第二十五話 本領発揮
南藤の思考が覚醒したのは、迫りくる大塚を迎撃するためにバフォメットが滑落ヤギを大量召喚した直後だった。
魔力酔いで散漫だった思考が急速にまとまりをみせ、吐き気が消え失せる。全身の倦怠感は鳴りを潜め、頭痛は霧散する。
南藤はスマホの画面に表示されたドローン毬蜂のカメラ映像を認識して、機馬の上に立ち上がると同時に周囲に視線を走らせた。
滑落ヤギの群れを押しとどめようと奮戦しながらも絶望の色が濃い悲壮な面持ちの冒険者たち。
見るからに重傷を負い後方で軟膏、塗りポーションで応急処置を試みる冒険者。
傍らで南藤の護衛をしていた橙香が驚いたように見上げてくる。
「……芳紀、魔力酔いが治ったの?」
「あぁ」
短く答えながら、手元のコントローラーを操作してドローン団子弓、雷玉を起動する。
その間にもドローン毬蜂のカメラ映像で戦場を俯瞰していた南藤はおもむろに無線機を取り出した。
「――状況把握」
呟くと同時に、団子弓が内蔵のエアガンで鉛弾を射出する。射出された鉛玉は五百メートル先にいる大塚のこめかみをかすめて室浦の側にあった爆弾綿毛を正確に弾き飛ばした。
優れた視力で南藤の狙撃成功を目撃した橙香が核心を深めたように笑みを浮かべ、鉄塊を高々と振り上げた。
「芳紀が立ったぁ! これで勝てる、じゃないや。かつる!」
でもなんで、と橙香は不思議そうに首を傾げる。
大塚と室浦に合流するよう指示を出してから、南藤は橙香の疑問に答えた。
「滑落ヤギの召喚や爆弾綿毛の爆発は周辺の魔力を消費しているからだろう。加えて、見た目に反して異常に軽いわけでなければバフォメットが空を飛ぶのも魔力を使っている。周辺の魔力を使用すれば大気中の魔力濃度が下がっていくのは道理だ。そんな魔力消費の激しい召喚や爆発をこうも乱発していれば、俺が活動できるようにもなる。実際、爆発の威力が最初の頃よりも下がっているのが見て取れるはずだ」
「言われてみれば確かに、爆発の威力が半分以下になってる気もするね」
大量に爆弾綿毛が召喚されたことで爆発時には連鎖するため気付きにくいが、爆発規模は確かに下がっている。
南藤は橙香を見る。
「橙香、バフォメットを落とすには戦力が足りない。クラン『早田市冒険者グループ』と合流して俺の指示を待ってくれ」
「分かった。どこにいるの?」
「雷玉に案内させる」
橙香の前にドローン雷玉が下りてくる。
案内を開始する雷玉の後を追いかけて走り出した橙香を見送って、南藤はスマホ画面に視線を戻した。
ドローン毬蜂による高所からの俯瞰画像。超高解像度で表示されているその俯瞰画像を切り替えると、画面がほぼ黒で埋め尽くされ、転々と針の先程度の桃色が表示される。爆弾綿毛に付着した蛍光塗料のみを表示しているのだ。
位置を確認した南藤はスマホ画面を通常の俯瞰モードに切り替えながら団子弓を操作する。
直後、団子弓から二十を超える鉛玉やBB弾が周囲に撃ちだされた。
傍からは乱雑に発射されたとしか思えないその弾はことごとくが爆弾綿毛に命中し、冒険者たちを爆発の脅威から守る。
遠ざけられた爆弾綿毛は滑落ヤギの群れに押し出される。
団子弓の装填時間を利用して、南藤は周囲の冒険者に声を掛けた。
「これから滑落ヤギの群れを連続爆破します。前線の圧力が大幅に減少しますので、戦線の立て直しを図ってください。二十秒後に開始します。カウントダウン開始」
唐突な予告とカウントダウン、しかもそれを行うのが魔力酔いでグロッキー状態しか見せた事のない南藤である。冒険者たちは困惑し、信用など頭からしていなかった。
懐疑的な視線を見て取るや、南藤は団子弓を操作しつつカウントダウンを中止し、冒険者たちに告げる。
「試しに一か所爆破します」
言い切った直後、団子弓から鉛玉が発射される。パンっと乾いた音がしたかと思うと、滑落ヤギの群れの奥で小規模な爆発が起きた。
鉛玉を受けて軌道を逸らされた爆弾綿毛が滑落ヤギに接触し、爆発したのだ。その事実を認識した冒険者たちは爆心地との距離を目測し、現在の南藤が魔力酔いで使えなかった今までとは別人のような高い能力を有している事を理解した。
南藤が再びカウントダウンを開始する。冒険者たちは予告された連続爆破に備えて態勢を整えつつある。
「――ゼロ、発破」
団子弓が鉛玉を乱射する。
もはや予定調和。定められた運命をなぞるように鉛玉は直線的な弾道を描いて爆弾綿毛をかすめ、あるいは弾き飛ばして南藤の計画上にある位置へ誘導される。
始まりはたった一つの小さな爆発だ。滑落ヤギの群れの真ん中で起きたその爆発は周囲の爆弾綿毛に爆風と共に高熱を届ける。
そして、ピタゴラスイッチのように爆弾綿毛たちは滑落ヤギを巻き込んで連鎖爆発を引き起こした。
効率的に、計画的に、一方的かつ無慈悲に、連鎖する爆発は滑落ヤギを吹き飛ばし、焼き焦がし、爆散させる。濃密な血臭はそれをはるかに上回る爆発の焦げ臭さが混ざり合って強烈な悪臭と化すが、爆風に吹き散らされて冒険者たちへ届く事はなかった。
冒険者たちは正面にいた滑落ヤギを討伐し、その先に広がる光景に目を疑った。数を数える事も出来なかった滑落ヤギの群れが帯状にごっそりと消え失せているのだ。
「態勢を整えてください」
南藤の声に現実へと引き戻された冒険者たちは、自然と南藤を中心に据えた円陣を組んだ。
向かってくる大塚と室浦の姿を見つけた南藤は無線機で冒険者たちに告げる。
『合流完了。俺の指示に従いたくない冒険者はそのまま自衛してください』
南藤がバフォメットを見る。何の感慨も浮かんでいないその瞳にバフォメットを映しながら、南藤は無線機を片手に続けた。
『作戦開始――橙香は早田市冒険者グループの皆さんを連れてそのまま直進。バフォメットにとどめを刺してもらうから備えてくれ』
『こちら橙香、了解だよ。みんな、これが終わったらジンギスカンパーティーしようね!』
毬蜂から送られてくる映像で橙香と『早田市冒険者グループ』が滑落ヤギの群れを蹴散らして進み始めるのを見つつ、南藤は無線機越しに橙香にツッコミを入れる。
『橙香、ジンギスカンは羊肉だ』
「えぇ……それツッコムんだ……」
そばまで来ていた室浦が南藤の冷静なツッコミに呟いた。
南藤は気にせずに室浦と大塚に目を向ける。その間にも、団子弓が撃ちだす鉛玉が爆弾綿毛を弾き飛ばしていた。
「室浦さん、そのバスタオルを捨ててもらえますか?」
「え?」
「大塚さん、丸腰になった室浦さんを護衛しろ」
「おい、なんでオレにだけ命令口調なんだよ」
「責任がある事は自覚しているはずですよね、大塚さん。それともここで全部暴露っちゃいますか? あれだけアプローチを掛けられてて気付いていなかったなんてことはなかったでしょう?」
「てめぇ……」
すべてお見通しと言わんばかりの南藤の鋭い視線に射抜かれて、大塚は歯を食いしばる。室浦は驚いたように大塚を見ていた。
南藤は肩を竦める。
「まぁ、亡くなった恋人に義理立てするのは別に悪いことじゃありませんし、後は当人同士の問題です。ただ、ケリをつけずに死ににいくのは無責任だと指摘はさせてもらいます。それで、どうするんですか。一分以内に答えをください」
「あたしはバスタオルを提供してもいい。何に使うか知んないけど、バフォメット討伐に必要なんだろう?」
室浦の問いかけに無言で頷いた南藤は大塚を見る。
「ちっ、クソが。魔力酔いはどうなってやがんだ」
「はいかいいえで応えてください」
「はいだよ、はい! てめぇ、後で覚えておけよ」
「バスタオルをください」
悪態吐く大塚をあっさりと無視した南藤は室浦から受け取ったバスタオルを大きく広げる。
すると、どこからともなく現れたドローン雷玉がテーザー銃を発砲してバスタオルの端にワイヤー付きの針を撃ち込んだ。
南藤はバスタオルを手放し、ドローンのコントローラーを握る。
バスタオルを吊り下げた雷玉が高く飛翔した。
いまさらながら、バスタオルを「貸してもらいたい」ではなく「捨ててもらいたい」と南藤が言っていた意味を理解した室浦だが、こんなにも躊躇なく穴を開けられるとは思っていなかったらしい。
「何してんだい、あんた」
「作戦行動中です。まぁ、見てれば分かります。登山者喰らいがいればそっちを使ったんですけどね」
南藤が操作する雷玉は上空で待機していた毬蜂の上に到着する。今度は毬蜂が内蔵のパイルバンカーをバスタオルに打ち込んだ。
バスタオルの両端を持つ形になった二機のドローンは見事な連携で上空を旋回し始める。
上空にいる二機のドローンに加えて、団子弓が断続的に鉛玉やBB弾を発射し続けている。
雷玉と毬蜂が支えるバスタオルに白いモノが捕えられ始めた。
「これくらいでいいか」
南藤はぼそりと呟くと無線機で橙香に呼びかける。
『バフォメットを落とす。頭を砕いてくれ』
『はいはい。ねぇ、沖縄料理でヤギを食べる奴があるって小野さんが言ってた』
『楽しみにしているところに水を差すようだが、ダンジョン内の魔物は倒すと魔力になって霧散する。食えないぞ』
『……忘れてた』
心底残念そうな声が無線機から聞こえてきて、南藤が苦笑する。
ダンジョンから出たらネットでヤギ料理のレシピを探そうと思いつつ、バフォメットを落とすタイミングを計り始める。
南藤はスマホが映し出すドローン毬蜂からのカメラ映像で最前線の状況をつぶさに観察していた。
バフォメットは上空三十メートルほどを浮遊しながら足元に迫る橙香たちに対処すべく滑落ヤギを大量召喚している真っ最中だ。だが、明らかに対応が間に合っていない。
元々高い戦闘能力を持つ鬼の橙香に加えて『早田市冒険者グループ』も加わっているのだ。滑落ヤギを何体揃えたところでほとんど意味をなさない。
橙香がその巨大な鉄塊を軽々と横に一振りするだけで滑落ヤギが二体吹き飛び、吹き飛んだ滑落ヤギに衝突された別の滑落ヤギが転倒したところに『早田市冒険者グループ』の小野たちが追撃を仕掛ける。
橙香が正面にキックを放てば滑落ヤギが縦に一回転しながら後続の滑落ヤギを巻き込んで絶命する。
しまいには面倒くさくなったらしい橙香が滑落ヤギの角を片手で掴んで武器代わりに振り回し、果てには投げつける。鉄塊はもう片手の方で絶えず振り回しており、滑落ヤギは近付く事すらできない。
『橙香、早田市冒険者グループを護衛してくれ。小野さん、聞こえますか?』
橙香に指示を出した南藤はそのまま早田市冒険者グループのリーダー小野に呼びかける。
『どうした。余裕はあるが、長話は勘弁してくれよ』
『ちょっとしたお願いです。バフォメットが爆弾綿毛を召喚したらすぐに頭上へ傘を何度も広げて風を送ってください』
『奴まで高さ三十メートルくらいあるんだぞ。風は届かない』
『送るのは風ではありません。魔力です。小野さん以外のメンバーはその場でヤギを虐殺してください。可能ならミンチでお願いします』
『あぁ、何をたくらんでるのかは見当が付いた。やってみよう』
小野の了解を取り付けて、南藤は大塚に視線を向ける。
室浦の護衛をお願いしたが、南藤の周囲を囲んでいる冒険者たちの奮闘のおかげで大塚は戦わずに済んでいる。この場に置いておくのは戦力の無駄で、他にやってもらえる役割もある。
「大塚さん、バフォメットに突っ込んでください」
「さっきと言ってること真逆じゃねぇか」
「死ににいけって話じゃないです。橙香たちにも手を焼いているところに、単騎突撃で傷を負わせた大塚さんが向かってくれば、バフォメットが爆弾綿毛を召喚する可能性が高くなります」
「バフォメットを爆破しようって魂胆か。それで爆弾綿毛をかき集めてるんだな」
そう言って、大塚は空を見上げた。未だにバスタオルを広げて上空を旋回する二機のドローンの姿があった。バスタオルに詰め込んでいるのは爆弾綿毛である。
すでに十分な爆発力がありそうだったが、南藤はまだ満足していないらしい。
「威力を上げる狙いもありますが、向かわせたドローンを迎撃されないための目くらましの意味合いもあります。もう一つの理由は誘爆させて魔力を消費させる事で滑落ヤギの召喚に使用する魔力を使い切らせたい」
「そんな狙いもあるのか。分かった。突っ込んでくる」
「武器が壊れたら無理せずに戻ってきてください。援護しますから」
大塚の高枝切りばさみにガタがきているのは南藤も気付いている。
「食えない奴だ」
呟いた大塚が駆け出し、冒険者の頭上を跳び越えて滑落ヤギの群れの中を派手に斬り進み始めた。バフォメットに己の存在を示すためにあえて派手に立ち回っているのだ。
大塚を見送った南藤は隣の室浦に無線機を投げ渡す。
「バフォメットを爆発に巻き込む直前に声を掛けるので、無線機で前線の橙香たちにも呼びかけてください」
「あぁ、分かったよ。というか、あんたなんでそんなに冷静なんだい?」
「作戦通りに進んでいますから、慌てる事もないでしょう?」
「それはそうだろうけどさ」
「それより、始まりますよ」
南藤がバフォメットを指差す。
迫ってくる大塚に気付いたバフォメットが警戒するように冒険者全体を見回し、翼を一打ちしていた。
途端に吹き荒れる強風。吹き乱れる大粒の雪と爆弾綿毛がバフォメットを中心に周囲へ散らばっていく。
南藤は左手にスマホを、右手にはドローンを操作するためのコントローラーを握り、作戦行動を開始した。
すなわち、バスタオルを保持するドローン二機を、バフォメットを中心とした乱気流の中に突っ込ませたのだ。
「あんなことしたら墜落するんじゃないの?」
そばにいた室浦がドローンの行方を目で追う。すでに雪と爆弾綿毛の中に隠れてドローンやバスタオルの姿は見えない。
ただでさえ激しい乱気流の中だ。広げたバスタオルという風に煽られやすい物を広げて飛び込めば墜落を予想するのが当然だった。
しかし、南藤はスマホの映像からドローンの姿勢を把握しつつ、コントローラーを細かく動かして苦も無く姿勢を維持していた。
スマホ画面に映った白く巨大な影に向けて、南藤はドローンを直進させる。
「起爆します。注意してください」
周囲の冒険者に呼びかける。室浦が無線機で呼びかけると、冒険者たちが来る爆風と光に備えて目を細める。
直後、空中に巨大な光が生まれた。爆炎と爆風が中空を暴れまわり、その熱量が降り続いていた雪を溶かしきる。
浮島全体を揺らすほどの爆音が鳴り響き、音の波が鼓膜のみならず体全体を震わせる。
今まで地上で散発的に起きていた爆発とは規模も威力も比較にならないその大爆発に巻き込まれたバフォメットが落ちてくる。白かった体毛は黒く煤け、立派だった角は跡形もなく消え去り、羽根は根元から吹き飛ばされて見る影もない。
三十メートル上空から真っ逆さまに落ちたバフォメットの巨体が浮島に衝突して激しい落下音を生じさせる。
役目を終えた南藤は室浦に声を掛けた。
「とどめを刺す様に通達をお願いします」
無線機越しに橙香へ呼びかける室浦を横目に、南藤はスマホ画面を見てため息を吐いた。
あれほどの爆発である。中心まで爆発物である爆弾綿毛を持って行ったドローンが無事で済むはずもなく、スマホ画面は真っ黒だった。ドローンが大破というのもおこがましい惨状になっているだろうことは容易に想像がつく。
帰ったら新しく作り直さないといけないな、と南藤はスマホをポケットに仕舞った。
『――バフォメット討伐完了!』
橙香の元気な声が聞こえてくると同時に、冒険者を囲んでいた滑落ヤギが糸を失った操り人形のようにバタバタと倒れて霧散する。
「あ、ヤバい」
消えていく滑落ヤギを見て、南藤が初めて慌てた。
この期に及んで何が起きるのか、と冒険者たちがぎょっとした顔で振り返った正にその時、南藤の身体が傾いだ。
「おい!?」
慌てて支えようとした室浦の手を跳ね除けて地面に手を付いた南藤は――吐いた。
何事かと室浦は一瞬思考を止め、消えていく滑落ヤギが魔力で出来ている事を思い出す。
「……魔力酔いかよ、紛らわしい!」