まされなくなったわけだ。それで、使ってもらえないかな、と思って持ってきた。これは試供品だ。進呈しよう。ささ、つけてみてくれたまへ。ハリー! ハリィイイイイイ!」
「凄く胡散臭い」
橙香が得体のしれない使い捨てマスクを一瞥して法徳に確認するような視線を向ける。
もしも本当に待機中の魔力をカットできるのならば、南藤の魔力酔いに対しても効果を発揮するかもしれない。
しかし、法徳は言いにくそうに横目で中井を見つつ口を開いた。
「確かに、そのマスクに掛けられた魔力強化により薄闇世界の住人の魔力酔いが緩和されたのは事実。二刻ほどしか持たないとの話も聞くが、事実として効果は発揮している。しかし、未知の魔法陣での強化ゆえに正確な強化内容は分からぬと聞いていたのだが……」
「理論上は大気中の魔力をカットしているんだよ。そして、薄闇世界の人々に使用していただいた結果も語っている。未知は既知となったのだ!」
「反動とかはないんですよね?」
「苦情は一切届いておりません!」
リスクがないのならば試してみるのもいいだろう。
南藤がマスクを受け取ると、中井はにやりと笑う。
「今後ともごひいきに。ちなみに、次回以降のご利用に際しては十枚入り一パックで七百円」
「高いな」
「魔力強化品なんで」
使い捨てのためなかなか供給が追い付かない状態でもあり、薄闇世界には大量購入を条件に安く卸しているという。
「それではさらば」
連絡先だといって宿の名前らしき文字列が書かれた紙と地図を南藤に渡した中井は立ち上がり、敬礼して宿の外へと走っていった。
「嵐のようですね」
「あのクランは全員があの調子で、我ら天狗一同、どう接してよいのか分からずに困っておる」
「――キノコ狩りの人! 建物裏手に停めてあるあの六本脚の機械の設計図と魔力強化について是非ご教示を!」
「戻ってきた!?」
※
試供品の使い捨てマスクを身につけてダンジョンの側へと歩いていく。
「芳紀、どんな感じ?」
「この程度の濃度ならマスクなしでも無問題のはずだ」
法徳からもらった地図で大体の魔力濃度を調べながら進む。
霊界に通じていると思われるリーズリウム深緑ダンジョンは深い森の奥にある巨大な二本の木の間に出来た虚穴が入り口になっているという。
まだだいぶ距離があるにもかかわらず、そのダンジョンがある二本の木が遠目からでも確認できる。杉に似た茶褐色の針葉樹であり、高さは優に三十メートルを超えているだろう。
南藤と同じようにダンジョンへ向かう冒険者たちや逆に帰っていく冒険者とすれ違う。
薄闇世界の冒険者は剣や槍、弓矢などを持ち、稀に前装式のマスケット銃に似たものを持っている。鎧も種類が豊富ではあるが、魔力強化は満足に施されていない。
薄闇世界の冒険者たちは南藤が乗る六本脚の機械、機馬を見て驚いたように足を止め、怯えた様子で道を開ける。しかし、流石は冒険者と言うべきか武器に手を持っていつでも戦闘に入れる態勢を作っていた。
「一般人とは違って冒険者は血の気が多いな」
「コンサートを開かないといけないのも納得だね。ボクたち、明らかに歓迎されてないや」
武器を持って魔物を多数討伐してきた自負もあってか、冒険者からの視線に含まれる感情は怯え以上に敵意や害意が大きい。
ダンジョンを通ってきた得体のしれない連中が自分たち冒険者の領分を奪おうとしている、と彼らの目には映るのだろう。
それでも、自分たちの力が及ばずダンジョンを相手に劣勢なのも理解している上に、いまも南藤が持っている使い捨てマスクの魔力強化品をもたらした功績もあるため強くは出られないでいる。
とげとげしい視線を浴びながら進んでいた南藤と橙香だったが、ダンジョンまで残り一キロメートルと言うところで南藤は平衡感覚があやふやになり、機馬の上に突っ伏した。
「き、気持ち悪い……」
「マスクは効果ないみたいだね」
南藤は地図から推測される魔力濃度を見て、マスクがあろうとなかろうと意味がないと判断するとさっさとマスクを取り払って呼吸を楽にする。症状が緩和する事はなかったが、呼吸が楽になると気分はいくらかましになるものだ。
どうやら、大気中の魔力をカットする以外の効果が付与されているのではないかと南藤は疑う。
「体内の魔力と馴染ませるとか、そんな感じの魔力強化かもしれないな」
「後で中井さんに報告しないとだね。それで、進む?」
「進んでみよう。この地図に書かれている魔力濃度も推測値が多いし、どこまで近づけるのかは知っておいた方がいい」
と、勇ましく進んだは良いモノの、周りのとげとげしい視線は次第に同情的なものへと変わっていった。
南藤が魔力酔いの悪化に苦しみ機馬の上で干された布団のようになっているからだ。
使い捨てマスクが日本から輸入されるまで魔力酔いに苦しまされていた薄闇世界の人々は当初の刺々しさもどこかへと消え失せ、冷たい水や魔力酔いを紛らわせる香草のドライリーフなどを機馬の上へ供え物のようにおいて行く。
「がんばんな」
「このマスクも万能じゃないんだなぁ」
口々に言って万が一のためにと持っていた供え――備えを置いていく薄闇世界の冒険者たち。
橙香はぺこぺこと頭を下げて礼を言いながら、南藤の看病を始める。
「芳紀、そろそろ帰ろうよ」
「うみゅあ」
「よし、帰ろう」
南藤の承諾を得て、と橙香は街へと歩き出す。
その時、橙香たちは後ろから声を掛けられた。
「もし、そこのお二人。お困りかな?」
落ち着いた、それでいて色気のある声だった。
橙香は振り返る。
そこに立っていたのは百七十センチほどの身長の女性だった。裾丈の長い黒のスカートを穿いて袖丈の長い服と麦わら帽子に似たツバ広帽を被っている。どうにもちぐはぐな格好だが、宿を取った街でも似たような出で立ちの冒険者を多数見かけていた。
先端が鉤爪状になっている長い杖はおそらく彼女の武器だろう。
女性は南藤の顔を覗き込んで、魔力酔いだと分かると納得したように頷いた。
「魔力濃度が低い場所が近くにあるんだけど、案内しようか?」
「本当ですか?」
「あっちの方にある丘。使い捨てマスクが出回る前は冒険者たちが良く集まって会議とかしていた場所でね。その名残で、今でも探索前の打ち合わせに集まっていたりするよ」
こっち、と女性は先頭に立って歩き出した。




