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魔力酔いと鬼娘の現代ダンジョン攻略記  作者: 氷純
第一章 乙山ダンジョン
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第十六話 尾根

 緩やかな上り坂の先に三又の分かれ道があった。

 右へ行けば途中から徐々に右へ曲がる下り坂となる。南藤が毬蜂で偵察してみたところ、下った先はツバメ型魔物が百羽近く飛び回るあからさまなモンスターハウス状態になっていた。

 左へ曲がればこちらもやはり下り坂。蛇行して進む先にはガスキノコと登山者喰らいが無数に生息する区画がある。慎重にその区画を抜ければ行き止まりが控えていた。毬蜂での偵察が出来なければ精神力を削られるだけ削られて成果も得られず落胆する事になっただろう。

 真ん中が正解なのは間違いない。しかし、ここで困った事実が判明した。


「洞窟がない?」


 勝屋が南藤の報告を聞いて腕を組み、三又の真ん中の道を眺める。

 急勾配の上り坂だ。道幅はやや狭く、嵐の影響でぬかるんでいるため戦闘には適さない地点だ。もっとも、捨て身で攻撃してくることの多い魔物が場所を選ぶはずもない。一般的な冒険者のチームであれば心理的に選びにくい道だ。

 南藤が毬蜂で偵察した結果、道の先は徐々に左右の崖が低くなり、最終的には道の両端が崖となる。言うなれば尾根なのだが、天候が最悪なため滑落の危険性は非常に高かった。また、身を隠せる洞窟がないという南藤の報告から、右側にあるツバメ型魔物のモンスターハウスからはぐれた個体が襲い掛かってこないとも限らない。


「一旦さっきの洞窟に引き返して作戦会議するか?」


 勝屋が提案した直後、橙香が軽くジャンプして小さな身長でも視界に入るようアピールしつつ口を開く。


「ボクにいい案があるよ」

「いい案?」

「滑落防止として機馬にロープを結び付けて全員を固定するの。機馬の馬力ならこの人数でも支え切れるよね?」


 橙香が南藤を振り返って訊ねる。南藤は土気色の顔で橙香の持つ鉄塊を指差した。五百キログラムの鉄塊は流石に重量オーバーという意味だろう。


「いざという時は捨てちゃえばいいって事だね」

「得物をそんな簡単に捨てるもんじゃないぜ?」

「五千円くらいで作ってあるからあんまり執着してもしょうがないんだよ」

「安いな、おい」


 威圧感さえ醸し出す全長二メートルの鉄塊が意外な安値と知って驚く紫杉の横で、荏田井が坂の上を見上げて頷く。


「橙香ちゃんの案で行こう。南藤さん、索敵を厳重にお願いします」


 こんな事もあろうかと、といまさらのように言いながら橙香が機馬の収納スペースからロープを取り出す。十メートルほどの物が計十本。得物の間合いが広い橙香と紫杉、誰よりも前に出る事になる勝屋はロープを二本ずつ使って二十メートル弱の長さに調整する。

 準備が整い、一行は三又の真ん中から伸びる坂道を登り始めた。

 坂の上から強い風が吹き降りてくる。足元は靴底が沈む程度に冠水しており、急勾配の坂道も手伝って足を滑らせかねない。

 最後尾には橙香が控え、その前には南藤を乗せた機馬がいる。仮に足を滑らせても機馬か橙香が受け止めるため、前を行く面々は前方や頭上の警戒に神経を使っていた。

 魔物は事前に南藤の毬蜂で発見できるが、ここまでの探索中で落石に襲われた事があるため気を抜けないのだ。突発的な事故ばかりは偵察でも発見できない事がある。

 先頭を行く勝屋が足元を流れ続ける水に顔を顰めた後、ふと思い出したように左右の壁を見る。


「こういう、左右を壁に囲まれた道とダンジョンっていう条件だとさ」

「おい、言うな」

「フラグきたこれ」

「割とマジで洒落にならないからね?」

「あの石が転がってくる罠って正式名称あんの?」

「いや、ないだろ。実際に仕掛ける奴がいると思えないし」

「居たらどんな趣味人だよって話だよな」

「オタクでしょ。私たちと気が合いそう」

「――やっぱりオタクだったんですね」

「さらっと橙香ちゃんからのご指摘入りましたー」

「この『踏破たん』ポロシャツを見れば一目瞭然だと思いますけどね」


 荏田井がポロシャツの裾を横に引っ張って、最後尾の橙香を振り返る。

 荏田井たちが着ているポロシャツには彼らのクランのマスコットキャラクター踏破たんが描かれている。ふざけた格好ながら、同人界隈ではちょっとした有名人でオタク冒険者クランとしてその手のイベントに呼ばれることもあるという。


「イベント出演料は活動資金に回してるんだ。まだ魔力強化もしてなかった頃は助かったもんだよ」

「冒険者って基本的に出来高払いの自営業だし、資金調達手段としてみんなで考えて売り出したんだ。まぁ、半分以上は趣味が入っている事も否定しないけど」

「エロ同人もあるぜ」

「橙香ちゃんに十八禁の話題は禁止!」

「ボク十九歳なんだけど」

「あ……」


 失言を悟った保篠が誤魔化す様に道の先を指差す。


「ほら、もうすぐ尾根よ。ここからは身を隠せないんだから、気を引き締めていきましょ」

「誤魔化し方が下手すぎんぞ」

「うっさい」


 言葉のやり取りこそ軽い口調でなされたが、視界が開けた瞬間に一斉に警戒を強化する。

 豪雨と強風。尾根へと駆け上がってきた強風は獣の唸りのような低い音を伴って襲い掛かってくる。重心を下げなければそのまま吹き飛ばされてしまいそうな勢いに息を呑み、豪雨に霞む周囲へ目を向ける。


「ここが一番高い場所……?」


 第五階層を一望できる場所だった。

 連なる様々な形状をした赤茶色の渓谷。地平のかなたまで続くだろうそれは吸い込まれそうなほどに雄大で、緑の無いその無機質さが残酷で、背筋が寒くなる恐ろしさこそが美しかった。赤茶色の渓谷を瞬きの間だけ彩る雷の閃光が原初の恐怖を呼び起こし、強風の音を掻き消す雷鳴が震動となって地面を伝わり体を揺らし、心臓の鼓動と重なった瞬間に景色への戦慄を自覚させる。

 豪雨以上に夜の暗さもあって、鬼である橙香以外には遠方まで見る事は叶わないだろう。

 だからこそ、橙香はこの景色を独り占めしている事が後ろめたくなり、南藤を振り返った。


「芳紀」


 手を繋げば、この震えが伝わるだろうか、そう思って手を伸ばす。


「――見えてる」


 南藤がはっきりと言い切った。

 顔色は未だに悪いまま。橙香でなければ風の音にまぎれて聞き取れなかっただろう大きさの声だが、それでも橙香の不安を吹き飛ばすほどに明朗に南藤は言い切った。

 手には防水処理の施されたスマホが握られている。画面に映し出されているのは頭上を飛ぶ毬蜂からリアルタイムで送信されている周辺の赤外線映像だ。画像処理の関係で僅かなタイムラグがあるようだったが、橙香が見ているものと遜色のない景色が映し出されている。


「お二人さん、先をいそごうぜ」


 紫杉に声を掛けられて、南藤を乗せた機馬と橙香は再び歩き出す。


「芳紀、霊界に行けたら二人きりで行きたいところがあるんだよ」


 橙香は横目で渓谷の景色を眺めつつ南藤にそう声を掛ける。

 一行が動き出したため索敵に集中している南藤に聞こえているかは定かではない。しかし、橙香は幼馴染としての信頼から聞いていると判断していた。


「必ず、一緒に見に行こうね」



 尾根を進んだ先は下り坂だった。

 幸いにして、尾根を移動中に魔物の襲撃はなかった。下り坂は尾根に至るまでの急勾配の上り坂と同様に左右に崖があり、吹き降ろす強風に背中を押され、硬い地面を流れる底の浅い濁流に足を滑らせそうになる。

 南藤の索敵で下り坂の途中に洞窟がある事は判明していたため、一行は追い風を利用して下り坂を駆け下りていた。


「雨が激しくなってないか!?」

「聞こえねぇよ。黙って走れ!」


 先頭の勝屋の声が中途半端にしか聞き取れず、続く紫杉が下り坂の半ばに見えている真っ暗な穴を指差して言い返した。

 洞窟に駆けこんで水を払い落とした一行は濡れた髪だけはタオルで拭って体温の低下に抗いつつ、ほっと息を吐く。


「帰りにもあの尾根を歩くとなると、気が滅入るな」

「南藤さんがいる分かなりマシだけどな。あの視界と足場の悪さの中でいつ来るかもわからない魔物の襲撃を警戒して目を凝らすのはきつい」

「ねぇ、南藤さんと橙香ちゃん、正式にうちのクランに入らない?」


 魔法瓶から出したお湯を配って回りながら、保篠が声を掛ける。

 唯一、体を動かしていない南藤の身体が冷えていないか心配なのか、タオルをお湯で温めていた橙香が首を傾げる。


「ボク達なしでも大丈夫そうに見えますけど」

「いや、南藤さんの索敵能力はもちろん、橙香ちゃんも後衛組の護衛として欲しいよ。荏田井もそう思うでしょ?」


 保篠が同じ後衛組である荏田井に水を向ける。

 荏田井は深く頷いた。


「欲しいですね。そもそも、橙香ちゃんたちは何故冒険者があまり人数を増やさないか知ってますか?」

「いえ。そういえば、五十人とかで潜っているクランもあるらしいですね。自衛隊はもっと多いと思うし」


 基本的に、人数が多い方が魔物に対して有利に立ち回る事が出来る。

 しかし、橙香が挙げた五十人規模のクランは極めてまれなケースで、多くのクランは多くても十五人。ほとんどは五人から八人で組む。

 荏田井が南藤に目を向ける。


「多分、南藤さんは理由にも見当がついていると思いますが……グロッキー状態ですね」

「えあうっぷ」


 いつもの事だ、と慣れてしまっている荏田井は南藤の体調については華麗にスルーして話を続ける。


「一番の理由は報酬です。階層スロープ、階段の発見報酬ですね。これは国が補助金として異世界貿易機構に供与したものから出されていますが、一階層ごとに百万円と命の危険がある割に少額です。何度となく増額しようと改善案が議会に提出されてますが、ダンジョンの出現で自衛隊の運営費も跳ね上がりましたから国家予算的に難しいのが現状です。先に氾濫時の避難手段を整備してますし、増額されるのはまだまだ先でしょう」

「人数が増えれば、その百万円をさらに分配する事になるわけよ。五十人規模のクランなんて言ったら一人頭二万円よ? それくらいならコンビニバイトでもするわ」


 保篠が歯に衣着せぬ物言いで断言する。発見報酬の金額については多くの冒険者が不満を持っており、保篠も思うところがあるのだろう。

 荏田井も保篠の言葉に頷きつつ、話を進める。


「正直なところ、発見報酬はクランの維持費としても当てにできる金額ではありません。冒険者は基本的に儲からないんです。ボスを倒してマスター権限を取得できれば話も変わりますけどね。故に多くのクランは別の収入源を得ています」


 別の収入源と聞いて橙香の頭に浮かぶのは、南藤と共に異世界貿易機構の杷木儀赤也(はきぎあかや)から受けた塗りポーションの作成依頼だ。他にも、荏田井たちクラン『踏破たん』は同人イベントに参加して出演料をもらい、クランの維持費を捻出している。


「冒険者になる理由は人それぞれです。功名心、冒険心、怖いもの見たさ、人の数だけ理由がある。ですが、一番多いのは――復讐です」

「復讐?」

「はい。ダンジョンの氾濫によって湧きだした魔物に親しい人を殺され、復讐を誓う。文字通りに何もかもを投げ出して、魔物を殺す。ダンジョンを踏破してマスター権限を奪い、機能停止に追い込む。それだけを目標にしている人たちが作ったクランは所属人数が多くなる傾向にあります。まぁ、中にはソロで復讐に走る方もいますが、そういった方には絶対に近付かないでください。忠告ではなく、警告ですよ」


 〝そういった〟人物に心当たりがあるのか、険しい顔をした荏田井だったが、勝屋に背中を叩かれて我に返り、咳払いして話を戻した。


「少し脇道にそれましたね。クラン『踏破たん』は復讐を目的としたクランではなく、異世界を最初にこの目にしたいという冒険心から成立したクランです。ケモミミ娘を、妖艶な白キツネでケモ度2の――いえ、これは置いておいて」

「凄い業が見えた気がする」


 思わず突っ込みを入れつつも、橙香は霊界にいる(ふっ)(たち)族を思い出していた。鬼と同じく霊界に生きる知性種であり、生まれた直後は獣の形状、育つにつれて二足歩行を始め、十歳を数える頃には日本のサブカルチャーで見られるような獣耳と尻尾のある人のような姿に落ち着く種族だ。

 出産環境が整わないなどの問題で日本に移住しておらず、日本では存在もあまり知られていない。荏田井が知らないのも無理はなかった。

 何となく、教えると大変なことになる予感がしたため、橙香は何も言わずに先を促す。


「それで?」

「人数を安易に増やさない理由でしたね。あまり大きな声で言うと馬鹿にされますが、実際に無視できない懸念事項があるんです。それが――裏ギルド」


 裏ギルドとは、インターネット掲示板でまことしやかに流れる都市伝説だ。

 ダンジョン内では死体が魔力となって霧散する事から、殺人鬼が冒険者となって辻斬りをしているなどといった噂である。裏ギルドは、複数人で活動する事が多い冒険者を殺害するために殺人鬼たちが作った組織であり、無害を装って冒険者に近付き、ダンジョンの特定の場所におびき寄せて集団で襲いかかるなどの手口を使うという。

 だが、日本国内においてダンジョン内で日本人を殺害した容疑で逮捕された事例は存在していない。それも、都市伝説に言わせれば死体が魔力となって消えただけだという。悪魔の証明だ。


「本当にあるんですか?」

「無いとは言い切れません。少なくとも、警戒はしておくべきです。だからこそ、この四人で今までやってきました」


 荏田井は仲間を手で示す。

 魔物に命を狙われるダンジョン内で仲間と思い任せた背中を撃たれてはたまらない。だからこそ、少人数で行動するクランが多い。

 裏を返せば、荏田井たちが南藤と橙香をクランに誘ったのは信頼の証でもあるのだ。


「もちろん、今すぐに決めてほしいとは言いません。というか、言えませんね。南藤さんがこの状態では……」


 土気色の顔で機馬の上に臥せっている南藤を見て荏田井たちは苦笑するが、橙香は首を傾げて南藤の顔を覗き込む。


「芳紀、洞窟に入ってから体調が悪化してない?」


 問いかけられた南藤は四秒ほどの間を開けてゆっくり頷いた。

 南藤の体調が悪化しているという事は、付近で魔物が大量死したか、近くに次の階層へ至る経路が存在していることになる。

 橙香は洞窟を見回し、耳を澄ませる。洞窟の奥には何もない。だが、僅かに風が奥から吹いている気がした。洞窟の外が嵐であるため、吹き込んだ風が奥の壁に当たって吹き戻してきた可能性もあるのだが、南藤の体調が橙香に確信を抱かせた。

 洞窟の奥の壁に歩み寄った橙香は鉄塊を腰だめに構える。


「みんな、耳を押さえてて。ちょっと大きな音が響くから」


 何をするつもりか気付いた荏田井たちが慌てて耳を押さえて洞窟の入り口へ避難する。

 避難が完了したのを見て、橙香は鉄塊を思い切り奥の壁に叩きつけた。

 カコン、と予想よりもずっと軽い音がして壁に大穴が開く。穴の開いた壁の裏には下へと続くスロープがあった。



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