第十八話 右手あるひと~
何が起こったのか分からず呆然と丘の上を見つめる橙香と異なり、南藤の動きは魔力酔いがあるにもかかわらず迅速だった。
「警戒」
短い指示に、橙香は即座に鉄塊を掴みとり、周辺に視線を配る。下流域から戻ってきた毬蜂が死角も含めて周辺を索敵し始めた。遅れて戻ってきた水中ドローンが川の中に何も潜んでいない事を確認し、機馬に回収される。
「何が起きたの?」
「不明」
答えながらも、南藤はドローン毬蜂に搭載された照明を最大光量にして周囲に照射し始める。
「ボクが見た時、魔法陣が浮かんでたよ」
「詳細を教えてくれ」
「え? えっと、丘の上に魔法陣が浮かんで、その上に御淡田さんたちが居て、サハギンの死骸も……そういえば、サハギンの死骸もないね」
丘の上を見た時、そこにサハギンの死骸は鱗一枚存在していない。橙香の言う魔法陣も存在せず、その場で起きた消失事件の名残は一切なかった。
ドローン毬蜂による撮影は未だに続けているが、直前まで水中ドローンの回収作業にあたっていたため、問題の魔法陣は撮影されていなかった。
「十三時七分、南藤芳紀、橙香を除く連合パーティーの消失を確認。これより捜索に入る」
南藤がドローン毬蜂に対して報告する。今後、南藤たちが消息を絶ち、後から来た冒険者により毬蜂が回収された際に録画記録が何らかの情報を与える事を期待しての行動だろう。
「捜索は階層スロープを起点に北東、二時の方がけぇあれ」
「芳紀!?」
唐突に呂律が回らなくなった南藤に慌てて橙香が手を差し伸べる。
南藤に手振りで続きを説明するように言われて、橙香はドローン毬蜂に語りかける。
「二時の方角へ捜索を開始します。後、芳紀の魔力酔いが一時緩和したので、さっきの消失事件は魔力を消費してます」
明らかに、南藤の魔力酔いの症状が緩和していた。丘周辺の魔力濃度が一時的に下がったとしか思えないが、すぐに再発したところを見ると魔力濃度差はすでに解消されている。
「罠かな?」
ダンジョン内に罠があったという事例は少なからず報告されている。藻倉ダンジョンでは今まで報告がなかったものの、ここは発見されたばかりで未踏破領域とほぼ変わらない第五階層である。この階層から罠が張られているとしても驚く事ではない。
いま最も考慮すべき問題は消えた三つのクランのメンバーがどこにいるかだ。
「一瞬で消滅するような即死級罠だったりするかもしれないけど」
多大な不安が橙香の胸に押し寄せるが、それでも歩きながら冷静に物事を考えられるのは隣にいる南藤の存在と、御淡田たちの死体がないからだろう。
橙香は腰から下げている無線機で周囲に呼びかける。
『こちら橙香です。応答願います』
しばらく待ってみても返答はない。
とにかく、はぐれた場合の集合場所として最も近くにある丘が挙げられているため、橙香は御淡田たちがいた陸を見上げるのだが――
「あそこに登るのはちょっと……」
原因不明で御淡田たちが消えた丘の上に登るのは悪手だろう。罠だとすれば、何回でも発動するような代物かもしれないのだから。
しかし、迂闊に動くわけにもいかず、橙香は丘の上を見上げたまま思案に暮れる。
そうしているうちに周辺の偵察を終えてドローン毬蜂が戻ってきた。
「芳紀、周辺に敵はいた?」
「いな、い」
「間巻さんたちも?」
「いない」
そう言って、南藤はスマホ画面に表示した地図を丸で囲む。丸の範囲内に御淡田たちはいないらしい。半径二百メートルといった所だろうか。
生きているかも死んでいるかもわからないため、どう行動すべきかと橙香が悩んだ時、南藤が服の袖を引っ張ってスマホを掲げた。
「どうかしたの? ……光?」
スマホ画面に表示されたのは鍾乳石を照らす懐中電灯の物らしき光だった。橙香は頭上の毬蜂を見上げる。
毬蜂の望遠レンズを用いて探索を行い、御淡田たちを探していたのだろう。
「方角は……あっちだね」
懐中電灯の明かりで鍾乳石を照らし出すのは周辺に丘が見つからなかった場合の合図として連合パーティー内で決められていたものだ。
橙香たちは警戒して丘の麓を回り込んで、鍾乳洞を照らし出す懐中電灯の光源へ急ぐ。
地面は水深十センチ弱だが、機馬に乗っている南藤はもちろん鬼の橙香にとっても走るのに邪魔になるほどではない。
無線機で呼びかけ続けるが応答はない。
まさか、無線機に応えられないような切迫した事態に陥っているのかと焦り始めた時、橙香たちに先行している毬蜂が懐中電灯の光源に辿り着いた。
南藤が掲げるスマホには毬蜂に向けて懐中電灯を回しているクラン『剣と盾』のメンバー猿橋と、クラン『衣紋』の料理番、帆無目の姿が映し出されていた。
画面に映る二人に怪我を負った様子がないことに安堵しつつ、橙香は機馬に乗った南藤と共に現場へ急ぐ。
二人の姿を見つけた猿橋と帆無目が手を振ってくる。
「こっちこっち」
「お二人は無事でしたか」
猿橋と帆無目が橙香たちを見てほっと胸をなでおろす。
しかし、ほっとしたのも束の間の事だった。橙香と南藤の他に誰もいないと分かると、眉を寄せて周囲を見回す。
「分断されたようですね」
帆無目が腕を組んで唸る。
まず情報のすり合わせをするべきだと判断して、橙香は猿橋に声を掛けた。
「ボク達は丘の下にいたからよくわからなかったんですけど、何が起きたんですか?」
「まったく分かんないんだよ。足元に魔法陣が現れたと思ったら向こうの方に立っていた。強制テレポートの罠って事なんだろうけど、それらしいものを起動させた覚えはないね。あの大所帯だし、誰かトチった可能性はあるけど、発動するにしたって今さら感あるしさ。丘の下にいた橙香ちゃんたちは魔法陣からも外れてたよね?」
「はい。魔法陣が見えたのは一瞬で、丘の頂上を丸ごと囲むくらいの大きさでした。ボク達は丘の下に取り残されちゃって、毬蜂で周辺を探して二人を見つけたんです」
「ってことは、そんな遠くまで飛ばされたわけじゃないのか。他のメンバーを探すにしても、手分けして動くのはまずいね。無線機で呼びかけようか」
「それなんですけど、無線機がさっきから通じなくて……」
猿橋が持つ無線機に目をやりながら、橙香は自分の無線機を掲げる。
「ずっと呼びかけてたんですけど、聞こえましたか?」
「いや。こっちも呼びかけてたんだけど、返事がないから近くに誰もいないもんだとばっかり」
何らかの理由で無線機が使えないダンジョンというのは世界を探せば存在するのだが、藻倉ダンジョンでは今まで無線機が使えていた。
ここにいる四人の無線機が一斉に故障したとは考えにくいため、原因があるとすれば先ほどテレポートだろう。
「何が起きたのかはまだわかんないけど、さっきのが罠だとすればあれ一つとは限らない。足元に注意しつつ他のみんなを探そうよ」
「一人二人って状況でサハギンの群れに襲われたら逃げるほかないですしね」
猿橋と帆無目が話し合って方針をまとめるが、どこへ探しに行けばよいのかが分からず南藤を見る。
ドローンで周辺の捜索をしている南藤は真剣にスマホ画面を睨んでいたが、やがて目的の物を見つけ出したのか一定方向を指差した。
「七人」
「すぐに合流しよう。向こうはこっちに気付いてるの?」
「ああ」
スマホ画面に映し出されている七人組は間巻率いる『空転閣』の五人に加え、『衣紋』のリーダー生地と『剣と盾』のメンバー大宮だった。
彼らもドローン毬蜂に気付いたらしく、毬蜂の誘導に従って周囲を警戒しながら歩いてくる。
橙香たちも彼らの方へと歩く。
道中で他の仲間が見つかるかもしれない、と周囲へ視線を配りながら猿橋が口を開く。
「そんなにばらけてないかな?」
「いえ、元いた丘から五百メートルくらい離れてます。芳紀のドローンがないと合流はちょっと難しいですね」
丘や鍾乳石で視界が遮られることもあり、仲間を探すのは容易ではない。元々はぐれた場合の対処法や合流地点の決め方なども話し合っていたが、今回のように少数ずつ広範囲にテレポートされる事態は想定していなかった。
特に、ここはサハギンの群れが活動する階層であり、何人か死者が出たとしてもおかしくない状況だ。
早急に全員と合流するべきだった。
橙香たちはしばらく歩き、丘の上で間巻たち七人と合流した。
「キノコ狩りの人達も無事だったか。これで半分ちょっと揃ったけど、他の面子はどこだろうね」
やや焦りの浮かんだ表情ながらも、クラン『空転閣』のリーダーだけあって間巻は冷静さを保っている。
「こういう時はドローンに頼るのが最善だと思うけど、どう?」
間巻たちが南藤を見る。しかし、彼女たちも捜索の手がかりになるようにと各々が懐中電灯で周囲を照らしていた。サハギンを呼び込む可能性もあるが、十一人いる現在は戦力的には充分にサハギンの群れに対抗できる。
最初に見つけたのはやはり、南藤のドローンだった。
「八時の方向にある川の向こうに見つけたって。五人揃ってるみたい」
「急ごう。それにしても、被害ゼロとは運がいいね」
ひとまず全員の無事が確認できたことに安堵しながらも、間巻を先頭に五人組が待つ川縁へ向かう。
五人組がいたのは川縁の周囲が開けた場所だった。人数が少ないため、サハギンの接近を素早く感知できる開けた場所を選んで待機していたのだろう。
川に到着した橙香たちは川向こうにいる五人組へと手を振る。
「けが人は!?」
「いない。そっちは!?」
「こっちもいない!」
川を挟んで互いの無事を確認する間巻たちを横目に、南藤は毬蜂と水中ドローンを駆使して周辺や川の中にサハギンが潜んでいない事を確認する。
「芳紀、サハギンはいる?」
「いない」
「分かった。間巻さん、サハギンはいないそうです。ゴムボートの準備を急いでください!」
「はいよ。生地、漕ぎ手を頼んだ」
「あぁ」
準備されたゴムボートに生地が一人で乗り込み、対岸へと漕ぎ出す。
これでようやく全員が合流できる、と安堵して、橙香は南藤を見た。
「テレポートしてからどれくらい経ってるの?」
「三時間、半」
「そんなに経ってたんだ……。犠牲者ゼロは本当に奇跡みたいだね」
ゴムボートに乗ってやってくる御淡田たちを見て、安心したように橙香は笑うが、その横で南藤は眉を寄せてスマホ画面を睨んでいた。
「おか、しい」
「え?」
なにがおかしいのかと、南藤に問い返すより先に、橙香も違和感に気付いた。
ゴムボートに乗ってやってくる御淡田がライオットシールドを二枚持っている。
ライオットシールドはクラン『剣と盾』の共通装備の一つだ。一人が二枚持っているはずがない。
他のメンバーのライオットシールドを代わりに持っているのかとも思ったが、枚数を確認した橙香は眉を顰める。
「……一枚多い?」
クラン『剣と盾』のメンバーは四人。ライオットシールドも同じ数だけ存在している。
にもかかわらず、メンバー分に加えて一枚多い五枚がこの場に存在していた。
ゴムボートに乗っている御淡田の顔も険しい。ライオットシールドの枚数の矛盾に気付いているのだ。
ざわざわと、間巻たちも顔を見合わせ言葉を交わしあう。
「……確認させてほしいっす」
岸辺に到着した御淡田が開口一番にそう言って、クラン『剣と盾』の仲間を見回す。
「全員――右手ついてるか?」
ぞっとするような端的な質問をしながら、御淡田は二枚目のライオットシールドの持ち手を見せた。そこには、血の気を失った右の手首から先が力なくぶら下がっている。
ゴクリ、と誰かが生唾を飲む音がした。
「右手を挙げろ」
御淡田が自ら率先して右手を挙げつつ、メンバーを見回す。
恐る恐るといった様子で、右手を挙げる。
「……全員、右手がついてる」
「じゃあ、その右手は誰の?」
擦れた声で訊ねながら、『剣と盾』のメンバー大宮が血の気を失った右手首を指差す。
「――ちょっといいかな?」
誰の右手かを議論しはじめようとする御淡田たちに、橙香は静かに声を掛ける。
「なんすか?」
「道着が落ちてるって、芳紀が」
「道着って……」
視線が生地たち『衣紋』に集まる。彼らは共通装備の日本刀に加え、クラン名が大書された道着を着ているのだ。
橙香が視線を上げる。
「あれだよ」
指差す先には、ドローン毬蜂に回収された道着があった。
南藤が横たわっている機馬の上に置かれた道着は第五階層の水だけでなく血を吸っており、胸の辺りに大きな穴が開いている。着用者が無事だとは到底思えない穴だ。
その道着の背中には『衣紋』と大きく書かれている。
「全員、背中見せろ」
即座に『衣紋』リーダー生地が命じる。
「……全員が道着を着てるって事は、どうなってんだ?」
生地が頭を掻いて悩み始める。
御淡田が腕を組んで首を振った。
「前々から匿名掲示板で噂されてるアンデッドかもしんないっすね」
「おい、それってつまり、この中に死んだ奴が混ざってるってのか? 武装の矛盾はどうするんだ?」
「ダンジョン産のアンデッドだとすれば、死んだときに身に着けていた物が複製されてもおかしくないっすよ。記憶もコピーされてるかもしんないっすね」
「見分けがつかねぇって事か? どうするんだよ、それ」
連合パーティー内に死者が混ざっているのだとすれば、連携など取れるはずもない。仲間だと思い任せた背中を斬られかねないのだから。
「撤退する他ないっすね。アンデッドも魔物だっていうなら、身体は魔力で出来てるはずっす。外で医療機関に検査してもらえば、血液採取でもなんでもして見分けてくれるんじゃないかと思うんすよ」
「それしかないか」
御淡田の意見に間巻も頷く。見つかっている遺留品は『剣と盾』のライオットシールドと『衣紋』の道着だけだが、間巻が率いる『空転閣』にも遺留品が見つかっていないだけで死者が発生し、アンデッドが紛れ込んでいる可能性を否定できないのだ。
「この中で絶対にアンデッドじゃないと証明できる人なんかいないでしょ?」
「あ、ボクたちはアンデッドじゃないって証明できるよ。お互いに、だけど」
そう言って、橙香は南藤と自分を指差す。
確かに、テレポートに巻き込まれず、互いを認識し続けていた橙香と南藤に関してはアンデッドではない事を互いに証言できる。二人ともがアンデッドである可能性を除外すれば、の話ではあるが。
橙香は話を続ける。
「ここから外まで、いくら芳紀の索敵があっても一度も戦闘せずに戻るのは無理だと思います。とりあえず、階層スロープに戻ってからテレポートした後のそれぞれについて証言してもらって、話を照らし合わせて死者の可能性がある人を割り出さないと、魔物との戦闘に支障をきたすと思います」
「一理あるね。何はともあれ、階層スロープへ戻ろう。ここじゃあ落ち着いて話もできないしね」
橙香の提案を承諾しながらも、間巻が階層スロープの方角を指差す。
階層スロープへと歩き出す一行の最後尾を歩きながら、橙香は南藤を見る。
「芳紀、体調はどう?」
「わるひ」
「そっか。とりあえず、手を握っておこう。またテレポートが発動したら怖いし」
南藤の温かい手の感触に安堵しながら、橙香は連合パーティーの面々を見る。
状況証拠からして、目の前の十四人の中から少なくとも二人は死んでいるのだろう。あまりにも現実感のない状況にパーティーの面々は互いに交わす言葉も最小限で、疑心暗鬼に陥っているのが分かった。