第十七話 負傷
南藤がドローン毬蜂で先行調査を行った所、橙香が発見したスロープはかなり奥まで伸びているらしい。
調査できた範囲内では魔物が確認されないため、階層スロープの可能性が高い。しかし、橙香が壁を破壊するまでは密閉状態だったせいで魔物が入り込めなかった可能性も否定できず、一行は慎重に奥へ進む事にした。
スロープを下りながら、全員が南藤の体調をちらちらと確認する。橙香は単純に心配しているだけだが、他のメンバーは南藤の魔力酔いの進行具合で魔力濃度を計り、スロープが第六階層に繋がっているかを判断する為だった。
「これまでの物より天井が高いし、幅も広いな」
先頭を歩く勝屋がスロープを見回しながら呟く。
第四階層と第五階層の間のスロープも広かったが、このスロープは倍以上の道幅と天井高さとなっている。
スロープは何度も百八十度折り返して蛇行している。密閉されていた事もあり、ガスが充満していないとも限らないため、ドローンで道の先に魔物がいないと分かっていても慎重に進むしかなかった。
「九十九折になっててもドローンを奥まで飛ばせるものなんですね」
荏田井が携帯用のガス検知器で曲がり角など空気が淀みそうな場所を調べつつ、感心したようにドローン毬蜂を見る。
「電波法に抵触してませんか?」
「ダンジョン内は特別法があるので大丈夫です」
グロッキー状態の南藤に代わり、橙香が答える。電波法に抵触しているかどうかについては明言を避けていた。
根掘り葉掘り聞いても仕方がない。荏田井も深く問い詰めるつもりはないらしく、苦笑に留めて歩き出す。
十四回もの急カーブを曲がって辿り着いたスロープの出口は光が差していた。
勝屋が警戒するように足を止め、仲間を振り返る。
「南藤さん、生きてるか?」
「……へあ」
「この様子だと、第六階層で間違いないな」
「だからさ、南藤さんは魔力濃度計じゃないからな?」
紫杉が情けない顔で眉を寄せる。
南藤はドローンを飛ばす気力さえないらしく、完全に目を回していた。毬蜂はふらふらとホバリングをしている。
「芳紀、操縦を代わるからコントローラーを貸して」
橙香が南藤の持つコントローラーを借りて毬蜂を動かす。
戸惑う様子もなく橙香がドローンを操縦して見せたことに保篠は驚いた。
「橙香ちゃんも操縦できるんだね」
「芳紀みたいに上手じゃないけどね」
謙遜しているが、毬蜂は安定した挙動で南藤が横たわる機馬の上に着陸した。機馬にあるドローンの収納スペースに毬蜂を格納する。
「南藤さんがドローンを飛ばせない以上、探索はここまでだな」
「階層スロープから第六階層を見るくらいは良いだろ?」
「報告が必要だし、写真撮っておかないとな」
スマホを取り出して、勝屋たちがスロープの出口から顔を出す。
第四階層の夜間渓谷や第五階層の夜の嵐を越えてきて暗さに目が慣れていた勝屋たちはまばゆい光に照らし出された第六階層に目を細める。
「……おいおい、めっちゃファンタジーしてるな」
紫杉が第六階層を眺めて笑う。
青空に無数の小島が浮いていた。
円錐を逆さにしたような形の小島の上には平原や小山、沼や湖などが乗っている。小島と言っても大きさはさまざまで、モノによっては数キロから数十キロの半径の物もありそうだ。
島と島の間には天然橋らしき石の橋が渡されており、空を飛べなくても別の島に行く事が出来そうだ。あちこちを飛び回っているツバメ型魔物や不意打ちカラスに気を付ければ、の話だが。
半径五百メートルの平原を切り取ったような小島の上に立ち、一行は写真を取りながら第六階層を観察する。
「面白い景色だけど、この階層の探索はかなり難しいね」
「周囲が開けてるから奇襲は受けにくいとしても、島から島へ早く渡り切らないと橋の上で飛行型魔物を相手取る事になるしな」
ドローンで空中格闘が可能な南藤は目を回しているため、当てに出来ない。弓矢を使う荏田井と保篠が主体となって探索する事になるだろう。
「とりあえず、今日はもう帰ろう。食料も心許ないしな」
「そうね。勝屋、帰るよ」
小島の縁に立って下の様子を見ていた勝屋に、保篠が声を掛ける。
「おう、いま行く」
声を掛けられた勝屋は縁から数歩下がってから保篠の後を追おうとして、視界の端を横切った白い物に気を取られる。
「なんだ、これ」
ふわりふわりと風に流されて飛ぶ、羊か何かの毛をふんわりと丸めたような白い物を指差して勝屋は警戒し、後ずさる。
勝屋の独り言を聞いて、荏田井たちも目を向ける。誰もが正体に見当もつかずに首を傾げる中、橙香は閃いたように手を叩いた。
「もしかしてケセランパサラン?」
聞き覚えのある名前に、勝屋が橙香を見る。
「霊界にいるっていう獣か?」
「そうだよ。珍しい動物だけど、ウサギの尻尾みたいな見た目でああやって風任せに飛ぶの。ただ、ここはダンジョンだから、似ているだけの魔物かもしれないけど」
カラスやツバメなどは現代日本にも存在しているが、ダンジョンのそれは形状が似ているだけのまったく別の生き物となっている。勝屋が見つけた白い毛玉がケセランパサランを模していたとしても、魔物であるのなら人に害をなす可能性が高い。
様子を見るとしても離れた方がよさそうだ、と勝屋が階層スロープへ足を向けた瞬間、一陣の強い風が吹きつけてきた。
風任せの綿毛が強風で勝屋へと一直線に向かう。
「うわっ!」
反射的に盾を突き出した勝屋の正しさは直後に証明される。
勝屋の構えたライオットシールドに触れた直後、白い毛玉はほんのわずかに燐光を発したかと思うと破裂音を伴って爆発した。
「勝屋!?」
腕を前に構えて爆風に耐えながら、爆心地の勝屋へ荏田井が呼びかける。
浮島の上の平原にぽっかりとあいた直径五十センチほどの穴の側に右腕を押さえて倒れている勝屋がいた。
「おい、大丈夫か!?」
荏田井が駆け寄り、傷の具合を見ながら意識の有無を確かめる。
「……何とか生きてる。何が起きた?」
至近距離で爆発されたため何が起きたのか分からないのか、勝屋は火傷をした右手を見て顔を顰めながら訊ねる。
「あの毛玉が爆発したんだ。盾は……だめか」
状況を確認するために爆心地に膝をついて調べていた紫杉が拾った破片を見て、荏田井が眉をひそめる。
魔力強化で強度が増しているはずのライオットシールドが完全に砕け散っていた。白い毛玉の爆発力の高さを物語る光景だ。
「新種の魔物とみて間違いないな。近付かれたら終わりだと思った方がいい」
資料として破片を回収しながら、紫杉が勝屋を見る。
「怪我は?」
「右手に火傷。衝撃を殺しきれずに右腕と手首も痛めた。物を持てないな。折れてはいないと思う」
「盾がなかったらと思うとぞっとするな。早くスロープに戻ろう」
風任せに飛んでいる白い毛玉がスロープへ進入してくる可能性もあったが、やってくる方向が限定されていた方が対処は容易だ。
負傷した勝屋を連れてスロープにやってきた荏田井たちに、橙香が消毒薬や包帯などを渡す。
「撤退ですよね」
「元々探索する気はなかったからね。ただ、盾役がいない以上、第五階層を抜ける際には細心の注意が必要になる」
いつも先頭を進んでいた勝屋がいなくなるため、戦闘時に一か所でとどまって迎撃するのが難しくなる。洞窟で魔物を迎撃するとしても、安定感が変わってくるだろう。なにより懸念される遭遇戦は南藤が魔物を先に発見すれば起きない。今は魔力にあてられて目を回している南藤も第五階層でなら体調が少し改善するため索敵は可能だ。
荏田井が洞窟の入り口から白い綿毛の進入を警戒しながら口を開く。
「勝屋の応急手当てを終え次第、すぐに第五階層を抜けて第四階層へ向かいます」
「休まないのか?」
「火傷は熱が出る。嵐の第五階層を抜けるのは早い方がいい」
「なるほど。勝屋、自分で歩けるか?」
紫杉に問われて、勝屋は無事な左手を上げて問題がないと示す。痛む右腕が辛そうだが、足は無事なため自力で移動はできるらしい。
橙香が機馬を指差した。
「辛くなったら芳紀と一緒に機馬に乗せてあげられるから、遠慮しないでね」
「地味に便利だな……」
そう言って、勝屋は苦笑した。
手当が終わると同時に、荏田井の指示通りに立ち上がり、急ぎ足で第五階層へ舞い戻る。
蛇行する階層スロープを上っていく間に南藤の目も焦点が定まり始め、ドローン毬蜂が起動した。
「芳紀、状況は分かる?」
橙香が訊ねるも、南藤は負傷した勝屋をうつろな目で見て首を横に振る。かろうじて気絶していなかっただけで目を回していた南藤は第六階層で何が起きたのか覚えていないらしい。
橙香が説明すると、情報を咀嚼する時間をたっぷり五分かけてようやく納得したように頷いた。魔力酔いでかなり思考力が鈍っているのだろう。
「芳紀は索敵だけお願いできる?」
こくり、と力なく頷いた南藤が毬蜂をスロープの先へ向かわせる。姿勢の定まらない頼りない動きをしている毬蜂に、荏田井たちは心配そうな目を向けた。
スロープを登り切り、橙香が穴を開けた壁が見えてくる頃には南藤が操るドローンも安定し、いくらか頼りになりそうな動きになっていた。
「魔物を無視して進むと挟撃が怖い。南藤さんのドローンを囮に魔物をおびき寄せて洞窟で迎撃し、進路を確保する」
「了解」
撤退は迅速かつ慎重に行われるべきだ。元々誰かが負傷した際の計画は打ち合わせしてあったため、混乱はない。
すぐさま南藤がドローンで周辺を調査し、魔物の姿がない事を確かめる。だが、その報告に荏田井たちは不審そうに目を細めて洞窟の外、荒れ狂う嵐の渓谷を見た。
「近くにツバメの魔物が群れていたはずじゃ……」
「移動した可能性が高いな」
「こちらの索敵範囲外に潜んでいるかもしれない。警戒しつつ、尾根を越えよう」
洞窟にこのまま留まっていれば勝屋が火傷の影響で熱を出していよいよ動きが制限されてしまう。進む以外の選択は取れなかった。
紫杉を先頭に、負傷した勝屋は南藤を乗せた機馬の前に配置して洞窟を出る。
途端に吹き付けてくる風に逆らって、坂道を早足で上り始めた。
何事もなく尾根に到着し、毬蜂だけでなく夜目の利く橙香も周辺を見回して警戒に当たる。
崖といっていい急勾配に挟まれた尾根の上は、嵐の中で歩くだけで神経を尖らせねばならない。痛みのせいで精神的な余裕を持てない勝屋が足を滑らせないのは称賛に値する。
「芳紀、敵はいる?」
橙香が黙視できない範囲を死角も含めて毬蜂で偵察している南藤は首を横に振った。顔色は悪いが索敵をこなせるのなら、この場で最もその身が危ぶまれるのは勝屋だろう。
尾根を突き進んで急な坂道を下り、行きにも利用した洞窟へと身を隠す。
「一番の難所は越えたな」
慣れない先頭を歩いていた紫杉が額の汗を拭いながらほっと息を吐く。
「勝屋、体調はどうだ」
「少し頭がぼんやりする。多分、熱があると思うんだが」
雨で冷やされて自分でも分かりにくいのか、勝屋は額に手を当ててから諦めたように肩を落とす。
あまり時間がないようだ。
「ここから第四階層までどれくらいある?」
「直進距離で約九キロ。ただ、勾配がある上に道が蛇行しているから遠回りせざるを得ない。実質は二十キロ弱ってところだろう。加えて、この嵐となると……」
「今日中に辿り着けるかどうかだな。途中の洞窟で休憩を挟むとしても、勝屋の体力的な問題もある。やっぱり、機馬に南藤さんと同乗するしかないな」
「面目ない」
「初見殺しの魔物だったんだ。生きてるだけ儲けものだろう。リベンジできるんだしな」
頭を下げる勝屋を励ましつつ、紫杉は洞窟の外を観察する。
「行こう。出来るだけ進んだ方が良い事に変わりはない。この階層に一番乗りしたのが俺たちである以上、他の冒険者との合流は期待できないからな」
「同感だ。勝屋、ふんばれよ」
「あぁ、南藤さん、もしもの時は頼みます」
「うぅ……」
答えになってないうめき声が返ってきて、勝屋は無事な左手で頭を掻く。
「本当に、頼みますよ?」
「芳紀なら大丈夫だよ」
不安になって念を押した勝屋に、南藤の代わりに橙香が答える。むしろそこにこそ不安を感じる勝屋だった。