魔境からの来訪
ニュルンへの道程は北街道に出るまでは順調であった。本来であれば、冒険者が馬車を護衛する場合、冒険者の側でもう一台馬車を用意するのが基本であるが、低ランクでそれが出来ない場合は冒険者は徒歩で付いていくこととなる。そのため、馬車の速度が上がらず、進行が遅くなる。ナイジェルが雇っていたのは前回がDランク、今回はEランクのパーティのため、進行速度が遅いといえた。しかし、この道程に関して言えば、ソーマが馬車を用意していたことで、<ブライトフォー>のメンバーはソーマの馬車に乗ることで、その速度が上がっていたのである。
隊列としては、ソーマの馬車が前で、ナイジェルの馬車がすぐ後に続く形である。そして、ソーマの馬車に乗った<ブライトフォー>のメンバーは後に続くナイジェルの馬車のほうを見張ることになっていた。何かあれば、すくに駆けつける体勢を取っていたといえる。北街道に入って南に向かい始めた頃、ナイジェルの馬車の右、街道の東側を見張っていたヒルダが反応した。
「東の森からオークが五匹出てきたわ! 行きます!」
そういいながら馬車から飛び降りて後方に走る。その声で、ソーマは馬車を停止させる。ヒルダに続いてブライトンも飛び降りて続く。しかし、五匹のオークに対して二人では対応が難しいといえる。街道のすぐ脇が森であるため、ローズの火魔法は使えない。ソーマは馬車をセーラに任せて自身も飛び降りて後方へと向かった。
ソーマがオークとの間、半分ほどの距離に近づいた頃、すでにヒルダは一匹を相手に、ブライトンも一匹を足止めしていた。残る三匹はこちらに向かってくる形であった。ソーマは<氷風水炎>を抜くと三匹に立ち向かうが、待つことはしない。すでに、氷を纏わせている<氷風水炎>をやや右下段に構え、三匹と擦れ違いざまに横薙ぎに払う。右側の二匹はそれで片足を切断され、倒れる。残った一匹も左足を軸に回転する勢いで右上へ切り上げる。それで終わりだった。倒れているオークに止めを刺し、ヒルダたちのほうへ向き直る。
ヒルダはオークの棍棒を剣で受け流し、斬激を加えるが、深手を与えるには至っていなかった。ソーマの前で三度目の棍棒の攻撃を受け流したとき、パキッ、という音ともに剣が折れるのが見えた。慌ててソーマは間に入り、オークを一撃で切り捨てる。ブライトンはその左の盾でオークの攻撃を受け止め、右手の剣で突き入れている。しかし、攻撃が浅く、致命傷とはなっていない。とはいえ、最後は剣を横に払って倒すことに成功する。
「今回は剥ぎ取りを行わず、ニュルンへ急ごうと思います」
そういって馬車に戻るとすくに走らせる。すぐにナイジェルの馬車も続く。剥ぎ取りを取りやめたことで<ブライトフォー>の不満はあるだろうが、あえて帰路を急ぐ理由を話す。
「あの東側の森にはオーガかオークを捕食する何かがいる。以前、オークの討伐で森の中に入ったとき、オークの死体を十以上見ているんです。あいつらはそれに追われていた可能性があると思います。気をつけて!」
馬車に乗った<ブライトフォー>のメンバーにいう。
「そういえば、冒険者ギルドから気をつけるように、指示がでていた」
ブライトンが顔色を青ざめさせていう。
「ローズさん、ヒルダさん、ナイジェルさんの馬車の左右、特に東の森に注意してください」
「わかったわ」
ローズがやや上ずった声で答える。
「ブライトンさん、馬車の前方をお願いします」
「承知した」
「ヒルダさん、怪我はないですか?」
「ええ、体は大丈夫だけど、剣が・・・」
「ヒルダさんはオークの攻撃を剣で受けすぎですよ。もっと避けるようにした方がいいと思います」
「判ってはいるのだけど・・・」
「剣については知り合いの武具屋があるので紹介します」
「はい、お願いします・・・」
だが、その返事は重い。その理由はソーマのすぐ傍にいたセーラが教えてくれた。
「私たちはEランクで、それほど金銭的に余裕があるわけではないのです」
その言葉でソーマはヒルダの言葉の重さを理解した。<セオドア武具工房>でもっとも安い鋼鉄製の剣でも五千マリク以上はするからだった。ランクの落ちる鉄の剣では二千五百マリク程度であるだろうけれど。
「ヒルダさんの剣技を見ていると、叩きつけるよりも斬ろうとしているようですね? どこで剣技を覚えたのですか?」
「養父が騎士団にいたので教わったのです」
少し、辛そうにそういった。
その後は街道の森からオークが出現することもなく、順調に進んだ。馬の負担のかからない範囲で、可能な限り道程を急いだため、遠くにニュルンの街の街壁の北門が見えてきたのは、まだ三時ごろであっただろう。誰もが無事に着いたと思った頃、後方を監視していたローズが叫ぶ。
「後方五百m、森から五匹のオークが現れました!」
振り向けば、確かに東の森から五匹のオークが出てきていたが、こちらに向かうことはなく、西側の森に向かっているのが見えた。その歩みはオークにしては早い。幸いにして、無事に街には入れそうである。
「ナイジェルさん、急いで街へ!」
その声に後を行くナイジェルが速度を上げ、ソーマの馬車を追い抜いて街の北門に向かい、その後方を守るようにして、街の北門に向かうソーマの馬車。そうして、ナイジェルが北門に入り、続いて入ろうとしたソーマの耳にこれまで聞いたことのない咆哮が聞こえてくる。そうして、後を見ていたヒルダが叫ぶ。
「森からまた二匹、あれは・・・ オーガよ!」
その声に振り返ると、オークを追って赤い皮膚に頭の中央に一本の角、体長ニmをゆうに越え、オークとは比べ物にならない大きな棍棒を持ったオーガが現れた。ソーマとて実際に見るのは初めてである。ただ、幸いなことに二匹のオーガは街ではなく、北西方向に向かって歩いていったが、やがてリント村とは反対の森の中に消えていった。
しかし、ことはそれだけではなかった。もう一度、これまで聞いたことのない大きな咆哮が聞こえたかと思うと、再び十匹ほどのオークが森から現れ、その後を追うように体長三m、体高一m五十cmほどの大きな四足獣が現れた。黒く短い体毛に狼のような顔、その右目は金色、左目は黒い。小冊子に書いてあったブラッドウルフの特徴そのままであった。基本的に暖かい北方に生息し、夏でも三十度前後のこのあたりには現れるはずのない魔物であった。目の前のそれはオークを何匹か襲い、その腹に頭を突っ込み喰らい尽くすと再び東の森の中へと消えていった。
それは北街道の危険性を極度に高める情景であっただろう。事実、その後の冒険者ギルドでは北街道はもっとも危険地帯として認識され、依頼も減ることとなった。ブラッドウルフに対応できるのはBランクパーティ以上か王国軍騎士団だけとされていたからである。ソーマとして気になるのはリント村との交通であった。トーガシの実が入手できなければナイジェルの商売が成り立たないからである。
しかし、その後一ヶ月を経てもオーガはおろかブラッドウルフも現れなかった。つまるところ、餌であるオークの数が減り、このあたりでの活動が不可能になったことが原因だろうと結論付けられた。そこに至るまでは、Cランク以上のパーティ複数による森の調査も行われている。その結果としての判断であったようだ。
王国最北東部にあるガードナー伯爵領周辺の騎士爵領地ではどうかはわからないが、ニュルンハイム騎士爵領においてはその後、しばらくは出現しなかった。むろん、オークはそれなりに生息していることが確認され、討伐依頼も出されている。
またリント村への街道整備は、トーガシを使った料理をいたく気に入った騎士爵の肝いりで整備され、それまでとは比べるべくもないほどに整備され、安全性もそれまで以上に向上していた。ソーマとナイジェルにとっては結果良しということであった。




