第二十話 右手、右腕、道着が二着
「閃光」
「いっけー芳紀!」
サハギンの群れを認識した南藤たちの動きは迅速だった。
閃光弾が煌めき、彼らにとっても唐突だったろう事態に対処が遅れていたサハギンの目を眩ませる。
即座にサハギンの群れの一角へ飛び込んだ橙香が鉄塊を横に薙ぎ払った。大質量に押しのけられた空気が突風となって、くるぶしまで沈める水面に波を作り出す。
橙香の鉄塊を受けたサハギンの鱗が弾け飛び、血も肉も骨もごちゃまぜとなって彼方へと吹き飛んでいく。
機馬を挟んだ逆方向でも虐殺が行われていた。
毬蜂が頭上から照らし出す戦場で、サハギンの目にテーザー銃が撃ち込まれる。放たれた電撃を受けてサハギンが倒れ伏すと、また別のサハギンにテーザー銃が撃ち込まれる。
ようやく視力が回復したサハギンの生き残りは仲間の無残な死体とその中心で暴れまわる橙香を見て、せめて無防備な南藤だけでも仕留めようと三又の槍を突き出して踊りかかる。
しかし、突き出した三又の槍は機馬が持ち上げた足に受け止められて南藤には届かなかった。
「芳紀に槍を向けるなんて悪い子だなぁ」
がっちりと、サハギンの頭が後ろから掴まれる。次の瞬間、サハギンは文字通りの人外の腕力で振り回された。振り回されるサハギンは仲間の身体に何度となく叩きつけられて原形を失って行く。命など、最初の一撃でどこかへ飛んでいた。
「数が少なくてよかったよ」
肉塊になったサハギンの死骸をポイ捨てして、橙香は周りを見回す。サハギンの数は十二体。互いに不意を突かれた遭遇戦ではあったが、開始と同時に閃光弾を放つ南藤の機転により労もなく全滅させる事が出来た。
橙香は周囲を見回しつつ、サハギンの死骸から血を抜く事もせずに動き出す。魔力強化を狙うよりも連合パーティーの仲間と合流を急ぐべきだ。なにより、この数の魔物の死骸が魔力に返ると南藤の体調が悪化してしまう。他の仲間がいない状況で南藤の魔力酔いが重症化してしまうのはまずい。
「ここどこだろう。芳紀、分かる?」
「わかりゃぬ」
「まだ地図に出来てない場所に飛ばされたって事だよね。合流が難しくなったかな。階層スロープにまで罠があるなんて、と考えるべきだ思う?」
「別」
「だよね。別の要因があるんだよ。第五階層にいる新種の魔物の仕業とか? そもそも、ここが地図に出来てない場所なら、階層スロープからかなり離れてることになるよね。それだけ広範囲に皆が散らばっているなら凄く大変なことになってるんじゃないかな」
みんな無事だと良いけど、と橙香は目を凝らして暗闇を見つめる。
「五」
「五ってなに、芳紀?」
「間」
「テレポートとテレポートの間に五時間あったの? もしかして、五時間以内に他のみんなを集めないとまたテレポートで振り出しに戻るとか? でもこの階層に来てから最初の五時間は何もなかったんだし、時間は関係ないのかな。あぁもう、考える事が多すぎるよ。こういうのは芳紀の担当なのに」
「すみゃ」
「ごめん。芳紀は頑張ってるよ。そうだよ。今はボクがしっかりしなくちゃだよね」
「二方」
「二時の方向? あ、誰かいる!」
照明の明かりを見つけた橙香は自らも懐中電灯の明かりでクルクルと円を描き、自分たちの存在を相手に知らせる。
「無線機は……やっぱり通じないね」
明かりの方へと走る機馬に並走しながら、橙香は無線機で相手に連絡しようとするが答えはない。
相手の顔が見えてくる。
「帆無目さん?」
「キノコ狩りのお二人ですか。他に人は……いないんですね」
クラン『衣紋』の料理番、帆無目はやや落胆したように首を振り、南藤を見る。
「すぐに他のみんなと合流しましょう。考えるのは全て後回しです」
「芳紀、周りに人影は?」
訊ねられた南藤は首を横に振る。現在も捜索中ではあるようだが、地図もない全く未知の地点だけあって手間取っているらしい。
帆無目も気付いたのか、近くにある鍾乳石を見上げる。
「最寄りの丘を合流地点にするなどを事前に決めていましたが、地図すらないのではどこに向かって歩いたものか……」
「むやみに動かない方がいいとも聞きますけど、捜索隊に適してるのはドローンを使える芳紀や夜目の利くボクだし、とにかく歩き回るしかないね。芳紀、マッピングはしてるでしょ?」
まったく知らない場所からの出発であるため新しく製作したらしい地図をスマホに表示している南藤を見て、橙香は帆無目と一定の距離を保ちながら歩き出す。
「お互いに干渉はなしにした方がいいですよね?」
「戦闘時にはフォローしてほしいですが、それ以外は不干渉とした方がいいでしょうね。お互い、死者の可能性を捨てきれない状況ですから。それにしても、何かに手玉に取られているような嫌な感じです」
「このテレポート、どう思いますか?」
「階層スロープに罠が仕掛けられていた事例は聞き覚えがありません。ダンジョン内でのことですから何が起きても不思議ではありませんが、やはり引っかかりますね」
「んぐ」
「芳紀、誰かを見つけたの?」
質問に答えずドローンの操作に集中する南藤にただならぬ気配を感じ、橙香は周囲への警戒を強める。
すると、毬蜂が戻ってきた。
「あれって……」
毬蜂が運んできたそれを見て、橙香は息を呑む。
同じものを見たらしい帆無目が苦い顔をした。
「人の腕ですか。あのサポーターは『空転閣』でしょうね」
「芳紀、他に遺体はある?」
南藤が首を横に振り、運ばれてきた人の腕を機馬の上に乗せる。明らかに人の右腕だ。クラン『空転閣』のメンバーお揃いのサポーターを身に着けた腕である。
「腕を失っても人間は案外すぐには死にません。希望を捨てずに探しに行きましょう」
帆無目が毅然と言い切って毬蜂が飛んできた方角へ歩き出す。
南藤は回収した右腕を観察していたが、すぐに興味を失ったようにドローンでの索敵と捜索の作業に戻る。
二十分ほど歩きまわっていると、剣戟の音を橙香が聞きつけた。
「誰かが戦ってる。あの丘の裏側!」
「急行しましょう」
橙香、機馬、帆無目は並走しながら丘の斜面を駆け昇る。頂上に到着して斜面を見下ろせば、サハギンと交戦している御淡田と根来、猿橋の姿があった。ライオットシールドのおかげで持ちこたえているが、サハギンは二十を超えており、丘の麓からも増援らしきサハギンが駆け上ってくるのが見える。
「不味い」
帆無目は舌打ちし、腰に提げている日本刀を抜き放って声を張り上げる。
「うぉおおおおお!」
自分達の存在を御淡田たちとサハギンに知らしめて、帆無目は丘の斜面を駆け下りはじめた。
橙香も鉄塊で丘の斜面を削りながら疾駆し、帆無目と共に御淡田たちの左右を抜けてサハギンの群れに切り込んだ。
「ほら落ちて!」
橙香が横薙ぎに振り抜いた鉄塊を鱗の盾で受けたサハギンたちが堪えきれずに吹き飛び、丘の斜面を転げ落ちる。援軍に来ていた後続のサハギンを巻き込んで落ちていくサハギンに構わず、橙香は御淡田たちの前にいるサハギンたちの頭に鉄塊を振り降ろした。
猟奇的な破壊音が響き、サハギンの肉や血が透明なライオットシールドを赤く染める。
そんな乱暴な戦法を取る橙香とは異なり、帆無目は日本刀でサハギンを一体斬り伏せると群れの中に自らの身体をねじ込み、別のサハギンの脚へ強烈な蹴りを叩きこんで地面に膝を突かせる。
膝を突いたサハギンの頭部があった空間を利用して愛刀を振り切り、膝を突いているサハギンを左足で踏みつけながら反転、後ろにいるサハギンを逆袈裟に斬り殺す。
鮮やかな手並みはサハギンの瞳に愛刀の煌めきを捉えさせることもなく、瞬く間に四体を斬り殺した帆無目は大きく後ろへ飛んで御淡田たちの後方に下がった。
「奇襲で片を付けたかったのですがね」
帆無目を警戒して鱗の盾に隠れたサハギンたちを見て、帆無目は舌打ちする。
しかし、鱗の盾で身を隠しているサハギンたちは動きが鈍い。
「はい、どーん」
軽い口調とは裏腹に、橙香はありったけの力を込めて鉄塊を振り抜いた。
鱗の盾が砕け散り、身を隠していたサハギンが肉塊の飛沫となって丘の麓へと降り注ぐ。
仲間の血肉を浴びた後続のサハギンたちが酸欠でも起こしたように口をパクパクと無意味に開閉する。
「閃光」
「みんな目を閉じて!」
橙香が言い切った直後にドローン団子弓から閃光弾が射出され、サハギンたちの視覚を奪い取る。
丘を駆け下りて生き残りのサハギンを仕留めるだけだ。
橙香が駆け下りようとした時、巨大な鍾乳石の陰から走り込んでくる一団があった。
「――ごめん、遅れた!」
そう言いながら薙刀を大上段に構え、一斉に振り降ろすのはクラン『空転閣』の和田川、羽場、足母、斧野の四人。リーダーの間巻の姿はなかったが、代わりに『衣紋』の雅山の姿があった。
四本の薙刀は振り降ろされる際に刃を延長し、サハギンたちを切り刻む。薙刀の間をすり抜けるように走った雅山が無言で日本刀を抜き放ちざま生き残りのサハギンを盾ごと突き殺し、刀を引き抜くと三歩下がる。
「帆無目!」
「おうとも」
雅山の呼び声に応えて、帆無目が丘を駆け下りる。
正面と側面から挟撃されたサハギンたちは閃光弾の影響で目が見えない事もあり、すぐに全滅した。
血の滴る日本刀をそのまま鞘に納めて魔力を刀に馴染ませながら、雅山が帆無目に片手をあげる。
「無事だったか」
「テレポート後、キノコ狩りの人達と合流してな。この丘に来たのもついさっきだ」
「帆無目の雄たけびが聞こえたんで駆け付けたんだ。閃光弾は鍾乳石がなかったら俺達まで喰らってたけどな」
「悪い、他にはいないと思ってた」
「ってことは、無線機はまたダメになってんのか」
事前に帆無目たちに無線機で呼びかけていたのだろう。雅山は腰の無線機を忌々しそうに見下ろして、丘の上へと登り始める。
「状況は?」
雅山が御淡田に問いかける。
御淡田はくたびれた様に丘の上に腰を降ろした。
「自分らのとこは大宮だけまだ見つかってないっす。ここにいるのがえっと」
御淡田は周りを見回す。
南藤、橙香、大宮を除く『剣と盾』のメンバー、間巻を除く『空転閣』のメンバー、『衣紋』の五人中帆無目と雅山、と頭数を数えて、御淡田は頭を掻きむしる。
「十一人っすね。間巻さんと生地さん、佐田木さん、矢伊勢さんもいないっす」
「行方不明が五人か。単独でばらけてたりすると厳しい。早く見つけてやらないと」
雅山が焦ったように丘から麓へと視線を転じ掛け、機馬の上に置かれている右腕に気が付いて二度見する。
「おい、その腕は誰ンだよ」
雅山の指摘で初めて気づいたのか、『空転閣』のメンバーが右腕を見て口を両手で覆う。
「もしかして、まーちゃんの?」
「……ここに間巻さん以外の『空転閣』メンバーが五体満足で揃ってるって事は、ボク達が拾ったこの腕の持ち主は間巻さんの可能性が高いですね」
橙香は機馬の上の右腕を指差す。だが、間巻の物だとは断言しなかった。
橙香が含みを持たせた意味に気付いて、和田川たち『空転閣』の面々は顔を見合わせる。
「死者探しは後っすよ」
御淡田が釘を刺し、立ち上がる。
「前回のテレポートで混ざった死者が二人、その上でさらに一人増えたとしても、いま行方不明の五人に生者が二人以上いるんすよ。探さないと」
「――芳紀が二人見つけました!」
「よっしゃ!」
「キノコ狩りの人ナイス!」
橙香の報告に雅山と和田川が同時にガッツポーズする。
しかし、続いてもたらされた情報に雅山たちは沈黙した。
「二人は佐田木さんと、間巻さんです。二人とも、五体満足です」
「……間巻さんが五体満足なら、そこの右腕は誰のだ?」
雅山が右腕を指差して訊ねる。
答えが出るはずもない質問で、場が静寂に包まれる。
さらに追い打ちを掛ける情報が橙香を経由して南藤からもたらされた。
「もう一人、矢伊勢さんを見つけました。……血に染まった道着を持ってます」