第十一話 第四階層・夜間渓谷
第四階層、夜間渓谷は第三階層以上に複雑に入り組んでいる。
魔物の種類は滑落ヤギ、登山者喰らい、不意打ちカラスの他、蔦キツネという四肢に毒性の蔦を巻きつけたキツネのような魔物が出現する。
蔦キツネに噛まれた場合は探索を中止してすぐにダンジョンを出て治療することになる。現在、蔦キツネの毒に対する抗生物質は存在せず、毒が抜けるまで病院で安静にしていなければならない。致死性ではないのが幸いか。
「……噂には聞いてたけど、キノコ狩りの人っていつもこうなの?」
「魔力酔いなので、ダンジョンに潜るとこうです。魔力強化したから第三階層までだと大丈夫なんですけど」
「うぐぅ……」
機馬の上でうつ伏せになって脱力している南藤を見て、協力関係を結んだクラン『踏破たん』の近接攻撃役、紫杉が頭を掻く。
階層が更新されるほど魔力濃度が高くなるダンジョンの性質は知っていたものの、魔力酔いの症状にこうも苦しめられる冒険者を見たのは初めてなのだろう。
南藤が酷い魔力酔いを起こすことは事前に申告があったとはいえここまで使い物にならないとは、と誘った荏田井も困り顔で空を見上げる。
「こんな状態でもドローンを飛ばせるのは凄いのか、凄くないのか」
「足手まといになりそうなのに、索敵は完璧で危機感が薄れちゃうのは素直にすごいと思うんだが」
頭上を旋回するドローンを見上げる荏田井の隣に立って、タンク職を名乗る勝屋が半端に感心する。
クラン『踏破たん』の紅一点、遠距離攻撃担当の保篠が得物の和弓で南藤が操るドローンを狙ってみるが、するりするりと手から水が零れ落ちるように狙いを外されて悔しそうな顔をした。
「めぇあ」
「前方右カーブ、左手側に不意打ちカラスが飛んでるって」
「橙香ちゃん、なんでキノコ狩りの人の言ってることが分かるの?」
「身振りと手振りで」
付き合いも長いからね、と橙香は自慢そうに胸を反らす。
「ボクは芳紀の事なら何でも知ってるよ」
「ん?」
「そのネタ最近よく見るよなぁ」
「ボクも知ってるよ。動画サイトとかだと良くコメントに流れるよね」
「橙香ちゃん、そういうサイトも見るんだ?」
「ダンジョン潜る前の情報収集に見るのがほとんどだけどね」
会話をしつつ、保篠が和弓に矢を番える。
南藤が操るドローン毬蜂が高度を落として前方にある右カーブの裏側に消えたと思うと、すぐに高度を戻して姿をさらした。毬蜂に搭載された照明に照らし出された不意打ちカラスは目障りな毬蜂を叩き落そうと急上昇している。
保篠が弦を放すと和弓が物理法則を無視した速度で復元する。番えられていた矢が和弓の復元力で加速し、高速で不意打ちカラスへと飛翔した。毬蜂に気を取られていた不意打ちカラスは反応もできずに胴体を射抜かれて落下する。
「魔力強化した弓って凄いんですね」
一キロ近く先で落下していく不意打ちカラスを見ながら、橙香が呟く。
保篠が扱う和弓は魔力強化により威力と射程を高めている。矢の魔力強化はされていないため、あまりに射出速度が速すぎると空気抵抗で軌道がぶれてしまうのが今後の課題だという。
それでも、不意打ちカラスを一矢で仕留める力量は乙山ダンジョン最前線を行くクランのメンバーだけはある。
「あがぇ」
「芳紀が地図の出力するって。ちょっと止まってください」
「なんでわかるんだよ、マジで」
南藤が毬蜂を手元に戻し、索敵を荏田井と交代する。
毬蜂から送られたデータを読み取った機馬が紙に地図を印刷して出力した。
地図を受け取った荏田井が眼を見開く。
「こんなに正確に出せるのか」
「ぐぅ」
「いや、何言ってるか分からないから。それともぐうの音も出ないだろうって言いたいの?」
「吐きそうだから退いてって」
「全然違うじゃん! ちょっと待っ!?」
慌てて飛び退く荏田井は無視して、南藤が機馬からノロノロと降りて物陰でリバースする。
「口をすすいであげないと」
水筒を持った橙香が追いかけていった。
取り残されたクラン『踏破たん』のメンバーは顔を合わせて肩を竦める。
「幼な妻ってやつ?」
「バブみを感じる」
「十九歳らしいけど」
「合法ロリね」
橙香が聞けばへそを曲げそうな会話をしながらも、彼らは南藤が渡した地図を読み、道順を決める。
上空からドローン毬蜂で撮影した映像を解析したものであり、夜間平原の暗さもあってやや不鮮明な点があるものの、今まで手書きの曖昧な地図に頼ってきた彼らにとっては価値のある品だった。
なにしろ、第三階層とを繋ぐスロープ付近でさえまだ未解明のエリアが多いのがこの第四階層だ。確実に情報量で他より優位に立っている確証が芽生えるほどに、実用的な地図である。
作成者である南藤が魔力酔いで足腰も立たず非常に無防備なのは気にかかるのだが、鬼であり戦闘力が飛びぬけて高い橙香が護衛している事を加味すれば足手まといには決してならない。
理屈では分かっているものの、見た目が女子中学生の橙香に肩を貸してもらいふらふらと歩いてくる青い顔の南藤を見ると頼りなく見えてしまう。これならば、橙香が単独で別のパーティーと組んだ方がよほど探索がはかどるのではないかと他人事ながら心配になる『踏破たん』のメンバーであった。
「良く愛想を尽かさないわね?」
失礼であると分かりつつも、ダンジョン探索は命がけ。つい訊ねてしまう保篠だが、返ってきたのは橙香の笑顔と、
「芳紀が本当は凄いんだってボクは知ってるもん」
メーターが振り切れていそうな南藤への信頼だった。
男をダメにするタイプだ、と誰かが呟くも、直後に『踏破たん』のメンバーは南藤の有様を見て手遅れだと結論付ける。
橙香に支えられて機馬にまたがっていたはずの南藤はうつ伏せに突っ伏して脱力状態だった。どんなに酷い二日酔いでもこれほどの醜態は晒さないだろうと呆れるほどだ。
橙香の言った「本当は凄い」の片鱗さえ見えない南藤が頭上を指差した。
何があるのかと警戒しながら見上げると、シート状の何かがドローン雷玉のワイヤーに吊るされてゆっくりと降りてくるところだった。
「嘘……あれって登山者喰らいじゃない?」
「この暗さで見つけたのか」
一切傷がない状態の登山者喰らいが雷玉に吊るされたまま道の上に下ろされる。
第三階層の日中渓谷でも猛威を振るった登山者喰らいだが、注意してみれば陽の光に反射する粘着成分のおかげで発見出来ていた。しかし、第四階層の夜間渓谷では頼みの日の光が存在しないため手持ちの照明機器に頼らざるを得ず、発見が非常に難しい。さらに、カーブの向こう側の壁で待ち伏せしている事が多いため、自然と冒険者たちはカーブを曲がる際にゆっくりと進んで壁を確認するしかなく、そこを待ち伏せていた滑落ヤギの突進で突き落されるなどの被害も出ている。
動かない魔物とはいえ、この夜間渓谷での存在感がひときわ大きい。それが登山者喰らいである。
「……おぇ」
再びえずき始めた南藤が気力を振り絞って登山者喰らいを指差し、脱力する。
胸を、正確には胃の辺りを押さえて顔を下に向けている南藤を見て、『踏破たん』の面々は深くため息を吐いた。
「実力がいまいち掴めない」
ため息交じりの荏田井の言葉に仲間たちが一斉に頷いた。
もはや南藤の体調が改善するとは考えられず、荏田井たちも割り切った様子で登山者喰らいを解体し始める。橙香が南藤の看護で付きっきりだからこその処置だ。
「食料や水も十分にあるし、気を付けるとすれば蔦キツネの毒だな」
致死性ではないとはいえ、ダンジョンの外で治療を受けなくてはならなくなる蔦キツネの毒は要警戒対象だ。唾液だけでなく、四肢に巻きついている蔦の汁にも毒があるため、倒した後でも解体にコツが必要になる。もたもたしていると血液を採取する前にダンジョンの働きで消えてしまうのだ。
荏田井たちの相談を聞きつつ、南藤はドローン毬蜂で周辺の探索を進めていく。
方針として、毬蜂で周辺の地形を把握した後に戦闘が可能な広さの場所まで進み、そこを拠点としてまた周辺の探索を進める計画を立てている。
いまの南藤は魔力酔いにより思考力が低下しているため複雑な事を考える気力は無いものの、事前に固めた方針を守る程度は出来ていた。
「のんびりでいいからね。芳紀の身体がこの階層の魔力濃度に慣れないと先に進めないのは変わらないんだから」
橙香はそう声を掛けつつ、魔力酔いによる吐き気と悪寒で冷や汗をかく南藤の額にハンカチを当てる。
その時、南藤が慌てて上半身を起こそうとして、力が入り切らずに機馬の上から転げ落ちた。
「キノコ狩りさん、どうした?」
南藤の姿にただ事ではないと感じ取ったのか、勝屋が登山者喰らいを解体する手を止めて立ち上がり、強化プラスチック製のライオットシールドを構える。透明なその盾は使用者の視界を塞がない事から、冒険者に人気の品だ。
南藤が身振りで伝えた内容に、橙香が驚いたような顔で鉄塊を持ち上げて戦闘態勢を取りつつ勝屋達に伝える。
「二十頭ほどの滑落ヤギがこっちに来てます。まだボク達には気付いてないみたい。でも、向こうが風下だからじきに発見される可能性が高く、戦闘は避けられません。それと、近くに見た事のない素早い鳥型の魔物が三羽飛んでいます。全身が黒く、翼を広げた大きさは三メートル超です。芳紀が毬蜂で写真を撮りましたけど、速すぎて捉えきれませんでした。全員、戦闘態勢を取ってください」
「二十頭に三羽ってずいぶんな団体さんだな。先に発見できてなかったらと思うとぞっとする」
勝屋が呟いて、半分ほど消滅している登山者喰らいの死骸を崖下に蹴り落として足場を確保する。彼の仲間たちもそれぞれ武器を構え、迎撃態勢を取った。
右手側の崖。五メートルほどの高さがあるその崖の向こうから大型の獣の群れが迫る音が響いてくる。
「崖上に対して構える。俺の後ろから迎撃を頼んだ」
ライオットシールドを両手で構えて重心を落とす勝屋が仲間に声を掛けると、アタッカーである紫杉が金槌を構えて後ろに着く。紫杉の背後で荏田井と保篠が崖の上に弓を構えて立ち、迎撃態勢を取る。
彼らの背後を固めるべく、南藤と橙香は谷底から噴き上げる風に身を晒す。
崖の縁近くに立たずとも噴き上げる強風が橙香の前髪を揺らした。
「氾濫ほどじゃないが、相手が多い。全員、気を抜くなよ」
荏田井が注意を呼びかけた直後、崖下から暗闇に紛れて音もなく飛来する巨大な影が橙香に飛びかかった。