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魔力酔いと鬼娘の現代ダンジョン攻略記  作者: 氷純
第一章 乙山ダンジョン
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プロローグ

 樫の木の幹に張り付いたセミがけたたましく鳴いていた。

 所属している研究室がある校舎を出た南藤(なふじ)芳紀(よしのり)は、吹きつけてくる生ぬるい風に嫌そうな顔をする。まだ夏も始まったばかりだというのに、じめじめと蒸し暑い。

 ポケットに手を突っ込んで、スマホを取り出す。親指を滑らせるように操作して、耳に当てる。


「――はい」


 やや幼い印象を受けるものの凛とした女性の声がスマホから響いた。


橙香(とうか)か? いまどこ?」

「大学前の喫茶店にいるよ。ら、ラツゥーム? とかいうところ」

「あの個人でやってる店か。今から行く」

「うん、待ってる!」


 にじみ出る嬉しさを隠そうともしない声で通話相手が答える。

 通話を切断した南藤は大学の裏門を目指して歩きだす。

 すれ違った浴衣の女性が白い肌を赤く上気させ、恨めしそうに太陽を見上げているのを横目に見て、南藤は足を止めて声を掛けた。


「図書館なら冷房が利いてますよ」

「え? あ、どうも」


 浴衣の女性は戸惑いがちに礼を言って、南藤が指差した図書館の方角へと歩いて行く。


「雪女って大変だな」


 浴衣の女性を見送りつつ呟いて、南藤は再び歩き出す。

 世界各地にダンジョンと呼ばれる異世界への道が開くとともに世界中で様々な混乱があった。日本に初めてのダンジョンが開いたのも昔の話。南藤が生まれる以前の話だ。

 日本に開いたダンジョンの一つ、大戸峠ダンジョンから行く事が出来る霊界からは雪女を始めとして日本で古来から伝えられていた様々な妖怪が移住してきている。

 先の浴衣の女性も霊界からやってきた雪女である事は、南藤も知っていた。彼女が同じ学部の後輩にあたるからだが、戸惑っていた様子から推察するに、彼女の方は南藤の事など知りもしなかったのだろう。

 大学のだだっ広い駐車場を横目に、大学バスの停留所も素通りして敷地を出た南藤は、大通りから二本横にずれた細い道に足を踏み入れる。

 道を挟む民家のエアコン室外機が唸りを上げている。舗装された道路から立ち上る陽炎が揺らめいていた。

 殺人も辞さないと張り切る太陽の魔の手から逃れるべく南藤は早足で喫茶店に近付き、扉を開けた。


「いらっしゃいませ」


 カウンターでコーヒーカップを拭いていたマスターが声を掛けて来る。

 南藤は目礼して、店内を見回した。

 シックな印象を受ける板張りの床に木の柱と白漆喰のツートーンカラーが上品な壁面。漂う香ばしいコーヒーの香り。非常に落ち着いた印象の店だった。

 カウンターに大学生らしき女性が二人、年配のおじいさんがカウンター隅に一人。

 窓際のテーブル席には薄手の青いパーカーを着た中学生くらいに見える少女が座っている。目深にかぶったフードから覗く童顔を遠目に確認した南藤は、テーブル席へ歩く。

 店内BGMは何を考えた選曲なのか、アメリカ生まれのロックバンドが金を返せと訴えている。店主に一体何があったのか、やや気になる所だった。

 足音が近づいてくるのに気付いたか、少女が顔を上げた。


「――芳紀、お疲れさま」

「あぁ、一通り終わった。ちょっと課題は残ってるけど、もう研究室に顔を出す必要はないってさ」


 オリジナルブレンドコーヒーを注文して、南藤はテーブルを挟んで女の子の前に座る。


「後は仕事だな。メールで案件が入ってるけど」

「今度はどこに写真を取りに行くの? 一緒に行っていい?」

「パンフレット用に温泉を空撮してほしいって依頼で山梨の方に行くことになる。橙香も来ていいけど、おじさん達に許可取っておけよ?」


 少女、橙香は難しい顔でコーヒーを一口飲むと口を開いた。


「お父さんもお母さんも、お姉ちゃんだって今は霊界に里帰り中だよ。芳紀も知ってるでしょ?」

「今日明日に出発するってわけでもないから大丈夫だ。行くとしても来月だし」

「なら、帰ってきてるかな」


 橙香は安心したように言って、南藤から視線を外す。南藤もつられて横を見れば、注文の品を届けにオーナー自らやってくるところだった。

 注文したコーヒーを受け取り、南藤は橙香に視線を戻す。


「橙香は霊界に里帰りしなくてよかったのか?」

「芳紀が心配だからね。ちゃんと自炊してる?」

「してるって」

「じゃあ、掃除は?」

「それもしてる」

「なら、今日部屋に行ってもいいよね?」

「別にいいけど。なに、泊まり?」


 訊ねつつ、南藤は橙香が隣の椅子に置いている鞄を見る。着替えなどが入るとは到底思えない大きさのハンドバッグだが、最近は大きさと内容量が食い違っている商品があるため油断できない。


「それ、マジックバッグか?」


 日本と霊界など、様々な異世界同士をつないでいるダンジョンの出現から時を置いて流通するようになった、魔力強化品。マジックバッグもその一種だ。

 ダンジョン内で生成される魔物と呼ばれる生物の血を浴びて魔力を帯びた品は特殊な方法で処理する事により物理現象にとらわれない何らかの能力を持つようになる。

 マジックバッグは内部空間を広げる魔法的な力が働いた品で、高価ながらその有用性から常に一定数が流通している代表的な魔力強化品だ。

 おかげで、テロ対策等を担当する警察機構も大わらわだという。


「マジックバッグじゃないよ。こんな事もあろうかと、芳紀の家に着替え一式置いてあるもん」

「いつの間に」


 何故か勝ち誇っている橙香に苦笑を返しつつ、南藤はコーヒーを飲み干す。

 テーブル端に置かれた伝票を取って金額を確認し、財布からちょうどを取り出して重石替わりに伝票の上へ置く。

 南藤に一拍遅れて橙香が立ち上がった。


「まっすぐ帰る?」

「スーパーで鶏肉とか買って帰ろう。夕飯はカオマンガイにしようかな」

「ボクも手伝うよ。それより、ボクの成人式が来年なんだけど、市役所から通知が来るの?」


 橙香の質問に、南藤は記憶を漁る。


「霊界の出身でも住民票を取っていれば通知があるはずだ。もしかしたら、異界人局からかも」

「外務省の下部組織だっけ? こんがらがってくるよね。全部まとめて異世界貿易機構で管理しちゃえばいいのに」

「そうはいかないんだろうな。お役所仕事とか天下りとか、色々あるんだろ」

「その辺り、現世(うつしよ)は不便だとボクは常々思うよ」


 したり顔で頷く橙香に同意しつつ、南藤は木陰を選んで歩く。

 帰り道に見つけたスーパーはちょうど肉類の値引きをしていた。

 買い物かごを片手に野菜売り場から見ていく。


「カオマンガイに使うのって鶏のモモ肉だっけ? ムネ肉だっけ?」


 きゅうりを買い物かごに入れながら南藤が問うと、橙香は腰に両手を当ててやれやれと首を横に振る。どこか嬉しそうなのは女子力をアピールする機会がやってきたからだろうか。


「使うのはモモ肉の方だよ。パクチーも欲しいけど、このお店にはないね。芳紀の部屋に山椒があったからそっちを使おうか。明日のお昼用に餃子を作り置きしたいから、餃子の皮と鳥ひき肉も買おうよ。芳紀に美味しいカオマンガイを作ってあげる」

「自信満々だな」

「なんて言ってもお姉ちゃんが認めたカオマンガイだからね!」

「どうやって作るんだ?」


 サニーレタスを籠に入れながら訊ねると、橙香は得意顔で説明する。


「鶏のひき肉を水で捏ねて一度火にかけた鶏出汁でご飯を炊くんだよ。脂っこくなりすぎないようにお水の量を調整して、炊き上がりには山椒を振って程よく混ぜるの」

「あぁ、それ美味そう」

「芳紀、冷蔵庫に生姜ある?」

「昨日使い切ったはずだ。買っておくか。にんにくはあるから、餃子に関しては大丈夫だな」

「割り勘でいいよね?」

「だな」


 必要な物を籠に入れてレジで支払い、それなりの量になった買い物袋を持ってスーパーを出た。

 大学に近いからという理由だけで選んだ安アパートに到着して、二階への階段を上る。

 隅にある自分の部屋に着くと、鍵を開けて中に入った。


「テレビを点けるね」


 南藤の許可が下りる事を前提に奥のリビングへ進む橙香と別れてキッチンにある冷蔵庫を開けた南藤は、食材を収納し始める。


「この時間だとニュースくらいしかやってないはずだが」

「そのニュースを見るんだよ。もっと言うと天気予報を……」


 中途半端なところで言葉を区切った橙香を怪訝に思いながらも、冷蔵庫に鶏肉を入れた南藤は耳に飛び込んできた報道内容に手を止める。


「――本日午後三時、霊界とを繋ぐ大戸峠ダンジョン霊界側出入口が未知の生物の群れに占拠されました」


 南藤は冷蔵庫を閉める手間も惜しんでリビングに駆けこむ。


「――大戸峠ダンジョンの側に新たなダンジョンが発生したものとみて、異世界貿易機構は安全措置として大戸峠ダンジョンを通行禁止に指定、国土交通省との協議に入ったとの事です。霊界の現在の状況は不透明ですが、大戸峠ダンジョンの出入り口に現れた未知の生物が魔物であるとすれば、新たなダンジョンが氾濫を起こした結果と考えられ、霊界は魔物の群れの襲撃を受けていると予想されています」


 テレビのリモコンを片手に呆然としていた橙香が泣きそうな顔で振り返った。


「……どうしよう?」



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