第九話 第三階層
軟膏の魔力強化が済むまで、二週間ほどかかった。
杷木儀は過去最高の生産効率だと驚いていたが、元々この仕事を受けるような冒険者は駆け出しが多いため、平均的な生産効率もたかが知れている。
三機のドローンなど、駆け出しにしては圧倒的に高価な機材を使用している南藤は特に喜ぶことはなかった。
代金を受け取り、橙香と並んで駅に向かうバスを待つ。
「芳紀、今日のダンジョン内での体調はどうだった?」
「結構大丈夫になってきた。耐性がついたんだと思う。吐き気は無くなったし、次の階層に行ってもいい頃かな」
第三階層の魔物は第二階層よりもその血に魔力を多く含んでいる。自然と魔力強化の効率も上がる。
「魔力強化で身体の魔力耐性を高めれば、もっとちゃんと動けるようになると思う。……思いたい」
調べた限りではそれなりに効果があると分かっているのだが、南藤は自身の魔力耐性が極端に低いためいまいち自信が持てなかった。一回の魔力強化程度では、人並みの耐性を得られないかもしれないのだ。
「第三階層って乙山ダンジョンの最前線だよね?」
「いまのところはな。第一階層の日中平原、二階層の夜間平原と続いていたのにいきなり崖だらけのフィールドになる。日中渓谷って呼ばれてて、出現する魔物も変化する」
有志の冒険者による記録映像が動画サイトにアップロードされているため、南藤はスマホで検索を掛けて橙香に見せる。
太さの様々な道がいくつもの崖に存在している。全体的には非常に深い渓谷のようだが、断崖には大小様々な穴が開いており、中には魔物が潜んでいるらしい。
「なんでこんな都合よく道があるんだろうね」
橙香が不思議そうに動画の撮影者が歩いている崖沿いの道を指差す。ようこそ人間、さぁさぁどうぞお通りください、と言わんばかりにおあつらえ向きな山道である。
幅五十センチメートルほどのものから数メートルのモノもある。表面のデコボコしている道だ。
この道だけではなく、世界中のダンジョンで人間が歩けるような道が設けられている事が知られていた。
「ダンジョンそのものがまだわからないことだらけだから何とも言えない。中には古代の物らしき街並みが再現されたダンジョンもあるくらいだしな」
深く考えずに研究者に任せてしまえばいいのかもしれない。
だが、不気味さはぬぐえない。
「氾濫やマスター権限だってそうだよ。まるで、国とか政府とか、そういう枠組みで対処させてダンジョンに潜る以外の選択肢を丁寧に潰してるみたい。誘われてるみたいじゃない?」
「そう主張してる人たちもいるな。宗教関係者が大半だけど」
神がダンジョンを作り給うたのだ。これは人々への試練である。または神は人間の絶滅を望んでおられる云々。
世紀末の魔王みたいなお話で、国内ではトンデモ論の類だとしか思われていない。しかし、海外に目を向ければ宗教戦争が勃発する寸前までいった国があるというくらいには認知されている話だ。
南藤もその他多くの日本人の例に漏れず神が作ったダンジョン説を一笑に付す側だが、ダンジョンを取り巻く構造があまりにも出来すぎて いるのは気にかかっていた。
「誰かの意思が働いているとしても、表に出てこない上に地球や異世界を混乱させて、知性種を殺してもいるんだ。良い奴ではないだろうさ」
知性種。霊界を始めとして人ならざる者がいる世界と交流を持つようになったことで誕生した新語を口にしながら、南藤は空を仰ぐ。
ダンジョンを用意した何者かがいたとして、その目的がどうあれ手段としてのダンジョンで誰かを害するのであれば見過ごすわけにはいかない。
とはいえ、その誰かの見当がつかないどころか実在するかも定かではないのだから、現状では考えるだけ無駄だと南藤は割り切っていた。
「そんなことより、今日の夕飯どうする?」
「どうしようか。ボクはちょっと酸っぱい物が食べたい気分だけど」
「白身魚を買ってきてマリネにするか」
「それいいね。タコときゅうりで酢の物とかも美味しいよね。後はベトナムのあれ、ほら、テレビで芸人さんが元気よく叫ぶ掛け声みたいな料理、なんだっけ?」
「フォーか?」
「そうそう」
夕飯の献立を話し合っていると、唐突に南藤のスマホが振動した。取り出してみると、異世界貿易機構からのニュースメールだった。
「どうかしたの?」
「乙山ダンジョンの最前線が更新されたらしい」
「おぉ、おめでたいね。一番乗りすると百万円だっけ?」
乙山に限らず、ダンジョンはどれも次の階層へのスロープなどを見つけた冒険者に賞金が出る。ダンジョンの攻略は国防にも関わる重大事であるとよく分かる制度だ。
ちなみに、ダンジョンの最奥にいるボスを討伐してマスター権限を得た場合には五百万円の賞金が渡される。加えて、攻略したダンジョンに繋がる異世界との世界間貿易で発生する利益からマージンを受け取れるため、億万長者も夢ではなくなる。
とはいえ、南藤と橙香の目的は霊界への道を見つける事だから、あまり賞金には興味がなかった。
「第四階層、どんなところなの?」
「まだ情報が公開されてない。異世界貿易機構が事実関係の調査でもしてるんだろう」
明日の午後には公開されるだろうから、と南藤は深くは考えずにスマホをポケットに戻した。
※
乙山ダンジョン第三階層スロープの側に立ち、南藤は柔軟体操をして体調を確かめていた。
「顔色が少し悪いけど、立って歩けるみたいだね」
「心配かけたな。ドローンも二機までなら飛ばせそうだ」
それ以上は思考が追いつかないけど、と南藤は苦笑しつつコントローラーを握る。
上昇を開始したドローンは宣言通り二機。
団子弓、雷玉と名付けられた自作ドローンはどちらも衝撃に強くなるよう球形をしている。
団子弓は一抱えもある大型のドローン。全方位に対して蛍光ペイント弾やゴム弾、照明弾、催涙弾、麻酔弾、粘着弾などを射出できる。製作直後は射程にやや難があったものの、一度魔力強化を行って搭載している空気銃の威力を上げた事で問題は解消された。
雷玉はスタンガンを搭載。ワイヤー射出により十メートル圏内へ通電するテーザー銃の機能も持つ。出力調整も可能だが、バッテリーの重量の問題で他の機能を搭載できなかった。
パイルバンカー搭載の毬蜂を近距離格闘用とするなら、雷玉が中距離、団子弓は遠距離と使い分ける事になる。
南藤は機馬に跨って、異世界貿易機構で販売されている第三階層の地図を広げた。ダンジョンはのんびり測量ができる環境でもないため、やや曖昧な地図である。
地図と見比べるように、南藤は第三階層を見回した。
「話には聞いていたけど、第二階層とは環境が全く違うな」
「視界が悪くて遮蔽物ばっかりだもんね。落石には注意しておかないと」
橙香が崖の上を見上げて呟く。
見渡す限りの大渓谷だ。第一、第二階層の平原とは異なり、上下方向の移動も加わる。足場が狭い事から橙香の持つ全長二メートルの鉄塊を振り回すのも難しい。
連なる断崖とそこに開いた穴が見える。いくつかの横穴は崖の向こうへの貫通洞窟になっており、階層全体が立体迷路のようなありさまだ。
「では、出発って事で」
「ゴー」
片手を空に突き上げる橙香の前を機馬で進み始めた南藤は崖沿いの道を進んでいく。機馬は前後左右に二メートルあるため、通れる道は限られているかに見える。
道幅が狭くなってくると、南藤は機馬を操作して片側の足を断崖の側面に打ち込んで進み始める。いざとなれば強引に崖を登る事もできるほど、機馬の足は頑丈に設計してあった。見た目から亀のようだが、どちらかという甲虫をイメージしているだけあって足先は鉤のようになっている。
「雷玉は戻しておくか。当分出番はなさそうだ」
崖側面に開いた穴の前を通り過ぎ、側面からの奇襲はしばらく心配がいらないとみた南藤はドローン雷玉を戻す。
機馬と団子弓、二機だけの操作になった事で余裕が生まれ、南藤は周囲の音を聞き取りながら視線を配って魔物の姿を探す。
不意に崖下から吹き上げた強風に雷玉が僅かに傾いだが、南藤は即座に立て直した。背後で見ていた橙香が心配したように声を漏らす。
「いつもの芳紀なら風を受けても揺らいだりしないよね。やっぱり本調子じゃない?」
「本調子には程遠いな」
昨日、第三階層を目指して第二階層の夜間平原を進んでいた際、大量の不意打ちガラスに奇襲を受けた冒険者パーティーを助けた事があった。負傷した冒険者を護衛して急遽ダンジョンを後にしたが、この時に南藤の身体の魔力強化の準備が整ったのだ。
おかげで、今朝方魔力強化で身体の魔力耐性を向上させる事は出来たのだが、やはり人よりも耐性が極端に低い南藤では人並みの耐性を得るまでには至らなかった。
南藤自身、頭の中にもやがかかったように思考が不明瞭なのを感じている。限りある思考リソースをどう配分するかを考えられるだけ大きく前進したと言えてしまうのも問題だった。
「それはさておき、あの崖肌にいるな」
「え、魔物? どこ?」
「ほら。ここ」
南藤が団子弓に搭載されたゴム弾を十メートルほど先の崖肌に撃ち込む。直後、ゴム弾を打ち込まれた部分がシート状に剥がれ落ちた。
「登山者喰らいだ。この階層から出てくるんだとさ」
粘着質の表面を持ち、崖肌に擬態している魔物だ。崖に沿って道があるこの階層では、足元が心許ないため崖肌に手を付く冒険者も多い。登山者喰らいは粘着質の表面で崖肌に手を付いて歩く不用意な冒険者を捕食する植物型の魔物である。
「粘着面の裏側は根が張ってるって事だったけど、実際に見てみると気持ち悪いな」
崖から剥がれて道の上に落ちた登山者喰らいの裏側は根がびっしりと密になっている。厚みは二センチメートルないくらいだろうか。崖に擬態されていては発見が難しいのも頷ける。
「よく見つけられたね、芳紀」
「下から噴き上げられた砂が不自然な動きでくっついたからな。それに、注意深く見ると表面が光ってる。粘着性の物質が影響してるんだろう」
「流石の観察眼だね。頼りになるよ」
「今はまだ、な」
この下の階層に行けばまた魔力酔いで使い物にならないはずなので、南藤は肩を竦めて応じた。
地図に従って道を進み、時々現れる登山者喰らいを始末する。数本ある太い根を切ると魔力に満ちた液が出てくるらしいが、悠長に採取している暇はなかった。
「よっと」
ジャンプした橙香が鉄塊を逆袈裟に振り上げる。軽々と三メートルの高さに届く跳躍力は流石は鬼といった所。
崖の上から飛び込んできた魔物が橙香の鉄塊に迎撃されて血肉を降らせる。
「ミンチよりひでぇや」
「芳紀、それ三回目だよ」
降ってくる汚い雨に身を晒した南藤が髪を掻き上げる。ダンジョンの効果で身体にかかった魔物の血肉は消滅するのだが、あまり気分の良いモノではない。
橙香によってミンチより酷い状態にされたのは滑落ヤギと呼ばれる魔物だ。崖の上から飛び込んでくるヤギで、頭の左右に長く発達した角を使って冒険者を崖下に突き落そうとする。
南藤は転がっていた滑落ヤギの角を拾って橙香に渡し、道の先にある崖の一点を指差す。
何も言わずとも理解した橙香が振り被って滑落ヤギの角を投げつけた。崖肌が大きく波打って剥がれ落ちる。
剥がれ落ちた登山者喰らいはそのままの勢いで崖下へと転げ落ちていった。
「第三階層って言っても思ったより歯ごたえがないね」
「不意打ちメインだからな。先に発見して対処できれば攻略はそんなに難しくない。ただ――」
南藤は言葉を途中で切って、頭上から駆け下りてくる滑落ヤギにドローン団子弓から射出した麻酔を打ち込む。
麻痺した体で転げ落ちてきた滑落ヤギを機馬の右前脚で引っ掛けてつるし上げ、その下に団子弓を置くと滑落ヤギの喉を掻っ切って血を流させる。
猟奇的ながらも効率的な冒険者の日常風景である。
「不意打ちばっかりで気が抜けないのも確かだ。長時間探索してると気疲れするだろうし、適度に横穴とかを利用して休もう」
まずは半日、第三階層を探索してみる事を決めて、南藤たちは歩き出した。