四話:カミングアウト
昼休み後の二コマ、つまり今日の授業全てを終えた瑛士の元に、教科書やノートを詰め込んだカバンを持った宗真がやってきた。
「エイジ、行こう。コンビニ寄って昨日の続き読もうぜ」
「お、おう」
特に部活に入ることなく、高校に入って一年と少しが過ぎ去った二人だった。それでも楽しいといえば楽しかったし、それで十分だった。
「それでよ、エイジ。お前、昼休みの用事ってなんだったんだよ? その後帰ってきてからもなんかおかしかったぞ」
「ええ〜? そうか? お前の勘違いだよ。昼のことも大したことないよ。」
自転車を漕ぎながら瑛士は笑って誤魔化した。だが心の中では疲弊しきっていた。授業中もずっとベリドに話しかけられたり、実験的に不要な魔法を使われたりで散々だったのだ。とりあえずベリドは学校に置いて、急いで出てきたが、それでも不安しかなかった。
「帰りのホームルームの間ずっと倒れてただろ?」
「いや、まあ、大丈夫だって。全然疲れてねえもん──」
「ほーん。よかったわ、俺ちょーっと調子乗ってもたなーて、思ってたんやけど」
耳元で静かにベリドの声がした。
──あああああああああああああ!!!!!
一瞬ハンドルを握る手がぐらついた。
宗真が近くにいるため何もできないが、瑛士はもう一度ベリドを、今度は拳で殴ってやりたいと思っていた。何と言ってもベリドのせいで授業に集中できず、また昼前の授業のように恥をかいたのだから。
「ソーマ、ごめん。やっぱ俺疲れてるから急いで帰るよ。お前だけ読んでおいて、ネタバレはすんなよ!」
「え? お、おう」
ソーマは自転車をぎゅんと飛ばしてみるみる遠くなっていく瑛士を見つめた。
「エイジ、やっぱなんかあったのかなぁ……。あ?」
ふと胸ポケットに入れていた宗真の携帯電話がピロンと短く軽快な音を鳴らした。傍に自転車を停め、縁石ブロックに足を置く。確認した通知の一番上にあった名前を見て、宗真はその場で文字を打ち出した。
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一方その頃、瑛士は必死の形相で自転車を漕いでいた。周りのことは気にせず、ただただ走った。
「なんで! ついて来てんだよお前は!!」
「あー、そんなとばすなや、危ない。落ちてまうやろが」
「落ちろよ! 邪魔だから! そもそもこの乗り方は禁止されてるんだぞ。警察に捕まったらいろいろ厄介なんだぞ」
「んな無茶な。今の俺は見えへんから大丈夫やって。あ、せや。俺は白の捜索の拠点をお前ん家にすることにしたさかい。そういうことでな」
「はあ!? おま、何勝手に決めてんだよ──」
そう言って思わず後ろを振り向いた瑛士はバランスを崩した。やばい、と思ったがハンドルを持つ手がいうことをきかない。
──あ、顔面からいくか?
人間は緊急時になれば逆に冷静になってしまうという。瑛士は倒れるまでの時間がスローモーションのように感じられた。だが、いつまでたっても倒れる気配はない。
「ほら、危なかったやろ」
気づけば瑛士は自転車にまたがって、普通に足をついて立っていた。正気に戻ると、また頭がくらくらする感覚に襲われた。
「お前が……助けて……くれたのか?」
「ああ。感謝せえや」
「……おう」
瑛士はまた自転車をゆっくりと漕ぎだした。ドップラー効果を感じる救急車のサイレンがかすかに聞こえる。まだ明るい四時過ぎの街を、ゆっくりと。
「あのさ、契約ってさあ、メリットデメリットって何かあるのかな」
少しして瑛士が後ろのベリドに話しかけた。
「……というと?」
「ほら、お前が魔力を使うと俺が疲れるじゃん? お前の方には何もデメリット無いわけじゃん。それって不公平だと思うんだよね」
「どうやろか。まあ無いんちゃうか。お前ら非魔族に無いものを俺ら魔族が持ってるわけやん。お前は気にせんでええぞ。魔力だけくれや」
「ふーん……。あ、そろそろ俺の家に着くから。降りろ」
瑛士は自転車のブレーキをかけた。
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そして次の日。
「おはよ〜……」
「おう、エイ……ジ? どうした? かなり疲れてるような」
翌日、瑛士と宗真はまた昨日と同じように玄関で挨拶を交わした。瑛士が疲れ果てている理由は言わずもがな、ベリドのせいである。
昨日、ベリドは結局瑛士の家までついてきた。瑛士が母親にただいまを言う前にどたどたと上がり込み、もちろん透明状態のままなので母親は認識できるはずもなく、瑛士が怒られる羽目になった。
飯の問題については、ベリドが二つの魔法の組み合わせ、精神系と創造系を使って、瑛士が食べた物と同じメニューを出すことに成功した。瑛士が食べた物の記憶を抜き出しコピーして、それを魔法でかたちにする、という仕掛けだ。二つの魔法を使うのでもちろん瑛士には負担が大きくかかるが、これが一番上手くできていた。
この時抜き取った記憶は一応瑛士と繋がっており、コピーが終わると元に戻している。昼休みな時、瑛士がたまたま記憶が消えなかったからよかったものの、もし記憶をごっそり消していたとすれば、大きな魔力が必要となり、既に契約されていた瑛士はたちまち命を落としていただろう。瑛士はベリドからそれを聞いてぞっとした。
そして夜、時間が許す限り瑛士のことを根掘り葉掘り聞かれた。質問に答えないと今後制限なく魔法を使うという脅し付きで。確かにベリドも自分のことを話したが、瑛士も自分の周りのことを話さなければならないとは聞いていなかったため、割に合わない気がした。だが、殺されてはならない、と瑛士はベリドの質問に半泣きになりながら全て答えた。
瑛士が寝るときにはまだベリドは瑛士の部屋の窓の外を見ていたが、朝起きた時にはベリドは起きていた。寝ていないのか、それとも睡眠時間が短いのか。気にはなったが、わざわざ質問する気分にはならなかった。
「あー、まあ、気にしないでくれ」
そう言って宗真に笑いかけた瑛士の目は、笑っていなかった。もちろん、そのことは宗真は気づいていた。
「おはよう。三上くん、佐田くん」
ふと二人にかけられた声。何気なく振り向く瑛士の前に居たのは、瑛士の恋する相手、風華だった。
「……おはよ──」
「わっ! 江里さ……おは、おはよう、ございま……」
瑛士はいつも通りの、宗真の挨拶を遮るほどの焦りようを見せた。その様子に風華はふふっと笑って少し駆け足で、彼女の親友の飛鳥の待つ玄関に入っていった。
「よかったじゃーんエイジ。江里さんお前のことちゃんと認識してたなあ」
「いや、あの江里さんのことだから、きっともうクラス全員分の名前くらい覚えていたのさ。わざわざ俺に挨拶なんてするか? てか俺、江里さんに変な印象与えてなかったよな? な?」
「エイジ……やっぱお前ダメな奴だわ」
宗真は笑って瑛士の頭をペシペシと叩いた。
「なっ、それ、どういうことだよ」
「さあな。ほら、俺たちも行くぞ」
昨日と同じように、瑛士は宗真の後ろをついていった。廊下を曲がったところであの声が耳元で囁く聞こえた。
「はあ……さっきのがお前の片思いの相手っちゅうアレか。まあ、お前が女神て言うんも分からんでもないわな。くっくっく……」
「!!」
──くっそぉぉおおおおお!!!!
瑛士は顔が真っ赤になった。女神という形容は昨日ベリドの質問攻めの中で、瑛士が好きな人の印象を尋ねられた時に言ったことだ。瑛士があまりに熱く語りすぎたせいでベリドの方が質問を打ち切ったほどだ。
「ええやん? お前、頑張ったったらええやん?」
「人の気も知らないでよく言うよ……」
「エイジ? どうした? なんか言ったか? ……あとあまりにも顔が赤い。気持ち悪い」
「あ、いや……」
つい声が大きくなってしまっていたらしい。宗真が振り向いた。
「やっぱりお前昨日から変だぜ? なんかあったか? てか、なんかに取り憑かれてんじゃねぇか? 悪霊とか、悪魔とかよぉ。」
「ぃてっ……」
振り向きざまに何気なく振られた宗真の弁当袋 (今日も中身はおにぎりのみ)が瑛士の隣のベリドを捉えてしまった。
「ん!! おいエイジ! なんか! なんかだ! なんかあるぞここに!!」
宗真はパニックになり、瑛士とベリドも少なからず焦っていた。
「あと、これはさ……あの……ほら、なんだ」
焦る瑛士の口からは、何も上手い言い訳が出てこない。
「ここでこれ以上騒がれたら俺の存在がおおっぴらになってまう。なんとかしてこいつを黙らせぇや。その後こいつの記憶を破壊する」
瑛士は頷くしかなかった。とりあえずまた後で詳しいことは話す、と言ってなんとかその場は治まったが、何か煮え切らない感じだった。
そして昼休みがやって来た。