二十八話:再び異世界
──メガが……セルが……。白魔族界に帰っちまう……! これを逃すと……俺の世界が……!
「……上手くいきましたですかね」
ふと瑛士の耳に聞こえてきたのは文法がおかしい言葉。
「何……っぶ!」
それに一瞬気をとられた瑛士は、隣にいたベリドとぶつかった。二人は、自分の世界へ戻る白魔族を引き止めようと走りだしたところだった。そのまま彼らはぶつかり合い、左右に転んでしまったのだ。
「ありゃありゃありゃ。大丈夫ですかあ?」
そして文法のおかしい言葉を話す彼は後ろからやってきて、瑛士とベリドの顔を交互に覗き込んできた。
背丈は普通に高く、痩せ型なため細長く感じる。ゆらゆらと揺れる身体は彼の掴み所のなさを表しているようだ。彼はベリドと同じような上着こそ着ているが、全体的に崩れている。首元にはベリドと同じスカーフが雑に巻かれていて、首を振るごとにそれもぱたぱたと揺れる。
「あっ、と、僕は大丈夫です……。あなたは一体?」
立ち上がり、服についた砂を払いつつ、瑛士は目の前の男に尋ねた。そして改めてその容姿を見る。
「ぼくはねぇ、ジェムです。ベリドくんがいなくなっちまったから、ちょいと探しに来たのですよ。……あー、君はアレだね。エイジくんだね」
「あっ、はい。三上瑛士です。よろしくお願いします。ジェムさんは、こいつを迎え……」
隣を見ると誰もいない。まだベリドは起き上がれない様子。白魔族の魔法に足腰をやられたのだろうか。瑛士は、ぶつかって倒れたままのベリドに手を貸した。
「……っ。すまんな、エイジ」
ベリドは足を震えさせながら立ち上がった。きっとメガから受けたダメージが残っているのだろう。そして声は小さいが礼を言う。
「ほー。こりゃあ驚きですね。あのベリドくんが謝るなんて」
「うるさい……ジェム」
「やっぱぼくにゃ当たりキツイですねえー」
そう言ってはははと笑う彼を睨み、ベリドは「なぜお前がここにいる」と尋ねた。いつもの関西弁的な話し方ではなく、無理に標準語的にしようとしているためかイントネーションが違う。
「リックちゃんに頼まれちまったんです」
「は?」
「あ、そーだ。エイジくんたちとははじめましてですね。一応軽く自己紹介でも」
ジェムは、自分がベリドと同じく黒魔族界の特別階級に所属していることと、ベリドよりも一つ位が上だということを説明した。わざわざその説明をしたことでベリドは若干不機嫌になり、舌打ちをした。
「彼女から相談を受けたですね。君を最初に迎えにきたのは彼女だったんですよ。ですけど、この世界にゃおかしなことが起こっていたんです」
「あ……それって時間が止まっていること、ですか」
後ろにいた風華がこちらに歩いてきた。彼女はジェムが現れてから、こちらに近づこうとしていなかった。彼女の目には、ジェムがいきなり現れたように見えたからだ。
「そーそー、それそれ。えっと君は……フウカちゃんですかね? エイジくんと一緒にいるから、多分そうですよね?」
「えっ、あっ、はい」
「うん。君のこともリックちゃんから聞いてますよお。なんでもエイジく──」
「早く続きを話せ」
話す対象を風華に移していたジェムを、ベリドが引き戻す。
「はぁーあ。ベリドくんはせっかちでダメですねえ。えーと。時間が止まっててどうしようもなくなったリックちゃんは黒魔族界 に戻ってきたんです。それで、なんとかならないかってぼくに相談に来たわけですよ」
「よくなんとかなりましたね」
「うん。頼める人がいないってんだから、ぼくが頑張らないとですから。ぼくも最初は驚きだったですよ。こんな魔法どうやったらできるんだって。ちょっと解析しようとしてみても何が何だか分かりゃしないです。結局ぼくが更に助け呼んで。それでも何日か経っちまったわけですが」
「何日か、か。結構かかったんやな。でも、おかげで助かった」
「何があったです?」
「ああ、実はな──」
ベリドはジェムに、今までのことを話した。レグナの件は報告が終わっていたため、それ以降のセルとメガのことだ。ジェムののほほんとした表情は、話が進むごとに固くなっていった。
「な、なんてことを……非魔族の世界が……?」
「はい。俺たちは奴らからこの世界を救いたいんです。力を貸して頂けませんか」
瑛士と風華はジェムに頼んだ。だがジェムから得られた回答はあやふやなものだった。
「あー、えーと。今、多分こちらには敵軍を迎え撃つほどの魔力がねーんですよ。ぼくたちは白魔族よりも体内の魔力量が少ない。そして非魔族界に兵一団送るだけでも相当な魔力を使うと思うですから」
「それって無理ってことですか?」
風華が心配そうに言う。
「いや、違うですっ。そんな顔しないでください二人ともっ。ひとまず魔力たくさん持っているエイジくんとフウカちゃんには一旦こちらに来てもらって。そこでまた何か力をつけるなり誰か説得して協力仰ぐなり行動してもらう、と」
「それがいいだろう。私たちは早急に策を講じる必要がある。白魔族が黒魔族界に攻めてくるのも時間の問題だろう。ここには魔力がほとんどないからな」
「まっ、また誰か来たぁ⁉︎」
瑛士と風華が振り返ると、そこにはまた見知らぬ男がいた。
「あ、おかえりですか。それで、行った先には何かありましたか」
ジェムが少しかしこまった様子で話す。つまり、この男は更に階級が上だということだ。
「あった。もうすぐこちらに来る頃だろう」
男は瑛士とベリドの間を抜けて、ジェムのもとへと歩いていてきた。その際、わざとらしくベリドを一瞥した。ベリド本人はきょとんとした顔だった。
「その原因となったものも、私には予想がついている」
「な……なんだよ」
「すぐにわかる」
「あの、ジェムさん……この方は?」
瑛士が小声でジェムに尋ねる。
「ホーマー・エホヌットだ。覚える必要はないぞ、非魔族の少年よ」
「あ、すみません」
瑛士の声は彼に聞こえていたようで、本人から自己紹介を受けた。
ホーマーはジェムとはまた違う雰囲気の男だ。全身かっちりとした服装で、いかにも真面目で仕事ができる男、という雰囲気である。
そして、瑛士は何よりその鋭い視線が苦手だ。だからこそ先ほどの自己紹介の時に反射的に謝ってしまったのだ。風華もそれには同意見なようで、無意識的に瑛士の後ろに隠れている。
「おーい!」
聞き慣れた声が近づいてくる。
「なんや? 次から次へと──」
「あっ!」
瑛士と風華は同時に声を漏らした。道の向こうから走ってきたのは宗真と飛鳥だった。
「よう。エイジ」
「いや、ようじゃなくて……」
「フウカも。大変だったでしょ?」
「アスカちゃん……。会えて安心したよ!」
「ちょ、待てや! お前らまで、なんで動けるんや⁉︎ もしかして魔法、非魔族界にかかっとるやつ全部解いたんか⁉︎」
瑛士たちが久々の再会を喜んでいるところに、ベリドが叫ぶ。
「違いますよ」
「私が言った何か、というのはこれだ。そしてその原因というのは、お前だ」
「は?」
「ベリドくんたちを助けるために、かけられていた魔法を適当な範囲で解除したんです。だから、それに巻き込まれたのかと。彼らは君と何かしら魔法での接触があったんでしょう。ソーマくんに、アスカちゃん。二人とも魔力が流れてたみたいですよ」
「ふん。王に指名されて出かけた割に、非魔族四人に知られるという失態をして……。更に彼らに魔法で危害を加えるとはな」
ベリドはうつむき、黙り込んだ。
「なあエイジ。俺たち、気づいたらこんなことになってて……。それで、あそこにいる人に会って……」
「あたしたちはそれについてきたの。あの人、移動するの超速いの。多分、ベリドやリックさんと一緒なんでしょ?」
宗真と飛鳥はこれまでの経緯を話した。そして瑛士たちは代わりに、時間が止まった世界について、ジェムに説明した通りに話した。
「なんだよそれ。許せねえ。侵略かよ」
宗真は拳を握りしめた。
「俺と江里さんは一度ベリドたちと黒魔族界に行くつもりだ。そこでなんとかするような作戦を立てる」
「待ってくれ。俺も連れてってくれ」
「じ、じゃあ、あたしも。風華に無茶させるわけにはいかないし!」
二人も瑛士たちとともに黒魔族界に行くというのだ。それに対してジェムは「え、ええ……。君たちは戦力になるとは思えないですし……」と、あまり肯定的ではない。ホーマーもそれに首を縦に振って同意した。
そんな二人に、宗真は頭を下げ、もう一度頼み込んだ。
「お願いします! 俺たちの世界が終わるかもしれねえって時に、しかも俺たちが動けるってのに、何もしねえっていうのは我慢できないんです!」
ふうと息をつき、何かを言おうとしたホーマーを、ジェムが手で遮った。
「分かりました。連れて行くだけ連れて行きましょう。どうせ移動にかかる魔力はエイジくんかフウカちゃんから貰うつもりでしたし、二人増えても大丈夫でしょう」
「は? おいっ、なんすか、それっ!」
ジェムに突っ込む瑛士は無視される。
「ありがとうございます」
宗真は頭を下げたままお礼を言った。飛鳥もそれに続いた。
「んじゃー行きまーすよ。準備はいいですかー」
「はい」
瑛士は集中して、体の中に残っている魔力をジェムに流すイメージをした。ジェムが「おっ」という声を出す。瑛士の魔力に驚いているようだ。
「行きます!」
その声とともに、彼らは光に包まれた。
十秒もたたないうちに、ジェムが「もういいですよ」と合図した。魔力があっても多人数の移動は負担が大きかったようで、息を切らしている。
「これが黒魔族の世界かよ……」
宗真と飛鳥にとってははじめての黒魔族界だ。二人とも借りて来た猫のように、明らかに大人しくなっている。
だが、今回はベリドの時のように郊外には出なかった。今度はしっかりと建物の中に出た。ホーマーはさっさとどこかへ行ってしまったが、ジェムは瑛士たちのために適当に説明する。
「えーと……。こ、ここが黒魔城と呼ばれる……黒魔族界での最重要建造物で……」
「ちょっと、あんた。その子たち、非魔族でしょ? 今そこでホーマーとすれ違ったわ」
「あっ……ウィズ……さん」
やばい見つかった、というような様子でジェムは静止した。
ウィズと呼ばれた彼女は、瑛士たち四人を順番に指差してこう言った。
「丁度良かったわ。おしゃべりのあの子から、そこの坊やより強い子がいるって聞いてたんだけど……どの子かしら?」
なんか面倒くさそうな人だな。瑛士はそう思った。




