第十話 藻倉ダンジョン第三回氾濫二
これで橙香は一度戻ってくるだろう、と南藤は無線機を仕舞う。
「杷木儀さん、呼びつけてしまってすみませんでした」
「いえ、こちらもこの状況で頼りに出来そうなのは南藤さんだけでしたから」
そう言って、杷木儀が肩を竦めた。
杷木儀の元にドローン雷玉を派遣したのはいまから十分ほど前。後方組冒険者の陣中央にいた杷木儀は鰭モグラが作り出した大穴の中にいたが、雷玉の魔力強化済みワイヤーにて穴から脱出し、導かれるままに南藤の元へ急行してくれた。
「それにしても考えましたね。私のライターで魔力を消費し、魔力濃度を下げるとは」
杷木儀が手元のライターを見る。煌々と、高々と、火柱を上げているライターは周囲の魔力をいくらか消費しながら燃え続けている。
周辺でサラマンダーや水晶カメ、コウモリ型魔物二種といった魔法を使用する魔物が多数暴れている現状では、杷木儀のライターによる魔力消費が駄目押しとなって南藤周辺に魔力が極端に少ない空白地帯を作り出していた。
ここが外である以上、魔力濃度はダンジョンから漏れ出てくる魔力が流れてこない限り回復しない。これだけ派手に魔力を使用していれば濃度が低下するのは当然のことだった。
杷木儀はライターの火を燃やし続けながら南藤を見る。
「それで、どのように戦線を立て直すおつもりですか?」
「まずは情報伝達網の再構築ですね。名前をお借りしてもよろしいですか?」
「ダメなんですよ?」
「言質は取らせないんですね」
ダメだとはっきり言わず、あえて疑問形でお茶を濁す杷木儀に苦笑を返して、南藤は再び無線機を取る。
『異世界貿易機構職員、杷木儀赤也を保護しました。情報伝達網を再構築します。後方組冒険者は無線周波数の調整をお願いします』
ドローン毬蜂の俯瞰映像から何人かが無線機を弄りだしたのを確認して、南藤はそれぞれに声を掛ける。
『茶髪で虫取り網を使っているそこの冒険者さん。はい、あなたです。クランメンバーを連れて北東へ二百五十メートル進んだ地点に七人組のクランがいますので合流して〝い組〟を名乗ってください。以降は連絡役をお願いします。三角定規を振り回している赤縁眼鏡のそこの男性。えぇ、貴方に声を掛けています。北西百メートル先にいる三人組と合流、これを護衛してください』
指示に従ってくれそうな冒険者に次々声を掛け、名前を聞きだしては情報伝達網を築き上げていく。
中には『てめぇ誰だよ』や『何の権限があって命令してんだよ』といった声もある。
しかし、彼らのような人間は事情を説明したところで従うはずもないため、疑問には答えず黙殺する。今は責任を取る誰かが現場をまとめる必要があるだけで、その正当性ばかりを重視しては全滅するだけだからだ。
「芳紀、戻ったよ!」
「おかえり、橙香。さっそくだけど、藻倉遠足隊を護衛してくれ」
「分かった」
一切の疑問を挟まずにクラン『藻倉遠足隊』の護衛につく橙香。
情報伝達網がある程度構築されたとみるや、南藤は矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。
『反攻作戦に移ります。最終目的は後方組中央陣の奪還と異世界貿易機構職員の救出です。第一フェイズを開始します。鰭モグラが開けた穴を地下道出口と呼称し、これを全て制圧します。は組の遠距離攻撃要員、三時方向、距離三百メートル地点に地下道出口がありますので、そこから攻撃を加えてください』
魔物たちの進軍経路は地上と、鰭モグラが開通させた地下道だ。まずは陣の内部に開けられた地下道入り口を虱潰しに制圧する地味な作業を開始する。
南藤が持つスマホ画面が次々と切り替わり、鰭モグラの地下道入り口へ冒険者の放った矢や石、魔力強化済みの爆竹などが投げ込まれる光景が表示される。
ひとまず、穴の制圧は完了した。これで魔物もおいそれと穴から顔を出すことはできないだろう。
南藤が冒険者たちを統合し組織戦を開始した事で、乱戦状態は解消されつつある。
はぐれていた冒険者たちも徐々に生き残りと合流しはじめていた。
南藤は毬蜂から送られてくる戦場の映像から、各地域の戦況をリアルタイムで把握している。だからこそ、問題点も見えていた。
まずは打撃力不足である。近接戦闘が可能な冒険者が少ないため、サハギンなどに接近されると戦線が容易に崩壊する。
つぎに、コウモリ型魔物の存在。特に攪乱コウモリの影響が強く、三半規管を狂わせる魔法を使用されて身動きの取れなくなった冒険者がサハギンに接近されて倒されてしまう。
最後に、サラマンダーの火炎魔法。特に集団となったサラマンダーの火炎は攻撃可能な距離が伸び、周辺一帯を燃やされてしまう。
「さて、情報がやや不足しているか」
南藤は呟くと同時にスマホ画面を操作し、ドローン毬蜂が撮影した過去の映像を三倍速で流し、必要な情報を収集し始める。流す映像はサラマンダーが戦場にやってきてからのものだ。
最後まで映像を見終えた南藤は無線機を手に取る。
『諸君、私は塹壕戦が好きだ。諸君、私は塹壕戦が大好きだ!』
無線機から唐突に流れだしたパロディー台詞に冒険者たちの何人かが思わず噴き出す。くだらないギャグで笑える程度には余裕を取り戻している冒険者たちへ、南藤は指示を飛ばした。
『というわけで、第二フェイズに移ります。鰭モグラの地下道上部を破壊、これを利用した塹壕戦を開始』
直線的で致命的なサラマンダーの火炎放射から身を隠し、コウモリ型魔物の音波攻撃からも身を守る。近接戦闘においてはサハギンの群れとの接触範囲を塹壕内に限定する事で、少ない前衛冒険者を有効利用する。
視界に関しては南藤がドローン毬蜂から得た情報を伝達する事で補えば、塹壕内でサハギンと遭遇戦になる事もない。
加えて、地下道を破壊する事で魔物の進軍経路を潰すこともできる。
『ろ組、四時方向に三百メートル地点へ爆竹を投げ込んでください。と組、七時方向七百メートル地点へ移動後、地面に打撃を加えてください。ね組――』
各組へ命令を伝達する。
当然、南藤はやみくもに攻撃命令を出したわけではない。
過去の映像から、サラマンダーの火炎魔法が不自然に減衰した場所、または増幅した場所を特定して攻撃命令を下したのだ。
乙山ダンジョンのボス、バフォメット戦において冒険者を苦しめた爆弾綿毛の爆発魔法は周囲の魔力濃度に影響を受けて爆発力が変化した。ならば、サラマンダーの火炎魔法の威力から魔力濃度の勾配を推測する事も可能となる。
案の定、南藤の命令を受けて冒険者たちが攻撃した地面はガラガラと崩壊し、真下にいた魔物を生き埋めにしながら即席の塹壕と化した。
この戦いの後で業者が埋め立てる事になるのだろうが、費用を南藤が持つわけでもないので事後処理については無視している。
塹壕へ飛び込んだ冒険者たちが防衛戦を開始した。
サラマンダーやコウモリ型魔物の魔法攻撃から身を守る塹壕の構築と、ドローン毬蜂による航空観測、統制射撃は冒険者たちの戦闘力を大幅に引き上げていた。
加えて、地下道の大半が埋められて塹壕と化したことにより、魔物側の増援も途絶えている。
南藤は傍らにいる橙香とクラン『藻倉遠足隊』を見た。
「塹壕網の内側に残っているサハギン、水晶カメ、サラマンダーの掃討を頼む。コウモリは無視していい」
「なんか、南藤さんが滅茶苦茶頼りになるけどどうなってんの?」
米沖が覚醒南藤を指差して橙香に問えば、
「芳紀は出来る子だからね!」
と橙香は我が事のように自慢する。
古村が裁ちばさみを構えて仲間に声を掛けた。
「とにかく、ここが踏ん張りどころです。行きますよ」
「オッケー」
橙香たちを見送って、南藤はスマホ画面に再び視線を戻し、未だにライターで火柱を作ってくれている杷木儀に伝える。
「中央にいた異世界貿易機構の職員を全員地上に引き上げました」
冒険者をまとめる傍ら、ドローン雷玉のワイヤーを利用して行った救助活動の成功を伝えると、杷木儀はほっとしたように胸をなでおろした。
「バフォメット戦の報告書をまとめていた時は半信半疑だったのですが、こうして目の当たりにするとほとんど別人ですね。本当に頼りになります」
「これが本来のスペックなんですけどね。職員の皆さんは全員こちらに向かってもらっています。放っておいても大丈夫そうですね」
ドローン毬蜂から送信されてくる映像には異世界貿易機構の職員たちによる無双モードが記録されていた。サラマンダーの炎を青いビニールシートでいなし、十徳ナイフで切り刻む。鉄釘を正面に投げつけて水晶カメの硬い甲羅を穴だらけにしたかと思えば磁石を取り出して鉄釘を回収、再び投げつける。
そこらの冒険者よりもよほど強いのではないだろうか、と南藤は思う。
「異世界貿易機構の職員は国の支援を受けて魔力強化した武装を多く携帯している上に、異世界で襲撃された際に独力で脱出できるように訓練もされていますから、撤退は非常に得意なんですよ」
同じ職員である杷木儀の証言だけあって説得力が違う。南藤が操る雷玉の支援があったとはいえ、杷木儀はまだ乱戦の最中にあった戦場を一人で切り抜けて南藤と合流したのだから。
とはいえ、これで戦力は整った。さらに、毬蜂は後方組冒険者の新たな希望を撮影していた。
南藤は無線機を手に取り、後方組の冒険者たちに連絡する。
『後方組右辺冒険者の組織化に成功しました』
中央指揮所の崩壊で左右に分断されていた後方組の冒険者たちがようやくひとつの指揮下にまとまった事になる。
反撃が可能になったのだ。
『中央を奪還し、前線組の退路を確保します。最終フェイズへ移行。フェイズ完了後、指揮権を異世界貿易機構へ戻します』
南藤が無線機越しに各冒険者へ伝達する。
中央から異世界貿易機構の職員たちが避難した今、あの場には誰も残っていない。ドローン毬蜂での撮影でも人影は存在しなかった。
冒険者たちの死体すらないのは、魔物たちが藻倉ダンジョンへと持ち帰って魔力に変えているからだろう。冒険者同様、魔物の死骸も存在していない。
これが、復讐鬼が誕生する理由かと南藤は中央を映した映像を心の中にとどめ置きながら、冒険者たちへ最後の指示を出す。
『冒険者各位へ。中央からの退避が完了しましたので、攻撃を開始してください』
弧を描いて中央へ飛んでいく矢や爆竹を見送る。
「たーまやー」
「かーぎやー」
南藤の呟きにすぐさま続けた杷木儀を横目に見る。
「ノリ良いですね」
「ライターを灯しているだけで、案外ヒマなものですから。もっとも、暇な時間は終わりを告げたようですが」
そう言って杷木儀が視線を向けた方角からは、異世界貿易機構の職員たちが走ってきていた。
これで指揮は任せてしまえる、と南藤は職員たちを案内してきたらしい橙香に手を振った。