六十話:消えゆく世界
なおも戦う瑛士と宗真。それはまるで白魔族界が彼らだけを残して時が止まったかのような空間。二人はまるで全てを忘れたかのように、お互いに拳に意識を集中させ、殴り合う。
瑛士が突き出す拳には迷いが見える。ウリエルを倒すという目的のためとは言え、親友を傷つけることに抵抗があった。それに対して宗真の目的は瑛士の足止めをすること。彼の攻撃は鋭く、瑛士の動きをことごとく封じていた。
ウリエルが点けた炎は既に街の大半を飲み込み、更に大きく育っている。その光と熱気は二人を包み込み、彼らだけの世界を作り出していた。
赤き反射光が二人を照らす。迸る液体が汗であるか血であるかは既に判断がつかない。微かに鼻をくすぐる鉄の匂いだけが、辺りに充満していた。
「はああああああっ!!!」
「らァァァアアアアア!!!」
二人の攻撃がそれぞれの頬を掠めた時、また大きな地響きがした。
今度は地震のような揺れではない。地面から伝わる衝撃は別ものだった。
「なっ、なんだ!?」
瑛士は慌てて辺りを見回す。宗真も攻撃の手を止め、周りを確認する。
議会が潰れた場所に、何かが落ちてきたのだ。暗い上に、落下物の周りには瓦礫が散乱し、かつ砂煙が舞っているため、その正体が掴めない。
二人は落下してきた何かに釘付けになる。煙が晴れるまでの数秒間は思いがけない休憩時間となった。
だんだんと視界がひらけ、断片的に見えはじめた。所々に、不安定だが光がある。それは一部が地面に埋まっており、本当の向きは即座に理解できなかった。
落下物の正体は、円盤型の建築物だった。
「ユーフォー?」
姿が見えてもなお、しこりが残ったままの瑛士。半壊したそのフォルムを観察するが、一向に疑問は消えない。
だが、宗真は最初の一部を見たところから頭の中が真っ白になっていた。どれだけ瑛士に殴られてもぶれることのなかった足は震え、口は半開きに、元々荒かった息は激しさを増した。
「ソーマ……? お前、あれを知ってるのか──」
瑛士は質問しようと宗真の方を見た。だが、言葉はそこで途切れた。
二人は同時に上空を見上げた。
急に、大きな魔力の出現を感じたからだ。
「なんだこれ!? この魔力量……まさかウリエルかよ!?」
「そんな……嘘だろ……!?」
「嘘ではない」
声は背後から聞こえてきた。上から感じていたはずの魔力の源はいつのまにか後ろに。
また二人は同時に振り返る。
やはりそこには何もいない。
「これでも抑えているんだがな。まだ使いこなせないか」
声の主は正面に立っていた。
「抑え……なんだよそれ。かなりパワーアップしたみてーだが?」
「その通りだ。俺は、世界を創造する力を得た」
「世界……お前まさか!?」
冗談だろと冷や汗を流す瑛士に、にちゃりと笑みを浮かべるウリエル。宗真は必死の形相で彼に尋ねた。
落ちてきた部屋。それはウリエルたちに捕まった際に連れて行かれた場所。脅しのために見せつけられた、忘れるはずもない、結晶に閉じ込められたあの姿。
そんなわけがない。そんなはずがない。宗真はそう自分に言い聞かせる。だが、ウリエルのパワーアップという目の前の事実がその幻想を砕く。
「ああ。使わせてもらった」
「!!!」
駄目押し。答え合わせが終わった。
「てめ……ウリエル……! 俺は今まで協力してやった! お前たちのために尽くした! なのにお前は約束を破った!」
「ソーマ、どういうことだ!?」
「こいつ、アスカの魔力を奪いやがったんだ!」
宗真は魔力を込め、ウリエルに向かって走っていく。否、地面をひと蹴りして飛んでいく。その尋常ではない魔力量に、彼の右腕は真っ赤に光る。
「非魔族が……!」
「っつ!?」
ウリエルは膨れ上がった右手で宗真の一撃を止めた。器である肉体が、溢れる魔力をギリギリで抑えている。
「逆らうな!」
「ぐわあああああ!!!!」
ウリエルが右手を押し込み、吹っ飛ぶ宗真。そのまま猛スピードで円盤に突っ込んでいく。斜めになった壁を突き破り、彼は円盤の中に入った。床が傾いているため、宗真はずずっと滑っていく。
底にはガラス片や床や壁の一部が溜まっていたが、その中に一際大きな物が埋まっていた。
「あ……アスカ……」
結晶の中で眠る飛鳥を、宗真は優しく抱きしめる。
その様子を見ていたウリエルは呆れたように言う。
「そんなにそれが大事だったのか? もうそれには魔力など、残されていないというのに」
「魔力どうこうじゃねーんだよ」
「ん?」
「自分以外を道具だと勘違いしてるお前にゃ分かんないだろうな!」
瑛士はウリエルに一瞬で近づき、回し蹴りを繰り出す。片腕で受け止められたが、微かに表情が崩れた。
「ああ分からないな! 不快だ! さっさと消してしまいたいな!」
そう言って顔の正面で右手を固く握り、魔力を込める。瑛士は慌てて顔の前に手をやり、防御の姿勢を取った。そんな彼を見て笑うウリエル。
「……!?」
「勘違いしたなミカエル! 俺が消すのはこっちからだ!」
「しまっ……!」
くるりと体を翻し、瑛士と逆方向に魔法弾を放つ。大きさはそれほど大きくないが、そこに込められた威力は強大。
「二人で仲良く死ね!」
もう止めることはできない。瑛士の方に撃たれていれば、もしかしたら全力で魔法を使えば止められたかもしれない。だがこれでは、宗真たちと魔法弾の間に移動し、そこから弾を止める作業に入らなくてはならない。ただでさえ猛スピードで飛んでいく魔法よりも速く回りこまなくてはならないのに加えて、魔法を複数使う必要があるため、攻撃を防ぐことは不可能だ。
もうダメだ。そう思った。
ブォンという音と共に、円盤と魔法弾の間に巨大な膜ができた。
膜は弾を包み込み、だんだんと小さくなって、中の弾ごと消滅した。
「これは……!?」
驚くウリエル。
とにかく宗真たちは助かった。喜ばしいことだ。だが、瑛士は何が起きたか飲み込めない。
ふと瑛士は、また新たに魔力を感じた。バッとそちらを向く。
「間に合った……ようだな」
そこにいたのは膝に手をつき肩で息をするブレッジと、しゃんと立ち瑛士にピースサインを向ける風華。
「王!? 江里さんまで! なんで来たんだ!? こんな危ないとこに!」
「三上くんが心配だから。それに、今私たちが来なかったら終わりだったよね。あれの中にアスカちゃんと佐田くん、居るんでしょ?」
風華はそう言って壊れた円盤を指差す。
「それにしても……」
「ん?」
「危ないとこじゃないですか!」
「だが間に合った。ならば結果は同じだ。別に構わないだろう?」
「むむ……」
ブレッジは言い訳を並べる。
風華は今ひとつ納得できない表情。瑛士はそんな彼女の背を押し「二人をよろしく」と伝えた。そして飛んでくる岩をはねのけ、それを行った大天使を睨みつける。
風華は状況を飲み込み、宗真たちのいる円盤に向かった。
「邪魔ばかりするな!」
世界を一直線に伸びたビームが走る。
円盤が半分に切れる。それだけではない。ビームは地面すらも貫き、世界を半分に切った。地震が起き、真っ二つに割れた大地はさらに裂け目を増やしながら隆起し、崩れ始める。
「な、何してんだてめえ!」
「どうせ消える世界だ。今更俺が何をしたところで、変わらないだろう?」
「お前ェ!!」
「待て」
ブレッジは瑛士の手を掴む。それと同時にウリエルの周りに先ほどと同様の膜を作り出した。一枚一枚は簡単に破られるが、数が多いために時間稼ぎになる。
「なんでですか! あいつ、またこの世界を! 許せないでしょう!?」
「この世界の住人は全員、我らの世界へと避難させた! もう心配はいらぬ」
「それ、大丈夫なんですか?」
ブレッジは過去を語った。
魔族と非魔族はもともと一つの種族として地上にいた存在だったこと。ある時、非魔族は魔族を恐れるが故に彼らを否定したこと。そして魔族たちは魔法を使って、別次元に世界を作ったこと。
「んなバカな……。じゃあ、俺が魔法を使えるのは?」
「もともと一つだったのだ。誰もが魔法を使える可能性があるということだ。ベリドだったか、奴がお前と接触したことで目覚めたのかもしれぬな」
「……はあ」
「そして魔族も対立が起き、二つの種族に別れた。地上を模して作ったのが黒魔族界。そして対立した少数の魔族が無理矢理作り出した不完全な世界、それが魔族界を模して作ったこの白魔族界だ」
瑛士はなにも言えず、ただふんふんと首を振ることしかできなかった。
「じゃあ、最初から争う必要なんてないはずじゃないですか」
「ああ。だが、ああやってそれを拒む者がいるのだ。別の世界として共存するのであればよかったのだがな」
「あっ、それ! あいつ、黒魔族界を乗っ取るつもりですよ!」
ブレッジは頷く。
「話は聞かせてもらった。我は黒魔族界の王として、過去のわだかまりを全て解消しておきたい。我ら二人ならば、勝てる。共に奴を倒すぞ」
「……うっす!」
瑛士はブレッジとともにウリエルに襲いかかる。
相手が世界を創造する力を手に入れたとはいえ、黒魔族最強と非魔族最強が相手をすればなんとかなる。瑛士はそう考えていた。
実際はそうはならなかった。
いくら手数を増やしても無駄だった。こちらが十の戦法をとっても、敵は百の対応ができる。
瑛士は限界まで魔力を引き出して戦う。頭に血がのぼり、呼吸が詰まる。だが、ウリエルはそれ以上の動きを、平気な顔でやってのける。
瑛士は心は折れそうになった。いくら足掻いても無駄なのではないか。そんな考えが何度も頭をよぎった。
それでも、諦めるわけにはいかなかった。隣で瑛士以上に激しく戦うブレッジの姿を見たからだ。その目はまだ希望を失ってはいない。はじめに瑛士が見たままの、勝利を確信した色だった。
「……ぐ!?」
ウリエルの動きが鈍くなった。すかさず瑛士は彼を叩き落とす。ウリエルはそのまま受け身を取ることなく、その場にべちゃりと落ちた。
「なんだ……?」
「やはり耐えきれなかったか」
「ど、どういうことですか!?」
「無茶だったのだ。その魔力を自分の体に収めてしまうには、あまりに強大すぎた。体が凄まじい魔力に耐えきれず、意思が効かなくなる」
ブレッジはそう言ってウリエルに手を向ける。瑛士も同じく魔法を放つ準備をした。
「そんなことはない。俺は……今、俺は、世界の王だ……! 全ての頂点となるものだ!」
そう叫ぶが、立ち上がるのにも時間をかけねばならないほどだった。いや、魔法を使わなければ二本足で立つことすらままならないのかもしれない。
ウリエルは瑛士とブレッジの正面に立つ。彼の背後は風華ら三人がいる場所。
「……っ」
「どうした! 仲間が心配で撃てないか!?」
ウリエルの目論見通り、瑛士は魔法を出せないでいた。奴を倒すにはかなりの規模の魔法を使うことになる。そんなことをすれば、風華たちの安否はおろか、白魔族界の崩壊を早めてしまうことになる。その恐れから、瑛士は魔法の使用を決めきれなかった。
ブレッジは彼の肩に手を置き、彼の心情を読み取った。
「心配するな。我がお前の力を上手く調整してやる」
「!」
瑛士は彼を信じ、ウリエルに向かって魔法を撃ち出した。迷いからか、その威力は完全ではない。
舌打ちし、それを躱そうとするウリエル。だが、その足は止まったままだ。漏れていく魔力をうまく扱うことはできない。その場で崩れ落ちる。
「今だ、行け!!!」
「はあああああああああああああ!!!!」
ブレッジの合図に合わせ、最大出力で魔力を放出する瑛士。目をぐっと閉じ、何に向かって魔法を放っているかなどもう見えもしないし、感じない。だが、全て命中しているという絶対の自信があった。
続けてブレッジも魔法を放つ。
二つのエネルギーが一つになり、ウリエルに向かって飛んでいく。
魔力が空気を引き裂き、雷のような轟音を生む。同時に眩い光があたり一帯を包み込む。夜だった世界は、昼のような明るさに、そしてそれ以上に明るくなり、何も見えなくなった。
暗闇が訪れ、再び目が慣れた。
「終わったん……ですかね」
瑛士はブレッジに尋ねる。
「ああ。終わった」
頷くブレッジ。
「やったんだ……ついに」
その瞬間は案外あっけないものだった。暗闇と静寂の中で、ポツンと残された二人。実感は湧いてこないが、とにかく終わった。それだけだ。
と、その時、風華が二人を連れて円盤から出てきた。宗真は、目を覚ましたばかりの飛鳥をお姫様抱っこをしてやって来た。
瑛士とブレッジは彼らに駆け寄る。
「どうやら無事だったようだな」
「よかった。これで全部解決だね!」
「ああ。瑛士、すまなかったな」
「いいんだよ、これくらい」
瑛士と宗真は拳をこんとぶつけ合い、勝利を祝った。
「ありがとう……ソーマ。フウカも三上も……。あたしを助けに来てくれて……」
「当たり前じゃないかそんなの!」
どういたしましてと笑う瑛士に、涙ぐみながら何度も頷く宗真。二人はそれを見て笑う。
「きゃあっ!」
「江里さん!?」
突然風華の悲鳴がした。
そちらを見ると、風華の背後から手を回して動きを封じたウリエルが。もう服は焼け焦げ、全身に傷がついた状態で、息も絶え絶え。
「しつこい奴め……! うっ──」
そう言って一歩踏み出した瑛士だったが、先ほどの魔法で全ての魔力を使い果たしてしまい、もうなにもできない。足が持ち上がらず、その場で転んでしまう。
「ははは……もうお前たちは終わりだ……こいつの魔力を……奪う!」
ウリエルは風華の襟を引っ張り、首をぐっと掴む。うっと苦しそうな声をあげる風華。だが、抵抗するのではなく、ウリエルの手を掴み返した。
「江里さん!?」
瑛士は困惑し、彼女を呼ぶ。顔を上げた彼女の口元は、なぜか笑っていた。
「何故だ」
呟いたのはウリエル。
「どういう……ことだ!? 力が……抜けていく……だと!?」
彼はついに膝をつき、倒れてしまう。
「魔力を打ち消す力……だな」
「なに……!?」
「我も先ほど初めて気がついた。どうやらそいつに触れていると魔力はずっとそちらに流れていくらしい」
「……そん……な」
ブレッジは二人に近づいていく。風華は手を離し、瑛士の方へと走ってくる。
「さらばだ、大天使ウリエル」
「……っ」
ウリエルは、ブレッジに心臓を貫かれ、絶命した。その様子は彼の背に隠されて瑛士たちの目には入らなかった。
「お、王……」
声をかける瑛士。ブレッジはくるりと振り返り、笑顔を見せた。
「さて、戻るぞ!」
「……は、はい!」
彼らはブレッジに手を当て、転移系魔法でゲートへと向かう。自分を合わせて五人。残りの魔力的にもギリギリのところだった。
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度々地震が起こる。そんな中でどこを探しても、見つかることはない。来た時の景色は崩れてはいるが、方角は間違えているはずはなかった。
ゲートは消えていた。
「なんてことを……」
その場にはラファエルの死体が転がっていた。全身焼け爛れているが、どうやらここまでたどり着いたらしい。
「こいつ! 最後の最後にやりやがった!」
頭を抱える瑛士。うなだれる風華。
「あの、王様、ゲートは……!?」
「我はもう魔法を使えない。回復する頃にはきっと……」
「そんな……そんなことって……」
泣き出す飛鳥。
「せっかく片付いたってのによーーーっ!!」
瑛士のその言葉を最後に、白魔族界は、消えた。




