思い出は虹色
その時間は止まっていた
幻想の世界に時間を置いてきてしまったから――
「まあ、きれい!!」
ただ普通に陳列しているだけでも見事なものだが、窓から僅かに差し込む日の光を浴びるとキラキラと輝くこの懐中時計が少女の目にとまるのは容易いことだった。
どこか古めかしい、けれども金の装飾と水晶が散りばめられているこの時計はとても高価なものに見える。決して古さを目立たせない。
この店はアンティークばかりを飾っている。どれもデザインは一昔も、それ以上も前のもの。独特すぎる雰囲気が、店に入るまでに勇気を必要とされた。けれども、一度店に足を踏み入れると、その雰囲気に魅入ってしまう。
少女はアンティークを順に眺めて、そして目に留まったのがこの懐中時計。
「凄くきれい……いろんな色が見えるわ」
「その時計が気に入ったかな?」
魅入るように眺めていたら、ふいに少女の背後から声がかかる。低いしわがれた老人の声。
少女が驚き、慌てて振り返るとやはり、年老いた男性がいる。白く染まった髪と、白い髭、眼鏡をかけて、パイプを片手に、杖をついて立っていた。
それは、まさにこの店の主人に相応しい風格を表している。
「あ、えっと……」
少女は困ったように言いよどんでいると、老人は皴の入った顔をさらに皴を寄せて、人懐っこい笑みを見せた。
「驚かせたのかな、すまんことをした。なに、めずらしくお嬢ちゃんのような若い子が来たんでね」
老人はそっとその懐中時計を手に取ると、懐かしそうにそれを眺めた。少女は不思議そうに首を傾げる。
「この時計はね、『虹色時計』というんじゃよ」
「にじ……いろ……?」
「ああ、そうだ。こう、日の光を浴びると、きらきらといろんな色を見せるじゃろ?」
「うん。すごく、きれい。確かに虹色だよね」
少女も懐中時計を覗き込み、その虹色の輝きを見た。赤も青も緑も黄色も、たくさんの色がある。
ずっとこの懐中時計を見ていると、魅せられすぎてしまうような感覚に陥りそうになる。少女は数回瞬きをして、目を離した。
「まだお嬢ちゃんには早いかもしれんな……しかし、きっとお嬢ちゃんに必要となるものだろう」
「え? それ、どういう意味?」
老人は、「ふぉっふぉっふぉっ」という独特の笑い声をあげた。そして懐中時計と少女を見比べて、満足そうな笑みを見せる。
そして老人は、懐中時計を少女の手の中へと渡し、握りしめさせたのだ。
「これもなんかの縁じゃな。これをお嬢ちゃんにあげよう」
「えぇ?! そんな、いいの?」
「ああ。ほら、その中を開けてみるといい」
「……こう?」
少女は慎重な手つきで懐中時計の蓋を開けた。
「……あれ?」
中身はやはり時計だ。文字盤には数字と一緒に見たことのない文字のような模様が入っているのだが、しかし針が動いていない。
この時計は時間が止まってしまっている。
「これ、壊れているの……?」
古いものだから仕方がない、少女はそう思う。アンティークでも、長い間放置されていると、機能しなくなるものだってあるだろう。
しかし、老人はゆっくりと首を横に振った。
どうやら壊れているわけではないらしい。ならどうやって動くのだろうかと少女は首を傾げる。
「それはゼンマイを巻くことによって動くんじゃよ」
「ゼンマイ……?」
聞きなれない言葉に眉を顰めると、老人はそっと懐中時計から小さく突き出している場所を指した。
少女は試しに何回もその先端を回してみる。
しかし、幾ら回しても待っても時計の針が動き出すことはなかった。
「今はまだ早いが……時がくれば動き出すはずじゃよ、お嬢ちゃん」
「時って……」
何を聞いても老人はもう答えてくれない。
ただ、微笑んでいるだけなのだ。
最後に何か他に言っていた気がするが、声も姿も霞んでしまった。
ゆっくりとぼやけていき、そして何もなくなって。
――そこで意識がなくなった。
◇◆◇
「ぅん……」
一つ息を漏らして、ごろん、と寝返りを打つ。
――はずだった。
「……って、あ?! きゃぁあ!!」
まだふかふかの布団があるはずだったのに、予想外の展開が起こり、盛大な打撃の音が鳴る。
彼女はベッドから勢いよく落ち、そのまま床に転がった。
「っ……痛い、よ……もう!」
打ち身の身体を起こして、顔を顰める。眠気も何もかも吹っ飛んでしまった。
彼女――ラカ・ククロク――は伸びと欠伸を一回ずつするとそのまま鏡を覗き込む。
鏡の中に映るその姿は、琥珀の瞳と少々寝癖のついた亜麻色の髪を持つ割と整った容貌の少女だった。
「あれから三年か……少しは変わっているのかな?」
今日、夢の中にいた彼女は三年前の少女だった。あの頃はまだ十四歳の小娘。今は十七歳の女。まだ、小娘と変わりないけれども。
あの夢は決して架空のものではない。確かに三年前の出来事なのだ。しかしそれも、今となってはだいぶ曖昧と化している。
夢でも隅々まで思い出せないのがいい証拠だった。
「虹色時計……か……」
引き出しを開けると、三年前と変わらないあの懐中時計がある。蓋を開けてみても、相変わらず動く様子はなく、時間は止まったままだ。
老人は少女――ラカにこの時計を譲ったが、その意図はいまだに不明。ラカも不審に思いはしたが、まだ今よりもずっと純粋で、深く考えることなくこの時計を受け取ったのだ。
「今日も変化なし――にしても、懐かしい夢見たな……」
ラカは手早く着替えを済まし、髪を整える。やはり年頃の乙女なので、軽く化粧もして、お洒落もする。
そして鏡の中に映る自分自身にラカは笑いかける。
「おはよう、ラカ」
これが彼女の一日の始まりなのだ。
◇◆◇
ラカに両親はいない。彼女の両親は五年前に亡くなったそうだ。彼女の両親が亡くなる現場を見た者は誰もいない。ラカ以外は。
両親が亡くなった原因が何か知るものはいないが、老衰や病気の類ではないことは確かなようだった。
真実はラカだけが知っているのだが、その当の本人はその頃の記憶をなくしてしまっている。
彼女は両親を亡くしたあと、生まれ育った町を出て、その間に記憶が錯乱してしまったようだ。両親が亡くなったという事実と、その原因が病気の類ではなかった様な気がする、その程度のことはわかっていても、その過程を覚えていない。
気がつけば五年前、ラカはこの村に辿り着き、そして親切な村の人たちに助けられて今日に至っている。
「ラカー!!」
名前を呼ばれると同時に、突然扉が大きく開け放たれた。
「ちょっと、シャン!! 勝手に人の家に入んないでくれる?」
ラカの名前を叫ぶと同時に侵入したのは、シャン。この村の村長の孫。青みがかった不揃いな黒髪に同じ色の瞳、ここ数年でいっきに高身長へと変貌を遂げた村一番の美男子と称されている。もっとも村に年頃の男性が数名しかいないので比較対象が限られているのだが。
ラカが五年前、この村に来てから何かと一番に世話を焼いてくれるのが村長である。そして同じ年頃のシャンとは特に仲がいい。
「いいじゃん。おれとお前の仲じゃんか。あ、おはよう」
「おはよう。で、どういう仲よ。そういうことじゃなくて、年頃の乙女の家に勝手に入るな、ってことよ」
「なにが乙女だよ。バカか?」
「誰がバカよ。この無神経!」
そのまま二人は暫く睨み合う格好となった。喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったもので、これぐらいの些細な言い合いは日常茶飯事となっている。
ここの村人は全体的に仲がいい。村人の数が少ないことも一つの理由だろう。
ラカやシャンと同じ年頃の子は少ないので、特に仲がよくなる。同年代の子はこの村にあと三人と、少し年が離れた子が一人いるだけだ。
年が近く仲もよい者同士は、よく互いの家を行き来している。実際に勝手に上がりこむことも多々あるのだ。
「はあ。もういいや。で、どうしたの? こんな朝早くに」
「ああ、そうだった。これからランダやネールたちと街に行こうってことになったんだ」
「え、街?」
「ああ。買出しにな。ラカも行くだろ?」
ラカたちが住んでいるのは小さな村なので、やはり自給自足には限界があり、時折近くにある街へと足を運んでいる。場合によっては遠くの街まで出向くこともある。
近い街だと朝から出れば日帰りで間に合う距離に三つある。
「行く行く!! そりゃあ、もちろん行くわよ。どこの街? センノル?」
「いや、違うぞ。そうそう……あ、これ。ラカがこれをもらった街だよ」
そう言って、シャンは置きっぱなしにしてあった懐中時計を手に取った。きらきらと虹色に光る時計。
ラカは一瞬言葉を失った。
「えっ……」
「デテニの街だよ。やっぱお前、まだこれ持っていたんだな。ラカ?」
「あ、ああ。うん。デテニね……なんかあの街、久しぶりな気がするんだけど」
「そりゃそうだろ。だってラカ……確かこれもらってちょっと経ってから一回行ったきりだろ?」
「あーそうかも」
三年前、あの老人に懐中時計をもらったあと、半年ほど経ってからラカはもう一度あの店に行った。しかし、そのときにはもうあの店はなくなっていたのだ。
隣の店の人に聞いたところ、その老人は亡くなったという。年が年だけに、老衰だったと、話してくれた。
それから、ラカはなんとなく行く機会をなくした。また行きづらくも感じて自然とデテニの街自体に足を運ばなくなっていたのだ。
「お前、あれからデテニに寄り付かなくなったもんな。けど、そろそろ行ってもいいんじゃないか? なんでかよく知らんけど、一生行かないつもり?」
「そういうわけじゃないけど……」
どうやら、シャンには全てお見通しのようだった。ラカはそう思うと、苦笑する。
もしかしたら、たぶんそうだろうけども、この村の中で一番ラカのことを理解してくれているのはシャンなのだろう。
「シャン。ありがとう」
「なにがだよ?」
きっとシャンは言わないだろうけれども、ラカはなんとなくわかってしまった。
タイミングがよすぎるのは謎だが、きっとシャンはわざわざラカのためにデテニに行くようにしてくれたのだろう。
喧嘩もよくするし、無神経なようにも見えるし、意地悪するときもあるけど、シャンはいざという時には優しくて頼りになることを、ラカはちゃんと知っている。
「なんでもないよ、シャン。じゃあ、早く行こう! もうランダ達も待っているんでしょ?」
「ああ、そうだな。あ、ほらっ!」
「えっ。ちょっと!!」
シャンは懐中時計をラカの方に放り投げた。懐中時計はゆっくりと放物線を描いて、ラカの下へ落ちる。ラカは慌てて手を伸ばし、それを受け取った。
「もう! 大事に扱ってよね! ちょっと、聞いてるの? シャン!!」
「はいはい。先行くぞー」
「あのね! あ、ちょっと待ってよ!!」
先に家を出て行くシャンの後をラカは急いで追いかける。
そして、ゆっくりと扉は閉じられた。
◇◆◇
ラカとシャン。それに同じ年頃のランダとネールの四人は村から小三時間ほどでデンテの街に着いた。
もちろんずっと徒歩で来たわけではない。途中で乗合馬車を使って来たのだ。徒歩だけで来ようものなら、軽く五時間はかかる。無駄に時間が消費されるし、行きはまだよくても、帰りに荷物を持って五時間は少々辛いものがある。
「やっと着いた。あたし、やっぱり馬車は慣れないわ。まだお尻が痛い」
「ネール、お前もか。実は俺もだぜ!」
「……なんかランダと一緒って思うと嫌だなぁ」
「どういう意味だ!!」
人懐っこい笑みを浮かべる短髪の少年ランダと長い髪を高い位置で結い上げている少女ネールもラカとシャンほどに仲がいい。付き合いだけの長さでいうと、生まれてからずっとなので、断然長い。もちろんその中にはシャンも入るわけなのだが。
「まあまあ。二人共落ち着いてー」
「何言ってるの、ラカ。あたしは落ち着いているわ。ランダが一人で暴走しているのよ」
「ネール……お前な」
なんとも涼しげな顔のネールと呆れたように肩を落とすランダ。いつもネールのほうが一枚上手なのだ。
「でもさ、ミリュも来たらよかったのにね」
「しょうがないよ、ラカ。だってニッちゃんをほっておくわけにもいかないしね」
「まあ、確かにね」
ミリュはラカ達と同じ年頃でおっとりとした女の子だ。彼女も本当なら一緒に来るはずだったのだが、弟のニチの世話をしなければいけなかった。
彼女の弟はまだ街に連れてくるには幼すぎて、忙しい両親の代わりに世話をするのがミリュの役目なのである。
「その代わり、ミリュの買い物も頼まれてきたけどね」
そう言って、ネールはにっこりと笑った。
何しろ、そうしょっちゅう街に行くわけではないので、この機会に他の村人たちの買い物も承ってきたのだ。
「おーい。いつまでもしゃべってないで、そろそろ行かないか?」
ラカとネールが振り返ると呆れ顔のシャンがいた。その横には同じようにランダもいる。
「それもそうね。じゃあ二手に分かれましょう。本当はあたし、ラカと一緒にまわりたいのだけど、荷物もちが必要だからね」
そう言ってネールはランダを引っ張る。
「あたしとランダ。ラカとシャンでいいわよね」
「そうだな。しっかし荷物もちって……」
「ぐたぐた文句言わないの、シャン。あんたもよ、ランダ」
ネールは幼い子を叱り付けるように言う。その様子はどこか可笑しくて笑える。
シャンも口を噤んで、街のどかからでも見える時計台を眺めた。
「今が十一時だから……四時間後の十五時にあの時計台の下で待ち合わせっていうのはどうだ?」
「いいわね、シャン。そうしましょう。四時間もあれば結構見てまわれるわね」
ネールもランダも頷いた。帰りも三時間馬車に揺られなくてはいけないので妥当な時間である。
ただ、ラカは話を聞きながらも、ぼんやりと時計台を眺めていた。
そんなラカにシャンは気づいているのか、いないのか。否、もちろん気づいていたのだが気づかぬ振りをして話を切り出す。
「じゃあ、そういうことで。また後でな。ランダ、ネール」
「ええ、後でね。無駄遣いしちゃだめよ、シャン!!」
「そっちこそ!!」
二組は手を振り合って、別々の方向から街の中へと進んで行った。
◇◆◇
「ねえ、ランダ」
「なんだ?」
ラカとシャンの二人と分かれたあと、ランダとネールは買出しメモを見ながら順調に買い回りをしている。しかしその量はまだまだ終わりそうにない。
「うーん……。ラカ、やっぱり元気なかったかなって思って」
「まあ、そうだな。……でも、シャンがなんとかすると思うぜ」
「そうだろうけど」
「その為にほとんどの買出しを、こっちで引き受けたんじゃねぇのか?」
ネールは、驚いたようにぱっとランダの方を見上げた。ランダはにた、と笑っている。
「あんた、気づいていたの?」
「当然。と、いうかだな。これだけの買出し量を見れば嫌でもわかる」
ランダはネールが持っている買出しメモを覗き込みながら言った。
その買出しメモには上から下までぎっしりと文字が埋まり、明らかに平等に2つに分けた量ではないということがわかる。
村人のほとんどが必要とする分が書かれているのだから。
「よかった。ランダがただの馬鹿じゃなくて」
「……ネール。そりゃあどういう意味だ?」
ランダはこめかみを引きつらせながら、ネールを睨んだ。
しかしネールはそんな様子も全く気にしない。
「別に。さ、次はこれを買いにいかないと! 行くよ、ランダ」
ぐいぐいとランダの腕を引っ張り、次の目的地を目指す。
彼女はこういう人物なのだ。
◇◆◇
「ラカ、そろそろ昼飯にしないか?」
「そうだね。お腹もすいたし」
ラカとシャンも順調に買い物を進め、もともと少ないリストのほとんどを終わらせていた。
あれから一時間半ほど。
時刻は十二時半を指していた。
「この調子だと大分早く終わるけど……いくらなんでも少なくない?」
買出しのメモを眺めながらラカは言う。あからさまに少ないそのリストに疑念を抱いてもおかしくはない。
シャンは特に何かを言わず、ただ苦笑だけを浮かべた。
「あ、シャン。この店に入ろう! まだ空いているほうだし」
「そうだなー。他の店は人が多くて無理そうだしな」
昼時の時間帯だ。飲食店はどこも混むのはしかたがない。
ラカとシャンはあまり混んだところで待ちたくはなかったので、適当に空いている店に入ることにした。
しかし、空いているとはいっても、人が多いことには違いない。まだマシというところだ。
店に入ると空いている席を探す。ちょうど2人分空いていたので、そこに腰を下ろした。
「はい、いらっしゃい。ご注文はお決まりで?」
店員が愛想よくやってきて、水を置きながら聞いた。
ラカとシャンはメニューをパラパラと見たが、ラカ的には食べられればなんでもよかった。
「この店のお勧めは?」
「特製オムライスですよ、お客さん」
「あ、じゃあ私はそれでいいです。シャンは?」
「おれもそれで」
二人が言うと、店員はにっこり笑って頷いた。
「はい、畏まりました」
店員は立ち去り、ラカがもう一度メニューをよく見ると、特製オムライスと大きく見出しが載っている。
説明文がくだくだと載っているのを、ラカは目を通していった。
「シャン、オムライスだって。おいしそうだね」
「よかったな、ラカ。好物だもんな」
「シャンだって好きじゃない」
ラカもシャンもオムライスは大好きだった。特に村長の娘、シャンの母親が作るオムライスは絶品なのだ。
「ねえ、シャン。私、さっきから考えていたんだけど」
「なにを?」
ラカは目を下に向けながら、少し困ったような声を出した。
「……もしかして、ランダとネール……私に気をつかっているのかな」
「ラカ、お前……」
「私って、そんなにわかりやすいかなぁ。もうー……」
ラカはそのままうな垂れるように、テーブルに顔を埋めた。
「まあ、それだけランダもネールもお前のこと、心配してるってことだろ」
「……なんでもないんだけどなぁ。ねえ、そんなに私、変?」
ラカは上目遣いでシャンを見上げ、シャンはまじまじとラカを見る。暫くの間二人の視線が絡み合った。
ふいに、シャンが手を上げ、ラカの頭をかき回す。
「いつものラカは、もうちょっと元気だけどな」
「わっ。ちょっと! もう、何するのよ!!」
がばっ、と顔上げてラカは乱れた髪を手早く直しながらャンを軽く睨む。その様子に、シャンは嬉しそうに笑った。
「その調子だよ、ラカ」
「むぅ。あのね……!!」
どうにも納得いかず、ラカが次の文句を言おうとしたとき、ちょうど店員が特製オムライスを二つトレイに乗せてやってきた。
「お待たせしました~。特製オムライスおふたつでーす」
ラカとシャンは目の前に置かれた特製オムライスを見て、目を見開いたのだった。
◇◆◇
昼食を済ませたラカとシャンは買出しの続きを早速始め、そろそろ終わりにかかろうとしていた。
「……あとは、私の買い物で終わりかな~。あ、シャンの買い物もまだか」
「おれは終わったけど?」
「……何時の間に?」
確かに一緒に買い物をしていたはずなのに、何時の間にシャンは自分の買い物を済ませたのだろうか。
ラカは全く気づかなかった。
「ラカが注意力散漫なんだよ」
シャンはけろりとそう言ってのけて、荷物を持ち直した。
もちろん、ラカは荷物を持っていない。そもそも、二人で持つほどの荷物があるわけではないのだが。
「もう、信じられない」
「あのな……。そういえば、信じられないといえば、あの特製オムライスは凄かったな」
ふと思い出したかのように、シャンは言った。脳裏には昼食で頼んだ特製オムライスの姿が浮かぶ。
ラカも同意を示して、少々顔を引きつらせた。
「確かに……。強烈だったわ。なんというか、オムライスという次元を超えていたような気がする……」
「特製と言ったら特製なんだろうけどな」
二人はそのまま暫く、特製オムライスについて話しながら街を歩いて行った。
途中何件かの店に入り、ラカは品物を物色していく。
どんな時代も男より女の方が買い物は長い。ラカもその例に漏れなくそうだった。
「おい、ラカ。まだ買う気なのか?」
「どうしようかな……もう、だいたい欲しい物は買ったし……でも他にも見たいしな」
「お前……どこにそんな金があるんだよ?!」
「何言ってるの! こつこつ貯めていたんじゃないの」
小さな村の稼ぎなんてたかが知れているものだ。ラカは、いくら村人が親切にしてくれているからといっても、親がいない身としては自分で生計を立てていくしかない。
もちろん、ある程度の年になれば、村人全員が何らかで稼ぐようになる。シャンやランダ、ネールたちもそうだ。
そしてラカは少しずつお金を貯めて、街に来たときに買い物で使い切るという循環がある。
買い物をどうするか考えながら適当に街を歩いていると、いつのまにか賑わいがあまりない通りに出ていたみたいだ。
「あれ、いつのまに……」
「ラカが余所見してるから」
「私のせいなわけ!」
ここは商店街やショッピングモールでもなく、おそらくは住宅街になるのだろうけれど、静かな通りだった。ぽつりぽつりと、小さな店もある。
裏道というには、日の光が差し込んでいて明るいのでそんな感じはしない。
「しかしここは……大通りに比べたら静かだな……」
「……そうだね」
あたりを見回しながらラカとシャンはその通りを歩いて行く。本当に、不自然なほど静かで、人の気配がない。
ラカは次第に気持ち悪く感じるようになった。
「ねえ、シャン。なんかさ……やっぱり大通りに戻ろう? この辺り何にもなさそうだし。道に迷う前にさ……」
シャンはちらっとラカを見た。
いつもなら怖いのかとからかうところだが、なんとなく今はそんな気分でもなく、ラカの様子も少し気になったのでそれに頷いた。
「そうだな。あっちから来たから……」
シャンは来た道を振り返り、頭の中で辿ってきた道を思い浮かべる。大丈夫、まだちゃんと戻れるだろう。
「あ、ちょっと待って……」
「なに?」
足を踏み出そうとしてみれば、ラカが何かに気づいたように呼び止める。
ラカが見つめる先をシャンが辿ってみると、そこに一軒の小さな店があった。
「私……ちょっとあの店行ってくる」
「はっ?!」
「なんだか……気になるの。あの店……」
そう言うと同時にラカは駆け出していた。仕方がないのでシャンもその後に続く。
やはり、ラカの様子がいつもとは違う。
「……この店……まさか」
ラカは店の前で足を止めると、どこからかあの懐中時計を取り出した。日の光を浴びて、虹色に輝いている。
店と懐中時計を交互に見比べてから、意を決したように店の扉に手をかけた。
ラカの後ろでシャンが少し不安そうにその様子を見守っている。
扉を開けると、カランカランとベルの音が鳴った。
「あ、……」
一歩、店の中に足を踏み入れるとそこは記憶の中の景色となにも変わっていなかった。
アンティークばかり飾っている、独特な雰囲気のする店。3年前にラカが足を踏み入れて、そして懐中時計を貰った場所。
「ラカ……この店って」
三年前、この店に入ったのはラカだけだった。だからシャンはこの店を知らなかったのだ。ただ当時ラカから話を聞いていたにすぎない。
しかしこの店がこうやって存在するはずがないのに、なぜあるのか。
ラカは戸惑い、混乱する。
「シャン……あの店だよ、シャン……」
ラカは震える手で懐中時計の蓋を開けてみる。
針は――やはり動いていなかった。
慌ててラカは店の中を見回し、誰かいないか探してみる。もしかしたらあの老人がいるかもと、ありえないと解っていながらも思った。
ラカは無意識にシャンの腕をつかんでいた。
「ラカ……? お前、大丈夫か?」
「シャン……」
ラカは今にも泣き出しそうな顔をしいた。何が彼女を突き動かしているのかわからないが、彼女は何かを感じ取っているのかもしれない。
ラカは震えながら、シャンに縋りつく様に言った。
動いていないはずの針が、動いている気がした。
「シャン……あの、おじいさんは……私の、時間が」
ラカは思い出したのだ。
今朝の夢で、意識がなくなる前にあの老人が言っていた言葉を。そしてその意味がわかったのだ。
三年前のあの頃は、無理やりわからない振りをして、それで平気だったけれど。
時間をかけて緩んでいた記憶の蓋は、一気に開けられてしまった。
「あの人は、おじいさんは……私の時間が止まって……違う。……私が私の時間を止めてしまった……」
「おい、ラカ。何言ってるんだよ!」
シャンにはラカの言っている意味がわからなかった。何を指しているのかがわからない。意味不明に呟く彼女の様子がただただおかしい。
ラカはまるで何かに怯えているようだった。
それは知ってしまった、理解してしまったラカ自身の恐怖。一人で耐えるしかない、耐えられない恐怖。
「ラカ、落ち着けって。大丈夫だから……お前は、一人じゃないだろ?」
シャンは優しく声をかける。なるべくラカが落ち着くように。
ラカはきっと、真実に一人で耐えられないから、怖くて震えている。でも、彼女は決して一人ではないのだ。
ラカもそれを知っているはずで、怯える必要はない。
「ラカは……五年前と変わらないな」
シャンはそっとラカの手をとって、握ってやる。そして微笑む。今でもシャンは初めてラカに会った日のことを鮮明に覚えている。
大雨の中、全身濡れてしまい寒さに震えていた。雨で濡れた頬に涙が混ざり、必死に何かに耐えようとしている姿が忘れられない。あの時もシャンはラカの手をとって強く握りしめた。
ラカはゆっくりと顔を上げ、シャンを見る。
ラカは知っている。シャンの手は凄く暖かくて、彼に手を握ってもらえると落ち着くということを。
それは、五年前のあの日から、ずっと知っている。
ゆっくりと落ち着きを取り戻したラカはやんわりと微笑んだ。
「……ありがとう、シャン。あのね、私思い出したのよ」
「なにを?」
「あのおじいさんは、私が私の時間を止めてしまった時を思い出せば、これは動き出すと言っていたの……」
ラカは懐中時計をシャンに見せる。
蓋を開くと針は――動いていた。
――お嬢ちゃんが自分の時間を止めてしまった時の事を思い出したとき、きっと虹色時計は動きだすはずじゃよ。
あの時、少女は首を傾げた。もしかしたらどこかでその答えをわかっていたかもしれないけれど、少女の、ラカの記憶は蓋をされたままだったのだ。
ただ、一瞬湧き出そうになった記憶の欠片を、無理やりまた仕舞ってしまったのだ。
「私が、時間を止めてしまったのは……あの時だけ。あの時から、ずっと……私は時間を止めていた……!!」
それは三年前の時ではない。もうその頃には既にラカの時間は止まってしまっていたのだ。
ラカが時間を止め、記憶に蓋をしたのは五年前のあの時。シャン達がいる村に辿り着く前、ラカの両親が亡くなって、生まれ育った町を出たときだ。
ラカは小さな声でそう言った。その声は少し震えていた。
シャン達と出会ってからの五年間、ラカは時間を止めたまま、記憶に蓋をしたまま過ごしてきたのだ。
「シャン……ごめんね」
「なんで、ラカが謝るんだ? ラカはラカだろ?」
例え出会う前の過去に何かあったとしてもラカがラカであることには変わりない。
そしてラカを村に迎え入れた時から、村人はラカの全てを受け入れていたのだ。
ラカ自身に記憶があろうが、なかろうが、村はラカを迎え入れたのだ。
「……うん。そうだね、ありがとう」
よしよしとシャンはラカの頭を撫でた。ラカはくすぐったそうに笑った。
「泣き虫だな、ラカは」
「泣いてないわよ!!」
「そういうことにしといてやるよ」
「もう!」
シャンはラカの手を繋いだまま引っ張った。
「出よう、ラカ。ラカの時間が動き出したならそれでいい。またこの店に囚われて、時間を止めたらだめだからな」
「そうだね……」
ラカは一度だけ名残惜しそうに振り返った。そこに一瞬だけ、アンティークに囲まれている老人が、穏やかに微笑んでいる姿を見た気がした。
ラカの時間が止まっていたから、この店が現れたのか。それとも、ラカの時間が動き始めたから、この店が現れたのか。
店の外にでると、太陽の位置が先ほどより少しずれている。何時の間にかだいぶ時間が経っていたようだ。もう少しすれば夕暮れ時になるだろう。
ラカは虹色に光る動き出した懐中時計を眺めた。
「……ねえ、シャン。私の話、後で聞いてくれる?」
「ああ。ちゃんと聞いてやるよ」
ラカは少し笑って、その表情を暗くした。懐中時計を持つ手に力が入る。
「どうした?」
「あ、の……私は……あの村にいてもいいのかな……皆といていいのかな?」
不安の色をその琥珀の瞳に映して、ラカは呟いた。
シャンは一瞬驚いて、目を丸くする。
ラカにとっては、過去のあの記憶はとんでもないことで、忌まわしいことで、シャンに全てを話した後、あの村にいられるかわからなかった。
「何言ってるんだよ、ラカ。お前の居場所は、あの村だろ? いていいに決まっているだどうが」
「でも……」
「でも、じゃなくてだな。ラカの過去なんか皆気にしないさ。それでも、ラカが気にするって言うんなら、おれとお前の秘密にしておくし……」
言葉を切って、シャンはラカを見た。そして、虹色の光を放つ懐中時計に目をやる。
ラカは首を傾げて、シャンを見上げた。
暫くのこの沈黙が、何故か心地いい。
本当は、決して口には出さないが、ラカはどうしたって村のみんなとも離れたくないし、なによりシャンの傍にいたいと願っている。
何も言わず暫し見つめ合ったあと、シャンは繋いだ手を引っ張って歩き出す。そろそろ待ち合わせの時刻に近づいているはずだ。
「……シャン?」
心地いいはずの沈黙が、何故か不安になってくる。
黙々と歩いていたが、シャンが不意に立ち止まり、ラカもつられて立ち止まる。
「……だから、ラカ。いろよな、村に」
「ずっと。皆もきっとそう言うぞ」と、そう付け加えられたシャンの言葉にラカの胸は熱くなる。嬉しくて、苦しくて、泣きそうになる。
ラカはあの村にいてもいいんだと、シャンは言ってくれた。あそこが、ラカの居場所だからと。
「うん。……うん」
ラカは泣かないように、涙を堪えながら何度も頷いた。
満足そうにシャンは笑って、それからまた手を引いて歩きだした。
◇◆◇
時計台の近くまで行くと、ランダとネールが手を振っていた。
それに応えるようにラカとシャンも手を振り返す。
そしてラカは帰るのだ。
ラカの居場所へと。
――止まってしまった時間は取り戻し、そして新たに動き出す。
懐中時計は変わらずに、虹色の光を放っていた――
以前自作HPに掲載していた短編小説の中でお気に入りの作品を加筆修正しました。




