第二十話 感情論
「お二人とも、どうしたんですか。ひどい顔をしていますよ?」
異世界貿易機構の杷木儀赤也は南藤と橙香をみて開口一番そう言った。
用意された椅子に座りながら、南藤は壁掛け時計を見る。
時刻は午前十時半。九日前の夜、大塚たちとともに焼肉を食べた帰りに異世界貿易機構が支部を置いている中学校を訪問した南藤たちは第五階層、第六階層の階層スロープに関する情報やツバメ型魔物などの情報を伝えている。今日は地図の販売に関する規定の確認や権利書類の記入に訪れていた。
「今朝入ったお店ですごく美味しくないうな重を食べて、不機嫌なんです」
「朝からうな重なんて食べるからバチが当たったんじゃないですか?」
若干の嫉妬をにじませて、杷木儀が肩をすくめる。
仮にバチがあったのだとしても、先ほど遅い朝食に食べたうな重は酷かった、と南藤は思い返す。
「焼きが下手なのか何なのか、うなぎは濡れせんべいみたいな平たさで、しかも小さいんですよ」
「それは……ハズレですね」
想像してしまったのか、杷木儀は少し同情をにじませる。
しかし、この程度で終わりではなかったのだ。
南藤の隣でお茶を飲んだ橙香が顔をしかめる。
「タレに使う醤油の分量を間違えてるらしくて口に入れた瞬間にすごくしょっぱいんです。口の中の水分を丸ごと奪い去る勢いでした。しかも、そんなしょっぱいタレをつけて焼いたせいかウナギの身はスカスカで、店側もそれがわかっているのか、タレに牛脂を加えてるみたいで獣くさくて微妙に甘くて、その甘さがただでさえしょっぱいタレの塩気を強めてるんです。口の中の水分を奪って油を塗りつけるみたいでした。しかも、店側は脂っぽさをごまかすためにこれでもかってくらいに山椒を振っているんです。食べている間にタレのしょっぱさも感じないくらい山椒のぴりぴりした辛味で舌が麻痺して……」
橙香はお茶が入った湯のみを見下ろす。先ほど口をつけたそれの味は、山椒の影響から脱し切れていない舌では感じ取れなかった。
「……二度と行かない」
「怨嗟すらこもってますね」
ぼそりとつぶやかれた橙香の言葉を聞き、杷木儀は背中にうっすらと冷や汗をかいていた。食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
気を取り直して、杷木儀が書類を机の上に広げる。
「異世界貿易機構の担当者がダンジョン内に潜り、頂いた地図の確認をいたしました。実に正確な地図だったと、驚いていましたよ」
「ちなみに、何人で潜ったんですか?」
「十二人です」
「金満プレー」
「数の暴力」
「私どもに当たらないでください」
「はーい」
橙香が返事をして、南藤に書類を手渡す。
南藤は書類を受け取って、杷木儀に問いかける。
「早めに話を終えたほうがいいですか?」
「呼んでおいて失礼だとは思いますが、仕事が立て込んでいるので早く終わらせたいですね」
「わかりました。書類はこれで全部ですか?」
杷木儀が頷くのを見て、南藤は書類に視線を落とした。
上から下までざっと読むと、南藤は二、三の質問をして次の書類に目を通す。とても読んでいるとは思えないような速度ではあったが、質問の内容は熟読したとしか思えないものだ。
不思議そうな杷木儀の表情に気づいて、橙香が書類を指差す。
「芳紀は本とか読むのがすごく早いんですよ」
「基本スペックが高い人ですね」
「芳紀はすごく頼りになるんです」
わが事のように自慢する橙香に杷木儀が苦笑を返した時、南藤が契約書を読み終えた。
「橙香、ボールペンか何か持ってないか?」
「あるよ。ちょっと待ってて」
橙香が手元のポーチからボールペンを取り出す。南藤は書類に手早くサインして杷木儀に渡した。
階層スロープの発見報酬の振込先なども漏れなく記載してあるのを確認して、杷木儀が担当者印を押す。
「こちらが控えです。大事に保管しておいてください」
「芳紀、書類が増えるよ!」
「やったね!」
「突っ込みませんからね?」
スルーしきれないところに人の好さが出ているな、とくだらない感慨を抱きつつ、南藤は立ち上がった。
「もう他にありませんよね?」
「ないですね。これからダンジョンへ?」
「いえ、明日に備えて今日は休むつもりです」
「掲示板で募集していた第六階層へのツアーの件ですか?」
ふと厳しい顔になった杷木儀に違和感を覚えて、南藤は動きを止める。
杷木儀は咳払いをすると「オフレコでお願いします」と前置きして続けた。
「公式掲示板での依頼そのものは禁止されていませんが、今回の募集要項で集まるのはあまり褒められるタイプの冒険者ではありませんよ?」
「大塚さんの注文なもので」
「あの人ですか……」
言葉を濁した杷木儀は迷うような素振りを見せた後、続ける。
「復讐鬼とは何か、ご存知ですね?」
「大塚さんがそれに類する人だと目されている事も含めて、知っています」
「では、大塚さんについてはそれでいいでしょう。ですが、今回の募集で集まるだろうクランの一つ『†慈悲深き電光†』については知っていますか?」
「なんですか、それ」
聞き覚えのないクラン名に、南藤は間髪を入れず問い返す。
「やっぱり知りませんでしたか。公式掲示板しか見てないんですね」
「その口ぶりだと、かなり有名なところみたいですね」
「悪名ではありますが、有名です。ハイエナ行為の常習犯で実力は可もなく不可も無くといったところの四人組です。年齢は南藤さんと同じか、一つ上くらいでしょうか。以前、公式掲示板に他の冒険者に関する根も葉もない誹謗中傷を書き込んだ件で厳重注意を受けています。セクハラ被害の報告もありますね」
セクハラと聞いて嫌そうな顔をした橙香が口を挟む。
「そんな人たちになんでまだ冒険者をさせてるんですか?」
「冒険者業界は人手不足です」
「免罪符に使わないでほしいフレーズですね」
「面目ありません。法律上問題になるのがセクハラだけなのですが、被害届が出されていないんです。目撃証言はありますが、被害者はその後にダンジョンで死亡しておりまして」
「キナ臭いですね」
「殺人などを行う気概はないはずなので、偶然でしょうけどね。ともあれ、そういった不良冒険者が参加する可能性も視野に入れて、当日の行動予定を立ててください」
「参加者が死亡した場合の責任は自己責任である旨を募集要項に明記してありますが、それでも俺たちに責任が生じる場合がありますか?」
「助けられる状況下で見捨てた場合には道義的な責任を加味して異世界貿易機構から罰則を受ける可能性はあります。もっとも、助けられる状況だったかどうかの立証が難しいですけども」
南藤の脳裏を愛用のドローンが過ぎったが、戦闘中に撮影している余裕があるかもわからない。
ひとまず注意はしておくべきだという杷木儀の警告に礼を言い、橙香と共に支部を出た。
曜日の上では日曜日だというのに、今日も冒険者たちはダンジョンに潜っている。ダンジョン内で数日過ごす場合もある事から、冒険者の多くは曜日の感覚が希薄なのだ。
最寄駅へ向かうバスに乗り込み、奥の席に座る。
「明日、大丈夫かな?」
言葉とは裏腹にあまり心配するそぶりを見せない橙香が外の景色を眺めながら呟く。
「慈悲なんちゃらの事か?」
「覚えてるのに短くするんだね」
「長すぎるしな」
「その磁気とかじゃなくてさ」
橙香は覚えていないらしい。
「大塚さんのことだよ」
「あぁ、それか」
あまり深刻には考えていないらしい南藤の返事。
橙香は不思議そうに首を傾げて先を促した。付き合いが長い事もあり、橙香は南藤が他人の生き死にに淡泊ではない事を知っている。それだけに南藤の返事は腑に落ちなかった。
橙香の反応に気付いた南藤が続ける。
「大塚さんは復讐鬼っていうより死にたがりなんだ。ダンジョンの氾濫で死んだ恋人の遺体が見つからなかったんだろう」
「よく分からないんだけど」
「天国に行く条件は善行を成すことで、地獄に行く条件は悪行を成す事なら、天国に行った恋人を追いかけるために必要な条件は?」
「良い事をすればいいよね」
「ダンジョンは地球とは別の次元にあると言われている。いわば別世界だ。ダンジョンに吸収されたら天国にはいけないと唱えている宗教もある」
「……氾濫で亡くなった恋人はダンジョンに連れ去られて遺体がないから、大塚さんが地球で普通に死んじゃったら同じ場所に逝けないってこと?」
「そう考えてるんじゃないかって事だ」
論理的とはとても言えない、ただの感情論だ。だからこそ、始末に負えない。
クラン『踏破たん』のメンバーも復讐鬼が感情論で行動すると分かっていたからこそ、近付くな、情を移すなと警告していたのだろう。
「ただ、大塚さんはそう簡単には死ねない」
「どういう意味?」
「室浦さんが死なせないからだ」
「そういえば、ボクも相方を死なせないようにお互い頑張ろうって言われたよ」
「まぁ、その言葉も嘘ではないと思うけどな」
含みのある南藤の言葉に、橙香は再び首を傾げる。
「死なせないようにする以外に何かあるの?」
「死んだ奴には敵わないって事。ただの先輩後輩の関係で満足してないのにそれ以上踏み込めないって事だ」
「いつ恋バナになったのか、気付かなかったんだけど」
「しいて言うなら、最初からだな」
南藤は肩を竦めて話を打ち切る。
バスの車内アナウンスが終点である駅に間もなく到着すると告げていた。
南藤はスマホで時間を確認して、橙香に声を掛ける。
「これからどうする?」
「帰りにウナギを買って、夕飯はうな重リベンジで」
よほど悔しかったらしい橙香が決意も新たに拳を握る。気持ちを同じにする南藤も拳を握り、橙香の拳と軽く合わせた。