二話:彼は黒魔族
瑛士と宗真は屋上に腰を下ろした。
屋上は危険だから立ち入りが禁止されているはずだったが、生徒会に入っている男子生徒から「ん? 屋上? 校則でもべつに禁止はされてないけど。皆が知らないだけだよ」と聞いたことをきっかけに、二人は昼休みに屋上に来ることが多い。むしろ学年が上がってからは毎日来ている。ちなみに屋上に来はじめたのは昨年のことだったが、未だに瑛士たちの他に屋上にやって来た者を、二人は見たことがない。
「そ、それにしてもさ、お前、あれは……くくっ」
授業の最後に瑛士がかなり狼狽えたのが宗真のツボに入ったらしい。笑いすぎて涙で目が潤んでいる。
「おいソーマ、笑いすぎだぞ。てか、あれはナルトがおかしいんだって。何で列をポーンと飛ばすのさ」
「ああ、そうだな。すまんすまん。くっ……」
そう言いつつもなお、宗真は笑いを抑えられていなかった。彼が掴んでいる錆びた鉄柵も小刻みにがくがくと揺れている。
「もういい、飯だ、飯。さっさとそんなこと忘れてくれよ」
瑛士は不機嫌な様子で弁当の袋を広げた。その途端に二段の弁当箱の蓋が開いて、二本の箸が屋上の地面に散らばった。
「ああああ、もう、最悪だあッ!!」
「ぶはっ!! エイジ踏んだり蹴ったりだな!!」
吹き出しながら宗真も弁当の袋をあけた。彼はいつもと言っていいほど、シンプルなおにぎりのみの弁当だった。腹が膨れればそれでいい、ということだ。シンプルといっても具が多様で、一応差別化はできているらしい。
だが今日は何かが違った。
「……あ?」
「どうしたソーマ」
宗真は目を見開いてゆっくりと瑛士の方を見た。この表情は怒っている時の顔だ。しかも結構本気。瑛士もはじめは何も知らなかったが、一年一緒にいて宗真のことが分かってきた。
瑛士は思わず弁当を軽く持ち上げて後ずさりした。
「俺の飯ねぇんだけど」
「い、いや知らないぞ?」
「朝、俺、ちゃんと確認したんだけど」
「そう言ってもな?」
「……おう。ま、いいや。食堂でなんか買ってくる」
宗真は納得のいかない表情で校舎内へと続く扉をひいた。階段をバタバタと駆けおりる音が聞こえる。
宗真を見送ったあと、瑛士は思い出したように地面に転がった箸を持って、近くの水道に汚れを洗い流しに行った。階段の近くには水道はなかったため、少し歩くこととなった。こういうことも見越して瑛士は弁当に蓋をかぶせておいた。
瑛士は箸をさっと水で洗い、ぶんぶんと箸を振って水気を切った。多少制服にかかったが、気に留めない。
「あ〜なんか疲れるな〜もう」
瑛士は日頃溜まったストレスをぶつけるように、屋上の扉を荒々しく、がんと開けた。
「も!?」
「うぇ!?」
瑛士たち以外は誰も来ることのないはずの屋上に、人がいた。その驚きで瑛士も相手も思わず声を上げてしまった。相手の制服は瑛士の着ているものと似ているが、若干色やラインの入り方が違う。
「あ”ーーーっ!! お前それ何してんだ!!」
相手よりも先に我に返った瑛士は、目の前の見知らぬ生徒が持っているものを認識した。彼は瑛士の弁当箱を持っていたのだ。チラリと見えた中身は半分くらい消えている。もう片方の手にはご飯粒が二、三粒ついている。
──こいつ手で食ったのか!?
そう冷静に考える暇もなく、瑛士は目の前の謎の人物に向かって走り出していた。
「ああ、ふぁんあ。ひょとふぁあふぇっふぇ」
「うるせぇぇえっ!!!」
弁当箱を地面に置き、両手を上げて言い訳をしようとするが、そこに瑛士の平手が飛んできた。あまりのとっさのことに、その人物は避けられなかった。ぱちんという乾いた音とともに、後ろにどさっと倒れた。
「何……すんねん」
平手を受けた相手は、なんとか吐き出す前に口の中の物を全て飲み込んだようだ。その口から出たのは意外にも関西弁。
「何すんねんこらぁぁああ!!」
関西弁の少年は、グーで瑛士の腹を殴った。衝撃で瑛士はよろけながら数歩後ろに退がった。さっと少年の方を向ききっと睨みつける瑛士。少年も同じく瑛士を睨んでいる。
そして二人の睨み合いは殴り合いに発展した。
「何すんねんはこっちのセリフだ! 勝手に人の弁当食いやがって!」
「こんなとこに置いとったら食わんもんやと思うやろが!」
「普通に考えて弁当丸々捨てるバカがいるわけないだろ!!」
「普通てなんや普通て!!! そんなん知るかい!!!」
「常識で考えろよ!!!!」
「お前の常識を押し付けんな!!!!!」
「ゔっ……」
少年の上に馬乗りになった瑛士は、少年の動きを封じようとしたが、少年の拳の速さには勝てなかった。少年の硬い拳が、瑛士の顔面の中心を綺麗に捉えた。そして瑛士は鼻血をポタポタとこぼしながら少年の上にどさりと倒れこんだ。
「汚っ!! 顔に血ィ垂らすなや気持ち悪い!! ぺっぺっ!」
少年は瑛士を屋上の地面に放り、立ち上がった。瑛士はまだ鼻を押さえて左右へ転がりながら悶絶している。
「……」
少年は瑛士の方を指差し、目を閉じた。すると、指先から白い光の玉を出した。光球は瑛士に近づき、ほわんと消えた。
「ううう……う? あれ……?」
いつの間にか血は止まっていた。そればかりか、さっき殴り合いをした際に痛んだ体もすっかり治っている。
「俺、腹減ってたんや。朝、俺に握り飯……やっけ?をくれたお前に、たかってもたってとこや。お前の鼻の怪我治したったさかい、それでチャラや」
少年は瑛士に言った。
「いや……あー……こっちもいきなり手出すのはまずかったし……。なんか、俺も、ごめん」
急に改まった少年につられて、瑛士は頭を下げた。
「それにしても、君はどこの学校の生徒なんだ? もしくは転校生? ここにいつ忍び込んだのさ。てか自分の学校の授業は──」
「いや、俺はここの生徒ちゃうし、そもそも学校に通うこともないし? ここまで来んのも正味楽なもんやし?」
「ああそうかい。じゃあこんなとこに侵入するだなんてバカなことやってないで、さっさと家に帰ってくれ。通報するぞ」
「誰がバカじゃボケぇ! 俺は仕方なくここにおんのや! ゲートができた場所がここやったさかいに目印としてな!」
そこまで喋った後に、少年はしまった、というように口を手で押さえた。
「は?」
──初対面なのにいきなり痛い設定ぶっ込んでくるなぁ。あんな真面目な顔でよく言うよ。ま、こそこそ忍びこんで弁当食うくらいだもんなぁ……。
「じゃあ、下界の人間じゃない君は何なんだ? 天上の人間ってか? 自分は天使か悪魔の生まれ変わりか、もしくは進行形ってやつ?」
厨弍病というものを患っていた過去のある瑛士。白き翼を広げ天空を翔ぶ天使となっていたのは昔のこと。治る時期は人それぞれだろうと、少し彼の設定に付き合うように話を合わせた。
「ん……まあ、そんなもんやけど。厳密には俺は”魔族”や。もっと言や、魔法を使う、”黒”の魔族。そんでお前らは、魔法を使えやん”非魔族”」
「はあ……」
さすがの瑛士も呆れながら、ビシッとこちらを指差す少年を見た。少年ははじめ、秘密を口にして後悔した様子だったが、もう意地になってきていた。
「嘘ちゃうぞ? まあ、今はもう殆ど魔力量なくなってもてんねんけどな。まあ見とけや、ほい」
少年がそう言って指を鳴らすと、彼の足の先からぽぅっと紫色の光が出た。
「それ! 朝、ソーマの弁当袋から出てきたやつ!!」
瑛士は、その光には見覚えがあった。少年が指を鳴らすと同時に瑛士は少し自分の体に違和感を覚えたが、気のせいだとすることにした。
「……!! まさかお前、これ見えとったんか? この光は”変化系”を使う時に出るもんや。例えば……」
「たも……?」
瑛士は少年の言った言葉の意味は分からなかったが、目の前で起こったことだけは理解しようとしていた。光は少年の足元から頭の方まで這い上がるようにゆっくりと移動した。そして光が過ぎた後の少年の体は──なかった。
「えっ! おい、あのっ……それ、消えっ……。ええっ!?」
瑛士は完全に消えてしまった少年の下半身を見て混乱した。対して少年は至って冷静に説明した。
「例えば今は俺の体を無色透明に”変化”させとるな。ほんまに消えてるわけとちゃうで。……てか魔法と切り離された種の非魔族が魔法を見れるとか聞いてへんねんけど? 嘘情報やったんか?」
そう言っているうちに、少年は完全に消えた。
「ほい。まあこんなもんや」
少年は透明な間に素早く移動したらしく、急に瑛士の眼の前に現れた。その姿はもう制服ではなく、また別の、言わばアニメのコスプレのような服装に変わっていた。
白シャツの上に着た黒いベスト。それより少し薄めのスラックス。右腕には何かしらの文字が書かれた腕輪が取り付けられていて、そして一際目立つのは襟に巻かれたスカーフについている宝石のような物体。
「すごいな。本当に魔法が……。それにしても、本当にいるんだな、その、悪魔ってのは」
瑛士はもう驚かず、感心した様子で少年を上から下までじっくりと眺めた。少年の服装の、全体的に暗いイメージは、瑛士に悪魔を彷彿とさせるものだった。
「ちゃうて。”悪魔”やのうて、”黒魔族”。お前らのイメージはそうかもしれへんけど、実際は俺らそんなんとちゃうから。そのへんはハッキリさせといてくれ」
そう言った少年の表情は無意識的に硬くなっていた。
「あ、ごめん。黒魔族、だね。覚えとくよ。……で、そんなやつがなんでここに?」
「それは……言えん」
瑛士の疑問は少年にはぐらかされてしまった。
「あ、そうだ。君、名前はなんていうの? 俺は、三上瑛士。よろしく」
「よろしく、やと? ん、あー……」
その返答に瑛士は少し驚いた。得体の知れない存在ではあるが、話し合いをしている内に少年とすっかり打ち解けたものだと思っていたからだ。
「今思い出したことがある。さっきから話し込んどいてすまんのやけど、俺、あんたの記憶消さなあかんねん。あんまり俺らの存在知られたら難儀やから。ま、ちょっとの間の話し相手やったってことで。ありがとさん」
「き、記憶を消す⁉︎ 急に何で? 俺は誰にも喋んないよ、秘密にする」
「そう言われてもなあ。非魔族側に魔族の存在知られてもたらあんまよくないみたいなんよな」
少年は瑛士に向けて左手を向けた。
「せや、どうせ消えてまうけど俺の名前、教えといたるわ。俺の名前はベリド。ベリド・ディビロマンフ。ええ名前やろ?」
「えっ、いや、待っ……」
「ほんじゃあの」
少年は右手の指をぱちんと鳴らした。