第二十二話 ハイエナクラン
第六階層は以前に来た時と変わらない景色だった。
高い空の上、大小さまざまな島が点在する。空中に浮遊したそれらの島の間には石の天然橋が渡っている。
島の縁に立って下を見やれば白い雲が流れている。雲の下へと目を凝らせば、見えてくるのは何もかもを呑みこむような真っ暗闇だ。
階層スロープがある中程度の島から伸びている橋は四つ。冒険者たちは周囲を警戒しながらもチームごとに分かれて探索を開始した。
「南藤、魔物は?」
大塚が短く質問する。
南藤が操っているドローンは一機。カメラ類を搭載し、攻撃手段は近距離用のパイルバンカーのみという毬蜂だ。
毬蜂は浮島のさらに上空で不意打ちカラスやツバメ型魔物である丸呑みツバメの攻撃をひらりひらりと躱しながら周辺の偵察を行っている。
その間にも、冒険者たちの多くは見晴らしの良さそうな平原の浮島などに向かって移動を開始していた。
南藤は動き出す冒険者たちを横目に見つつ、魔物の姿を毬蜂で探して方向を指差す。
「北」
「北か。数と種類は?」
階層スロープの出入り口が向いている方向を便宜上北とするのが冒険者たちの慣習だ。
南藤はドローンの映像を確認して、魔物についての情報を伝える。
「ヤギ十二、ツバメ七、綿毛、密集して、わからない……タンマ」
「タンマ?」
そんな魔物は知らない、と大塚が聞き返そうとした時、南藤は島の端で吐き始めた。北側へ向かう冒険者の一人が「えんがちょ」と呟いているが、南藤の耳には入っていない。
呆れ顔の大塚と、苦笑を浮かべた室浦、心配して南藤の背中をさする橙香に見守られてしばしの時間が経った頃、南藤は再び機馬に乗り込んだ。
「ごー」
「言いたいことがないわけじゃねぇが、まあいい。北に向かおう」
北を指差す南藤に言葉を飲み込んで、大塚が歩き出す。
北の浮島へと伸びる橋は全長五百メートルほど。幅はおおよそ二十メートルとなかなか広いが、飛行型魔物の奇襲を受けやすい上に退路が限定されているため素早く渡り切りたい場所だ。
橋を渡りはじめると、南藤がすぐに危機を知らせた。
「下方、ツバメ、二」
「橋の下に巣でも作ってんのか」
橋の両側から飛び出してきた丸呑みツバメを見て、大塚が右側へ走り出す。
「室浦は左だ」
「分かりました、先輩」
左右の丸呑みツバメに対処するために分かれた大塚が得物の高枝切りばさみを槍のように突き出す。
次の瞬間、高枝切りばさみの刃部分が一回り大きくなり、前方へと高速で射出された。丸呑みツバメはその高い機動力であっさりと飛んできた刃を避ける。
勢いに任せて距離を詰めてきた丸呑みツバメに慌てる事もなく、大塚は高枝切りばさみを逆袈裟に振り上げた。
高枝切りばさみには先ほど射出されたはずの刃がしっかりとついており、態勢がやや崩れていた丸呑みツバメは避けきれずに右の翼を切り落とされ、橋の上を無様に転がる。
「よっと」
転がった先にいた橙香が正確に頭を踏み抜いて息の根を止めた。
反対側では室浦が飛び込んできた丸呑みツバメの前にバスタオルを広げていた。時速六十キロメートルは出ている丸呑みツバメを正面から受け止める態勢だ。
丸呑みツバメがさらに加速し、嘴を正面に突き出す。バスタオルを突き破ろうというのだろう。
室浦は闘牛士のように物怖じせずに丸呑みツバメを見据えると、接触の瞬間にバスタオルをたわませて丸呑みツバメの突進の衝撃を和らげ、身体を右側へ半身ずらす。
バスタオルは魔力強化で強度が増しているらしく、丸呑みツバメの鋭い嘴でも穴ひとつ開いていない。当然、突き破れなかったバスタオルに絡め取られた丸呑みツバメはその場で簀巻きになって転がった。
「はい、搾っちゃおうねー」
ギュッとバスタオルが一瞬で収縮する。室浦の握力で行われた動きでない事は一目瞭然だった。バスタオルには動作を制御する何らかの魔力強化も施されているのだろう。
簀巻きの状態で包んでいたバスタオルが収縮すれば、中にいた丸呑みツバメは骨も肉も分からないほどひどい状態になる。しかし、バスタオルは赤く染まるだけで、血の一滴も滴らなかった。水分の吸収量を上昇させる魔力強化まで施されているようだ。
一滴の血も無駄にしない効率の良さが複数の魔力強化を行える理由なのかもしれない。
室浦がバスタオルの端を持って広げると、丸呑みツバメだったモノが転がり出てくる。水分をあらかた吸われたせいで干からびたそれは速やかにダンジョンに吸収されていった。
「そっちのツバメも血を取っておこうか」
橙香に頭を踏み砕かれた丸呑みツバメの死骸を室浦はバスタオルで包んで絞る。
聞くに堪えない音がしたがそれもすぐに収まり、先ほどと同じように水分を吸い取られた死骸はすぐにダンジョンに吸収されていった。
大塚が南藤を見る。
「終わりか? なら行くぞ」
問いかけに頷いた南藤を見て、大塚は不機嫌に歩き出す。
後を着いて行きながら、橙香は大塚に声を掛けた。
「刃を飛ばしたのって魔力強化の産物ですか?」
「そうだ。原理的には物体の巨大化なんかと同じ、魔力で出来た疑似物質を作り出す能力だ。魔力のある場所でしか使えないがな」
飛行型の魔物に対抗するために行った強化らしい。
橋を渡り切って浮島に到着する。
半径三キロメートル以上の巨大な浮島に人の手が入っていると思しき整然と並んだ樹木が高さ五メートルほどのところで葉を茂らせている。頭上を覆う緑の葉は肉厚で正円形をしており、樹皮は薄く緑を帯びていた。
「見た事のない木だね。芳紀、知ってる?」
橙香が樹皮を眺めながら訊ねると、南藤は首を横に振った。
「芳紀が知らないなら地球の木じゃないんだね」
「南藤君が博識なのかは知らないけどさ、ないとも言えないだろう?」
「言えるんだなぁ、これが」
ちっちっちっと人差し指を左右に振りながら、橙香は室浦に言い返す。
「魔物じゃないならどうでもいい事だ。さっさといくぞ」
新種の木に興味がないらしい大塚が樹木の隙間を警戒しながら歩き出す。
うっそうと茂っているわけではないが、樹木が遮蔽物となるため視界が悪い。頭上を覆う葉でドローンによる高所からの索敵もできない。
しかし、南藤が操るドローンは木々の隙間を縫うように飛びまわって周囲を絶えず索敵していた。よどみのないドローンの動きを目で追った室浦が感心したような顔をする。
「三時、ヤギ、三」
右斜め前から滑落ヤギが三体接近していると南藤が警告する。大塚が長さを調整した高枝切りばさみを構えて襲撃に備えた。
器用に木々の隙間に体をすべり込ませながら、今までの階層よりも一回り大きな滑落ヤギが駆けて来る。
だが、木々という障害物は滑落ヤギではなく大塚に味方していた。
突き出された高枝切りばさみから刃が射出され、左右の木のせいで避ける事も叶わず滑落ヤギが突き殺されていく。
それでも最後の一体が大塚に肉薄する直前、付近に爆音が鳴り響いた。
音に驚いた滑落ヤギが体をこわばらせたのを見逃さず、大塚が高枝切りばさみを振るって首を刎ね飛ばす。
転がる滑落ヤギの頭部には目もくれず、大塚は警戒するように周囲を見回した。
「何の音だ。どこかの冒険者が爆薬を使ったのか?」
「話に聞いた爆弾綿毛じゃない? ライオットシールドを吹き飛ばしたっていう」
室浦が予想を語り、真偽を確かめるように南藤に視線で問いかける。
ドローン毬蜂を空へと上昇させて俯瞰的に島を観察した南藤がスマホ画面を橙香に見せて北西の方角を指差す。
画面に映し出されていたのは森の中にぽっかりと空いた広場だった。激しい爆発で周辺の木々をまとめて吹き飛ばしたらしく、倒木が何本か転がっている。爆心地に人の姿はなかったが、しばらく画面を覗いていると恐る恐るといった様子で爆心地へと足を踏み入れる三人組の姿が現れた。どうやら、彼らが爆弾綿毛の爆発を引き起こしたらしい。
「その爆心地を見に行くぞ。威力を確認したい」
「つーか、この見通しの悪い森の中を爆発物がフワフワ漂ってるっての? 怖いなぁ」
言葉とは裏腹にさほど深刻そうには見えない顔で室浦が呟き、北西に向かって歩き出す。
辿り着いた爆心地は半径五十センチメートルほどの小規模なサークルだ。
「爆弾綿毛一個分ってところかな。どう思う、芳紀?」
「同意」
魔力酔いで喋るのが億劫なのか、南藤は会話を極力単語で済ませようとする。
樹木の根が守ったのか、地面に抉れた様子はない。すこし焦げた倒木も細い物ばかりだ。
生身で受ければ危険な威力ではあるが、遠距離から攻撃して爆発させる形で対処すれば安全に倒せるだろう。
しかし、室浦はあまりいい顔をしなかった。
「起爆条件が良く分かんないね。触れたら爆発って事ならあちこちで吹き飛んでると思うんだ」
「生物に触れたら爆発って条件かもしれねぇな」
「冒険者に触れたら、じゃなくて? それに、橙香ちゃん達と潜ったクランのタンク役はライオットシールドで受けたって話じゃないか」
大塚と室浦が意見を交わしている間に、南藤が橙香に声を掛ける。
「死骸、探し」
「爆発に巻き込まれた生物の死骸があるかどうかって事だね。分かった」
橙香は南藤の指示に従って爆心地周辺を見て回り、倒木を持ち上げたりしてくまなく探す。さらりと片手で持ち上げているが、いくら細いとはいえそれなりの高さに育った木であるため重量は百キロ弱はあるはずだった。
「何もないね。ダンジョンに吸収されちゃったかも。これじゃあ何もわからないね」
「いや、そうでもねぇぞ。装備品が残ってないって事は冒険者がやられた可能性は低いって事だ。南藤、いま橋を渡って撤退している冒険者はいるか?」
「いない」
「決まりだな。冒険者はやられていない。安全に爆発させる方法があるか、他の魔物に触れるか何かで自然に自爆したかだ。条件を探るぞ。南藤、爆弾綿毛の場所へ案内しろ」
「九時」
「分かった」
北西に進むことしばらく、森の切れ間、すなわち浮島の端まで来ると空の上を飛ぶ白い綿毛が無数に見えた。
浮島と浮島の間の何もない空間を風任せに漂うそれの一つ一つはさして大きなものではない。しかし、密集した爆弾綿毛は雲と見間違うほど大きくなっていた。
「遠すぎるな」
距離にして二百メートルほどあるのを見て、大塚が首を横に振る。
「飛び出す刃で攻撃できないんですか?」
「射程はせいぜい十メートルだ。隠し玉を使ったところで届きはしないだろう。もっとも、届いたところで、こんなところでやりたくはないな」
「だってさ、芳紀」
橙香が振り返ると、南藤はのろのろとした動きで索敵に出していたドローン毬蜂を手元に戻し、代わりに遠距離攻撃が可能な団子弓を取り出した。
宙に浮かびあがった団子弓は爆弾綿毛の群れに狙いを定めると搭載された空気銃でペイント弾を射出する。
飛んで行ったペイント弾は障害物一つない空の上を飛んでいき、爆弾綿毛に着弾すると中の塗料をぶちまけて白い綿毛を赤く染め直した。
「……爆発しないね」
「衝撃でドカンってわけじゃあないようだね」
観察していた橙香と室浦が口々に呟く。大塚が南藤に声を掛けた。
「南藤、どう思う?」
「……動物が距離で爆発」
「日本語で話せ」
大塚は南藤の意味不明な言葉に言い返す。しかし、翻訳できる者がすぐそばにいた事を思い出して橙香を振り返った。
橙香は不思議そうに首を傾げている。ダメか、とそう思った時、橙香は口を開いた。
「動物が一定の距離に入ったらという条件で爆発するって芳紀は言いたいんだよ」
「圧縮言語だったのか」
「この程度は初級編だね!」
「胸を張る理由が分からん。おい、室浦、こいつらの相手を頼む。頭が痛くなってきた」
「今回の探索に誘ったのは大塚先輩なんだから自分で面倒見てください」
「お前、やけに俺に対する当たりが強くなってないか?」
「気のせいでしょ。あなたの後輩はいつも優しく人一倍先輩の事を考えて生きてますよ?」
「ちっ。言ってろ」
話を切り上げて、大塚は北に向けて歩き出す。
大塚の背中に室浦が声を掛けた。
「もう爆弾綿毛はいいんですか?」
「ここに居ても距離が遠すぎて満足に観察もできねぇだろうが。……それに、後をつけられてるしな」
後半は小声でメンバーに聞こえるように言って、大塚は振り返らずに足を早める。
確かに、階層スロープからずっとつかず離れずの距離を保って追いかけてくる一団がいる事に橙香たちも気付いていた。
攻撃を仕掛けてくる様子がないため放置しているが、あまり気持ちの良いモノではない。
「……何が目的だと思いますか?」
橙香が小声で室浦に訊ねる。
室浦は小さく肩を竦めた。分からない、という意思表現だろう。
「ハイエナだとは思うけどね。なにせ、あれはクラン『†慈悲深き電光†』だ。評判の悪いゴロツキクランだよ」
古いヤンキーのような格好の室浦が言うとブーメランが返ってきそうなセリフである。
あれがそうなのか、と橙香は後ろを振り返りそうになるのを堪える。すると、横からスッとスマホが差し出された。
「芳紀、ありがと」
スマホ画面に望遠カメラで捉えられた追跡者四人組の姿が映されているのを見て、橙香は礼を言う。
追跡者四人は木刀とライダージャケットにジーンズという統一された出で立ちだ。頭部を保護するのは悪趣味な色合いのフルフェイスヘルメットである。
森のある浮島からさらに北へと進み、小山のある浮島、沼地の浮島などなどを越えていく。
追跡者はなおもつかず離れずの距離を保ってくるが、戦闘に割り込んでくるわけでもなければ直接的に危害を加えてくる様子もない。
大塚が舌打ちして南藤を見た。
「魔物が大量に居る場所へ案内しろ。後ろのゴロツキ共も激戦地に近付いてこねぇはずだ。魔物を殲滅した後で走って振り切るぞ」
「七時」
「数は?」
「ツバメ二十三、カラス十七、ヤギ八、綿毛複数、新種クマ」
「新種か。おもしろい。よし、行くぞ」
歩き出す大塚に続きながら、橙香が南藤を見る。
「第六階層に入ってどれくらい経った?」
「五時間」
「道理でお腹がすくわけだね」
階層スロープから渡ってきた浮島の数は大小揃えて十三か所。各所に冒険者が散らばっている影響か、魔物の襲撃は非常にまばらだ。大塚は魔物がいる方向を教えるよう南藤に要求しているため、魔物を襲撃する回数の方が多いくらいだった。
次の浮島への天然橋を渡っていると、南藤が大塚を呼び止めた。
「昼、坂」
「いや、意味わからん」
「十二時の方向に階層スロープがあるってさ」
橙香が翻訳した内容に眉をピクリと動かし、大塚は十二時の方向、次の浮島を見る。
一際巨大な浮島だ。直径は二百数キロメートルはある。いくらか離れたこの場所からさえ全体像が分からないが、山が三つ連なっているようだ。一つ一つの山が大きく、麓の部分には木が生い茂っている。
南藤はドローンを用いて高所から撮影する事で階層スロープを発見したのだろう。
もっとも、大塚は階層スロープの発見報酬には一切興味がない。
「先に魔物を殲滅する。構わないか?」
「ボク達もお金に困っているわけじゃないから大丈夫だよ。それに、第七階層ともなるとボスがいる可能性があるんでしょ?」
「あぁ、ダンジョンによってボスがいる階層は違うが、乙山ダンジョンくらいの規模だと第七階層か八階層にボスがいる。確実に殺すなら周辺の冒険者を集めた方がいいだろうな」
「あたしも先輩に賛成。いくらダンジョンを潰したくても返り討ちにあったら意味ないしね」
ひとまず魔物を殲滅するため、一行は浮島に足を踏み入れる。
次の瞬間、山の中腹で爆炎が吹き上がった。
思わず足を止めた橙香たちは一斉に南藤を振り返る。
「なに、今の」
「ヤギ、ドカ」
「滑落ヤギに爆弾綿毛が接触して、あんな規模の爆発になったの?」
今までとは明らかに違う規模の爆発だった。音だけでなく爆炎が確認できたのがその証拠だ。
「あの綿毛、誘爆しやがるのか。面倒だな」
「生き物との接触で爆発するってのはほぼ確定したのが収穫かね。てか、他の魔物は残ってんのかい?」
室浦の問いかけに頷いて、南藤は機馬から出力した地図を差し出し、一点を指差した。どうやらそこに階層スロープがあるらしいマークがついている。
「スロープを守ってる魔物か。定番だな」
獰猛な笑みを見せて、大塚が階層スロープへ向かって歩き出す。
山の中腹にある洞窟のような場所が目的地だ。麓からは木々が邪魔で確認できない。
しかし、山の中腹からはこちらが枝葉の隙間から見えているのだろう。翼が空気を叩く音がして、頭上を丸呑みツバメと不意打ちカラスが飛んでいた。
枝が邪魔でお互いに攻撃できずにいるが、丸呑みツバメたちは仲間に大塚たちの位置を教える役割を担っているらしく太い声で規則性のある鳴き声を上げている。
「突っ込んでくるな」
遠くからパキパキと枯れ枝を踏む音が聞こえてくる。
木々の間からぬっと姿を現したのはブルドッグのような顔をした黒い熊だった。潰れた顔には上向きに鋭い牙が二本生えており、筋肉質の身体は体高一メートルほどと熊にしては小柄にもかかわらず非常な威圧感を伴っている。
クマ型の魔物は大塚と目が合うと同時にその不自然なまでに太い腕を振るって手近にあった木を叩き折った。開いた空間から不意打ちカラスが落下スピードを乗せて飛び込んできたかと思うと、地面すれすれで大塚に向けて軌道を変え、高速で飛びこんでくる。
「そうくるか」
大塚が詰まらなそうに呟き、爪先で地面を抉って土を不意打ちカラスに向けて蹴りあげる。
土に視界を塞がれて大塚を見失った不意打ちカラスだったが、直前まで大塚のいた位置が分かっている上に今さら片足で回避行動がとれるはずがないと本能でわかっている。軌道を変えることなく飛び込み――土の向こうから現れた高枝切りばさみに切り飛ばされた。
不意打ちカラスを切り飛ばしたその勢いのまま高枝切りばさみが振り抜かれ、クマ型魔物に向けて刃が飛ばされる。
クマ型魔物が防御のために突き出した左腕へ刃は食い込み半ばまで切断する。すると役割を終えた事を悟るように刃は消えて行った。
その頃にはすでに大塚の次の一撃が繰り出されている。距離を詰めながら高枝切りばさみを突き出して次なる刃を射出し、クマ型魔物に防御を強いる。
無事な方の右手で刃を叩き落としたクマ型魔物だったが、捨て身で飛び込んできた大塚の高枝切りばさみに胸を刺し貫かれて後ろに倒れ込んだ。すでに目からは光が失われている。
「ちっ見かけ倒しか。他愛もない」
血を浴び足りないとばかりに大塚は高枝切りばさみを頭上へ突き出す。上空を飛んでいる丸呑みツバメを狙っての攻撃だったが、標的はすでにどこかへと飛び去っていた。
再び舌打ちした大塚はクマ型魔物の死骸処理もそこそこに階層スロープへ歩き出した。
クマ型魔物の血液を一滴残らず吸い尽くしたバスタオルを持って、室浦が後を追う。
「芳紀、後をつけてる人たちってどうなったの?」
「消え」
「振り切ったってこと?」
「知らず」
橙香は後ろを気にしたが、南藤を乗せた機馬が動き出したため並んで歩き出した。
すぐに問題の洞窟が見えてくる。入り口には巨大なツバメの巣があり、丸呑みツバメが飛び交っていた。
「数は七か。洞窟から何か出てくるかもしれないが、やっちまうか」
大塚が洞窟へ歩み寄る。接近に気付いた丸呑みツバメが警戒音らしき鳴き声を発すると洞窟から一体のクマ型魔物が現れた。
「上等だ」
大塚が高枝切りばさみを構えて丸呑みツバメの巣へと駆けこむ。
「ったくもう、先輩の猪!」
悪態をつきながら、室浦が後に続き、バスタオルの端を掴んでくるりと大きく一回転させる。たった一回振り回しただけにもかかわらず、遠心力でバスタオルの端は鞭の先のようにパチンと空気を叩いた。
「先手必勝っと」
室浦が足を止めると同時に遠心力を乗せてバスタオルを振り抜く。すると、バスタオルの先から透明な水の塊が飛び出した。それも、一人用の浴槽ならば半分近く満たせてしまえそうなほど大量の水だ。明らかに質量保存を無視してバスタオルから放たれたその水の塊は音速に近い勢いで空中を飛び、丸呑みツバメの巣をその主ごと粉砕する。
激怒した他の丸呑みツバメが一斉に室浦へと飛びかかるが、そのうちの一体は突然目の前に現れたドローン毬蜂のパイルバンカーに頭を貫かれて力なく地面へ落下する。
それでも残り五体の丸呑みツバメは怯まずに室浦へと襲い掛かるが、横合いから振り抜かれた鉄塊により地面に叩きつけられて三体が絶命する。
残り二体は室浦が避けに徹して木の裏へと隠れたため攻撃を仕掛けられず、木の横を通り抜けた瞬間に待ち構えていた室浦のバスタオルに翼を絡め取られて地に落ちた。暴れて抵抗するのもむなしく、魔力強化されたバスタオルが室浦の意思に応じて徐々に丸呑みツバメの翼を砕き、傷口からその血液を際限なく吸い取っていった。
急速に血液を奪われている事を自覚して死の恐怖に怯え騒ぐ丸呑みツバメ二体を冷ややかに見下ろして、室浦は呟く。
「人を襲うからだよ」
後に残ったのは干からびた丸呑みツバメの死骸が二つだけ。
興味が失せた室浦はバスタオルを回収して大塚へと視線を向ける。
視界に飛び込んできたのは、フルフェイスヘルメットを被った四人組が洞窟へと駆けこむ後姿だった。
「おいこら、そっちは階層スロープだ。少数で突っ込むな!」
近くでクマ型魔物と戦闘中だった大塚が呼びとめようとするが、最初からこのタイミングを狙っていたらしい四人組は聞く耳を持たず、それどころか高笑いを響かせた。洞窟に反響した高笑いの後から彼らの声が続く。
「七階層発見報酬もーらい!」
「案内ごくろー!」
「露払い乙!」
「キノコ狩りマジ便利でキモいわ!」
なにが愉快なのか、大笑いしながら四人組は洞窟の奥へと走り去っていく。
最初から、南藤の索敵能力やマッピング能力を踏まえて階層スロープの発見報酬を横取りするつもりだったのだと、室浦たちはいまさらながらに気付いた。
橙香は首を傾げる。
「あの人たち、芳紀のドローンが撮影している事は知らなかったんだね」
通常であれば、階層発見報酬は最初に到達した事を証明する写真などを異世界貿易機構に提出して認められる。
しかし、今回は南藤のドローンが階層スロープらしきものを発見した瞬間や彼らが横取りを目的に行動していると考えられる証拠音声が録音されている。
彼らは出し抜いたつもりかもしれないが、ほとんど自白したようなものだ。
何となく微妙な空気が流れるが、大塚はその間にクマ型魔物の両腕を切り飛ばし、首を刎ねていた。
クマ型魔物の絶命を確認すると、大塚は高枝切りばさみを肩に担ぐ。
大塚の顔に浮かんだ表情を見た瞬間、室浦が駆け出した。
「先輩、待って!」
室浦の制止を無視して、大塚が全速力で階層スロープへ駆けだした。
「――え? なに?」
突然の追いかけっこに、橙香は目を丸くして困惑する。
しかし、南藤が橙香の手を引き、洞窟を指差して言葉少なに説明する。
「大塚が助け死に」
南藤の圧縮言語を一瞬で理解した橙香は即座に駆けだした。
階層スロープの先、第七階層にはボスがいる可能性がある。初見のクマ型魔物すら瞬時に倒してみせる大塚でさえ、他の冒険者と連携して倒しに行くべきだというほどダンジョンボスは強力な魔物だ。
大塚の目的がダンジョンに吸収されただろう恋人の後を追う事ならば、ダンジョン内で善行を成して死ぬのが条件だと考えている。そう南藤は以前に話していた。
ならば、大塚はボスと遭遇するだろう先ほどの四人組を助ける名目でボスと対峙し、死ぬつもりなのだ。
「もう自己中ばっかり!」
文句の一つも言いたくなって橙香が叫んだとき、腰につけた無線機から南藤の声がとぎれとぎれに流れ出す。
「……スロープ発見……場所……」
他の冒険者を呼び寄せているらしい。
応援が来るのならやるべきは大塚たちとの合流、場合によっては撤退支援だと心に決めて、橙香は加速した。
背後から機馬の足音が聞こえてくる。もう追い付いてきたらしい。
橙香はほっとして後ろを振り返る。
「……ふぇあ」
「芳紀、魔力酔い……」