七話:彼女も黒魔族
「え、江里さん!」
「は、はい!」
一限が終わると瑛士は真っ直ぐ風華のもとへ向かった。風華と話すとなると緊張してしまうから、と意識的に出した声が案外大きかったのか、風華もビクッとした。
「な、何でしょう?」
「話があるん……ですが」
瑛士の声はだんだん小さくなってゆく。小さくなるどころか、言葉もつまりつまりでしか出てこなくなっていた。
「朝の……件でして。その、ここで話すのはまずいことなので、またお昼に誘いにきますので……」
「はい」
風華は瑛士の言いたいことを汲み取ってくれたらしく、短く返事をした。
事を終わらせ、ほっとして席に着いた瑛士に、前の席の井阪が話しかけてきた。
「ね、ね、みかみん、江里さんに何言ってきたのさ。もしかして告白……的な? 江里さん可愛いもんね〜」
「うん、黙ってくれ」
瑛士は次の授業の準備をしながら、彼を冷たくあしらった。井阪は悪いやつではないのだが、その口から発せられる軽々しい言葉一つ一つを、瑛士はどうも受け入れられなかった。
「皆は分かってないけど、俺は江里さんの魅力に気づいてたからね。こうやって同じクラスになれたのも何かの縁だ……」
「ふん、どうだかな」
「おっ、みかみんは江里さんを狙ってんのかな? 応援するよ、俺は」
「そうかいそうかい」
「おっと……俺も授業始まる前にトイレ行ってくるか……」
そう言って井阪は教室を出ていった。瑛士に受け流されていることが分かって、これ以上話すことがなくなったからだ。
そして井阪の代わりに宗真が瑛士の席にやって来た。相変わらず空気のような扱いを受けている宗真だが、極力目立とうとしない彼の姿勢によってより一層空気になっている。何より人目を気にする男なのだ。
「エイジ、ついに突撃か……。ついに、なぁ」
宗真は、クラスメイトたちとはいえ大勢の人の中では、常におとなしくなってしまう。屋上でいつも瑛士と会話する時に比べて、だいぶ小声だった。瑛士自身、こうして宗真と話すようになって聴力が上がったと感じている。
「ごめん、ソーマ。そういう話はしてないんだ。ソーマには言っとかなきゃならないと思ってたんだ。実はさ……」
瑛士は、朝あったことを全て、詳しく話した。
「そうか……あいつもあいつなりに反省はしてんだな。ま、俺はあいつを完全に許したわけじゃないけど」
「いや、そこじゃないだろ」
瑛士は突っ込みを入れた。宗真は笑いながら手を振っておどけた素振りを見せる。
「ジョークだ。二人にばれたのは確かにやばい。でも、だからって昼に二人を屋上に呼ぶのか……?」
「だめかな。誰でも使える場所ではあるけど、実質俺たちの貸切みたいな場所だし。ベリドのやつも屋上にずーっといるみたいだから、丁度いいと思ったんだけど」
「いや、大丈夫だ、と、思う、けど」
宗真の言葉は不自然に詰まった。
「あ、ベリドに記憶消しの魔法は使わせないから。二人に危害加えるわけにはいかないし、なにより俺が昨日倒れたたこともあって、強い魔法使うのをためらうと思うんだ」
「あ、おう。それなら、いいんだ。……おっ、先生来たし、じゃあな」
宗真はそう言うとそそくさと自分の席に戻っていった。瑛士が視線を宗真から教室の前に戻すと、「んじゃ授業始めま起立!」という早口の挨拶が聞こえた。
#
三時間目の授業が終わり、伸びをした瑛士は、ふと宗真と目があった。宗真が屋上に行くぞ、というように指でちょいちょいと上を指差す。瑛士は軽く頷き、机の横にかけていた弁当袋を持って宗真のもとへ向かった。
風華と飛鳥の姿を探したが、見えない。どこへ行ったのかときょろきょろしていると、宗真が言った。
「二人はもう屋上に行った。いつもは食堂行って弁当食べてるらしいから、教室からいなくなんのは早いんだってよ」
「あ、そうか。もう行ったのか……って、え? やばくないか、俺たちよりも先にベリドと鉢合わせさせたら」
「あ、やべーかも」
二人は急ぎ足で屋上に向かった。三つの棟に別れた校舎の、それぞれ建物の端にある階段だけが屋上に繋がっているのだ。瑛士たちの教室からは、少し遠い。
階段を駆け上がり、息切れしながら屋上の重い扉をゆっくりと開ける。ぶわっと屋上の空気が流れてきた。
「二人とも、大丈夫? 無事?」
瑛士は慌てて二人の姿を確認した。風華と飛鳥は横に並んでいて、その一歩先にはベリドが立っていた。瑛士がやってきたことに気づいたベリドは言った。
「なんや、お前。俺がなんかしとるとでも思ったんかい」
「そりゃね。朝、ベリドの姿がバレちゃったわけだし、ベリドのことだから二人分の記憶消す、みたいな手荒な解決に走りそうだし」
「まあ、それができればええんやけどな。いかんせんお前と繋がってるみたいやから、使える魔力に制限があるわ、お前に負荷かかったら俺の頭が痛なるわで一苦労や」
ベリドは迷惑そうに瑛士に吐き捨てた。
「そりゃないだろ? こっちに負荷かかるんだったらお前にも負荷かかっておあいこだろう」
「あの……ところでこの人は誰なの?」
申し訳なさそうに会話に入ってきたのは飛鳥。関西弁を話す謎の侵入者を警戒している。そしてその後ろに隠れて不安そうに瑛士の方を見る風華。瑛士は反射的に目を逸らしてしまった。
「ごめん。じゃあとりあえずお昼にしようか。食べながらさ、話すよ」
瑛士はそう言いながら、風華と飛鳥の二人には、ベリドの口から説明してもらうことにした。どれだけ話していいのか分からなかったし、余計なことを言ってしまって『なにがなんでも記憶を消す』なんてことになっては困るからだ。
当たり前のことだが、宗真と同じく二人は信じようとしなかった。朝、この屋上で扉越しに会話を聞いていたといっても、それは瑛士がおかしくなったのだと思っていたらしい。そのためベリドが瑛士の弁当をそのまま複製したのを目の当たりにすると、目を丸くしていた。
「あんた……それなに? 魔法? 嘘でしょ?」
「いや、さっきから魔法やって言うてるやろって。話きけや」
「あ、そっかぁ……」
「ア……田口は話聞かないからな〜──じ、冗談だ」
いつものようにおにぎりだけを弁当に持って来た宗真に飛鳥の視線が突き刺さった。その後宗真は無表情でしばらく固まったままだった。
「でさあ、昨日あたしに向かってきたアレも魔法なワケ?」
「ん……ああ、せやな」
──あ、ベリドが押されてる。
飛鳥は特に気に留めることなくただの好奇心だけで発言しているようだが、対照的にベリドは気まずそうだった。
「まあ……なんや。関係ないお前を巻き込んだんは……ちょっと……悪いと……」
「あれ? なに? 反省してんの? あはは
、いいっていいって。確かにびっくりしたし、ちょっと痛かったけど、一日経てばなにもなかったみたいに治ったし」
「ほんとに大丈夫、アスカちゃん?」
「そ、そうだよ。魔法なんて意味わかんねーもん受けて、ほんとになんともないのか。お前も、この先アスカに何かあったらどう責任とるんだよ」
口々にそう言った風華と宗真に、ベリドは「……お前らは心配しすぎや」とそっぽを向いた。
「ところでベリド、白の魔族は見つかったのか?」
落ち着いたところで、瑛士が尋ねた。
「いや。全く感じられやんかった」
「てんでダメダメじゃないか……ひっ」
ベリドは宗真をぎろりと睨んだ。
「せや、お前らにも話しとかなな。俺の仕事をよォ」
知ってしまった者はとりあえず使っておく、ということだ。ベリドは弁当を片手に飛鳥と風華の正面にやってきた。二人は、いざ正面に立たれるとやや恐れの表情だった。
ベリドは二人にも黒魔族と白魔族の話をした。途中、悪魔と呼ばれて少し不機嫌になったベリドだったが、今度は暴れたりはしなかった。
「ほんで、一人増援をな、頼んだんや。俺とおんなじでゲートはこのへんに開くはず。もう来てもええと思うんやけど」
「──あっ、あれかなぁ?」
風華が指差したのは屋上の扉の上。そこには青色がかった謎の空間があった。
そして空間が水面のように揺らいだかと思うと、一人の魔人が飛び出してきた。
「っと! 到着ぅー!」
彼女が伸びをすると、出入り口らしき謎の空間はゆっくりと閉じていった。
「おい、こっちや」
「おっ! ベリドくん!」
黒魔族の女性は扉の上からひょいと飛び降りると、ベリドに手を振りながら近づいて来た。途中、瑛士たちに気づき、表情は少しかたくなった。
「ベリドくん、この子たちは? 非魔族……でしょ?」
「やむを得ない事情があんねや。これ以上は広まることはないようにするわ。詳しいことは、自分で読めや」
「うん……うん、うん。そうなんだね、分かったよ」
女性は少し黙ったが、すぐに事情を察したように頷いた。そして瑛士たち四人の方を向いて一言。
「えー、こほん。初めまして。私はリック。よろしくね、君たち」