五十話:目覚め
「……はい、終わりよ。どう? 動ける?」
その言葉で瑛士はもう一度目を覚ました。薄汚れた天井と柔らかな灯り、そして彼の顔を覗き込むリックの顔が見える。
彼はジェオスの大声に刺激されて一度は目覚めたのだが、回復量が足りなかったのか、すぐに倒れてしまった。そのためリックは、そこにさらにナレスも加えて、治癒系魔法を瑛士にかけ直したのだ。
「多分、まだいつもみたいに魔法は使えないんじゃないかなって思うんだけど。私の魔法じゃ魔力の回復はできないから。ごめんね」
「いえいえ! 全然大丈夫ですよ。怪我が治ればそれだけでオッケーですから! ほんとありがとうございます、リックさん。助かりました」
「ふふっ。どういたしまして♪」
安静の状態から起き上がってお礼を言う瑛士に、リックは彼の背をぽんぽんと叩きながら優しく笑顔を見せる。
「えっと。そして、あなたは?」
瑛士はリックの隣に座っている女性に視線を移し、尋ねる。外見の年齢はリックと同じくらい。つまり20代前半といったところか。
「ナレス・ヴィナガールです。この診療所で医師をしております」
「あっ、これはこれは……。三上瑛士です……」
彼女は立ち上がり、深々とお辞儀をする。その改まった態度に、瑛士は思わずベッドの上で正座になって頭を下げる。
「ナレスさんがここを貸してくれたのよ。私とザラルさんがエイジくんを運んでいたら、声をかけてくれて。エイジくん、危なかったのよ?」
「そうだったんですね!? 俺、死ぬとこだったんですね!? ナレスさん、ありがとうございます! 命の恩人です!」
「いえ、これが仕事ですので……。それにリックさんの治癒系あってこそですし……」
何度も頭を下げる瑛士に、ナレスは恥ずかしそうにもごもごとそう言った。そして赤くなった顔を隠すためか、椅子に座って下を向いた。そして突然立ち上がり、「エイジさんの分のお飲み物お持ちしますっ」と部屋から出ていった。
「上品で優しそうな人だなぁ。ところでザラルさんは? ザラルさんもいるんですよね?」
「さあ? どこ行っちゃったのかな……?」
「あいつは上じゃない? そこの黒魔族さんとお姉ちゃんがあんたを治療してた時に部屋から出ていったのを見たわ」
ベッドから離れた場所に座って本を読んでいた、短髪の少女。瑛士がリックに対して投げかけた質問を拾った。
「あ、ありがとう。……で、君は誰?」
瑛士は少女に質問した。彼女はようやくの出番に小さな胸を張って自己紹介をした。
「あたしはジェオス。ここでお姉ちゃんと一緒に暮らしてるの。お姉ちゃんの助手もしてるのよ」
「俺は三上瑛士。お姉ちゃんってことはさっきの……えっと、ナレスさんの妹ってわけか?」
「そうよ。……何見てんの?」
「ふぇ!?」
瑛士はよそ見をしてジェオスの少し上、彼女のエンゼリングを見ていた。彼女はそれに気づき、頭上のそれを取ってこちらに輪っかの穴を向けてきた。
「何? これが珍しい? あんたたちは持ってないんだもんね。そりゃそうか」
「いや、君みたいな子でも持ってるんだなって思って……」
「当たり前じゃん。私より子どもでも持ってんのよ。ま、魔法が使える人だけだけどね」
ジト目を使って呆れた様子。そしてリングを元の場所に戻した。
「ねえ、あんた非魔族っていうんでしょ? 非魔族って一体なんなの?」
いきなりジェオスはそう質問した。
白魔族界では、非魔族や黒魔族は空想上の存在である──それは以前ザラルから聞いた。ジェオスは非魔族のことはよく知らないようだ。
「非魔族ってのは、魔法が使えない人々のことだ。白魔族にも一定数いるみたいだけど、非魔族は全員が全員、魔法使えないっていう……」
「それ、不便じゃない?」
「いや? 俺たちにとってはそれが普通だから」
「ふーん。おかしな人たちね」
「あはは……」
初対面で年上の瑛士に対してもこの物言い。あまり得意ではないタイプであるため、瑛士は愛想笑いが精一杯だった。
瑛士は床に足をつけて立ち上がろうとした。ずっと寝ていた関係で一瞬立ちくらみがするが、すぐにおさまった。
「あれ? あんた、どこか行くの?」
「屋上だ。ザラルさんがそこにいるんだろ?」
「そうよ。だけどあいつに何の用なの? あいつ、外の人よ?」
「外って……。いやまあ、そうだけど」
「あいつらは中央街に入ることは許されてないわ。外にいるのは魔法を使えないの、罪を犯したの、それから議会に逆らったの。きっと碌でもないやつらばっかりよ」
ザラルを見下した言い方だった。白魔族界での階級や教育からしては当然のことだが、瑛士はそれに腹を立ててしまった。
「外とか内とか、どうでもいいだろ。君に何が分かるってんだ」
つい冷たい言い方になってしまった。黙り込むジェオス。沈黙が流れる。瑛士はそれ以上は何も言えなかった。
「ごっ、ごめん。俺こそ何が分かるかってね……。じ、じゃあね……」
瑛士は病室からそそくさと抜け出した。そして階段を上っていった。向かった先は屋上。屋上といっても二階の一つ上。つまりこの建物は三階までの高さしかない。
──悪いことしたなあ。なんで年下の女の子にあんなこと言っちまったんだ。
後悔しながら間隔の狭い一段一段に足をかけて上る。
屋上の扉に手をかけ、ゆっくりと取手つきノブを押し下げる。外の温かな空気が扉の隙間から入り込んでくる。その感覚に瑛士は懐かしいものを感じた。
「……」
懐かしさの正体に気づくと、瑛士は目を閉じて深呼吸をした。ほんの数日前のことだが、もうすでに過去のものとして感じている。
「すぐに取り戻してやるさ」
自分に言い聞かせるように、わざと声に出す。ぐっと扉に力をかけ、開いた。
彼は屋上に足を踏み入れた。
ザラルはそこにいた。薄汚れた服に身を包んだ後ろ姿がある。彼は柵にもたれかかりながら、まだ破壊されていない綺麗な建物を眺めていた。
瑛士が「ザラルさん」と一声かけると、彼はこちらを向き、笑顔を向けてきた。
「よかった。治ったんですね。もう動いていいんですか?」
「魔力が空っぽっぽいんで、しばらくの間は魔法が使えなくなってますけどね。そのうちそれも戻るみたいですけど。……病室は女の人ばっかりなので、なんか居心地悪くなっちゃって」
嘘はついていない。瑛士は頭をかいた。もっとも、気まずくしたのは自分なのだが。
「大怪我をされたところにこんなこと言うのもどうかと思うのですが、あんな目に遭って、正直安心しました」
ザラルは瑛士に近づきながら、そう言った。その声色はなんだか悲しそうだった。
「え?」
「君のような少年がものすごい魔力を持っていて、戦線に出るなんて信じられなかったんですよ。ほら、エイジさんは僕よりも若いじゃないですか」
「あー……あの、年下の俺に『エイジさん』はやめてください……。なんかこそばゆいっす……」
瑛士に背を向け、彼は続ける。
「それに君は非魔族の一般人。訓練を受けた元護衛団の僕や、黒魔族界で活躍する、同じく訓練をしているであろう彼女とは違うでしょう?」
瑛士が怪我をしたのもそれが理由だった。爆風に押されながらも空中でうまくバランスをとって綺麗に着地する二人に対し、瑛士はただ勢いに身をまかせるしかなかった。その結果、建物に思い切りぶつかり、数メートル落下した。死ななかったのが不思議なくらいだ。
「だから、実は本当にただの一般人なんだっていう一面を見られたことが、なんだか嬉しいんです。あ、嫌味じゃなくてですね……」
ザラルは振り向き、慌てて自分の発言の失礼を詫びる。
瑛士は首を振って構いませんよ、と流す。
「なんも間違ったこと言ってないですよ。実際ただの一般非魔族ですから。でも、他の人たちと違うのは、偶然魔力を扱う力が手に入ったことです。だから、俺は戦う必要がある」
「それはエイジさ……エイジくんの意思なんですか!? 危険なことは明らか。怪我では済まない──つまり死ぬかもしれない。それでも戦おうとするのは何故なのですか」
ザラルはまた疑問を投げかけた。
「前に言いましたよね? 白魔族界に来たのは友達を助けるためだって」
瑛士はザラルの隣に移動した。年季を感じるほど古ぼけた柵でありながら、その強度は健在だった。瑛士は腰をかがめて柵に腕をのせた。
「最初は俺も戦うなんて思ってなかったんです。でも黒魔族のベリドと出会って、途中まではあいつに好き勝手される形で、最終的には俺がレグナを追い払って。メガ──中央議会の奴らが非魔族界にやってきて、そしてここで白魔族であるザラルさんにも出会って、みんなでオズマを倒そうとして。もう誰が正しいとか、黒魔族だとか白魔族だとか考えず、助けたいものを助ける、やりたいことをやる。そういうことにしたんです。……つまり戦うってのは正真正銘、俺の意思です」
話し終わる時には、瑛士はザラルの方を向いていた。相手も瑛士の方を見ている。そして、笑った。
「なるほど……。友達のため、ですか。」
「ザラルさんも、もう俺の友達みたいなもんだと思ってますよ。一緒にオズマを追ってる仲じゃないですか」
「!」
ザラルは驚きの表情を一瞬浮かべ、笑った。
「はは……。そうですか。君はすごいな……」
「ザラルさん?」
「いや、変なことを言ってしまいましたね。すみません」
片手で顔半分を覆い隠す。眉間の辺りを指で揉み、自分を落ち着かせている。
「エイジくーん、ナレスさんがせっかくお茶淹れてくれたのに冷めちゃうよー。ザラルさんも、一旦戻ってきてー」
リックが屋上の扉を開けて二人を呼んだ。
「あっ。はーい」
瑛士が手を上げて返事をする。部屋に戻ろうと歩き出した。
その時、ザラルは何者かの気配に気がついた。方向は背後。先ほどまで見つめていた巨大なビルディングの方。
「エイジさん! だめだ! 何かくる!」
ザラルは立ち止まり、瑛士たちに向かって叫んだ。
「は!? えっ!? 何かって、何すか!?」
「分からない!」
ドゴーンと腹の底が響くような爆音。同時に地震が起こる。いや、地震ではない。地響きを起こすほどの衝撃が近くで起こったのだ。
「ザラルさん! あれ!」
瑛士たちから見える建物一つが、大きな煙をたてながら沈んだ。連鎖するように隣の棟も崩れる。
「これはまさか……!」
そしてついに診療所の隣のビルが爆発した。
飛んでくるガラス片や瓦礫を必死で避ける瑛士。診療所の屋上にも何本か柱が刺さった。
「危ない!」
ザラルは魔力を解放し、落ちてくる建物の破片や家具を操作系魔法で弾き飛ばした。
破片に混じって落ちてくるのはそれだけではない。老若男女問わず、人が落ちてくる。勿論息はない。診療所の屋上に叩きつけられる死体。落ちた衝撃で更に血がどっと吹き出す。
「うっ……」
「エイジくん、ちょっと落ち着いて! はやくこっち来て!」
こう一日に何度も死体を見てしまうと、精神がもたない。瑛士はリックに軽く精神系をかけてもらい、気を紛らわせた。
「ありがとうございます、お二人とも。ザラルさんもそろそろこっち……に……」
張った声がしぼんでいく。リックからはエイジの体で屋上の様子が見えない。「どうしたの?」と覗き込む。刹那、彼女の顔も恐怖に強張った。
「次は……どこだ……」
いつの間にかその場には新たな魔族がいた。
生存者を見つけて、死体たちと一緒に落ちてきたのだ。
「殺ス……コロス……」
体にぴっちりと張り付いた真っ黒なスーツ。露出していた手や、頬すらも返り血が変色して黒くなっている。
「お……!」
「オズマだっ! ザラルさん、離れて!」
建物を破壊してきたのは、予想通りオズマだった。血に染まった体と、怒りと憎しみと狂気に満ちた目は変わっていない。
「シロ……マゾク……。ヒ……マゾク……」
だが、様子がどうにもおかしい。動きにキレがない。いつものように攻撃を仕掛けてこない。それどころか、汗が滲み、少し息が切れているようにも思える。
「もしかしてそれ、自分の血なのか!?」
瑛士は呟く。それを聞いてザラルはぴんときた。瑛士が大怪我をした直後に見た巨大な魔法のことだ。あれは中央議会の誰かが使ったものであり、その対象となったのはオズマなのだと。
「あれを受けてもまだこうやって生きていられるのか……。俺が終わらせてやる」
ザラルはエンゼリングからさらに魔力を引き出した。優しげな目つきが獲物を見据える目に変わる。
「はっ!」
破壊系を撃つ。オズマは何も感じないと言わんばかりに、その場から全く動かず、魔法を避けなかった。
勿論全弾当たったわけではない。数秒後、彼の魔法の威力で、床が崩れた。多くの衝撃を受けて、脆くなっていたのだ。オズマは二階に落ちていく。
「しまった! まだ下には……!」
ザラルも続いて、穴に飛び込んだ。
オズマが落ちたのは瑛士が借りていた病室の隣の部屋。ただならぬ物音に、ナレスとジェオスが飛んできた。
「なっ、なになに!? なんの音!?」
「リックさんエイジさんザラルさん、大丈夫ですか?」
散らかった部屋の中に佇む男。扉から覗く姉妹に背を向けて立っていた。
「ひっ……!」
「な、なんなの、あなたは!? 天井に穴開けちゃって。直しなさいよ!」
「……」
彼を見てナレスは悲鳴をあげる。ジェオスはいつもと調子を変えず、強気で迫った。
オズマは背を反らして背後を見る。恐ろしく見開かれた目。そして全身にこびりついた血の匂い。
「きゃあ!」
二人は抱き合い、恐怖する。足がすくんで逃げることができない。
オズマは無言で彼女らに斬りかかる。
「危っ……ないッ!!」
間一髪で、ザラルがそれをお盆で受け止めた。ナレスが水を持ってきた時に使ったものだ。お盆はヒビが入って、割れてしまった。
「ザラルさん!?」
「あんた、なんで……」
「ここから逃げて! はやく!」
狼狽する二人に、ザラルは必死に叫ぶ。姉妹は頷き、お礼を言って外に走っていく。逃げる瑛士たちと合流した。四人は物陰に隠れて、ザラルの戦いを見守った。
「白……魔族ゥゥ……」
「それしか言えないのか、このっ!」
オズマを魔法で壁に叩きつける。
「なぜか貧民街に飛ばされたけどなあ! 僕だって優秀な護衛団だったんだぞ!」
ザラルは隣の建物の壊れた部分から露出した鉄筋を引き出した。そして操作系で圧縮し、棒状に変化させた。ぐるぐると回し、構える。エンゼリングから魔力を大量に引き出して魔力を込めた。
オズマも短剣の切っ先をザラルに向けて笑みを浮かべる。
「いくぞ黒魔族オズマ!」
先にザラルが攻撃を仕掛けた。長い形状を生かして左右から連続攻撃をするが、全て片手で捌かれる。キンキンという金属音が鳴る。彼の攻撃はいとも簡単に弾かれてしまっていた。
常に全身を動かすザラルに対し、オズマは短剣を持った腕だけを動かしている。辛そうだった表情もすっかり回復してしまったようだ。
「ずいぶんと余裕な表情……だな」
ザラルのぼろい服に汗がにじむ。運動量と魔力を扱う技術が段違いだ。表情を動かさないオズマに対し、ザラルには明らかに疲労が見える。
「そりゃそうだよな。あんな魔法受けた後じゃ、こんなの無いに等しいよな」
悔しいが、明らかな実力差だった。
「ザラルさん! ここは逃げましょう!」
「僕がやらないとっ! 誰がこいつをっ! 止めるんですかっ! 皆さんは逃げて……ください!」
リックが必死に彼を呼ぶ。だが、それに耳を貸そうとしない。金属棒を振るのをやめない。むしろ込める魔力の量が増えた。
「これでエンゼリング一本分全部だ! お前だってひとたまりもないだろーーっ!!」
ザラルは全力で金属棒を振り下ろす。
が、次の瞬間、握った所の数センチ上から先が消え去った。
「折れ……!」
それは折れたというより斬られたというべきだった。真っ直ぐで綺麗な断面がそれを物語っていた。
「俺ハ……死ナナイ……」
「くそっ!」
ザラルは残った部分を魔法で急いで引き伸ばす。
隠れていた瑛士は我慢できずに飛び出そうとした。
「〜〜〜〜!! 俺、行きますよ!」
「やめて! エイジくん今魔法使えないでしょ! 本当に危なくなったら私がザラルさんを連れてくるから!」
リックは、出て行こうとする瑛士の足をつかむ。リックは三人に変化系魔法をかけた。以前オズマが、透明化したレグナとザラルを見つけられなかったのを覚えていたのだ。
「じゃあ……五本分でどうだ!!」
ザラルは、そこら中に落ちていたエンゼリングを集め、もう一度攻撃を仕掛ける。全ての魔力を武器の強度と振り下げ速度に使う。当たればひとたまりもないはずだ。
だがオズマは、今度はザラルを巻き込んで、再び武器を真っ二つに切った。
「うああああああ!!」
また見えなかった。手のひらや胸から血が溢れ出す。魔力の使いすぎで動悸が激しく、外に流れる血の量も多くなっていた。
「ザラルさん! 殺されちゃいますよ!」
「そ……それがどうした!」
ザラルが普段とは違う、どすのきいた声を発した。瑛士もリックも、驚きのあまり言葉をなくす。
「これが僕の意思なんだ! 白魔族界の平和は僕が守ってやる! こんな奴に……こんな奴に同族を殺されてたまるか!」
突然雷鳴が轟き、中央街のビル群の中に、一つの魔力の塊が現れた。
「なに、これ!? きゃあああっ!」
「なんか、でかい魔力が……!! ……でっかすぎて、魔法解析できねえ!」
少し前に放たれたメガの魔法ほどの規模の魔力。瑛士は全身にぶつかる魔力に耐えきれず、思わず意識を他に向けた。
オズマとザラル、全身傷だらけで砂埃にまみれた二人の間に、豪華な衣装をまとった男が現れた。
彼はオズマとザラル、そして周りの景色を見回した。
「聞こえたぞ、お前の叫びが。よく言った」
「あ、あなたは一体……?」
ザラルは尋ねた。男は威風堂々たる様子でこう言った。
「黒魔族王──ブレッジ・ラダラトゥス」




