二十六話:再戦
瑛士たちは、再び下界に足を踏み入れた。そこには、ほんの数日前と何ら変わらない風景があった。あの時からなにも、動くことはなかったのだ。
「ほんと。二、三日しか経ってないけど、懐かしく感じちゃうね」
「きっと時間が止まったままだからだと思う。僕たちはこうやって動いて、生きているのに、この世界にはそれがないんだ」
「えっと、どういうこと?」
「つまり……。同じ時間の流れに乗ってないから感覚がずれてる、みたいな感じかな?」
風華に聞き返されて、瑛士は照れ臭そうにそう言い直した。我ながらちょっとくさい言い回しだった。
瑛士と風華。二人は落ち着いていた。彼らの頭には始めの頃の恐怖や不安はなく、ただ一つ、自分たちの世界を取り戻すという決意だけがあった。
「おいエイジ、ヘマすんなや。一応俺も加勢するけど、あくまで奴らの標的はお前らや。俺を無視してでも向かってく可能性やってあるわけやぞ」
そして一人そわそわと辺りを警戒するこの男、ベリドはくるりくるりと瑛士と風華の周りを飛び回っている。
「今度は負けないよ、絶対に。正しい魔法の使い方も覚えたからね。体力がなくなる前にかたをつけてやるさ。……だからさ、無駄なことするのやめてくれない?」
ベリドの魔力、そして今後瑛士本人が使う魔力は、瑛士の体力を削って補う。もっとも、タールが発見した『瑛士が魔法を使えるようになる条件』を満たすために体力づくりとしてのトレーニングも行なったため、以前より体力切れを起こしにくくなった。
とはいっても無駄な飛行なんてものはそもそもする必要がなく、むしろ余計なことだ。さっさとやめろ、と瑛士はベリドのスカーフを引っ張った。
「んぐ。それならええんやけどな。んで、フウカ、お前は絶対に捕まんな。立ち向かう必要はない。逃げろ。おっさんに言われたこと、忘れてないわな!?」
「は、はい!」
ベリドに急に怒鳴られた風華は、ぴんと背筋を伸ばし、慌てて返事をする。
──そう、タールさんは江里さんに言ってた。すごい力を持ってるって。
結局最後までその正体は話されなかったが、とにかく恐ろしいものであることは確かだ。それが敵側に渡ると何が起こるか分かったものではない。
偶然だったとはいえ、もともと魔法が使えていたこともあって、瑛士はタールの修行をこなすのには時間がかからなかった。
五感に次ぐ第六の感覚として存在する、魔力。それを意識することで、瑛士は、魔力を自由に使う力がついた。
『想像するんだ。魔法は体じゃない。心で使うんだ』
それがタールが常に言っていたことだった。
「ええな? 自分の身は自分で守って……」
そこまで言って、ベリドは黙った。
「どうした?」
「……来たわ。気ィ引きしめろ」
振り向いた瑛士の背中をとんと押し、ベリドが呟く。
「じゃあ、江里さんは離れて、隠れていて。僕は練習通りにやってみる」
風華は頷き、近くの電柱の影に身を隠す。
あの日と同じように、瑛士たちの目の前に、青い光と共に二人の影が現れた。数日前、瑛士に圧倒的な力の差を見せつけた白魔族。セルとメガだ。
「魔力の流れが乱れるのを感じた。どうやらお前たちはこことは別の場所……黒魔族の世界へと行っていたようだな?」
「その通りだ。さっさと時間の流れ方を元に戻せ」
「ふっ……。そうか。今度は楽しませてくれ。そして我らの望む魔力を持っていることを証明しろ」
セルはそう言い、手をポキポキと鳴らしながら瑛士の方へ近づいてきた。そして数メートル前で立ち止まる。
「どけ、エイジ!」
ベリドが瑛士の後ろから飛び出した。セルとベリドが同時にパンチを繰り出し、拳がぶつかり合う。互いの強化系が激しい衝撃波を作り出す。
しばらく押し合っていた二人だが、同時に後ろに吹き飛んだ。
「ふ、こいつもなかなかの魔力を持っているな。こんな奴を連れてくるとは、これは泳がせておいて正解だったようだな」
「セル、彼は黒魔族です。純黒魔族の魔力では、我々の力にはなりませんよ」
メガがセルに注意をする。
「おっと、そうでしたか。ならばこいつは無視します」
「はん。無視しますちゃうわ」
セルはベリドではなく、瑛士たちを見ている。その視界に割って入るようにベリドがざっと回り込む。
「俺はお前を無視せえへんで?」
だがセルは表情一つ変えることはなかった。すたすたとベリドの方に歩いていったかと思うと、彼はその体をすり抜け、瑛士たちの方へと歩いてきた。
「な、アホな!? 抜けて……!」
「セル、黒魔族は私が引き受けます。あなたは非魔族の回収に努めなさい」
何が起こったかわからないベリド。そしてそれに答えを示すようにメガがベリドに視線を向ける。
「はい」
歩きながらセルは返事をした。
「っちょ、待てや!」
「待つのはあなたです」
「うっせぇ! ……あれ?」
ベリドはセルに近づけなかった。今ベリドの背後にいるのはメガ。彼女がベリドを、まるで糸でもつけたように引っ張っていたのだ。
「先にお前とやれてことかい……!」
ベリドは引っ張られるがままにメガに向かっていった。
もう一度セルと戦う。もうあの時の瑛士ではない。黒魔族の世界に行ったことで、魔力の使い方が完全に分かった。
強化系、変化系、破壊系。それが、瑛士が使えるようになった魔法であった。三つのうちでもごく簡単な基本要素だけであったが、全くの無から短時間でここまで覚えたのは瑛士の才能があったからだった。
タールが一番得意なものは転移系。何度もコツを話してくれた。移動に役に立つのは当然のこと、戦闘においても大きく有利になり得る魔法だ。覚えておけると良かったのだが、創造系の習得を飛ばして転移系を習得するのは難しいと彼は言った。
「……どうした。さっきの威勢ははったりか? それとも頼みの綱の黒魔族がいなくなってお手上げか?」
セルは威嚇程度に破壊系を瑛士の足元に向けて放った。瑛士はそれを確認し、そのエネルギー弾にわざとぶつかりに走った。
「な! バカなのか、こいつ⁉︎」
「ぐっ……。いいや」
「!?」
セルは瑛士から発せられる魔力を感じ取ったのか、すぐに冷静になった。
瑛士の魔法使用可能条件、それは何かしらの魔力に触れることだった。今回はセルの破壊系を利用した。ダメージは負うことになるが、代わりに魔力を手に入れることができる。それが瑛士の体質らしい。タールがそれを発見した時、瑛士自身も驚いた。
「これで俺もまともに戦えるようになった」
「……はっ。ははははははは! 全く、不便なものだな!」
「不便でもいいんだよ」
笑うセルの皮肉を無視し、瑛士はタールの言葉を思い出していた。
『いいかい? 魔法を使うには本来詠唱ってのが必要なわけなんだ。使う魔法を思い浮かべ、その上で発動魔法名を口に出す』
『そうなんですね。そういえばさっき戦った荒くれどもも魔法叫んでました』
『その通り。先に例を見ていたんだね。話がはやくて助かるな。言葉に出すのは、意外にも魔法自体にも効果があるんだ。例えば高さ、大きさ、はやさ。いろいろ試してみるといいかもしれない』
ちなみにベリドが何も言わずに魔法を出すことができるのは、魔法のセンスがあり、イメージがきちんとしていて、かつ思考と身体がぴったりと同調しているからだそうだ。とにかく黒魔族最上級はすごいということだ。
「おいおい、考えごとかぁ?」
手を伸ばしてきたセルの腕をすっと避け、瑛士はその腕を掴み、後ろへ投げる。そしてそこに向かってエネルギー弾を放つ。
「破壊系ッ!」
「ぬあっ!」
放たれた魔法はまっすぐセルに向かっていき、ぱぁんと破裂した。そして彼は苦痛の声をあげながら通りをまっすぐに転がり、やがて止まった。
「す、すごい……」
自分の放った魔法が人に当たったところを初めて見た。破壊という名前に恥じない威力。そして自分たちの安全を脅かそうとした相手とはいえ、一人の人間であるものに攻撃をしたことで、瑛士は恐れを抱いた。
「エイジ! ぼさっとすんな! 早よもっかい撃て! トドメを刺した方が……ぐあああ!!」
「ベリド!? ……どこだ?」
ベリドが遠くから声をかけてきた。戦いがはじまるまで自分の後ろにいたのに、その声にかなりの距離を感じた。
「三上くん! 上だよ!」
風華の言う通り、彼は上空にいた。何やら苦しそうにしていて、橙色のモヤが彼の体全体を覆っている。そしてそのモヤは彼の足元から下に向かって伸びていた。視線を下ろすと、瑛士はあっと声を漏らした。
その先にあったのは、メガ。セルよりも強いと思われる白魔族だ。彼女は肘を曲げて小さく手をあげていた。ふるふると手を振るとベリドの表情が険しくなっていく。
「やめろっ! 強化系ッ!」
瑛士は足に魔法をかけ、全速力でメガに向かっていく。だが、その身体はいとも簡単に吹き飛ばされた。それはメガによるものではない。彼女の後ろには彼が構えていたのだ。
「な……!!」
──接近が、分からなかった!
胸に思い切りパンチをくらった。あばらが二、三本持っていかれたと言いたいところだが、まだなんとか呼吸はできるため、骨は折れていないようだ。
──転移系か。やっぱ強い……な。
「セル、殺さなければ、何をしてもいいことにします。どうやら手を焼いていたようですし……」
「ご冗談を! では、さっさと気絶させて連れていくことにします。確かにあの魔力量と丈夫さならば、多少乱暴に扱っても死にはしませんね」
セルは力を溜めるようにかがんだ。そして溢れ出すオーラ。どうやら本気モードということらしい。そして、その大柄な図体は瑛士の視界から姿を消した。
──き、消えた⁉︎ いや、これは……
「ゔっ──」
セルは瑛士の背後に移動していた。
背中を抑えられ、地面に叩きつけられる。直後のパンチは地面を転がってなんとか回避。しかし、その行動は読まれていたのか、次のキックで瑛士は壁際に追いやられた。
「なるほど。なかなか丈夫にできている。だが、残念だったな。じきにお前たちは我々の世界のエネルギーとなる」
「なんだと……!」
驚いてセルの顔を見る瑛士に対し、彼はおっと喋りすぎたか、というような表情を浮かべる。
「お前をおとなしくさせれば俺の仕事は終わり。あの女とともに回収するだけだ。というわけで、眠ってもらうぞ」
「そんなことは……」
「黙る時間だ、ミカミエイジ!」
セルは倒れていた瑛士の首に向かって手を振り下ろした。
だが直撃する直前、瑛士の体はなくなった。
「……消えた? いや!」
セルは何かに気づいてその場を離れようとした。が、一瞬遅かった。振り向いた瞬間、彼の頭を瑛士の右手が捉えた。今度は瑛士がセルの背後に立っていたのだ。
「そんなことはさせねえ! 破壊系!」
「うああああっ! ああっ!」
セルはまたも吹き飛び、メガの足元まで転がってゆく。
「エイジのやつ、ギリギリで……!」
「ああ、なんか土壇場で発動できたみたいだな。初めて成功した」
空中で動けないベリドに向かってピースサインを送る。
「それは余裕か? 油断か?」
転移系ならセルも負けてはいない。明らかに瑛士のような魔法初心者よりも魔法を使いこなしている。
だが、瑛士はそれを読んでいた。ここだ、と手を出した所に、丁度セルが移動してきた。
「後ろに来ると思ってたぜ!」
魔法で強化した腕でセルの首をぐぐぐの絞める瑛士。
「ぐぐぎぎ……! があっ!」
苦しさを取り除こうと、ぶんぶんと頭を振って瑛士を払う。彼は空中をくるりと周り、危なげなく着地した。
「なんだ……転移系が使えただけでなく……魔力量が……さらに上がっているのか……?」
瑛士は振り向き、セルとその遥か後ろのメガに一言放つ。
「さあ元に戻して貰おうか。この世界を!」




