九話:特別な存在
「ミカミ エイジ」
頭上の輪っかが一瞬光ったと同時に、全身が赤い光で覆われた白魔族は、恐ろしい速さで瑛士の目の前にやって来た。それほど距離はないのだが、不意を突くには一瞬で充分だった。
「エイジ!」
「三上くん!」
宗真たちが思わず叫んだ。
白魔族の右腕は、瑛士の体を突き抜けていた──否、突き抜けたように見えただけであった。瑛士の胸側と背中側、両方に青色の空間ができていた。
「危ないやんか。俺、転移系苦手なんや、でっ!」
「ぐぅ……」
ベリドが白魔族を蹴り飛ばす。屋上の汚れた地面を、転がり、真っ白な服が汚れた。
「あんなに差し迫った状況でも対処できるなんて。なかなかの実力者のようだ」
当の本人は大してダメージを受けている様子はない。眼鏡をふっと吹いて埃を払い、掛け直した。
「エイジ、大丈夫か?」
宗真たちが瑛士に駆け寄ってきた。ベリドの魔法のおかげで瑛士は白魔族の攻撃を受けなかった。ただ、突然の魔力の消費で少し疲れたが。
「ああ、なんとかな」
「ねえ、三上くん、本当に大丈夫?」
風華も瑛士に近寄り訪ねた。その表情はとても心配しているようだった。綺麗な瞳が瑛士を見つめる。
「う、うん。全然平気! 超大丈夫!」
近くに風華がいることで、瑛士は命の危機に直面した後であったが、急に緊張しはじめた。瑛士は風華に心配させたくない、と少しオーバー気味に言った。
「え、エイジ……。」
宗真は呆れ顔だった。
「今ここでやり合うつもりなんか? せやったら俺の仕事も終わって嬉しいんやけど」
「ん? 僕を殺すつもりかい? 生憎こちら側にもやるべきことがあってね」
両者共に黒いオーラを手に纏う。ベリドが魔力を使ったことで、瑛士は一瞬立ちくらみがした。思わず倒れそうになった瑛士を、宗真が支えた。
白魔族はにやりと笑うと、背中から半透明の翼の形をしたものが出現した。左右それぞれ二枚の羽が加わると、白魔族の姿は瑛士たちがよく思い描きがちな天使の姿になった。
「お前のやるべきこととか知らん。さっさと、白魔族の世界にィイ! 帰れェ!」
ベリドが白魔族に殴りかかる。冷静にベリドの拳を狙って、同じく殴りかかる白魔族。二つの拳が重なり合った時、魔力と魔力のぶつかり合いは激しい音と共に終わった。
吹き飛ばされたのはベリド。屋上の柵に背中から突っ込んでいった。錆びた柵は鈍い音を響かせ、ぐわんぐわんと揺れた。
「嘘やろ……? なんでこんな簡単に……やられんねん」
「弱いということだな、君が」
翼が消えた白魔族は淡々とそう言い、目線を瑛士に合わせた。眼鏡の奥の瞳が不気味に見つめてくる。宗真や風華が後ずさりする中、瑛士だけはそのままの状態。
「僕の力は示したつもりだ。大人しくしていて欲しいな」
「……っ!!」
逃げだそうとしても、それが無理であることが嫌でも分かってしまう。近づいてくる白魔族に対して、瑛士は一歩も動けずにいた。
「やめなさいっ!!」
白魔族と瑛士の間に割って入ってきたのはリック。未知なる脅威を前に、先ほどまでの軽い口調からは打って変わって、すっかり敬語だ。
「エイジくんに何をするつもりなんですかっ! いきなり手荒な真似はやめてください!」
「だから、つれてゆくんだ、白魔族の世界に。それに、こうでもしないと邪魔だからね、君たち黒魔族が」
眼鏡を指でくいっと上げ、白魔族が言う。
「つれていく目的は……何なんですかっ! まずはそれを話してください!」
「話す必要はない。話したところで何かが起こる訳ではない。また、何かが変わる訳でもない」
白魔族はまた天使のような姿となり、黒いオーラを手に込め、リックに向けて数発放った。
「そうとは限らない! 話し合いをすることでお互いの事情がはじめてわかるものでしょ! 話さないと、何も変わらない!」
リックは白魔族の魔法をひょいっと華麗に避けた。
「話し合いは無意味だ。黒魔族と白魔族の間には言葉などいらない」
「ふぁあっ!!!」
白魔族は更に多くの魔法の弾を放った。リックは全てを避けることはできず、数撃をまともに受けてしまった。服は軽く焦げ、当たった箇所からは煙が出ていた。
「リックさん!」
一番近くにいた瑛士が、その場にうつ伏せに倒れ込んだ彼女に駆け寄る。
「エイジ……くん、ここは……危ない。離れ……」
苦しそうに、言葉を途切れ途切れに吐き出す。這って動くこともままならない状況だ。
「じゃあ、リックさんも、逃げましょ──」
「うああああーーー!!!」
突然リックが叫んだ。白魔族が彼女の背中を踏みつけたのだ。魔法攻撃を受けたところが酷く痛むようだ。
「何を……!!」
「僕の目的はあくまで、君だけなんだ」
表情一つ変えずに足をぐりぐりと動かす白魔族に、瑛士は恐怖を覚えた。リックの体力がどんどん削られてゆく。
「ええかげんにせえっ!!」
背後から白魔族に向かって放たれた魔法。何にも邪魔されることなくヒットした。
瑛士は体が急に重くなるのを感じた。かなりの大きさの魔力を使ったのだろう。
「……っ! ベリド!」
「お前が瑛士を連れてくんやったら、俺がそれを阻止したるわ!!」
「ふうん。果たしてできるのかな」
リックから足を退け、ベリドの方を見た白魔族は、余裕の表情だった。背後から一撃、充分な威力を受けた筈なのだが、全く効いていなかった。
「驚いたかな。僕には全く効かないんだ、君たち黒魔族の魔法がね」
見下した笑顔がまた、狂気の笑顔に変わる。
「死ね」
また輪っかがぼんやりとした光を放ち、白魔族の全身が赤く光った。一気にベリドへと間合いを詰める。強化系で力が上がった拳一つ一つが、ベリドへと撃ち込まれる。
「ぐっ……がっ……はっ……!!」
ベリドはだんだんと苦しみの声すらあげられなくなっていった。
「やめろ」
瑛士はぽつりと呟いた。
「やめろよ」
同じ言葉を繰り返し、白魔族に向かって歩き出した。右手には、先ほどのパイプを握りしめて。
「エイジくん……だめ……」
リックの忠告も耳に入らない。
「やめてくれって! 言ってるだろ! お前の目的は俺なんだろ! ベリドやリックさんは何も……!!」
「今ここで潰しておくのが良いと判断したんだ。君はなぜそうまでして彼らを庇おうとする? そこの彼は自らの魔力を補うために君を苦しめる悪魔だ。そして僕は君たちを救う天使……といったところだろうか」
冗談めいたことを言う白魔族の拳は、弱まるところを知らない。
「悪魔じゃない。黒魔族、だ。それに、お前も魔族なんだろ。ベリドたちと何ら変わらないはずだぜ。何が天使だ」
「そ、そうだそうだ──うあああああああああ!!!」
遠くの方から野次を飛ばす宗真の足元にに、白魔族は破壊系を撃った。足元が焦げているところを見て、宗真は腰を抜かした。
「天使が駄目ならば、僕は善魔、かな」
瑛士を小馬鹿にした態度は変わらない。
「うるさい!!」
瑛士はパイプを振った。手ごたえを感じたが、それは白魔族の出した盾の感触だった。
「君は無傷で持ち帰りたかったのだけれど、そうはいかないみたいだね。そこまで抵抗されてしまっては仕方がない」
白魔族は翼を広げ、瑛士に向けて破壊系を放った。瑛士が掴んでいたパイプは弾き飛ばされ、空を舞って遠くに落ちる。
「痛て……しまった!」
瑛士は、本気でパイプを武器に白魔族と戦う気でいた。ベリドとリックが動けない今、どうにか出来るのは自分しかいないと思ったのだ。宗真は動き回ることに関しては頼りにできないし、女の子二人を危険な目に遭わせる訳にもいかない。勝てる見込みはなかったが、それでも瑛士に残された道はこれだけだった。
「眠っていて貰おうかな、少しの間ね」
瑛士に向かってくる黒い拳。もう終わりだ、と瑛士は諦めていた。
その時だった。
瑛士は、何かに押された。
──え?
視界から白魔族が消え、代わりに屋上の硬い床が迫る。
「……っ!!」
「フウカっ!!」
飛鳥の叫び声がした。
瑛士を突き飛ばしたのは、風華だった。ギリギリのところで瑛士を庇ったのだ。
自分に向かっていた白魔族の攻撃の対象が、変わってしまった。瑛士はすぐにそれに気づいた。
「江里さっ……!!!」
屋上に倒れるやいなや、瑛士は顔を上げた。
「え……」
瑛士の目の前で起こっていたのは信じられないことだった。
風華の周りには薄い緑色の層が発生していた。それを境に風華の体と白魔族の拳の間には数センチの距離。それ以上は狭まることはない。
「えっ、あれっ。何? なに、これは……」
風華自身も何が起こったのか分かってはいなかった。ただバリアの中でプチパニックに陥っていた。
「そんな……ばかな」
瑛士はベリドとリックを一瞥した。ベリドは柵にもたれかかって気を失っているし、リックは倒れたまま、動ける状態ではない。
「はは……はははははは!! こんなところで出会えるなんて!」
一時的に呆然としていた白魔族は我に返り、大声で笑いだした。
「やはり、存在したのか!! 下界にも!! 魔法を扱える者が!!」
瑛士たちが唖然とする中、白魔族の笑い声だけが響いていた。




