第十二話 氾濫の事後処理
藻倉ダンジョン第三回氾濫から二週間。
南藤は機馬の上に突っ伏して唸っていた。
「芳紀、よく頑張ったよ。偉いよ」
南藤の頭を撫でながら、橙香が褒める。
この二週間、南藤は魔力濃度が日々上昇する藻倉ダンジョンの周辺で氾濫の現場検証につき合わされたり、氾濫を鎮圧した功労者としてテレビインタビューに答えるなど、忙しい日々を送っていた。
テレビインタビューで吐くわけにもいかず、南藤は顔色を誤魔化すメイクを施されたうえで吐き気を堪えながら台本通りに説明台詞を喋る人形と化したのだ。
つい先ほど苦行から解放された南藤は届いていた通知を橙香に読んでもらう。
「現場検証の結果、氾濫当日に芳紀が指揮を執り始めた後の死者や怪我人については不問だってさ。責任を取らなくていいって事だね」
お詫びの品は贈っちゃった後だけど、と橙香は苦笑する。
責任の所在はどうあれ、お詫びの品は送ることになっただろうな、と南藤は思う。
南藤の指揮下では怪我人はともかく死者や行方不明者は出ていない。
ドローン三機でコウモリ型魔物を追い散らしていた事や、怪我人の発生や援軍を送るべき位置などを報告がある前にドローン毬蜂の航空撮影で把握していた事などが理由だろう。
今回の南藤の活躍を受けて、異世界貿易機構もドローンを戦術に組み込む方向で前向きに検討しているとの事だった。
「芳紀みたいに三機も同時に飛ばしながら戦場全体を俯瞰して各所に指示を出すなんて無理だと思うけどね」
タオルを氷水に漬けてから絞りつつ、橙香が言う。
先ほど南藤のスマホに届いたメールではドローンの有効利用について簡単な講義をして欲しいと杷木儀から要請があったが、南藤は丁重に断っている。
南藤のドローンは機体からして自作してある。加えて、運用方法は基本的にダンジョン攻略に向けたものであり、氾濫鎮圧に関しての有効利用の方法を学ぶのなら提携している自衛隊に師事した方がよいとの考えだ。
南藤のように一人でドローン操作と作戦指揮まで行う必要がない異世界貿易機構にとっても、集団戦闘の経験豊富な自衛隊からの方が学べることは多いだろう。
南藤の額に濡れタオルをあてがいながら、橙香は団扇を取り出して風を送り始める。
「それにしても、ようやく一段落ついたね。明後日くらいからダンジョンに潜る?」
「う、ん」
「じゃあ、用意しないとだね。万能保存食材ツナ缶と、後何にしようかなぁ」
さっそくダンジョンでの食事に備えて食品をリスト化していく橙香は空を見上げた。
氾濫の後からずっと部屋を借りているホテルの庭から見上げる空は青く澄み渡り、何より高い。
「藻倉遠足隊との連合パーティーも解散しちゃったし、食べ物はそんなに多く持ち込まなくても大丈夫だね」
「う、ん」
藻倉遠足隊は氾濫の際に武器を音波コウモリの魔法で破壊された事で、藻倉ダンジョンを一時的に去っている。
藻倉ダンジョンは武装の魔力強化をしている間に音波コウモリの魔法で破壊されかねず効率が悪い。そのため、別のダンジョンを探索するとの話だった。
これを受けて南藤、橙香ペアとの連合パーティーも解散となっていた。
現在の藻倉ダンジョンは藻倉遠足隊同様、武装を破壊されたり、メンバーが死亡、行方不明となったクランが戦力補充のために去っている。氾濫は終結し、しばらくは第四回の氾濫も起きないだろうとの事で異世界貿易機構も彼らを止めはしなかった。
現在も藻倉ダンジョンに潜っているのは復讐鬼たちの他、今回の氾濫でも戦力を減じなかった強力なクランばかりである。
ただし、強力なクランは戦闘能力が高い反面、地図の作成などの探索技能を高い次元で有している者が少ない傾向にある。魔力強化のリソースの大半を戦力の底上げに使用しているために起こる弊害だ。
氾濫の直前に発見された第三階層から、この二週間でさらに進んだ第四階層が現在の藻倉ダンジョン最前線となっているが、探索技能の低さが仇となって今後の階層更新はしばらく停滞するとの見方が強い。
第四階層はクリスタル洞窟であり、湿度、気温が共に高く歩くだけでも体力を使うとの情報も入っている。
「ボクはともかく、芳紀は魔力酔いもあって苦しい環境だろうし、しばらくは第三階層で魔力強化を狙って行こうか?」
「う、ん」
「さっきから生返事ばかりだよ。大丈夫? 辛いなら部屋に戻ろうか?」
南藤の顔を覗き込みながら橙香が声を掛けた時、空から影が差した。
ばさりと音がして空を見上げれば、澄み渡る青い空に漆黒の翼を開いて佇む天狗たちの姿があった。
「その男は相変わらずの魔力酔いか」
「魔力濃度が氾濫前の水準に戻っちゃったからね」
「あの時はキレ者のようだったのだが……」
機馬の上で挨拶代わりにうめき声をあげる南藤を見て、天狗の法徳は額を押さえて首を横に振る。
「昼行燈という言葉すら、この男にはふさわしくないな」
「ケンカ売りに来たなら買うよ?」
「待て待て、そういうわけではない」
南藤を馬鹿にされたと感じた橙香の目が鋭くなると、法徳は慌てて両手を前に突き出して押しとどめた。
「今日はちょっとした挨拶に来たのだ」
「挨拶?」
橙香が訊ね返すと、法徳は頷き、藻倉ダンジョンの方角を振り返る。
「しばらくここに潜りたいと思っていたのだが、我ら『鞍馬』は大半が霊界出身の天狗衆でな。ダンジョンの本格的な探索には許可が下りなかったのだ」
「ボクは普通に潜れてるけど、芳紀のクラン所属って形だからかな」
霊界出身者が大半を占めているクランでは国防上の懸念から探索に許可が下りなかったのだろう。
それでなくとも、クラン『鞍馬』に所属している天狗たちは霊界に住居を持っており、剣術の親善試合のために来日しているだけなのだ。霊界へと続く大戸峠ダンジョンが通行止めとなったせいで帰れないだけである。
この点、日本に住民票を持っている橙香とは事情が違うのかもしれない。
法徳は藻倉ダンジョンを名残惜しそうに見つめてから、思いを振り切るように橙香へ視線を移した。
「我らクラン『鞍馬』は明日より、沖縄ダンジョンへ向かう。氾濫の兆しがあるとの事なのでな」
「挨拶って別れの挨拶だったんだね。気を付けて行ってらっしゃい」
氾濫の兆しがあるダンジョンへ向かうという法徳に、橙香は特に心配する事もなく送り出す。
音波コウモリや攪乱コウモリを相手に氾濫の間中空中戦を行った法徳たち『鞍馬』には死者、行方不明者はおろか重症者すら出ていないのだ。武装を破壊された者すらたったの二人で、その二人については軟弱者めと叱られて現在は厳しい修業を付けられているとの風の噂が流れている。
霊界において鬼に並ぶ武闘派集団。個人の武を誇る大地の鬼に対して、集団の武を重視する大空の天狗と呼ばれるだけあり、その内情はバリバリの体育会系であった。
さっさと話を終えられてしまい、法徳は困り顔をする。
「あぁ、そのだな」
「なに? ボクはそろそろ芳紀の面倒を見たいんだけど」
すでに法徳には興味がなくなっているらしく、橙香はちらちらと南藤の様子を窺っている。
法徳も早めに用件を済ませた方がよいと判断し、頭を下げた。
「氾濫の前には失礼な事を言ってしまった。申し訳ない」
「なんだ。芳紀の凄さに気付いたんだね。でも芳紀の性癖はノーマルだし、ボクのだからあげないよ?」
「我とてノーマルだ。そっちの気はない」
憮然とした顔で法徳が返すと、橙香は驚いたように目を見張った。
「……天狗って衆道好きじゃないの?」
「待て、それは偏見だ。そもそも何故そのような誤解をした」
「だって、日本に来た天狗の伝承ってたくさんあるけど、美少年に兵法とか剣術を教えたり、衆道が嗜みだった戦国時代の武将に崇敬されたり」
「偏見だ!」
衆道の伝道師のような説明をされ、法徳のみならず上空にいた天狗たちも一斉にツッコミを入れた。
「でも天狗の宗教の修験道って女人禁制でしょ?」
「それも偏見だ。修験道は別段、女人禁制を遵守するものではない」
そう思われがちなのは確かだが、と法徳は頭痛を堪えるように眉間に皺を寄せる。
法徳は話が逸れている事に気付き、咳払いをして場を仕切り直す。
「そんな話はどうでも――よくはないが脇に置いておこう。謝罪の代わりにこれを渡しておく」
「なに、これ」
法徳が差し出したのはどこかのサイトのURLを書かれた一枚の紙切れだった。
「霊界出身者が帰還するための方法を探すための情報サイトだ。会員制で需要も限定されているため、あまり知られてはいないがな。霊界出身者に会った場合には渡すことになっている」
「こんなサイトがあったんだ。ありがとう。参考にしてみる」
「うむ。そちらの男もいるのだ。お前たちの働きには期待している。我らとて、霊界には残してきた家族もいる。帰りたい気持ちは同じだろう」
そう言って、法徳は翼を大きく羽ばたかせると空へ飛び立つ。
「死ぬなよ。また会おう」
「そっちこそ、死なないようにね」
互いに手を振り合い、法徳は仲間の天狗たちと空の向こうへ飛んで行った。
法徳たちを見送って、橙香は首を傾げる。
「航空法で天狗の扱いってどうなってるんだろう」
まぁいいか、と翼もない橙香はすぐに思考の端に追いやって、甲斐甲斐しく南藤の看病を始めた。
ちなみに、天狗の飛行は許可制であり、ドローンと同様の扱いとなっている。




