第三話 第一階層
ふわりふわりと宙を飛ぶドローン毬蜂が廃坑道を照らし出す。
「広いね」
「おぉうぅ」
橙香が見上げた天井は三メートルほどの高さ。坑道の幅は五メートルといった所。壁の凹凸が激しく、懐中電灯のような直線的な明かりでは物陰に潜む魔物を見つけられない。
しかし、南藤が操作するドローンは二人に先行して物陰をも照らし出し、奇襲を未然に潰していた。
「キー!」
甲高い鳴き声を上げて物陰から飛び出してきた三羽のコウモリ。翼を広げれば五十センチほどになるそのコウモリたちは毬蜂の光を浴びて奇襲に失敗した事を悟るや飛び出してくる。
毬蜂の動きが変化する。それまでのフワフワとどこか頼りなかった動きが嘘のように、瞬時に上昇して天井付近へ逃げた。
当然コウモリたちが追う。明かりを潰せば冒険者が一瞬混乱する事を理解しているのだ。
天井へと追いかけてくるコウモリに対し、毬蜂がプロペラの回転を止めて落下、一メートルほど落ちるとプロペラの回転を再開させる。落ちる毬蜂に狙いを定めていたコウモリたちが獲物の動きに翻弄されて僅かに動きに迷いを見せた。
ガンッと打撃音が行動に響く。毬蜂のパイルバンカーで羽根に大穴を開けられたコウモリが落下した。
仲間を落とされても残る二羽は怯まずに毬蜂へ殺到する。
毬蜂は二羽のコウモリによる苛烈な攻撃を木の葉のようにふわりふわりと躱しながら降下していく。
追いかけて行ったコウモリだが、突然横から振り抜かれた巨大な鉄塊に気付き、慌てて急上昇する。急な軌道変更でやや失速するが、当たれば即死の鉄塊を避けるためなら速度が犠牲になる程度は許容範囲だろうと、コウモリたちは考えた。
「よっと」
――軽い調子で橙香が毬蜂を優しく蹴り上げるまでは。
橙香に蹴り上げられた毬蜂が豪速でコウモリに肉薄し、パイルバンカーで正確に頭蓋を打ち砕く。
さらに、パイルバンカーを撃ち込んだ反動で軌道が変わり、もう一羽のコウモリへと距離を詰め、突き出したままのパイルバンカーで胴体を深く貫いた。
「これで終わりっと」
息のあるコウモリにとどめを刺した橙香が死骸を集め、その血を毬蜂に浴びせる。
「魔力強化を優先するのは毬蜂と雷玉で本当によかったの?」
乙山ダンジョンのボスであるバフォメットとの戦いで自滅特攻を行った毬蜂と雷玉は新しく作成した機体であり、魔力強化をやり直す必要がある。
しかし、南藤の体調を考えると、魔力耐性を高めるために身体の魔力強化を行う方がよいのではないか、とも橙香は思っていた。
南藤が首を横に振る。何か考えがあるらしいが、話すだけの気力がないらしい。
南藤を乗せた機馬は乗り手の不調などお構いなしで進んでくれるため、魔力酔いが改善しなくても一階層では余裕を持って戦えるだろう。
橙香は南藤の体調がまだ心配だったが、一階層の攻略は順調に進む。
実際に探索してみると、藻倉ダンジョンは廃坑とは名ばかりの複雑な迷路状だと分かる。分岐点や行き止まりが無数にあり、梯子を持って来なければ登れないような高さに別の道が入り口を開けていたりする。
幅二メートルの機馬を有している南藤たちが通れない道もいくつかあった。ドローンによる偵察を行ったところ、ほとんどが行き止まりである。
「うわぁ、気持ち悪い」
坂道を転がってきた直径一メートルほどの真ん丸と太ったミミズの魔物、豆ミミズを見つけた橙香がドン引きする。
この魔物の血は浴びたくないランキングの常連である豆ミミズは橙香を見つけるなりそのぬらぬらした表面に魔法陣を描き出した。
橙香は鉄塊を腰だめに構え、豆ミミズが描いた魔法陣を睨む。
きらりと一瞬魔法陣が光ったかと思うと、野球ボールくらいの石つぶてが形成されて機馬の上に横たわっている南藤に向けて発射された。
時速百二十キロメートルとの計測結果が最低値だという豆ミミズの魔法、ロックボールである。
事前情報から飛んでくることが分かっていた橙香は鉄塊を振り抜いてロックボールを打ち返した。
カキンっと小気味の良い音が坑道に響き渡る。橙香が打ち返したロックボールは時速二百キロ以上で豆ミミズに衝突し、その体を破裂された。
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
想定しないスプラッタが展開されて、橙香は鳥肌を立てて南藤に駆け寄った。
橙香が一人でわいわい騒いでいると、通路の奥、坂道の上から懐中電灯の光が注がれた。
「そっちに豆ミミズが行きませんでしたか?」
坂の上から、冒険者登録証を掲げながら冒険者の男性が下りてくる。年齢は二十代の前半、南藤と同じくらいだろう。金色に染めた髪とアロハシャツが暗い坑道内で異彩を放っているが、顔立ちは純朴そうで人当たりの良い笑みを浮かべている。
男性の後ろからは三人の男女が続いてきた。年齢は先頭の金髪男性と同じくらいだ。
橙香と南藤が二人組だと気付くと、金髪男性が足を止める。
「あの、大丈夫ですか? 怪我しているなら出口まで一緒します?」
機馬の上に横たわっている南藤を見て、心配そうにそう声を掛けて来るが、距離を詰めようとはしない。
藻倉ダンジョンは通路で構成されている上に、現在は第三回の氾濫に備えて多数の冒険者が集められているため、他の冒険者とすれ違うのは珍しくない。
しかし、マナーはきちんと守っており、人数の少ない方から声を掛けない限り距離を詰めないのは乙山ダンジョンと変わらない。
橙香は冒険者登録証を掲げて、挨拶した。
「こんにちは。ただの魔力酔いなのでお気になさらず。それと、豆ミミズは攻撃してきたので倒しちゃったんですけど、そちらの獲物でしたか?」
まさか横殴り、ハイエナと呼ばれる類のマナー違反をしてしまったかと、橙香は不安になって訊ねる。
しかし、金髪男性はそのチャラそうな格好に似あわない純朴な笑みを浮かべて首を横に振った。
「いや、取り逃がしちゃったんで、そちらが討伐してくれたのは助かりました。こちらこそ、巻き込んでしまって申し訳ないです。自分らはクラン『藻倉遠足隊』ってモノなんですが、知ってます?」
「いえ、今日からここの探索を始めたばかりで有名クランとかは知らないです」
「あ、そうですか。参ったなぁ。こっちの方が人数多いんで言いにくいんですけど、すり抜け、いいですか?」
狭いトンネル状のダンジョンだけあって、すれ違う時にはどうしても互いの間合いに入る事になる。顔見知りであれば警戒心も薄れるが、今回のように互いが初対面ではどうしても緊張感が走る場面だ。
だが、橙香はさっさと通路の端に寄ると自分たちが来た道を手で示す。
「どうぞどうぞ」
「あ、どもども」
「……なんだ、この空気」
金髪男性の仲間らしき茶髪の女性が、弛緩した空気に肩を竦めて苦笑する。
と、その時だった。
南藤と橙香、クラン『藻倉遠足隊』のちょうど中間地点の壁が突如として大きく膨らむ。
反射的に武器を構えた橙香の正しさは直後に証明された。
膨らんだ壁から鋭い爪の先が現れたかと思うと、ガラガラと壁が崩れて頭部だけで五十センチはあるモグラが顔をのぞかせる。首の付け根にメキシコサラマンダーのような鰭が付いている。
鼻を引きつくかせたモグラの魔物、鰭モグラは通路に身を乗り出すと巨体に見合わぬ機敏な動きでクラン『藻倉遠足隊』へと駆けだした。
「やっべぇ!?」
鰭モグラの巨体の先から茶髪の女性が叫ぶ。
奇襲であったため対応が間に合わないのだろう。
すぐに駆け出した橙香は鰭モグラの尻尾を踏みつけて動きを封じる。つんのめった鰭モグラの隙を見逃さず、クラン『藻倉遠足隊』が突き出した手銛が鰭モグラの首を貫通した。
鰭モグラを倒してホッと溜息をついた金髪男性が橙香に頭を下げる。
「助かりました。ありがとう」
「いえ、困ったときはお互い様ですから」
「てか、いまどうやって止めた?」
茶髪の女性が鰭モグラの身体を回り込んで橙香の足元を見て、信じられない物を見たように目を擦る。
「え、尻尾を踏んづけただけで止めたの?」
「実際、止まりましたよ」
「うーん」
納得いかなそうに首を傾げる茶髪女性だが、あまり一つの事にこだわらない性質らしく鰭モグラの尻尾から視線を外して南藤を見る。
「あんたのツレ、ピクリとも動いてないんだけど」
「あ、そうだ。この鰭モグラは差し上げます。ボク達はすぐにここから離れないといけないので」
「貰えるなら貰うけど、良いのかい?」
「ここは閉鎖空間なので、魔物が消えると魔力が局所的に溜まっちゃうんです。魔力濃度が上がると魔力酔いが悪化しちゃうので」
「ツレの具合が悪くなる、と。なるほど、そんじゃ引き留めらんないね――と言いたいけど」
茶髪の女性は頭を掻いて言葉を濁し、クラン『藻倉遠足隊』の仲間を振り返る。
「こんな状態の人を放り出すのはどうかと思うんだけど。そりゃあ、冒険者は基本的に自己責任だけどさ」
「分かっていますよ」
金髪男性が肩を竦めて、橙香に向き直る。
「どうでしょう。連合しませんか?」
「連合ですか?」
「複数のクランで協力関係を築く事です。放っておけないのもありますが、ちょっとそちらの機械に興味があるモノで」
そう言って機馬へ観察するような視線を向ける金髪男性。
橙香は南藤の意見を聞くべく目を向ける。
機馬の上でぐったりしている南藤だったが、彼の頭上に滞空する毬蜂が搭載されている照明をちかちかと点滅させ始めた。モールス信号である。どうやら、異論はないらしい。
「話を聞かせてください」
機馬の上の南藤の介抱を始めながら橙香は促した。