第一話 右手がぁぁあ
酔いつぶれた橙香を布団へ運んだ南藤は、テーブルの上に置きっぱなしだったスマホが着信を知らせているのを見て手に取った。
『はい、南藤です』
『法徳と申す。藻倉ダンジョン第三回氾濫の時に顔を合わせた天狗と言えば、わかるか?』
『あぁ、あの時の』
日本刀を携えて飛行型の魔物を次々と屠り、前線冒険者組の頭上を守り切った天狗の一団、クラン『鞍馬』の面々を思い出す。
全員が剣術を修めているとの触れ込みもあり、日本のダンジョンの氾濫では必ず戦力として呼ばれている特殊な傭兵クランだ。
『橙香殿へ電話したのだが出なくてな。貴殿であらば、即日伝えられるであろうと電話を掛けた次第』
『橙香へ先に掛けたって事は、霊界がらみですか?』
『察しが良いな。左様、霊界への帰還の糸口がつかめた。すでに情報サイトにも記載してあるが、その様子では知らぬようだな』
『橙香の誕生日だったもので』
『ほう。おめでとう、と伝えておいてくれ』
社交辞令にしては愉快そうに法徳が言う。
南藤は伝えておくと言い返しながら、ノートパソコンを引っ張り出す。
霊界への帰還方法を模索する情報サイトを表示し、橙香から教わっているアカウントで閲覧する。
画面をスクロールしながら、法徳に話しかける。
『リーズリウム深緑ダンジョンですか?』
『左様。薄闇世界と呼ばれる一年を通して太陽が顔を出さぬ、厚い雲に頭上を覆われた異世界にあるダンジョンだ』
法徳の話では、度重なるダンジョンの氾濫により知性種が滅亡しかかっている世界であり、たったの三カ国が連邦を形成して防戦一方を強いられているという。
南藤の魔力酔い体質についても知っている法徳は情報サイトに乗っていない追加の情報として、薄闇世界の大気中には魔力が存在しないと教えてくれた。
『藻倉ダンジョンの外では漏れ出た魔力で酔ったんですけど、大丈夫ですかね?』
『本当に虚弱なのだな……。足を運んでみなければ断言は出来ぬが、おそらく魔力酔いの症状は出るはずだ。何しろ、リーズリウム深緑ダンジョンは確認されている限りで十三回もの氾濫を起こしているそうなのでな』
『十三回?』
『あぁ。薄闇世界の知性種がいかほどの苦境にあるか、想像に難くはないだろう?』
『想像したくはありませんけどね』
十三回の氾濫を起こしたダンジョンなど、日本国内はおろか地球全体を探しても一つとして存在していない。
超が付くほどの高難易度ダンジョンだと嫌でも分かる圧倒的な数字だった。
それだけに、近付くだけで魔力酔いにより死にかけるのではないかと南藤は不安でもある。
『無論、すぐにダンジョン攻略を行って欲しいとは言わぬ。我ら『鞍馬』の天狗衆もいる故、貴殿らにはダンジョン周辺の魔物を討伐し、野営地を確保してほしいのだ』
『魔物の討伐? ダンジョンの外で?』
『氾濫を食い止めきれずに周辺の森に魔物が巣食っているそうだ。うかうかダンジョン探索も出来ぬ有様との事でな』
『聞けば聞くほど酷い』
異世界人である日本人や霊界の出身者にまで救援要請を出すはずだ、と南藤は納得した。
『ところで、何故そのリーズリウム深緑ダンジョンが霊界への帰還方法に繋がるんですか?』
『魔物だ』
端的に告げた法徳に聞き返すより先に、南藤は情報サイトに目当ての記述を見つけて読み進める。
そこはリーズリウム深緑ダンジョンの第一階層で確認された四種の魔物について記述されていた。
シイ、蜃、糸繰り狢、夜雀の四種だ。いずれも霊界に類似する動物が存在しているばかりか、日本各地でも霊界から転移してきたと思われるこれらを妖怪として語り伝えている地域がある。
『シイってどんな動物なんですか?』
『日本ではあまり有名ではないが、広島などに妖怪として伝わっている。外見は……そうだな、ミニュアだっくすフントだったか、あれにハリネズミのような棘を纏わせた姿を想像してもらえれば早い』
『ミニチュアダックスフントですか。結構小さいですね』
『すまんな。横文字には慣れたつもりなのだが、長いのはどうにも舌が回らぬ……』
案外可愛らしい所のある天狗である。
気を取り直して、法徳がシイについて説明する。
『小柄な生き物ではあるが、その針には牛や馬などの蹄のある動物によく効く猛毒があり、霊界でも害獣として扱われていた。加えて、非常に素早いのだ。それが魔物として現れたとなれば、人に効く猛毒を備えていてもおかしくはない』
『おかしくはないってことは、魔物としてのシイについて詳しい事は分かってないんですね?』
『あぁ。そこまでの情報はまだ公開されておらぬ故な。先遣隊がすでに薄闇世界に入って情報収集に努めてもいる。続報があれば順次情報サイトにアップしていく手はずだ』
『では他の魔物についてもまだ詳しい事は分からない、という事ですね。蜃は蜃気楼の語源になった中国の妖怪ですよね?』
『その通りだ。巨大なハマグリを想像してもらえればわかりやすい。その呼気には幻覚作用のある成分が含まれ、周囲の動物は知性種も含めて幻覚を見る。霊界では気付け薬の類もあった故、霊界出身者が調合を始めている。効くかは分からぬが、効かぬのならば他に対処のしようもある』
『情報サイトには対処法について書かれていませんけど』
『その情報サイトは基本的に我ら霊界出身者しか閲覧せぬ。蜃の対抗策は五つの幼子でも知っているような常識でな。橙香殿に聞けばよい』
そんな歳の子でも対抗策を学んでおかなければならないほど、霊界には蜃が多数生息しているのだろう。幻覚作用があるとの話だが、中毒性などの害はないのか少し気になる南藤だった。
後で橙香に聞いておこう。
『糸繰り狢は山梨や岩手県に伝わっている。鬼の橙香殿には奇縁やもしれぬ』
『岩手の県名は、悪さをして懲らしめられた鬼の手形が由来ですからね』
『とはいえ、糸繰り狢に気を付けるべきは南藤殿の方であろうな』
『理由は?』
『飛び道具が通じぬのだ。首の下に行燈のように光る部位を有する狸の姿をしているが、まず、老婆に化けて自らの毛で糸を繰る。そういう意味では、日本で想像される妖怪らしい妖怪と言えよう』
シイや蜃の能力とは違って科学で説明のつかない能力の持ち主であるらしい。
法徳の説明は続く。
『糸繰り狢は首の下にある光る部位を傷つけられない限り絶対に死ぬことがない。さらに、優れた動体視力と反射神経を有し、並みの矢であれば空中であっさりと掴み取って見せる。天狗の振るう刀でさえ、白刃取りをして見せた個体があるほどだ』
『とんでもないですね』
『あぁ、できれば対峙したくない種類の獣だ。それが魔物となっているのだから、いまから頭が痛い。鬼の橙香殿であれば膂力に任せてあの鉄塊を振り抜けば仕留められるであろうがな』
あれを白刃取りするのは無理だろうな、と南藤も納得する。
試みようと考える前にさっさと逃げるだろう。
『最後に夜雀か。これもかなり厄介な部類の動物だ。危害を加えた者の瞳に入る光量を大きく減少させ夜盲症に似た症状を作り出す。日本の科学者が調査したところ、原理的に夜盲症とは異なるらしいがな』
『どう違うんですか?』
『明順応した状態を維持させるようなもので、サングラスを掛けたような視界になる。ビタミンは関係ないとの話だ。霊界でも、何を食おうが夜雀は見えぬと言われていた』
『なるほど。霊界の動物に似た魔物が四種類もいるというだけで霊界に繋がっている可能性は濃厚ですね。情報提供ありがとうございます』
『こちらも思惑あっての事。鬼の戦力が欲しいのもあるが、南藤殿にも期待している』
『手首を痛めないでくださいね?』
『……手の平返し、という表現は日本にもあるのだな』
気にしていないのではなかったのか、とやや気弱になった法徳が訊ねてくる。
『単なる冗談ですよ』
『そう言った黒い冗談は通じぬ天狗も多いのだ。控えてくれ』
天狗は偏屈だと橙香の父が言っていたのを思い出す。
南藤は情報サイトを閉じて、法徳に訊ねる。
『クラン『鞍馬』の他にも霊界出身者がダンジョン攻略に参加するんですか?』
『地球にいる霊界出身の冒険者は総出で参加する。他にも、冒険者登録をしていない者は現地の知性種に霊界の動植物についての知識を伝え、ダンジョン攻略を容易にするよう取り計らう事になっている』
法徳たちクラン『鞍馬』の天狗衆、南藤と鬼の橙香に加え、雪女なども参戦する手はずだという。
南藤の脳裏によぎったのは、霊界行きのダンジョンが通行止めとなった日に大学構内で見かけた雪女だ。
日本国内に取り残されている霊界出身者はさほど多くはないが、怪力を誇る鬼や空を自在に飛び回る天狗、触れた物の温度を急激に下げる雪女など特殊な力を持つ知性種が多い。
加えて、魔物の元になった動物を知っているという利点もある。
『案外楽に攻略できそうですね』
『あぁ、その振りであらば我らも知っているぞ』
――フラグと言うのだろう、と法徳は得意げに言ってしまう。
可愛げのない天狗だった。