五話:友の価値
昼休み。屋上の扉が、時代を感じさせる古臭い音とともに開いた。いつもは瑛士と宗真、二人一緒に屋上に上るが、この日はたまたま宗真が用事があるということで少し遅れていた。
「エイジ……待たせたな。教えてくれよ。朝のはなんだったのか。授業中も休憩中も、何にも話してくれなかったじゃねえか」
「……」
瑛士は黙ったままだった。
宗真の後ろにベリドが現れ、宗真に近づいてゆく。それとともに瑛士が構える。「何? え? なんなんだよ」と、宗真は状況を飲み込めない。
ベリドが「消えろや」と声は出さずに唇だけを動かす。
ベリドは瑛士にしたように、宗真に黄色い光の球を放とうとした。ベリドは宗真の隙をついて魔法をかけ、記憶を消そうとしたのだった。
瑛士は宗真の注意を引きつける役目だった。背後からなら宗真も反応できないため、楽に記憶を消せる、とベリドは考えたのだ。だが──
「ソーマっ! 伏せろっ!」
だが瑛士は、宗真のもとに駆け寄り、宗真を押し倒した。
「エイジっ!? 伏せっ、て、一体これは……」
まだ腑に落ちない表情の宗真と、驚きと怒りが入り混じった表情のベリドが瑛士を見つめる。
「お前……何してん?」
「ベリド……ごめん。でも、ソーマは俺の友達なんだよ。分かってるのに苦しめるのは耐えられないんだよ」
瑛士は立ち上がり、ベリドの目を見て言った。ベリドの怒りの目を見た瞬間、背けたくなった。
「殺されたいんかい。自分の気持ち優先させんなや」
「もっ、元はと言えばベリドがソーマにぶつかったのが悪いんだろ」
「そいつが荷物振らんかったらぶつかることらなかったんやぞ」
「ひっ」
立ち上がった宗真がビクンと反応する。人見知りをする彼にとって、正体不明のチンピラのようなベリドは正に天敵だった。
「当たる距離にいたのはお前の責任だ。お前が気をつけていればこういうことにならなかった」
「……ああそうかい」
瑛士はベリドとの言い合いに勝った。ベリドはそれほど頭の回るやつではないようだ。
「えっと、エイジ……。あのさ、さっきからいるこいつは……」
そう言って宗真は、いつもの屋上にはいない存在、ベリドを指差した。そして思い出したように呟く。
「あ……。こいつが、朝のやつなのか」
宗真は、見慣れない服装をしたベリドを警戒した様子で見つめる。おにぎりが入った袋を持つ手が、更にきつく握られた。
「そっ、ソーマ、そんな威嚇する必要ないって。朝のはこいつがちょっと透明になってたんだよ。別に心配ない。こいつは危害加えるつもりないみたいだしさ」
──俺以外には……ね。
瑛士は心の中でそう付け加えた。もちろんいい気はしない。
「透め……魔術みたいなのか? 頭がおかしくなったか。それとも本当に悪魔かなんかに取り憑かれちまったのか、エイジ」
瑛士にとってはもう当たり前のことになってしまったが、体が透明になる、というのは超常現象に他ならない。宗真は瑛士の話すことについていけないでいた。
「悪魔ちゃう、黒魔族や」
悪魔、という言葉に思わず口を挟みにいく。
「な……なんだよいきなり。てか、それ……何が違うっていうんだ」
不意に口を開いたベリドに、宗真は幾分か動揺しつつも質問を投げかけた。まだベリドに慣れていないので声も若干小さい。
「お前ら、俺ら見て悪魔や悪魔やって言うけどなあ、イメージだけで勝手にきめつけんのやめーや。悪なんて言われる身にもなれや」
ベリドはどうしても悪魔、という言葉が気に入らないらしい。腹が立ったのか、宗真を見下したように言い放った。
──こいつ、黙っとけって言ったのに!!
「それに悪魔っちゅうんはな──」
「じゃあ……なんだ? お前らは……何のために来た、んだ? エイジの命を持っていくんじゃないのか? そっ、そうでないとしたら──」
「せっかちなやつやな。ゆっくり話聞けや。それか、いっぺん痛い目見いひんとあかんのか?」
言葉の遮り合戦の後に、ベリドは宗真に左手を向けた。ベリドが魔法を使うときの動きだ。
「やっ、やめろよ! それはさすがにやりすぎだろ!?」
瑛士はベリドと宗真の間に割って入った。それでもなお、二人は瑛士越しににらみ合っている。
「まあええわ。そいつになんどすんのも面倒やさかいな。無駄に魔力使うのも勿体無いわ」
「……」
ベリドの方が一歩引いたかたちでその場は収まった。それでも宗真はまだ納得のいっていない表情だったが。
「おいこらお前、ちょっとあいつに説明したれや」
ベリドが宗真に背を向け、瑛士の肩をぽんと叩き、そう小声で言った。
「えっ……それって」
「そら中途半端に知ってもてんもん。あいつも利用したらなな? あの様子やと誰にも漏らすことはないやろ」
「……」
瑛士は宗真に、昨日ベリドに聞いた全てを話した。一つ一つの言葉を聞くたびに、宗真はありえない、信じられないという様子だった。もともと怪奇的なものを信じていなかった宗真だ。それも仕方のないことである。
「それで? 俺にも協力しろって? そんな危ねえことに? マジで?」
「う……。わ、分かったよ。でも、このことは誰にも話さないでくれ。俺がベリドと出会ってからのこと全部な。頼むぞ」
「誰にもか……そのくらいなら。ま、まあ……」
宗真は何か思うところがあったようだが、了承した。
話が終わると、瑛士と宗真はいつものように弁当を食べはじめた。隣でベリドは瑛士の食べたものを片っ端から創り出してゆく。宗真はそれを見ずにはいられなかった。
「なんや。こっち見んなや。飯が不味くなるやろ」
ベリドが宗真の視線に気づいた。コピーした弁当をこそっと自身の後ろに隠し、宗真を睨んだ。それを見て宗真はあわてて視線を対面の柵に移した。鳥が二羽とまっている。
「いや、悪……魔族ってのは、本当にいたんだなって」
「だいぶイメージが固定化されてもてるけどな。お前みたいに」
ベリドは瑛士のをコピーした箸を宗真に向けた。瑛士が慌ててその手を下ろさせる。
「ま、なーんも知らんもんな。それもしゃあないわな」
ベリドは皮肉った言い方をしながらら不慣れな手つきで箸を持ち、弁当に手をつけた。 その隣で瑛士が箸の持ち方を教える。
「エイジ、そいつが居座んのは、その、敵みたいなやつを俺たちのこの世界から追い出すまでか?」
「ああ、多分、そう、だよね、ベリド?」
「せやな。……お、これええやん。俺これ好きやわ」
ベリドは弁当のハンバーグを頬張りながら首を縦に振った。
「じゃあ、そいつはどこにいるんだ? 発見の方法は……あるのか?」
「どこおるかはまだ知らんなぁ。集中しとらんかってもまあ近く──こっからあの戸くらいの間におったら確実に分かると思うわ」
「通常は半径約十メートルの円内か。なんか微妙な範囲だな。広くもなく狭くもなくって感じ」
宗真はおにぎりを持っていない左手で空中に円を描いた。
「全神経集中して、更に魔力も使ったったったら結構遠くまで届くで」
「ふむ……。でもそれじゃエイジに負担かかるんだろ」
「せやな」
「ふむ……」
宗真は左手で顎を撫でた。これは考える時の癖だ。徐々に慣れてきたのか、ほぼいつも通りに話せるようになっていた。
「ソーマ、なんだかんだ言って協力してくれるんだね。なんか、ごめんな」
瑛士がそのに笑いかけた。宗真もふふっと笑い、言った。
「やめろよ。こういう時は友達のために助けになるもんだろ、エイジ。……さ、飯食ったし、俺はもう戻ることにするよ」
宗真は立ち上がり、屋上のドアを開けた。ドアは重く響く音を立て、それに驚いたのか、いつの間にか三羽になっていた手摺の鳥は翼を広げて飛んでいった。
「あいつ、ええやつやな」
「ん? ソーマのことか。……ああ。本当にいいやつだよ」
瑛士はほっとした。ベリドは宗真のことを本気で嫌っているわけではなかったと分かったからだ。宗真もベリドに協力しようとしたくらいだから、少なくとも悪い印象は無くなったのだと思った。
「いやほんまええやつやわ。ああいうの、一番利用しやすいからなあ」
「えっ」
それは冗談なのか本気なのか。瑛士はただ、何もなかったかのように「これも悪ないな」と美味そうに焼き鮭を口に放るベリドを見るしかなかった。
「食わんの? とるで、そのうまいやつ」
「……いや食べるけど」
瑛士は弁当の最後の一口を、すぐには食べられなかった。