第十九話 新たなお誘い
第三階層から地上まで、戦闘は両手の指で数えられる程度しか起きなかった。その数少ない戦闘も魔物の数は同時に二体がせいぜいで、大塚が一人で鎧袖一触に討伐している。
無事に太陽の光を見てほっとしたのも束の間、荏田井たちはすぐさま勝屋を担ぎ上げて病院へと走っていく。
地上に出た事で魔力酔いが治った南藤はすっきりした頭で空を仰いだ。
すでに日は傾いて、明日の天気を予感させる夕陽の赤に染められている。
「――おい、南藤とか言ったか」
大塚に声を掛けられて、南藤は視線を向けた。
大塚は得物の高枝切りばさみの刃部分に布を被せながら南藤の持つコントローラーを睨んでいた。
「ドローンで魔物の索敵ができるなら、効率よく魔物を殺しに行けるはずだな?」
「できますよ」
「さっきの連中とはクランの仲間ってわけでもないはずだな?」
「誘われてはいますけど、勝屋さんが火傷でしばらく戦線離脱でしょうし、彼の使っていたライオットシールドも破壊されたので新しい物を強化し直す手間も考えると、しばらくは前線に出てこれないでしょうね。彼らのクラン『踏破たん』に加入する話はお流れか、保留でしょう」
機馬から降りながら南藤が現状分析を交えながら答えると。大塚は思案するような間を挟んだ後、続けた。
「近くに美味い蕎麦屋がある。奢ってやるから少し話をしよう」
「焼肉を割り勘じゃだめですか?」
「……意外と物怖じしないな。いいぞ、肉を食いに行こう」
大塚と話がまとまった時、橙香が不満そうに南藤の袖を引っ張った。
「保篠さん達のところに行った方がいいじゃないかとボクは思うよ?」
「いま行っても邪魔になるだけだ。勝屋さんの入院期間も含めて、彼らも今後の方針をまとめる時間が必要になる。その間に大塚さんとの話をまとめたい」
「芳紀がそう言うなら良いけど。お見舞いの品も買いに行かないとだよね。火傷の時ってお肉を食べた方がいいんだっけ?」
「細胞の組成が必要だからタンパク質とか亜鉛とか必須アミノ酸だけど、病院ならその辺は管理栄養士が献立を作ってるから俺たちが心配する必要はないな。暇つぶしになるような物とかでいいんじゃないか?」
「知恵の輪だね!」
「ローテクなものを持ち出すなぁ。嵩張らないし案外アリかもしれないけど」
室浦と話をしていた大塚が南藤に顎をしゃくって歩き出す。その方角に焼肉屋があるらしい。
「……何の話だろうね?」
「見当はつくけどな。すぐにわかるさ」
南藤は機馬を操作しながら大塚の隣を歩き出す。
背後を着いてくる機馬を一瞥した大塚が南藤に声を掛ける。
「魔力酔いは階層が深くなるごとに症状が悪化するはずだな?」
「第六階層まで行ったはずなんですけど、記憶にないです。目を回してたらしいですね」
「第六階層までの地図はいつ頃売り出される?」
「この焼肉を食べたらその足で異世界貿易機構に行って手続きを済ませます」
「十日かそこらはかかるな」
経験のない南藤には分からないが、階層スロープの位置を確認するために職員が潜る場合があるという。加えて、地図の複製コピーや権利関係の書類作成などで数日の期間を要するのが一般的らしい。第六階層に到達した冒険者が出たという情報自体は早ければ今日の内に公式サイトで告知されるだろう。
資金に困っていない南藤には特に思うところもないが、買う側である大塚はあからさまに不満そうな顔をしていた。
「さっさとダンジョンなんかぶっ壊したいんだがな」
吐き捨てるように言ってダンジョンの方角を睨みつけた大塚は正面に向き直り、道の先にある細い路地を指差す。
「あの路地を曲がったところに焼肉屋がある。冒険者は体力使うせいで肉を食いたがる奴も多いから、美味いぞ」
路地を曲がると、夕陽の赤い光に照らされた路地の奥に古民家風の店構えの焼肉屋があった。表にメニュー看板が出ていなければ店だとは気が付かないだろう。
入り口の引き戸を開けると、割烹着を来たおばさんが現れる。
「いらっしゃいませ。四名様ですか?」
「座敷が開いていればそこで」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
ぶっきらぼうな大塚の物言いにも嫌な顔一つせずに割烹着を来たおばさんは奥へ南藤たちを案内する。
霊界では和風建築の建物しかないため橙香は全く意に介していなかったが、室浦は興味深そうにきょろきょろと内装を見回していた。
「大塚先輩、こんな店を知ってんなら連れてきてくださいよ」
「いま連れて来ただろうが」
面倒臭そうに言い返した大塚は室浦を振り返りもしなかった。
通された座敷は掘り炬燵が置いてあり、ずいぶんと広々としていた。排煙用のダクトが天井からつるされており、中に電灯を入れた行燈が部屋の隅に二つ置かれている。
ずいぶんと高級そうな場所に連れてこられたものだと思いながら南藤はメニューを手に取った。
「芳紀、お金どれくらい持ってる?」
心配そうに内装を見ていた橙香が訊ねてくるのに、南藤は無言でメニューを差し出した。
メニューを見た橙香が安堵の息を吐く。店の内装には凝っているが、資金繰りが厳しくなりがちな冒険者相手に商売しているだけあって値段は手ごろだった。
「牛タンは外せないな」
「内臓系もいいよね」
メニューを見ながら話しあう南藤と橙香を見て、大塚は何かを確信したように頷き、うっすらと笑みを浮かべた。
「合格だ」
「うん?」
脈絡なく大塚がつぶやいた言葉に、南藤と橙香は顔を見合わせる。
室浦が呆れたような顔をして大塚を横目に見ているが、大塚は気にした様子もない。
「ダンジョンから出た直後に肉を食える冒険者は多い。だが、ベテランには多いってだけだ。経験の浅い奴ほどダンジョンで血を浴びるのに慣れてないから肉が食えなくなる。南藤たちはそれなりに場数を踏んでいるって事だろう」
「そんなにダンジョンへ潜ってませんよ?」
「なら精神的にタフなんだろう。いずれにしても合格だ」
「……合格した俺たちをどうするんですか?」
南藤が核心へと踏み込んだ丁度その時、座敷の入り口に割烹着のおばさんが現れた。
「メニューはお決まりですか?」
座敷に気まずい沈黙が下りるが、すぐに気を取り直した室浦が次々に注文を出す。
「みんな、飲み物はどうする? あたしは梅酒にするけど」
「俺は鍛高譚で」
「紅乙女」
「男どもはどちらも焼酎かよ。合法ロリちゃんは?」
「橙香です」
「そんなお酒は知らねぇなぁ」
ニヤニヤと笑いながら橙香をからかった室浦はドリンクメニューを渡す。しかし、橙香はメニューを見ずに注文を継げた。
「ウーロン茶でお願いします。……日本の法律だとお酒が飲めないので」
少し悔しそうな橙香の頭を南藤が撫でる。
「二十歳になったら飲みに来ような」
「初めてのお酒は芳紀と二人きりで飲むから良いんだもん」
「おあついねぇ、ご両人。注文は以上で」
からかうように南藤と橙香へ拍手した室浦が注文を終えると、おばさんは一礼して去っていった。
水を差された直前の話をどう切り出したモノかと互いに出方を窺っている内に、飲み物を持ったおばさんが帰ってくる。
乾杯もせずに胡麻焼酎に口をつけた大塚は、さも飲み物が到着するまで待っていたと言わんばかりに速やかに話を切りだした。
「合格したお前らに、第六階層へ案内してもらいたい」
「精神的なタフさや、場数がどうこうって話はあんまり関係なさそうな依頼ですね?」
返ってくる答えに見当がついている南藤だったが、答え合わせを兼ねて訊ねる。
大塚は横で睨んでくる室浦の視線を無視して口を開いた。
「魔物に囲まれても俺を捨てて逃げられる程度には合理的な判断ができる奴でなければ連れていけないからな」
「もう一つの理由は?」
「何のことだ?」
「いえ、なんでもないです。分かりましたから」
質問しておいて答えを求めない南藤の態度に目を細めて、大塚はちらりと横の室浦を見てから視線を戻した。
「引き受けてくれるか?」
「条件があります」
「言ってみろ」
「俺と橙香だけでは第六階層から戻ってくるのが難しいので、異世界貿易機構の公式掲示板で第六階層への潜入チームを募集させてください」
南藤の言葉に驚いたのは橙香だった。
橙香の感覚からすれば、第六階層からでも南藤と二人ならば安全に帰って来られるはずなのだ。何しろ、南藤の索敵能力があれば戦闘を避けて移動する事が出来るのはクラン『踏破たん』との帰還で実証されているのだから。
当然、第五階層から共に帰ってきた大塚と室浦も南藤の索敵能力については理解している。むしろ、その能力を積極的に利用して魔物を効率的に殺したいという提案でもあるのだから。
しかし、大塚たちにとっては困ったことに、戦闘の回数があまりに少ない上に大塚の戦闘能力が高すぎた事で第五階層から地上までにあった数える程度の戦闘では南藤と橙香の戦いぶりを見る事が叶わなかった。つまり、南藤たちの戦闘能力について嘘をつかれると正確な判断が出来ないのだ。
大塚は探るように南藤を見つめる。南藤はポーカーフェイスで紫蘇焼酎を味わうと、大塚の視線を真っ向から見つめ返した。
睨み合いの末、大塚が先に折れる。
「分かった。だが、募集要件については口を挟ませてもらう」
「大塚さんたちが出す条件は?」
「自己責任を徹底できる連中だ。復讐鬼ならなおいい」
「ろくな人選じゃないですね。公式掲示板で募集を掛けても運営削除を食らいそうです」
「自己責任の部分だけ強調すれば削除は喰らわない。実体験だ」
今までどんなパーティーを組んできたのか気になる発言ではあったが、削除されないのであれば問題はないだろう。
「それでは決まりですね。依頼内容としては第六階層への案内だけでいいですか?」
「その後も階層スロープの発見や索敵に同行してもらいたい」
「分かりました。ですが、俺は現状だと第六階層では魔力酔いの影響で何もできないので、身体の魔力強化をしてからになります。出発は十日後でいいですか?」
「構わない」
あえて地図の販売時期と重ねて提案したのだが、大塚は考える必要もないとばかり即答した。
大塚にとって、この依頼の肝は第六階層への案内ではなくその後の索敵や階層スロープの発見にあるという表れだろう。
ダンジョンの踏破は南藤と橙香の目的にも合致するため、否やはない。
細かい計画を詰めていると、料理が運ばれてきた。
網の上に肉を並べて火を通す。
「値段に反していい肉だな」
柔らかな肉からあふれ出る旨味の詰まった肉汁を味わいながら、南藤は言う。
隣でレモンを少しだけ付けて牛タンを頬張った橙香も嬉しそうに瞳を輝かせた。
「ダンジョンの中での味気ない食事とのギャップが凄いね」
「ダンジョンで何を食べたかなんてろくに覚えてないな。スープパスタくらいか」
「芳紀ってレトルト系はすぐに記憶から抹消するよね」
「橙香が手を加えると美味しいから覚えてられるんだけどな。特にダンジョンだと魔力酔いで記憶があやふやになるし、味覚も鈍くなってる」
と語りながら紫蘇焼酎を煽る南藤を珍妙な物でも見るように室浦が眺めている。
「二人は幼馴染か何か?」
「そうですよ。俺が中学生の頃かな。地元に橙香の一家が越してきて、それからの付き合いです」
「芳紀はあの頃からあんまり変わらないよね」
「橙香もな。主に身長」
「うるさいよ」
軽口を叩きあう南藤と橙香を眺めて曖昧に笑う室浦に、今度は橙香が問いかける。
「二人はどういう関係ですか? 会社の先輩後輩とか?」
「学生時代の陸上部繋がりさ。大塚先輩が二つ上で一年も一緒に活動してない。本当、ただの先輩後輩の間柄さ」
ただの、と口にする室浦の表情が一瞬陰ったのを、南藤は見ないふりをした。