第三話 乙山ダンジョン
乙山ダンジョン第一階層。一面の草原が広がるこの場所で突如として赤い炎が一直線に空へと伸びた。
身体の大きさとは不釣り合いに大きく発達した嘴をもつカラスの魔物が焼き焦がされて落下してくる。
三羽の魔物を一撃で黒焦げにした杷木儀が手の中でライターを弄びながら南藤たちを振り返った。
「そんなあからさまに怯えないでくださいよ」
杷木儀は苦笑しながら、グローブをはめた手で魔物の死骸を指差す。
南藤と橙香が視線をやれば、魔物の死骸は光の粒子となって音もなく消えていくところだった。
「この通り、ダンジョン内で死亡した魔物や動物は消えてしまいます」
「それよりも、杷木儀さんが出したさっきの大きな炎の方が気になるんですけど」
橙香が当然ともいえる感想を伝えると、杷木儀は「これから説明するところだったんですが」とライターを掲げる。
金属製の高価そうなライターだ。もとは軍用品との事で耐久性も折り紙つきだが、間違っても数メートル上空へ届くような火力はない。
杷木儀がフリントホイールを親指で回転させて火をつけると、親指ほどの太さの赤い炎が天高く舞い上がる。細長いその炎は熱量をむやみに外へ発散させる事なく上へ上へと伸びて行った。
「察していると思いますが、このライターも魔力強化品です。この火力で手を火傷しないように、グローブも魔力強化で耐火性や熱遮断の効果を付与しています。何しろ、私は異世界人と外交を行う都合上、あからさまな武装を身に着けるわけにはいきませんので、自然と暗器のような武器が必要になるんです」
少し離れてほしいという杷木儀に従って、南藤は橙香の手を引いて十歩ほど距離を取る。
十分な距離が開いたと見るや、杷木儀がライターの火を消す。
「こういった事も出来ます」
杷木儀はライターを握り込み、地面に拳を打ち付けた。すると杷木儀を中心として炎が地面を這い、草原に円形の焦げ跡を作り出す。草原にぽっかりと空いた丸い空間はミステリーサークルと呼ぶには成立過程が野蛮だった。
南藤が慎重にサークル内に足を踏み入れてみると、ぷすぷすと煙を出している拳大のキノコがいくつか転がっていた。事前に調べた乙山ダンジョン第一階層の魔物にガスキノコと呼ばれるモノがいたことを思い出す。観察している内に光の粒子となってガスキノコは煙と共に消えていった。
杷木儀がペン回しの要領でライターを弄ぶ。
「魔力強化には魔物の血を浴びせるのが一番の近道です。ただ、これが銃や弓など遠隔武器の魔力強化品が少ない理由でもありましてね。とある映画大好きなお国では拳銃で近接戦を行うスタイルを真似して大量の死傷者が出たなんて笑えない話もあります。わが国では現在でも銃規制は緩和されていませんので持ち主はごく少数ですし、弓に関してもさほど多くはありません。そんなわけで、南藤さん、ドローンの魔力強化方法についてはどのようにお考えですか?」
杷木儀に問われ、南藤は頭上を滞空している自作ドローンを見上げた。
毬蜂と名付けた球形のドローンだ。遠隔操作を行う関係もあり、視認性を高めるため黄色と黒の縞模様で塗られている。
「全方位に対してパイルバンカーを繰り出せるようにしてあるので、魔物の血を浴びせるのはそんなに難しくないですね」
「空気銃の類を搭載しているわけではない、と。元がエアガンであれば、銃規制をかいくぐる事もできるのですが」
「搭載しているドローンが他にありますが、粘着弾や閃光弾なんかが主な弾で、直接的な攻撃力は持ってないですね。それに、いくらエアガンといってもBB弾で魔物を倒すのは無理でしょう?」
「最初からエアガンで倒す必要はありません。倒した魔物が消える前にその血をエアガンに浴びせればいいんですよ。このライターも魔物の死骸から抜いた血で魔力強化しました」
そう言って、杷木儀がライターを見せる。
射出速度や銃身の強度を強化し、BB弾ではなく鉄の玉を射出させれば相応の威力が出る。ライフリングのない滑腔銃であり、元がエアガンであるため命中率や飛距離はさらなる魔力強化をしなければお察しらしい。実用化までにかかる手間が多すぎるため利用者はほとんどいない。
そういえば、と南藤はサークル内を見回す。目当てのモノがすでに消滅していたため、幼馴染の橙香を見た。
「橙香、そこら辺の草を薙ぎ払ってもらえるか?」
「うん、いいよ」
二つ返事で了解した橙香が肩に担いでいたそれを片手で振り抜く。紙でできたハリセンでも振り回すような気楽さで草を薙ぎ払っているが、橙香が振り回しているそれは鈍く輝く金属を寄せ集めた代物だ。鬼の膂力でなければ持ち上げる事も叶わないそれの重量は五百キログラムを超え、長さは二メートル、直径五十センチほどもある。
「……鬼に金棒」
「まさにそれです」
杷木儀の言葉に同意しつつ、南藤は橙香がなぎ倒した草を観察する。
「あ、あった。橙香、もういいよ」
「分かった。で、何がしたかったの?」
「そのキノコ、魔物なら血が通ってるのかなって思って」
南藤が指差したのは膝丈ほどの雑草に隠れるように生えていたガスキノコである。
歩み寄って足先で軸の部分をほぐしてみると、透明な液体が零れ落ちた。高濃度の魔力が内包されているのか、液体を失くしたキノコ本体よりも消滅が緩やかに進行する。
南藤は杷木儀を振り返った。
「このガスキノコって動かないんですよね?」
「そうですよ。地面と接している部分に存在する核を破壊されない限り、踏むたびに麻痺性のガスを噴き出すのでトラップ扱いする冒険者もいますね」
「培養ってできませんか?」
このガスキノコを培養すれば何度でも高濃度の魔力を宿した液体を得る事が出来、武装の魔力強化が楽になる。
良い目の付け所です、と杷木儀は笑いながらも首を横に振る。
「すでに研究されていますが、培養には成功していません。一定時間経つと自然消滅するんですよ」
ダンジョンの内外で培養が試みられたが結果は変わらなかったらしい。
地道に魔物討伐をして武装に魔力を蓄積するしかないと諦めてドローン毬蜂を見上げた南藤だったが、ふと気になって足元を見た。
「ところで、この草を焼き払った場所ってどうなるんですか?」
「ダンジョンによってまちまちですが、破壊された地形は丸一日すると修復されます。目印を残すのは難しいと考えてください」
「ヘンゼルとグレーテルにはなれないんですね」
「アリアドネの糸なら手に持っている限り消えないと思いますけど、現実的ではないですね。未踏破の地域ではマッピングを忘れないようにしないと遭難しますよ」
「ドローンがあるので大丈夫です」
南藤のドローン毬蜂はスマホと同期させた動画撮影機能とマッピング機能を有しており、今も乙山ダンジョンの入り口からここまでの地図を作成している。
いまから橙香と二人で帰れと言われても可能だった。
試しに作成した地図をスマホで表示して見せると、杷木儀は感心したようにため息を吐く。
「かなり詳細な地図ですね。このマッピング能力だけでも需要があると思います」
ダンジョン内は異空間のようになっており、方位磁石やGPSの類が使用できない。地図の作成はそれだけで技能として認められる程度には出来る者が少ないのだ。
「もっとも、今まで発見されたダンジョンは内部構造が変化したことがないので、地図が販売されています。それなりの値段はしますが、攻略最前線でもないとあまり恩恵を実感できない技能でもありますね」
「まぁ、俺としてもおまけ程度に考えているので」
元々ダンジョン攻略を優先に考えている南藤と橙香にとって自分たちで地図が作成できるかどうかが焦点で、作った地図の販売は考えていなかった。
売れる時には売るだろうが、金銭的にも余裕がある現状では考慮しなくてもいい話だ。
ひとまずの実戦訓練はおしまいという事で、杷木儀がダンジョンの出入り口へ先導してくれる。
南藤と並んで歩きながら、橙香が心配そうな顔を向けた。
「芳紀、顔色が悪いよ?」
「そうか? 特に何も感じないけど」
橙香の指摘を受けて南藤は自らの額に右手を当ててみるが、平熱のように感じる。少し体がだるいような気もしていたが、訓練とはいえ初めてのダンジョンで緊張しているのが原因だと結論付けて南藤は橙香に微笑みかける。
「心配するな。問題ないから」
「……だと良いけど。体調が悪い時はちゃんと言わないとダメだからね?」
世話焼きな窘め方をする橙香だが、見た目は女子中学生で片手には二メートルの無骨な鉄の塊を持っている。容姿と言動のギャップが大変なことになっていた。
自分が言われたわけでもないだろうに、杷木儀が複雑そうな顔をしているのが南藤には印象的な、ダンジョン探索初日だった。