十一話:二人きりの教室
レグナの強襲から約二週間が経った。いつまた風華を狙ってやってくるか分からない。張り詰めた緊張感の中、六人は過ごしていた。休憩中に来るとは限らず、もしかしたら授業をぶっ壊し、先生やクラスメイトたちも犠牲になってしまう可能性もあった。その時に備え、ベリドとリックは屋上でいつも待機していた。
すぐに来るわけないとは思っていたが、こうもアクションが見られないと逆に不安になってくるものだ。
結局その日も、何も起きなかった。
「お待たせ、二人とも」
「今日も何もなかったのか」
授業が終わった瑛士たち四人が屋上にやってきた。その姿にリックは微笑んで見せ、ベリドも表情を緩ませた。
「相変わらず、私は何も感じなかったわ。ベリドくんは何か気づいたみたいだったけど?」
「……気づいたっちゅうか、もしかしたらそうかもしれんってだけやな。確信はないし、俺の勘違いってのもありうるわ」
なんでも、その日の昼過ぎ頃、ベリドは魔力の流れが一瞬だけ不安定になったと感じたらしい。もともと非魔族界には魔力など無いに等しいが、しばらく非魔族界で生活をしているベリドは何となくの感覚があるという。
「さ、帰ろう」
いつものように瑛士の一言で皆、屋上を後にした。教室ではまだ、勉強をしたり喋っていたり、自由に活動している。
「ああくそ、呑気に生きとんなあ、有象無象共が」
「有象無象って言うな」
すかさず突っ込む瑛士。ベリドにチョップする。ベリドとリックは姿を見せないようにしているため、空中に話しているように見える。後ろから眺める宗真たちは笑いを堪えていた。
「しゃあないやろ、こっちはこんな神経張っとんのに。イライラするんや」
「ベリドくん、仕方ないよ。これ以上非魔族界を巻き込んじゃダメだよ」
「黙れっ! お荷物が!」
「お荷物って言うな。年上なんだろ」
瑛士は、今度は宗真の持っていた傘でベリドの襟を引っ掛け、引っ張った。ベリドはぐえっと苦しい声を出し、おとなしくなった。天気は晴れだったが、なぜか傘を持っていた。確かに雨の予報もあったが、それは夜からだ。
ベリドは非魔族界にやってきて、魔力が尽きてきた。完全に切れた魔力を、瑛士が体力を削って賄っている。そしてリックも魔力が切れつつあった。偶然瑛士と契約ができたベリドと違い、手段が分からないために誰にも契約ができないリックは、ベリドから魔力の供給を受けていた。魔族間の魔力の受け渡しは比較的簡単にできるのだ。
「俺は魔力渡したないんや。上界でやられたみたいに勝手に取られることもないし、貯めときたいんや」
「でもそれ、元はエイジのもんだろ?」
「……」
宗真の一言に、ベリドは黙り込んだ。結局はリックの魔力もベリドの魔力も、瑛士の体力なのだ。
「あ、ごめん。俺、トイレ行ってくる。すぐに追いつくから、先に行ってて」
「分かった。さっさと来いよー」
微妙な空気になってしまい、居心地が少し悪くなった瑛士は急な尿意に気づき、近くのトイレに入った。
「それにしても偶然だよね、あたしたちの家が近くにあるなんてさ。……あんた離れなさい」
風華に後ろから抱きつくリックを引き剥がしながら、飛鳥が言った。リックは透明状態になってはいるが、それでも飛鳥には分かった。
「そうだよな。去年俺、エイジん家に行ったことあるけど、全然近かったぜ。中学は別々だったんだけどな」
四人は同じ方向に家があった。中学校は別だったが、区域の境界の辺りに集まっていた。
「私はアスカちゃんの家、行ったことないなあ。一回でもいいから行ってみたいなあ」
「ふ、フウカ、それは、またいつか、ね!?」
慌てて話を流す飛鳥。風華は「いつかっていつよぉ」と頰を膨らます。
「──待て」
玄関前に来たところで、ベリドが眉を潜め、姿勢を低く構えた。もちろん、その姿は誰にも見えなかったが。
「どうしたの? ベリドくん?」
リックが尋ねる。
「……あんた、また気づかんのか。俺は魔力、感じたで!」
それを聞いて、リックは風華を護るように取り囲む。宗真はひいいといきなり逃げ腰になり、飛鳥は自分自身が無力と分かっていながら、風華を囲むフォーメーションに参加した。
「またフウカを狙ってくるのね……!」
「あ、アスカちゃん、無理しないでね? ベリドさんとリックさんも……」
「くっそ、玄関で来るんか。こんなとこやと人目につきやすいやんけェ……!!」
ベリドの予想だと、急いで別の場所に移動する暇はなかったのだ。
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「お、三上、いいとこにいた。これ、手伝ってくれないか?」
「はい?」
そんなことはつゆ知らず。トイレから出て来た瑛士は、先生に呼び止められていた。プリントとノートを運んでくれないか、という頼みだ。
「今から僕帰るんですけど……」
「点数は入らんが、先生からの印象はぐっと良くなるぞ?」
「……はい、分かりました」
結局先生に負けて手伝うことになった。ありがとうな、と残し、先生は会議室へ向かっていった。
「……あ、体操着忘れてた、か?」
ついでに思い出し、自分の用事ができた。瑛士はノートとプリントをよいしょっと持ち上げ、教室に向かった。
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「だいぶ近づいてきたで、白魔族が」
三度目となったベリドの報告。三人は身を寄せて守りを固める。宗真は半分死んだ顔で、傘を杖のようにして立っていた。
「来たぞ!」
ベリドの声に、三人はそれぞれの方向に集中する。そして向かって来た橙色の光。
「おっ……らああああぁぁぁあああ!!!」
操作系によって飛行する白魔族に、ベリドは全力で拳を振り下ろした。
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瑛士はノートを持って教室に着いた。積み上げたノートを壁にもたれさせ、開いた手で器用に鍵を開けた。
「……うおっ!」
ドアを開けた瑛士を煽るように吹く風。ノートとプリントごと倒れそうになったが、なんとか耐えた。戸締りの際はいつも窓まできちんと閉めるはずなのに、なぜか窓が全開だったのだ。
ノートをどすんと教卓横の机に置き、忘れていた体操着を取ろうと自分の席の方を見た。
「ったく、なんで窓が──」
そこまで言って、瑛士の表情は凍りついた。
瑛士が視界に捉えたのは、一番後ろの机に座っていた一人の男。上から下まで、全身真っ白な男。屋上に現れてベリドたちを追い詰めた白魔族、レグナだった。
「なっ、なんっ……!!」
狼狽える瑛士。
「先ずはお前を潰せばいいだろう、あの黒魔族の魔力の源を」
机の間を歩きながら、レグナは言った。
やばいと思い、瑛士は逃げだした。咄嗟の判断だった。
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ベリドが叩き落とした白魔族は、レグナが呼び出した新たな白魔族、センチだった。
「……違う! こいつは別のやつや。前のやつとちゃうっ!」
「じゃあ、あいつはどこに行ったの⁉︎」
「レグナさんはお前の魔力の元を潰しに行ったのだ」
ベリドに攻撃を受けたが、センチは軽々と立ち上がる。レグナよりも低い背丈に、子供っぽい顔。少し癖のある毛は三本束になって、うなじあたりで飛びはねていた。
「そして私がお前らを潰すのだ」
そう言ったセンチはどこからともなく剣を生み出した。創造系で作り出した武器を構えた。レグナの時と同じように、背中に翼が生えるような幻が現れる。剣の切っ先をベリドに向けて向かってくる。
「避けろ!」
武器に対抗する手段がなく、みんな避けるしか無い。その上リックは風華を抱えている。普通よりも疲れる。
「やべーよ、やべーよ。ベリド、なんとかしろよぉ!」
「何とかって──おいこら、それ、貸せ!」
ベリドが宗真に怒鳴った。怒鳴った理由は無責任な発言に対してではない。彼が見たのは宗真の持っていた傘。宗真は全力で傘を投げ、近くの柱の影に隠れた。
「よし、ええぞ」
ベリドは傘を撫でて、魔力を纏わせた。傘全体が強化魔法で赤く光る。
「それで戦うつもりか!!」
ベリドに斬りかかるセンチ。振り下ろされる刃を傘で受け止める。赤い光は傘を持った右腕まで広がっていた。
「ほれ、十分な強度になったやろ?」
ベリドはにやりと笑う。強化系を使うことで剣にも耐えうる硬さを付与したのだ。
「馬鹿にするなあっ!!」
玄関ホールで、白魔族と黒魔族の戦いが始まった。
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瑛士は疲れ果てていた。教室を飛び出したものの、どこに逃げても校舎の隅々までレグナは追ってくる。途中誰かに見られたかもしれない、という不安が瑛士の頭をぐるぐると回っていた。
そして途中からベリドに魔力を取られているのに気づいた時は、絶望だった。ただでさえ全力で逃げて息切れがしていたのに、その上に激しい体力の消耗が重なるとすぐに捕まってしまう。
今は何とか巻いたようで、階段の登り口で息を整えている。この状態で階段を登るのは困難を極めるだろう。
「終わりにした方がいいのではないだろうか、逃げるのは」
「!?」
背後から聞こえたレグナの声。
──まずい、まずい、まずい、まずい。
瑛士は階段を駆け上がり、また走り出した。
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「しつこいな! 無駄な足掻きをやめてさっさと死ね!」
「生憎まだ足掻くほどの魔力があんねん。もう一人の白魔族が、まだ瑛士を潰せてへんてことやで。まるで使えんなあ!!」
「レグナさんを馬鹿にするなァ!!!」
ぐんと鋭くなった太刀筋。ベリドの、目にかかる長髪を捉えた。
「あぶっ……!!」
「はあああ!!!」
ベリドの隙をついてセンチは剣を振る。それをベリドは傘で受け止める。そして傘をレールのようにして剣を滑らせ、センチにぐっと近づく。
「何……だと!!」
焦ったような声を出したが、落ち着きを取り戻し、手で傘を弾くセンチ。剣とはちがってただ硬いだけの傘には切れ味はない。
「は……ははは! 馬鹿め! 近づきすぎだ──」
「いーや、俺の狙い通りやで?」
弾かれた傘の今度は柄ではなく、骨の部分を持ち、センチの頭上の輪っかに引っ掛け、遠くへ飛ばした。
「なっ!? ぐぁ……」
隙ができたのはセンチの方だった。エンゼリングを引き離され、魔力の供給に支障が出たのだ。魔力の供給を外部から自分に変更しようとした瞬間、センチは気絶していた。腹にはベリドの拳があった。
「今回は俺の方が強かったな」
センチは地面にどさっと倒れた。ベリドはとどめを刺そうといつものように左手を向けた。
「ベリドくん! 早くエイジくんを!!」
「お、おう。そうや、今はあいつが危ねえんやったな」
リックの言葉で、ベリドは倒れたセンチに向けた左手を下ろして瑛士のもとへ急いだ。
宗真と飛鳥は倒れた白魔族を見に近づいていった。彼らが白魔族のもとに辿り着いたころ、思わず漏れたようなリックの呟きを、側にいた風華は聞いていた。
「なんで黒魔族と白魔族は戦わなくちゃいけないの」
「えっ……?」
聞き返されたことにリックは驚きを隠せないようだ。
「私、今、声出てた?」
「は、はい」
「そ、そう……」
よそよそしくなる彼女に、風華は疑いを感じた。黒魔族と白魔族は戦いを望んではいないのだろうか。
だが、そんな考察も、飛鳥に名前を呼ばれ、途切れた。




