プロローグ:とある世界で
冷たい夕暮れ時。日はもう半分以上隠れ、鳥たちの群れは羽根を広げて住処へ帰る。一日が終わり、人々は商売道具を片して夜の準備を行う。
この世界で最も大きな建造物、庶民から黒魔城と呼ばれるそれは街の中心に位置し、未だ沈む太陽の光を浴びていた。
そこはとある大広間。黒魔城の中にそれはあり、外の光は一切入ってこない。
石で作られた冷たい壁に半分埋め込まれて配置された燭台の炎が、物々しい空間を一層不気味に照らし出す。ゆらゆらと揺れる十の炎はどこか儚げで、しかし、赤々と燃えていた。
炎の前にはそれぞれ黒い塊が居た。それは黒の布を纏った人間。それらがやや俯き加減に跪いている。性別、体格、雰囲気などはまるで違う、総勢十名。……いや、一人足りない。まだ九名だ。
「……ね、まだかな。遅いな。ボク疲れちゃうよ」
「はん、仕方ねえ、田舎もんは時間の概念が抜け落ちてやがんだよ」
布を巻かれた細く小さな塊と布を巻いてもなおその大柄な容貌が分かる塊が、隣同士でひそひそと話す。彼らは急ぎの用事との知らせを受けて集まっていた。文句が溢れるのも早く要件を終わらせたいという心の表れだ。
と、すでに待機していた他の者の足元が青く光りだした。一点だった光は四つに分かれ、それぞれ点を結び、線を紡ぎ、円を描き──魔法陣になった。
「うわっ」
魔法陣の上にいた者は声を漏らし、すぐさまその場から離れた。突然の出来事に、一同は少しばかりざわつくこととなった。
そして、完成した、青く光る魔法陣の上に、ぼんやりとした輪郭が浮かんできた。輪郭はだんだん鮮明になり、そして他の者と同じように黒い布に覆われた、少年ができあがった。少年は静かに目を開け、ふうと一息ついた。
「おい、遅いじゃないか。何してた!」
先ほど足元の魔方陣に驚いた男が少年に駆け寄り少しかがんで、耳元で小声で注意をする。二人の背丈は少年の頭ひとつくらいの差があった。
「あっ、すいません。ちょっと人のいない場所を探すのが手こずったンと、あと、発動がなかなか上手くいかなくて……俺、転移系苦手なんで……」
「分かった分かった、言い訳はもういい。お前の場所は向こうだ、さっさと行け」
「え……。あっ!」
適当に誤魔化す少年に対し、男は反対側の空いた場所を指差した。目をぱちくりと開けた少年は慌てたように自分のいるべき場所へ走っていった。
「ふぅむ。さぁて、揃ったみたいでぇすね」
全員等しく跪いたその時、大広間のその奥の、段数の少ない階段の上に居る者が言った。それはこの世界の王に等しい存在の代理人にあたる者。言わば王とそうでない者との紐帯をなす伝達役である。
伝達役は階段をかつんかつんと一歩ずつ降り、黒装束たちの正面をゆっくりと歩きながら言った。
「集まって貰ったのはぁ、他でもなぁい。先程、新・第一壁にて白の波動を感じ取ったとの知らぁせがありまぁした。しかも、二つ」
その一言が部屋をどよめかせる。
新・第一壁(以下第一壁)は数年前にこの世界の最も外側に出来た壁になる。壁といっても魔力でできた膜のようなものだが。
これまでに元・第一壁(以下第ニ壁)が白の波動など受けたことなどなかったが、さらなる安全化のために第一壁が設置された。そのため予想されたことではあったが、それが彼らの一つの脅威になりかねなかった。
「おぉっと、騒がないでくださァいね。感じられたといっても、両方ともかなり微弱なものでぇす。以前のように第二壁までを設置していただけでは感じられなかったものでぇすし、慌てるほどではありませぇん。……ですが、それはこちらに向かっている訳ではなぁい。その波動の先が、問題なぁんです」
伝達役は悩ましい声で言った。
「向かった先は非魔族界。奴らの目的は一切不明なぁのです」
その目には不安の色が混じっていた。
「それは、奴らが非魔族を傘下に含めることを決めた、ということではないでしょうか」
十人の中の一人、奥の階段側から数えて六人目が挙手をして言った。
「いや、それはないな。非魔族の力では我々に太刀打ちできないということは、奴らも分かっておるだろう」
「そうではありません。傘下、というのが悪かったですね。支配、と言い直します。なんとかして力を吸い取って、供給源にするんです。魔法を使わぬ者、使えぬ者問わず魔力は宿っている。我々だってそうでしょう? そんな方法があるのではないでしょうか」
「奴らがそれを考えたって? 魔法で治癒ができても、魔力自体を渡すことなんてできやしねぇさ! 方法なんてもんはねぇんだよ!」
「そんなの、あるかないかは分かんねえですがね。……奴らの目的は土地じゃねえですか? 向こうは僕らの土地みたいに広く作られてねえみたいですしね」
「土地奪うために全滅させるんならさーあ、一瞬で全滅させられるくらい大量に送り込むんじゃないかなあ。確認できたのは一人だけなんでしょ?」
「なんだろうなぁ、まずは試験的に一人って訳かぁ?」
「むむむ……」
黒装束に身を包んだ者たちが、口々に言い合った。姿勢はそのままで、動いているのは僅かに口付近のみであるため、異様な光景だった。
「そぉ、こぉ、で、でぇす」
伝達役の張った声と彼が手を叩いた大きな音に、一同はまた静まり返った。
「こちらも偵察として下界に誰か送れ、と王から命令があったんでぇす。だが下級の者では心もとなぁい。そのため君たち最上級クラスの内から一人を──」
伝達役の話が終わらずして、また大広間は騒がしくなった。それもそのはず。彼ら最上級クラス十名は、この世界においてその名の通り最も権力のある者である。わざわざ危険を冒して下界に降りるなど、その立場を捨てるも同然だったのだ。
「俺は第三街関連の仕事が山積みなんだ。今、持ち場を離れるわけにはいかないのでなあ」
「私は残念だけど下級兵の訓練が……」
「ボク、取材とか、各地のイベントとかが決まってるんだよね〜」
皆、はっきりと口にこそ出さないが、目で『お前が行け』と言いあっている。
大広間の一番奥側、階段に近い者がふうとため息をつき、すうと息を吸った。手を上げようとしたその時、伝達役がぱんぱんと手を叩き、口を開いた。
「話は最後まで、聞くべきでぇすよ? こちらで送り出す者は決めておりまぁす」
「……」
その言葉に、上げかけた手を降ろし、拳を固く握った。それは怒りを表している様子。それには見向きもせず、伝達役はある一人のもとへ歩き出す。
「あなた、です」
水面下の押し付け合いの最中、伝達役が選んだのは、先程遅れて登場した少年だった。
「えっ……?」
周りの黒装束たちは一瞬唖然としたが、自分が選ばれなかった事実を飲み込み、すぐに彼を下手くそなお世辞で褒め讃えはじめた。
「お前ならできる! 俺が保証する!」
「私たちの分まで頑張ってね」
「いってらっしゃい!」
「……」
少年はそんなものには見向きもせず、先ほど声を上げかけた部屋の一番奥の人物を一瞥した。その人物はもう何なかったかのように静かに、元の姿勢に戻っていた。
「はいはい。もういいですよぉ。他の皆さんは下がってくださぁい」
伝達者の言葉を受けた黒装束たちはほっとした様子で、少年がやって来た時と同じく青い光と共にそそくさと部屋から消えた。
部屋に残ったのは少年のみだった。彼は伝達役の正面へ歩み、再度跪いた。
「はぁい。最上級クラス八位のベリドさん、でぇすね。今回のことで序列変更がある、かもしれませぇん。よかったですね。」
「一つ、質問していいっすか。なんで、俺なんすか」
「……王があなたを選んだのでぇす。何か狙いがあるのかもしれませぇんね。一人が嫌なら追加することもできまぁすが」
「……欲しけりゃ欲しい時にこっちから呼ぶんで」
「ああ、そうでぇすか。では……行ってらっしゃい」
伝達役は少年の頭に静かに手を乗せた。
「下界に降り立つ魔族に黒の加護があらんことを」
刹那、少年をおびただしいほどの光が包み込む。先ほど少年がやって来た時の比ではない。大広間全体が光の深い青色に染まった。
大広間が元の薄暗い空間に戻った時には、少年はそこにはいなかった。