十四話:図書館抗争
ベリドがいなくなってしばらく。瑛士は自室のベッドに寝転んでいた。ついこの間までこの場所は占拠されていたので、ゆったりと寝転ぶのは久しぶりのことだった。
面倒なやつだったが、すっかり瑛士の生活の一部になってしまっていたようだ。彼は何か物足りなさを感じていた。
勝手に魔法を使われて疲れた時もあった。際限なく使われて死にそうになった時もあった。母親に、部屋で暴れるなととばっちりで怒られた時もあった。だが、それでも楽しかった。
──ああ、なんか、つまんねえな。ま、そのうち帰ってくるんだけどさ。
「……うっ」
ベリドが帰ってから、ふと頭が痛くなる時がよくある。酷い乗り物酔いのような、気持ちの悪い痛みだ。
──やっぱ病気か?
だが痛みはすぐに治まった。長時間の痛みがないだけに、瑛士は、自身は大丈夫だろうと判断した。
ふと明るい通知音とともに画面が明るくなる携帯電話。連絡を寄越してきたのは宗真だ。携帯のロックを外すと『エイジはもう家出たのか』と白地の背景に映る文字。
今からだ、と返信し、瑛士は机に掛けていたリュックを背負った。今日は近くの図書館で勉強会をする予定になっているのだ。
勉強会をすることになったのは、宗真が瑛士に一つ提案をしたことからはじまる。
「ソーマ、どうした? 今の授業寝ていたからノート見せろってか?」
「違う。俺から一つ提案だ。エイジ、江里さんと充分仲良くなっただろ? 今度一緒にどっか遊びに行ったらどうなんだ」
「バッカッ!! ちょっとそれ、進みすぎだろ! 俺はもっと段階踏みたい。てかそろそろテストあるじゃんか。遊んでる暇ないだろ」
……ということでの勉強会である。瑛士は積極的にはなれなかった。
「二人で勉強しとけ」と言う宗真に対し、瑛士は「二人きりだと何も話せなくなるから絶対気まずくなる! 俺を助けると思って、ソーマと、田口さんも来るように頼んでくれっ!!」と頼み込んだのだ。
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四人と、なぜかリックも集合した。彼女の服装は元の格好とは違っていた。その可愛らしさと趣味の良さから、十中八九風華のものだろうと瑛士は推測した。宗真と飛鳥は自転車だったのに対し、風華と瑛士は歩きだった。少し歩くと図書館についた。
中に入ると、少し涼しい空間があった。それなりの数の人がいたが、その中の一角に学生たちが勉強しているスペースがあった。
「さて、じゃあこのへんで良い、よね」
図書館とは言いつつ、賑やかな空間。静かにしなければならないのは本がある部屋だ。
瑛士は完全に静かな空間よりも、少しくらい雑音があった方が落ち着く人間である。他の三人も同じようで、この図書館を選んだ時も、着いて中の様子を見た時も文句はなかった。
「じゃあ私は非魔族界の本でも読んでくるからね」
「読めるんですか?」
「わかんない」
手を振る三人と、何しにきたんだ、とぼやいた宗真。四人は荷物をおろした。
かりかりかり。ノートを走るシャーペンの音。
「な、ここ、どうすんの」
隣の瑛士に質問する宗真。瑛士は、これを見ろというように教科書を開いたまま裏返しにして、机の上に置いた。無言で置かれた本を受け取りつつ、宗真は瑛士を冷ややかな目で見ていた。
「ねえ、ここ、こうであってるかなぁ」
今度は瑛士の向かい側の風華が質問する。
「うん……うん、合ってるよ」
まだ顔を直視することはできないが風華の質問にはっきりと答える。
──おい瑛士、さすがに態度変えすぎだろ。
宗真は心の中で笑った。横目で瑛士を見てみると、視線に気づいた彼は宗真の足を軽く蹴った。
「あの、私、ちょっと席あけるね」
「あっ、じゃああたしも」
二人はトイレに行ったのだろう。二人がいなくなったところで、宗真と瑛士は話し合う。
「お前いい加減に江里さんに告れ。さっきもいい感じだったじゃねえか。何が『合ってるよ……(イケボ)』だ! 俺の時と全然違うし」
「ばっかやろう、タイミング考えろ。ここは違うだろ」
「何が違う? 仲良くなったんだから、さっさと次のステップいけよ」
「次のステップはまだだって! 向こうは俺に、毛頭興味ないかもしれないだろ。ベリドのことを知ったから一緒にいるだけだ。江里さんも、田口さんも」
瑛士のネガティブな発言で、宗真は黙ってしまった。
「……いや、ごめん」
「ごめんじゃねえよ。お前は俺みたいなやつじゃないだろ。エイジ、なんでいつもそう自信なさげなんだ。江里さんはな──」
「隣、よろしいですか」
宗真が何かを言おうとしたところで、瑛士の背後から声をかける男性が。机はそこで仕切られているため、瑛士側には何も問題ない。
「あ、はい──」
返事とともにふと見上げた瑛士。
「!!!!」
「久しぶりだね。ミカミエイジ」
瑛士の目の前にいたのはレグナだった。魔法を使ったのだろう、服装はいつもの上下真っ白なスーツとは違い、現代人のステレオタイプのような格好だ。だからこそ瑛士は気づかなかった。
正直言って最悪のタイミングだ。
「おっと、騒ぐなよ。図書館では静かにしないといけないんだろ?」
「ぐ……!!」
「暫く来なかったのは身体を完全に休ませるためだ。もう僕は全力を出せる。あの黒魔族にも、勝てる」
「こっ、ここに江里さんはいないぞ。それとも、俺を殺しに来たのかよ」
瑛士はブラフをかけた。丁度二人は席を外している。うまくいけば風華に危害を加えることはないはずだ。
「両方だ」
レグナは笑う。
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「でもアスカちゃん、私やっぱり無理だって。あれでもものすごく必死だったんだよ」
「ほら、あたしに頼らないの。頑張って」
鏡の前で話す二人。飛鳥が、席に戻ろうと出入り口に来た時、小柄な一人の男が立っていた。
「あ……ここは女子トイレで──」
「アスカちゃん! その人は!」
「え?」
振り向いた飛鳥。そしてその頬をかすめた刃。目の前の男の格好は変わっていた。その姿には見覚えがある。二人は抱き合い、震えだした。
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「あいつだ、センチだ!」
存在を思い出し、瑛士に言う宗真。はっと気づく瑛士。
「あいつ、結局お前のところに戻ったのかよ! 使えねえやつとか言われたのに」
「あいつは何があっても僕に逆らえない。絶対的な階級と抗えない精神的支配があるからな。それにあいつだけだと白魔族界に戻ることができない」
「そうかよ──ぐっ!」
「どこへ行くつもりだ? 逃げだすのか?」
図書館の出入り口方向に行こうとした瑛士の首を、レグナが掴んだ。冷たい手が瑛士を苦しめる。
「ばっ、場所を変えるだけだ……。ここじゃまずいだろ。図書館では暴れるなってな……」
「お前の言うことを聞く必要が有るのかな」
「エイジ、俺は荷物見とくぜ。行け!」
宗真が指差したのは正面出入り口。レグナは瑛士の行く手を阻もうと出入り口側に回り込む。
瑛士は逆方向に走りだす。
「図書館には出入り口が複数あんだよ!」
レグナは不意を突かれた。瑛士の動きを一瞬見逃してしまった。
「っ……。貴様……!」
「ひっ……!」
宗真をにらみ、瑛士を追いかける。図書館外の駐車場を、外階段を、逃げる。
「またこれか。ただ逃げるだけ。だが、今回は前のようにそう長く逃げられるかな。今は屋外。障害物がないからな。すぐに捕まえてやるさ」
瑛士を追って外に出たレグナは元の姿に戻り、空を切りながらそう言い放った。
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トイレから出て来た二人を守ったのはリックだった。前回と同じように剣を握るセンチを、リックは素手で応戦した。ベリドがいなくなったため、魔力を受け取ることができなくなった。つまり、そうやすやすと魔法が使えないのだ。
「女の子をこんなところで待ちぶせするなんて、変態ね。情けないわね」
「うるさい。お前が何を言おうが関係ない。俺はレグナさんに従い、風華を回収するだけだ」
リックの拳をひょいひょいと避け、いたって冷静なセンチ。
「へえ? あの恩を忘れたの? だから、ちょっと今回は見逃してくれないかなー」
「馬鹿なことを言うな」
はじめは笑っていたセンチだったが、だんだんと表情が硬くなっていった。風華と飛鳥もそれに気づき、顔を見合わせた。
「恩……か。わかった……。」
センチは剣をおろし、三人の前に立ち尽くすだけだった。魔法で作られた剣はふっと消えた。
「近くにレグナもいるんでしょ。あいつに見つからないように私たちを逃がしてくれない?」
「……分かった」
妙に聞き分けが良くなったセンチに不気味さを感じつつ、風華と飛鳥はついていった。
「こっちだ……」
四人で危険な図書館を後にしたはずだった。正面でも瑛士の使ったものでもない、また別の入り口を出た瞬間、目の前に瑛士が落ちて来た。
「うぐっ……痛った……」
「三上くん!」
上を見ると、図書館横の屋上につながる外階段の手すりが途切れている場所があった。地上5メートル程度のところ、そこから瑛士は落ちたのだ。
「見ろ、ミカミエイジはもう動けない」
レグナがゆっくりと降りて来た。リックが前に出て風華を隠す。
「そちらから来てくれるとはね。……ん? センチ、なぜお前がそこにいる?」
「いえ……私は……」
彼は二の句が継げない。
「まあいい。エサトフウカを連れてゆく」
近づいてくるレグナ。その足音が絶望へのカウントダウンだ。
「やめてっ!」
「黙れ」
「きゃあああっ!」
立ち向かったリックは派手に吹き飛ばされる。
「お前は俺の脅威にはならないんだよ」
にやりと笑うレグナ。
──ダメだ。今はレグナに対抗する術がねえ……。
瑛士は一人絶望していた。




