第十八話 復讐鬼
慎重を期して第五階層を進む。
荏田井たちの予想に反して、魔物が襲ってくることはなかった。
それというのも、南藤の操るドローンが魔物を遠距離から発見し、かち合わないように一行の移動速度を調節していたからだ。
「南藤さん、マジで頼りになる」
「というか、行きは何で魔物に襲われたわけ?」
同じことを行きの道中でも行えばよかったのでは、と保篠が首を傾げる。
「行きは芳紀の体調が今よりも悪かったし、地図作成も並行してやらないといけなかったからだよ。芳紀は凄い頑張ってるんだからね!」
感謝してよ、と橙香が言う。言われずとも、南藤が地図作成などで多大な貢献をしている事を理解している保篠たちは感謝していた。
特に、今は勝屋の体調を心配しながらの道行きである。南藤の索敵能力のおかげで余計な戦闘を避けられているのだから、いくら感謝してもし足りない。
「もう少しで第四階層のスロープか。南藤さん、魔物の姿は?」
荏田井が訊ねると、南藤はドローンから送られてくる映像を確認しながら眉を寄せた。
「どうかしたの、芳紀?」
様子がおかしい事に気付いた橙香が鉄塊を担ぎながら南藤の口元に耳を寄せる。
南藤と何事かをやり取りした橙香は緊張した顔で荏田井たちを見回した。
「四階の階層スロープで二人組の冒険者がツバメを相手に大立ち回りをしているみたい。ツバメの数は二十を越えてるって」
「おいおい、多勢に無勢ってレベルじゃねぇだろ。救援に急ぐか?」
紫杉は反射的にそう言って、勝屋を振り返り難しい顔をする。
負傷者を連れて救援に向かっても下手をすると足手まといになると気が付いたのだ。かといって、救出組と居残り組の二手に分かれるには人手が足りない。
「救出は必要ないと思うよ」
橙香が紫杉に応えて、南藤の持っているスマホの画面を見せる。
そこにはツバメ型魔物を次々と斬り殺している男と水の玉らしきものを飛ばしてツバメ型魔物を撃ち落としている女が映っていた。彼らのすぐ後ろには階層スロープがあり、戦闘が難しいと判断すればすぐにスロープへ逃げ込む事が出来る位置取りをキープし続けている。
画面を覗き込んだ荏田井が眉をひそめた。
「この二人は……」
「知り合いですか?」
「藻倉ダンジョンで有名な復讐鬼です。乙山ダンジョンに潜っているという噂は本当だったんですね……」
「復讐鬼?」
橙香が訊ね返すと、荏田井は苦い顔をした。
「ちょっと前に話した、復讐を目的に掲げてソロでダンジョンに入り、魔物を虐殺してまわるタイプの冒険者を復讐鬼と呼びます。ですが、こういった手合いは建前として復讐を掲げているのがほとんどで、実際には死に場所を求めている場合が非常に多く、単騎特攻を繰り返した挙句盛大に散る花火のような奴ですよ」
苦い顔で語る荏田井を不思議に思いながら橙香が見つめているのに気付いた保篠がため息交じりに口を挟む。
「ちょっと前に、この乙山ダンジョンにも復讐鬼が居たんだよ。いっつもへらへら笑ってて人当たりも良くて気前もいい。だけど、魔物を見つけると能面みたいな顔になってさ。不気味な人ではあったけど、危ない所を救われたって人もいてね」
「居たってなんで過去形なんですか? ……まさか」
「死んだよ。あれはもう、自殺したって言った方が正確かな。第三階層で滑落ヤギの群れに襲われている冒険者パーティーを助けるために周囲の制止も聞かずに突っ込んでいったんだ。死に場所を見つけたって感じのとびきりの笑顔でね。あれを見た時、私たちに向けてたのは作り笑いでしかなかったんだと分かったよ。でもさ、あの人に助けられた人もその場にいたもんだから、見捨てるわけにもいかずに後を追った冒険者が何人か巻き添えになって死んだよ」
当時の事を思い出したのか、保篠は苦虫をかみつぶしたような顔でもう一度ため息を吐く。
「だから、荏田井も警告したでしょ。復讐を目的にソロで潜っている冒険者、復讐鬼には近寄るなって。情なり恩なりがあると巻き添え喰らって死んじゃうからさ」
予防策としては近付かないに越したことがないとの保篠の言葉に、荏田井たちが頷く。
橙香にはいまいち実感がわかない話だったが、理解するのは後回しにして話を戻した。
「それで、どうするの? 四階層への階層スロープ前が戦場になっている以上、向かうしかないと思うけど」
「そこなんだよな。荏田井、どうする?」
「相手が復讐鬼なら階層スロープの発見報酬でもめる事もないはずだ。戦闘の終結を見計らって接触し、話をつけよう」
「そうなるか。南藤さん、戦況は?」
「……もうほとんど終わりみたいだよ」
南藤から画面を見せてもらった橙香が告げると、誰からともなく階層スロープに向かって歩き出した。
ほどなくして雷雨の先に見えてきたスロープの前では一組の男女が夕食らしきパンを齧っていた。
荏田井たちをいち早く見つけた男が、刃が片方しかない高枝切りばさみを片手に立ち上がる。
「ドローンを飛ばしていたのはあんたらか」
三十歳ほどの男は挨拶もせずに荏田井たちに声をかけ、睨んだ。
「こそこそと人の戦いを観察するとはどういうつもりだ?」
「ちょっと待ってください。そちらの戦力を調べるような意図で飛ばしていたわけではありません」
ダンジョン内を歩く殺人鬼の集団だと勘違いされている事に気付いた荏田井がいち早く訂正し、背後の勝屋を手で示した。
「第六階層まで行ったんですが、魔物らしきものにやられて撤退しているところなんです。ドローンを飛ばしていたのは進路上の安全を確認する為であって、そちらと敵対する意思はありません」
「……そうか。すまなかった」
身の安全を確保するために警戒していただけで、本気で荏田井たちを殺人鬼だと疑っていたわけではないらしく、男はあっさりと引く。
構えていた高枝切りばさみも肩に担ぐようにして攻撃の意思がない事を示した男はスロープへ勝屋を手招いた。
「怪我人がいるならこの雷雨の中で話すのはつらいだろう。スロープに入っておけ」
「ありがとうございます」
衝突が回避できたことに安堵した様子の荏田井が代表して礼を言い、全員でスロープへと入った。
すると、パンを齧っていた女が顔を上げて橙香を一目見た瞬間、驚いたような顔をした。
「合法ロリちゃんだ。こんな深くまで潜ってんだね。驚いた」
「もしかして、蕎麦屋にいた人?」
「そうそう。お姉さんだよ」
さっぱりした笑みを浮かべた女は仲間の男を指差して肩を竦める。
「ツレが悪いことしたね。まぁ、魔物を殺すこと以外に興味のない人だから、本気で戦おうとは思ってなかったはずさ。許してくれ」
「いえ、ダンジョンの中では警戒するのが当然なので」
「ありがと。大塚先輩、今日のところはここで引き返そう」
女が声を掛けると、大塚と呼ばれた男はあからさまに不満そうな顔で振り返った。
「室浦、なんで引き返さなけりゃならないんだ?」
「さっきのでかい飛行型魔物について異世界貿易機構に報告するのが一つ、もう一つは、疑ったお詫びにそこの怪我人たちの護送をするべきだって理由だよ」
「……ちっ」
舌打ちした大塚は第五階層の雷雨を名残惜しそうに一瞥してから立ち上がった。
「第六階層からここまで帰ってきてる時点で護衛なんかいらないと思うんだがな。そっちの意見は?」
大塚が荏田井に訊ねる。
復讐鬼との接触は可能な限り避けたいと言っていた荏田井だったが、熱が出ているのか呼吸の荒い勝屋を横目で見て安全を確保するのが最優先だと考えたらしく、頭を下げた。
「こちらからもお願いします」
「決まりだね。あたしは室浦、そっちの男が大塚。戦闘力はドローンで確認してくれた通りさ」
室浦と名乗った女は立ち上がる。いつの間にかパンは食べ終えていたらしい。
四階層へ向かう階層スロープを登りはじめると、大塚が何も言わずに先頭に出た。
先頭に出れば、必然的に魔物と最初に戦う事になる。復讐鬼だという大塚が先頭に出た理由に見当がついたため、誰も止めはしなかった。
橙香は機馬の上で青い顔をしている南藤を見る。
ドローンを使った索敵により魔物との戦闘を極力避ける事になるため、大塚が不満を爆発させないかが心配だった。
「あんたのツレ、毒か何かにやられてんのかい?」
見るからに具合の悪そうな南藤を見て、室浦が橙香に訊ねる。
魔力酔いについての説明をすると、室浦は眉をひそめた。
「そんな体質なのになんだってダンジョンなんかに潜ってんのさ。死ぬよ?」
「霊界へ通じているダンジョンを探しているんです」
「霊界? あぁ、通行止めの話か」
事情を聞いて理解を示した室浦だが、橙香と南藤がダンジョンに潜ることについては快く思っていないようだった。
客観的な意見として理解できるため、橙香はあえて話題を逸らす。
「室浦さんたちは何でダンジョンに?」
「あたしらかい? 大塚先輩は藻倉ダンジョンの氾濫で恋人を殺されて以来、ダンジョンで魔物を殺し続けてるんだ。あたしはあの人が死なないように舵を取ってるってわけ」
室浦の言葉を聞き、保篠から聞いたとある復讐鬼の最後の話が橙香の脳裏をよぎった。
室浦が橙香を横目に見て、困ったように頬を掻く。
「そっか。あたしがあんたらに何か言う資格なんかなかったわ」
スロープの出口が見えてきたため得物である高枝切りばさみを構えた大塚の背中を見つめて、室浦はため息を吐く。
「なんだね。お互い、相方を死なせないように気張ろうじゃないか」
「自分も死なないようにしないとダメですよ?」
橙香の指摘を無視して、室浦は先頭を歩く大塚へ駆け寄り、並んで歩きだす。
置いて行かれた形の橙香は去り際に見せた室浦の表情に違和感を覚えて首を傾げた。
「ねぇ、芳紀、室浦さんも復讐鬼だったりするのかな?」
「……違う」
「違うの?」
意外にもはっきりとした否定が返ってきたことに驚きながらも、橙香が問い返すと、南藤は大塚と室浦の背中を見つめて続けた。
「あれは……なんだろうな」
「芳紀、魔力酔いで考えがまとまらないの?」
「あぁ、たぶん、そう」
この話は無事にダンジョンを出てから改めてしようと決めて、橙香は鉄塊を構えて第四階層へ足を踏み入れた。