第一話 藻倉ダンジョン前
この作品は推理小説ではありません(念のため
南藤は橙香と共に藻倉ダンジョン行きのバスの最後部座席に腰掛けて窓の外を眺めていた。
「ゴーストタウンって奴だな」
「ほとんど人がいないね。通行止めの道路も多いし」
橙香が窓の外の街並みに目を細める。
藻倉ダンジョンを有する早田市は藻倉ダンジョンの出現以降住民の減少が続いている。今も住んでいる人々はそのほとんどが冒険者であり、自衛能力を有している。
早田市全域がダンジョン指定区画となっており、市内での魔力強化品の携帯が全面許可されている。早田市はそれなりに大きな自治体であり、市内全域を指定区画としているのは此処を除くと北海道にある三級ダンジョンだけだ。
ほとんどの場合、ダンジョン指定区画はダンジョンを中心とした一キロ圏内、広くても三キロ圏内である。早田市の総面積は二十平方キロメートルである事を考えるとその広さが窺える。
そして、この指定区画の広さこそが住人減少の原因でもあった。
指定区画でしか所持が許されない魔力強化品はほとんどが武器や防具である。指定区画に指定されるのは、その区画内が戦場になると予想されることの裏返しだ。
だからこそ、自衛能力を持つ冒険者でもなければこの指定区画に住もうとは思わない。
南藤は外を走っている自転車の籠に魔力強化済みと思しき銛を入れている住人を見つけ、呟く。
「やっぱり、ここは特殊なんだな」
「みたいだね」
藻倉ダンジョンは廃坑がダンジョン化したものだと言われている。
内部は水没した坑道で非常に入り組んでいるため、踏破が難しいダンジョンだ。
過去二回の氾濫を起こしているが、どちらもが日本におけるダンジョン史に刻まれる特異的な事案を引き起こしており、国内で最も知名度のあるダンジョンとも言われている。
一回目の氾濫は国内で初めて、ダンジョンそのものが発見される前に起きてしまった氾濫である。対応が後手に回ったために多数の死者、行方不明者が発生したこの事件が国内における冒険者切望論を高める事となった象徴的な事件として知られている。
「ここに『早田市冒険者グループ』の人達が住んでたんだよね?」
乙山ダンジョンで出会ったクラン『早田市冒険者グループ』は藻倉ダンジョンの第一回氾濫を生き残った四人組で構成されていた。
第一回氾濫で確認された魔物はコウモリのような魔物が二種類、加えてモグラ型、ミミズ型の魔物で計四種類だった。空を飛ぶ魔物と土中を進む魔物であったため、氾濫が発覚した時には市内各所に魔物が出現しており大混乱となったという。
当時は自衛隊以外がダンジョンに潜る事を禁止されていたため、この氾濫の後もしばらくの間藻倉ダンジョンは放置されていた。
そして、異世界貿易機構が設置され、冒険者が活動を始めたのが七か月後。藻倉ダンジョンは水没した坑道という踏破の難しさゆえに攻略は遅々として進まなかった。
魔力強化の手法が広まるにつれて冒険者の武装も強化され、水中での戦闘に対応できる冒険者が増えたことにより攻略が加速したのは、第一回の氾濫から実に二年がたってからだった。
しかし、加速した攻略は突如として行き詰まる事になる。
「――あ、サハギン看板」
「どれ?」
「あれ」
橙香が見つけた看板を指差すと、南藤は窓の外に目を凝らす。
すぐに見つけた看板は全長二メートルほどの大きな看板であり、魚の身体に人間の手足が付いたような魔物の姿を象っていた。手には三又の槍を握っている。
看板にはデカデカと『サハギンに人権を!』と書かれていた。
「まだ新しいし、置いたばかりなのかな?」
「サハギンナイトパーティー以来、活動はずいぶん下火になったと聞いたけどいまだに続いてるんだな」
半漁人、サハギンは藻倉ダンジョン第二階層から出現する魔物の一種だ。
魔力強化をした武装を手にして快進撃を続けていた冒険者たちの歩みをたった一種で止めてしまった、日本におけるダンジョン史でも特異な存在。国内で最も有名な魔物とさえ言われる。
サハギンは一体一体はさほど強くないものの水陸両方で戦闘が可能であり、武器を携えて集団行動をとる。
戦いにくいが武装を整えた冒険者なら討伐は可能な魔物だった。
しかし、一部の人権団体が騒いだことでサハギンの討伐は事実上中止されてしまう。
人権団体の主張はこうだ。
『ダンジョンの先に存在する異世界の知性種との交流もある昨今、ダンジョン生まれだからと言ってサハギンを差別しそのかけがえのない命を奪うのは野蛮である。サハギンは独自の言語と文化を有する一つ知性種であり、これを殺害する事は殺人となんら変わらない。野蛮な活動を行う日本の冒険者は即刻自首するべきである』
ばかばかしい主張だ。
確かに、サハギンは二足歩行が可能で武器も使用する上、知能が高い。言語らしきもので仲間同士のコミュニケーションも取る。
しかし、サハギンはれっきとした魔物である。生き物を殺し、ダンジョンに連れ帰り、次の氾濫を引き起こして被害を拡大させる。そうした存在である。
冒険者は人権団体の主張に取り合わなかったが、時期が悪すぎた。
今まで人と呼んでいた知性を持つ生き物とは異なった形をした異世界の人のような生き物、知性種が地球と交流している真っ最中であり、人権の拡大解釈が世界規模で行われていたのである。
独自の文化らしきものを持つ魔物はサハギンが世界初であった事も、事態をややこしくしていた。日本国内で発生した間違った人権拡大解釈はその間違いを指摘する者に差別主義者のレッテルを張る事で封殺し、市民権を得ていく。
ついには、サハギンを討伐する様子を動画サイトに投稿した冒険者が拉致され、拘束された状態で警察署の前に投げ捨てられる『自首強要事件』までもが発生。
異世界の知性種との交流の兼ね合いから殺人罪の適用範囲があいまいになっていた事もあり、警察は〝自首〟してきた冒険者のみを逮捕、起訴する事で判断を司法に委ねてしまった。
元来、冒険者は活動資金の捻出に苦慮している。
にもかかわらず、魔物であるサハギンを討伐すれば殺人罪で起訴されるという。サハギンの討伐実績がある冒険者はバッシングを受け、さらに彼らが生産に関わった塗りポーションなどの魔力強化品も不買運動、販売自粛の憂き目にあう。
自然と冒険者たちは藻倉ダンジョンから距離を置いた。
この冒険者にとっての暗黒期は当然の結末を迎える事になる。
討伐される事なく数を増やし続けたサハギンを主軸とした藻倉ダンジョン第二回氾濫――通称、サハギンナイトパーティーである。
この二度目の氾濫は夜間に発生し、討伐されずにダンジョン内で増加し続けたサハギンが多く出現、一夜のうちに早田市の大半が制圧される事件となる。冒険者が距離を置いていた事で一般の市民たちも多くが避難していたが、第一回氾濫後に藻倉ダンジョンを討伐するべく残っていた復讐鬼たちを含む多くの冒険者が数的不利を覆せずに命を散らした。
事態は自衛隊の介入により終息したが、インターネット上ではこの事件を模したアスキーアートが大量生産される。
サハギンは独自の言語と文化を有しているため、早田市を制圧した後で勝利を祝って踊るサハギンの姿がコンビニの防犯カメラに記録されていた。
これが公開されると、この事件は『半魚人一揆』や『サハギンナイトパーティー』などと呼ばれ揶揄されたのだ。さらに、氾濫制圧のために戦った冒険者がその後に殺人容疑で逮捕、起訴されると、異世界貿易機構の公式サイトが炎上、サーバーがダウンした。これ以降、インターネット上でサハギンナイトパーティーが話題に出ると『やめろ。起訴するぞ』と返すネットスラングが誕生する。
この大事件を受けて、ダンジョンに生息する生物は日本の法律の適用外であり人権を認められない、と明文化されることになったのだが、遅きに失した感は否めない。
現在ではサハギン討伐を行う冒険者も増えている。しかし、二回の氾濫を起こした藻倉ダンジョンは魔物が多く、その複雑な内部構造もあって冒険者の到達階層は二階層にとどまっていた。
「杷木儀さんが俺たちみたいな駆け出しにまで声を掛けるのも仕方がないな、この状況ではさ」
「でも、来たからには活躍したいね」
「無理をしない範囲でな」
橙香と話していたその時、バスが停留所に到着する。
そのものずばり、藻倉ダンジョン前と名付けられた停留所を降りると、目の前に広がっていたのはだだっ広い駐車場とプレハブ小屋の群れだった。
「穴だらけだね」
「藻倉ダンジョンに生息している鰭モグラと豆ミミズが氾濫時に開けた穴らしい。コンクリートでも平気で穴を開けるってさ」
「どうしようもないね、それ」
とはいうものの、いまも工事車両が出入りして穴を塞いで回っている。
氾濫が起きた際にはこの広い駐車場が第一防衛線となるため、魔物の進撃路を塞ぐために工事が行われているのだ。
肝心の藻倉ダンジョンはどこにあるのかと周囲を見回していると、案内板を見つけた。
「一キロも先にあるんだね」
「氾濫を警戒して非戦闘員の運転手の安全を考えてのことなんだろうな」
それでも、バスくらいは藻倉ダンジョンのすぐそばまで行ってほしいと思うところである。
ひとまず藻倉ダンジョンまで行ってみよう、と二人は奥へと歩き出した。
しかし、南藤の歩みは段々と重くなっていく。
「おいおい、嘘だろ」
「芳紀、その症状ってまさか……」
血の気の引いた青い顔、発汗、ふらつく足、典型的な魔力酔いの初期症状を呈し始めた南藤を見て、橙香が道の先に姿を現しつつある巨大な横穴、藻倉ダンジョンへと視線を転じる。
「ダンジョンの外にまで魔力が漏れ出てるの?」
「らしい、な」
南藤は吐き気を堪えて、口に手を当てる。
ダンジョンは氾濫を起こすたびに魔力濃度が上昇する。
藻倉ダンジョンの氾濫回数は二回。近辺にまで魔力が漏れ出すほどに成長していた。
「二級ダンジョンを甘く見てたかもしれないね……」
呟く橙香に頷いて、南藤は来た道を引き返し始めた。