第十五話 第五階層
坂道を下っていくと、徐々に奥から強い風の吹く音と雨音らしきものが聞こえてくる。
「当たりだな」
紫杉が不敵な笑みを浮かべて、長いスロープの終端を見る。
第五階層の景色が広がっていた。
第三階層や先ほどまでいた第四階層と同じ、断崖絶壁で構成された巨大渓谷だ。しかし、向きの安定しない強風が吹き荒れ、叩きつけるような大粒の雨と足元が揺れているのではないかと錯覚するほどの巨大な雷鳴が響いている。第四階層同様に夜のようで、明かりは時折落ちる雷のみ。
視界の悪さはこれまで以上であり、荒れ狂う風の影響で矢の類は狙いも定まらない。
「南藤さん、この状況でもドローンって飛ばせるの?」
保篠が魔力強化を施した弓で矢を試射し、有効射程を確かめながら訊ねる。
激しい強風にあおられて姿勢制御もおぼつかないと思いきや、南藤が操縦するドローン毬蜂はホバリングを続けている。毬蜂に搭載された照明が下方にいる橙香と南藤を照らし出していた。
しかし、青を通り越して土気色の顔をした南藤は毬蜂を操縦するので精いっぱいらしく、思い出したように六脚の機馬が数歩進んで停止するのを繰り返していた。
「南藤さん、動けるの? というか、いったん第四階層に戻った方がよさそう?」
「ボクの後を着いてくるように機馬を設定しているからちょっと待ってって」
「そんな事が出来る技術力は凄いと思うんだけど、その機能って南藤さんが操縦できなくなることが前提に作られているのが何とも……」
負傷する事を前提に対策を考えておくのならば分かるが、南藤の場合は体質的な物である。
何故冒険者をやっているのかと不思議に思う保篠たちだが、そもそもが鬼である橙香を連れてダンジョンに入っている時点で何らかの理由がある事は察しが付く。迂闊に理由を聞けば地雷を踏みかねないため、理由を訊ねる事はしなかった。
「ちょうどいいし、ここで昼休憩にしようか」
そう言って、荏田井が荷物をスロープの出口に下ろす。
階層を行き来する階段やスロープはダンジョン内での安全空間となっている。経験則的な物であり、理由が不明ではあるが魔物が近付かないのだ。
「魔力酔いが酷くなってる南藤さんをみると、氾濫が近いんじゃないかって気がしてあんまり休めないね」
「氾濫時にはここに魔物が殺到して上を目指すわけだしな」
「南藤さんって氾濫が起きた時の体調はどうなるの?」
保篠に問われて、橙香は首を横に振る。
「経験したことがないのでわからないです。確か、魔力濃度が急上昇するんですよね?」
「そうだよ。南藤さん、ヤバくない?」
「濃度の上昇量にもよると思うけど……」
橙香が心配そうに視線を向ける先では、スロープ周辺を毬蜂で探索している南藤の姿がある。いつの間にか、シート状の熱さましを額に貼り付け、吐き気を紛らわせるための喉飴を舐めていた。昼食を食べるほどの余裕はなさそうだ。
「芳紀、何かお腹に入れた方がいいよ。コーンポタージュだけでも食べない? アサリのお味噌汁もあるよ? どっちも市販品だけど」
「お粥でよければ分けようか?」
気を利かせた荏田井がバッグの中からレトルトパックを出す。
南藤は毬蜂の高度を下げて手元に戻し、橙香を見る。
「すーぷぱせた」
「スープパスタが食べたいの? 作ろうか?」
スープだけよりはパスタが入っている分だけ栄養もつくだろうと、橙香が乗り気になる。
魔力強化で内容量を増加させてあるバッグをごそごそと漁って、橙香はパスタと小鍋を取り出す。続いて、南藤が乗っている機馬の収納スペースから金属製の箱のようなものを取り出した。
ダンジョンに潜る冒険者の中にはキャンプ用品を魔力強化して持ち込む猛者も多い。機馬という荷運び機械を利用している南藤と橙香も御多分に漏れず、テントなど一通りの道具がそろっている。機馬が運んでいるのは南藤だけではないのだ。
橙香は金属製の箱を開き、慣れた手つきで組み立て始める。
組み上げられたそれを見て、勝屋がカップラーメンを片手に口笛を吹いた。
「携帯コンロまで持ち込んでるのか。本格派だ」
「階層スロープのそばでしか使わないですけどね。片付けるのにも時間がかかるもん」
機馬の貯水タンクから鍋に水を入れて、携帯コンロの火にかける。
「保篠さんたちも魔法瓶出してくださいな。ついでだからお湯を入れます。この階層を探索してたら身体も冷えそうですし」
「ありがたい。じゃあ甘えさせてもらおうかな」
吹き荒れる嵐の渓谷を横目に橙香が申し出ると、保篠たちはそれぞれ魔法瓶を出した。
沸かしたお湯をそれぞれの魔法瓶に入れ、残ったお湯でコーンポタージュの乾燥粉末を溶く。コンソメスープの素を少量入れて味を足した後、刻んだベーコンを入れる。
コーンポタージュが少し煮詰まって来たところで、別口で固めに茹でておいたパスタを加えて再加熱。容器に移して上から乾燥バジルで色味を加えれば完成だ。
ダンジョン内である以上は持ち込める食材等も腐りやすさなどで制限がかかるため、やや味気ないのが作った橙香自身も不満ではある。
「はい、芳紀。満足できなかったら残してもいいけど、その時はダンジョンを出た後でちゃんとしたのを作ってリベンジするからね。はい、あーん」
食べさせるつもりなのか、橙香がフォークでパスタを巻き取り始める。
毬蜂を戻したことで多少の余裕があるのか、南藤は橙香からフォークを受け取ってのろのろと食べ始めた。
「支えてあげるからちゃんと座って食べないと体に悪いよ」
橙香が南藤の身体を起こし、背中を片手で支える。南藤が全体重を掛けたとしても鬼の橙香の腕力ならば重さを認識する事もない。
「ちず……」
食べる手を休めた南藤が機馬を指差す。橙香が調理している間に階層スロープ周辺の測量を終えたらしく、地図が出力されていた。
空いた手で地図を取った橙香は眺めながら眉を寄せる。
「やっぱり、この天候だと遠くまでドローンは飛ばせない?」
「むり」
もそもそとパスタを口に運びつつ南藤が端的に答えを返す。
出力された地図は今までの階層でのそれと比べて範囲が狭い。それでも行った事のない崖の向こう側などを調査できるため誰よりも優秀な測量技術ではある。だが、この階層の全体的な広さも分からない以上、次の階層を見つける時間もかかる。
なにより、この第五階層は完全に未知の階層だ。第四階層のツバメ型魔物のように新種の魔物がいる可能性やトラップが存在する可能性も捨てきれない。
天候も非常に悪く、進むだけでも体力を奪われる環境だ。ただでさえ魔力酔いで体調が最悪な南藤を連れている事を考えると、橙香は撤退も視野に入れたいところだった。
「その地図を見せてください」
荏田井が橙香から地図を受け取り、無精髭の生えた顎を撫でる。
「二日間、この階層を探索してみましょう。このスロープの出口が向いている方角を便宜上の北として、北に十キロ、東に十キロ程度を探索範囲と定めて地図を作製。仮に第六階層への経路が見つかった場合は一度様子見に降りた後、探索をせずに撤退します。現状でも賞金はもらえますからね」
「私の弓矢もこの風だとあまり役に立たないだろうし、ちょろっと探索して後日改めてってのには賛成かな。魔力強化した矢も限りがあるしね」
「異議なし」
「俺からも特にない。南藤さんの体調次第で早めの撤退も視野に入れた方がいいってくらいかな」
クラン『踏破たん』の意見がまとまり、荏田井が目を向けてくる。
橙香は南藤を気にしつつ、頷きを返した。スープパスタを食べている以上、気絶するようなことはないという判断だ。
「芳紀もそれでいい?」
橙香の問いかけに南藤が力なく首肯する。
第五階層の探索が決定した。
※
「魔物の種類は第四階層までと変わらないな」
「奥の方に新種がいるかもしれないけどね。なによりこの風が厄介だわ」
言葉を交わして互いの無事を確認しながら、勝屋と保篠が洞窟へ飛び込んでくるツバメ型魔物を迎撃していく。
他のメンバーは洞窟の奥に待機して交代の時間を待っていた。
嵐の渓谷である第五階層は強風と豪雨の影響で視界が悪く、足場も狭いため戦闘が難しい。
よって、勝屋の発案でこの階層にも点在している洞窟で風雨をしのぎつつ近くにいる魔物をおびき寄せて排除し、安全を南藤のドローンで確認した後に次の洞窟へ移動して同じことを繰り返すというサイクルで着々と進んでいた。
雨合羽を着込んではいるが魔力強化された物ではないため防具としては役に立たない。防水性能もさほど高くはなく、洞窟から洞窟への移動で身体が一気に冷えてしまう。この階層の気温は南藤によれば十三度。雨水を被ると寒さを感じるのも当然だった。
飛び込んできたツバメ型魔物の進路上にライオットシールドを構えた勝屋が割り込み、体当たりを正面から受け止める。洞窟だけあって狭く、攻めてくるのは入り口からと決まっているため、勝屋は大活躍だった。
ツバメ型魔物をライオットシールドで殴り飛ばし、続けて飛び込んできた不意打ちカラスを左足で蹴り飛ばす。魔力強化した身体で繰り出されるケンカキックは不意打ちカラスを軽々と洞窟の外へ蹴り出した。
「いくよ!」
保篠が声を掛けると、勝屋は半身になって射線を確保する。勝屋の背中をかすめるように飛んだ矢が洞窟入り口から吹き込んでくる強風を受けて軌道をぶれさせつつも、機を窺っていた滑落ヤギの目を射抜いた。
「ラッキー」
「魔球かよ」
「球じゃないし、矢だし」
軽口を叩きながら保篠が放った第二射が追い風を受けて洞窟に飛び込んできたツバメ型魔物の大きく発達した頭部に突き刺さる。即死したツバメ型魔物は慣性のまま勝屋に向かって滑空したが、ライオットシールドで叩き落されて洞窟の地面に墜落した。
洞窟にはすでに滑落ヤギの死骸が七つ、半分近くが魔力に代わっていた。
たった二人だというのに魔物の群れを相手に危なげない戦いだ。地の利を完全にものにしていた。
感心する橙香は南藤の背中をさすっている。飛び込んできた魔物の群れを一気に殺せば、洞窟内の魔力濃度は上昇する。おかげで南藤の体調は最悪で指を動かすのも億劫そうだ。
「勝屋、保篠、交代しよう」
「おう、紫杉、頼むわ」
「頼まれた」
勝屋と紫杉、保篠と荏田井が交代し戦闘を継続する。
「バッティングセンターだな、これ」
紫杉が金槌をフルスイングして、滑落ヤギの顎を砕く。適度に柄を伸ばした金槌は遠心力が上乗せされて一撃が重い。洞窟故に逃げ場が後方にしかない滑落ヤギは避ける事も出来なかった。
続けざまに飛び込んできた不意打ちカラスも紫杉の金槌に捉えられ、巨大な嘴ごと粉砕される。
「振りが大きすぎる。もっと小刻みに振って牽制に専念してくれ」
調子に乗り始めた紫杉をたしなめて、荏田井が矢を放って紫杉の隙を埋める。
勝屋が抜けても安定した戦いぶりを見せ、橙香と南藤の出番はやってこない。
滑落ヤギ九頭、ツバメ型魔物四羽、不意打ちカラス七羽を討伐した頃、ようやく魔物の襲撃が止んだ。
「一回の襲撃で襲ってくる魔物の数が増えてないか?」
「さっきは計三十体くらいだっけか?」
「二十七体だね」
魔物の血を雨合羽に浴びせながら、勝屋たちは南藤を振り返る。
南藤の索敵能力があるからこそ魔物を先に発見し、確実に洞窟で迎撃態勢を整えられている。もしも南藤がいなければ矢の軌道が乱される外で奇襲を受ける事になり、遠距離攻撃手段がない中で視界も利かない戦闘を余儀なくされて容易く窮地に陥っただろう。
「この階層って、索敵能力が低いクランには厳しいよな」
「報告するときには特記事項として伝えておこう。南藤さん、この階層の動画って撮ってあります?」
「撮ってるって。スマホを貸してくれたら転送するよ」
「頼みます」
荏田井のスマホにノーカット編集の動画を転送する間も南藤は機馬の上でピクリとも動かない。動くと吐いてしまうかららしい。
「こんな激しい雨でも上空からの映像で地図ができるのはどういう理屈かと思えば、赤外線カメラを併用してたんですか」
スマホで映像をチェックした荏田井が二分割で表示された録画映像を見て納得する。
「登山者喰らいもこれで見つけていたんですね」
崖肌に擬態する登山者喰らいはこの第五階層にも生息している。夜間渓谷こと第四階層よりも視界が悪いため発見がさらに困難になっているのだが、南藤の操るドローン毬蜂が先行してことごとく除去しているため荏田井たちは直に見てはいなかった。
二分割された映像は先ほど登山者喰らいを除去した時の映像だ。赤外線カメラで撮影した際に温度分布から崖肌に擬態している登山者喰らいを発見していることが分かる。
この映像は第五階層の環境を伝えるだけではなく、未だに多数の犠牲者を出している登山者喰らいの発見方法のサンプルとしても利用できそうだった。
スマホを仕舞った荏田井が立ち上がる。
「そろそろ東に向かおう。南藤さん、いいですか?」
南藤は口を右手で押さえつつ、ゆるゆると頷いた。