第十話 連合のお誘い
乙山ダンジョンの攻略最前線である第四階層の探索が難航しているらしい。
乙山ダンジョン近くの蕎麦屋で山菜蕎麦を啜っていた南藤の耳にそんな噂が聞こえてきた。
「第四階層も渓谷みたいなところなんだよね?」
鴨南蛮蕎麦を食べていた橙香が訊ねてくる。
「第三階層と同じくな。ただ、夜間渓谷って呼ばれ始めてる。つまり、第二階層みたいに夜の環境って事だ」
単純に昼が夜になったという話ではない。立体的な迷路構造の渓谷で魔物による奇襲が頻発する第三階層と同じ環境でもあるため、精神的な疲労が今までの比ではない。暗所で視界も制限されているため魔物の発見が遅れ、登山者喰らいを発見できずに絡め取られた冒険者が死亡したとのニュースも流れている。
第三階層には出現しなかった不意打ちカラスも確認されており、暗闇に紛れて飛んでくる黒いカラスに手こずっているという。いやらしい事に、不意打ちカラスは照明機器を優先的に狙ってくるとの報告も上がっていた。
第二階層の夜間平原を攻略する際に照明機器を利用する冒険者も多かったが、魔力強化されていない照明機器では光量が乏しい。第四階層はアップダウンの激しい道であり、崖沿いのカーブも多数存在しているため、カーブの先に魔物が待ち伏せしている事もあるという。
「冒険者が後手に回って、そのまま敗走するケースが多いってさ」
まともにぶつかれば確実に勝てるほど乙山ダンジョンの魔物は戦闘能力が低いのだが、奇襲されると冒険者も分が悪い。まして、崖沿いの道を移動する際には一列になる事が多く、側面奇襲を受けると対応が難しいのだ。
「ところで、この蕎麦マジで美味いな」
「ボクも同じこと言おうとしてた。蕎麦だけじゃなくて鴨も美味しいよ」
一口どうぞ、と鴨を一切れ分けてくれる橙香に礼を言って、南藤は一口で食べてみる。鴨の少し甘い脂身と引きしまった肉の食感。鴨南蛮の出汁に使われているカツオや鯖の旨味と醤油の香ばしさが合わさり、本当に美味しい品だ。
久々に当たりの蕎麦屋を見つけた、と知らず笑みを浮かべる南藤を見て、橙香も楽しそうに笑う。
「また食べに来ようね」
「決まりだな」
南藤が差し出した山菜蕎麦からゼンマイを取って食べつつ、橙香が頷く。
和気藹々と蕎麦を楽しむ二人に微笑ましそうな視線を向ける客たち。一部、羨ましそうな顔をしている者もいた。
がらり、と蕎麦屋の引き戸が開けられて、三十路に差し掛かった男性が入ってくる。サングラスと刺青が似合いそうな強面の大男だが、着ているポロシャツには何故かドームテントからカタツムリのように顔を出した三等身キャラクターが印刷されている。大男が履いているベージュのカーゴパンツは丈夫そうだがくたびれていた。
顎に生える無精ひげを撫でながら蕎麦屋の店内を見回す大男を見た客がひそひそと言葉を交わす。
「あれって、最前線クランの『踏破たん』じゃね?」
「イメージキャラクターのグッズを着てるって本当だったのか……」
どうやら有名らしい。大男の方ではなく、踏破たんというイメージキャラクターの方が、だが。
南藤もクラン『踏破たん』については聞いたことがある。この乙山ダンジョンの第三階層へのスロープを発見し、今も第四階層に潜っている攻略最前線を走るクランだ。
ふざけた名前のクランだが、実力は確かで悪い評判を一切聞かない。
大男はしばらく店内を見回していたが、諦めたようにため息を吐くと店中に聞こえる声で呼びかけた。
「お食事中に申し訳ない。もしもこの店に女子中学生を連れてるキノコ狩りの人がいたら名乗り出てほしい」
どんな呼び出し方だ、と南藤は首を傾げる。そもそも、ダンジョンには十八歳以下が入る事は出来ないのだから、女子中学生を連れている冒険者などいるはずがない。
自分達には関係ないな、と南藤は蕎麦が伸びる前に食べ終えるべく、箸を動かす。
「ん? どうした、橙香?」
「何故か視線がボクに集中してて食べにくい」
「橙香が可愛いからじゃないか。今度来るときは座敷にしような」
「――いやいや、呼び出されてんのお前らだから」
隣のテーブルに座っていた元ヤン風のお姉さんが堪えきれずに南藤たちへツッコミを入れる。カレー蕎麦を食べている元ヤン風お姉さんは大きなバスタオルを首に巻いていた。用意の良い人である。
何を言っているのか分からず、南藤は元ヤン風お姉さんを見た後、入り口に立ったままでこちらをまじまじと見つめている強面大男を振り返る。
「俺たちはキノコ狩りの人なんてクラン名じゃないです。人違いですよ」
「いや、多分あんたたちで間違いない。六脚の機械に乗ってガスキノコを轢いて回ってた冒険者だろう?」
「あ、それは俺たちです」
身に覚えがある事を正直に言うと、橙香が不機嫌そうに鴨肉を齧り始めた。
「ボク中学生じゃないのに。中学生になった事もないのに」
「え、そっちの子まさか小学生?」
「十九歳です!」
元ヤン風お姉さんに問われて橙香が大きめの声で応えると、今度は地雷を踏んでしまったと後悔するような顔をされた。
「不登校、だったの?」
「鬼だからこっちの学校に通えなかったの!」
「あぁ、鬼。でも、鬼って体格がいいって聞いたような……」
「日本人がみんな黒髪黒目で肌色で鼻が低くてメガネかけてるわけじゃないでしょ」
ステレオタイプを引き合いに出されて不満そうに橙香が言い返すと、元ヤン風お姉さんもなるほどと納得する。
話があるらしく南藤たちのテーブルに歩いてきた大男が元ヤン風お姉さんを見る。
「キノコ狩りの人のお連れさん?」
「いんや。たまたま隣の席だっただけだよ。椅子使うんだろ? もうちょいで食べ終わっから待ってな」
元ヤン風お姉さんはそう言って残った蕎麦を一気にとると一口で頬張り、蕎麦湯を流し込んだカレー風味そば湯を飲み干して立ち上がる。
「ほら、この椅子を使いな。そっちの合法ロリとキノコ狩りの人、また会おう」
じゃあ、とさばさばした言動で立ち去る元ヤン風お姉さんを見送って、大男が椅子に座る。
「突然申し訳ない。あ、蕎麦は食べてていいので、話を聞いてもらいたい」
「では遠慮なく」
「合法ロリじゃないのに。細く長く生きてるのに。……鴨肉美味しい」
気兼ねなく蕎麦を味わい始める南藤と橙香のマイペース振りに苦笑した大男はメニューをざっと見て山掛け蕎麦を注文する。
注文を済ませた大男は出された水を飲んで一息入れてから話し出す。
「自分はクラン『踏破たん』のメンバーで荏田井といいます。役割は索敵を兼任した遠距離攻撃。得物は魔力強化済みの弓です。今回はお二人に相談があってまいりました」
「相談?」
食べ終わった蕎麦を脇にのけ、南藤は先を促す。
頷いた荏田井はスマホを取り出して画面を南藤に見せた。
「これが昨日、第四階層で撮影した動画です」
「真っ暗ですね。夜間渓谷っていうだけはある」
「えぇ、月も星もない真っ暗闇です。照明機器で片手がふさがるのも不味いので照明付き工事用ヘルメットを使ってますが、見通しが非常に悪く、奇襲や待ち伏せにも対処ができません。そこで、キノコ狩りの人がドローンを飛ばしていたという目撃情報を聞きまして」
「キノコ狩りの人って呼ぶの止めてもらえませんか?」
「あ、すみません。えと、お名前は?」
遅ればせながら自己紹介をしてない事を思い出した南藤と橙香が名乗り、話を戻す。
「ドローンを飛ばしているのは本当です。照明とカメラを搭載しているので、道の先に待ち伏せがあってもドローンで高所から発見できますね」
「やはりそうですか」
何か目論見が叶ったらしく、荏田井が嬉しそうに笑う。
「実は、お二人に相談したいのはまさにそのドローンについてです」
「譲りませんよ?」
「譲っていただいても飛ばせませんよ。お二人に自分たちのクラン『踏破たん』との連合パーティー設立をお願いしたいんです。具体的には、第四階層攻略のために索敵をお願いしたい」




