SS ワトラ、帝国に行くことになりました!
お昼下がりのビスタ島の診療所。
ワトラは鼻歌まじりに机に座って調べ物をしていた。
栗色のまとまりの悪い癖っ毛を後ろにまとめて、獣耳はぴょこぴょこと楽しいといった気分がにじみ出るように動く。
白衣も背丈に合ったものを着用し、心機一転といった感じなのである。
「おーい、ワトラ」
そう言いながら、診療所に入ってくるカール。
今日は、まだ迷宮には行ってないようだ。
いつもの銀の胸当てやグローブなどの装備をしていない。
黒の半袖に紺のパンツをはいている。
少しくすんだオレンジ色の髪の毛は、若干寝ぐせがついている。
ぴょんと跳ねて犬耳の上にちょこんと乗っているのだ。
ワトラはそれを見て、気になると思うのである。
「カール、何? い、忙しいんだけど」
そう言いながら、頬を赤らめそっぽを向く。
嬉しいのに素直になれず、ついそう言ってしまう。
「なんだよ、人がせっかく帝国からの手紙を届けに来てやったのによぉ」
そう言いながら、手に持つ手紙をひらひらとさせるカール。
「来たの! 早く見せてよ」
そう言って、カールに近づくワトラ。
カールはにやりと不敵に笑い、ワトラの丁度届かないであろう高さに手紙を出す。
ワトラの身長は152cmで、カールの身長は173cmあるのだ。
それを必死に手を伸ばすワトラ。
それを見て、カールはご満悦になるのである。
「おい! 早く手紙を渡せよ! なんで、届きそうで届かないところで持ってんだよ!」
「ふっふっふ、ワトラが小さいからいけないんだろ。悔しかったら取ってみろ♪」
楽しそうに笑うカール。
それに腹を立てたワトラは、ぴょんと飛んでそれを掴みとろうとするが、それは空を切る。
ジャンプすることなど想定済みといった感じで、少し高さを上げるのだ。
何度もジャンプするワトラを笑いながら見ていたカールだったが、ワトラの胸がジャンプする度にぽよんと揺れるのである。
白衣の下は、クリーム色のカットソーでフリルが付いている。
体にフィットしているため、出ているところはラインが強調されているのだ。
カールはついついそれに目がいってしまい、ぴょんぴょん跳ねるワトラの胸を凝視しながら手紙を取られないようにするのである。
最低だね! 本当にクズだね!
それに気が付いたのか、ワトラはわなわなと体を震わせ、顔を真っ赤にしながらカールのお腹に強力なパンチを繰り出すのである。
「ぐぼぉふぉ~~~!? ごちそうさまでした!」
そう言いながら、開いた扉から外へと2回転半して逆さまの状態で大木にぶつかり止まる。
「黙れ駄犬! 何がごちそうさまだ! 二度とそんなこと出来ないように今度躾けてやるからな!」
肩で息をしながら、ゆでダコのように真っ赤になったワトラは、目尻に涙を浮かべている。
殴られたカールは、ピクリとも動かないで目を回すのであった。
ワトラは足元に落ちた手紙を拾ってから、扉をバタンと閉める。
「何なんだよ! ホントにもお~!」
そう言いながら、頬を膨らませて机に戻って中身を確認する。
どうせ、契約完了の紙だろうと思っていたのだが、内容が違った。
「え? 何でわかんないんだよ! こいつら馬鹿なのか!」
そこに書かれていた内容は、ワトラの出した論文でわからないところが多いため、説明をして欲しいとのこと。
あと、ダニエラの加入の件もあった。
研究施設1号をこのビスタ島に作る計画で出している。
出資は、ダニエラのポケットマネーである。
それに帝国も参加するかといったことで、何やらもめているらしい。
ワトラは「知るかそんなの!」といった感じなのだが、これはしないといけないことなので、無下には出来ない。
「め、面倒くさい……。行きたくない……。帝国まで行こうとしたら……一ヶ月以上かかるじゃないか! その間……カールに……」
そう言って、言葉を切った。
不安で仕方がない。
カールにその間会えないということが。
先ほどもそうだが、側にいると一番安心できる。
ワトラのことを一番良くわかっているからだった。
「ダルクさんに相談してみようかな……」
ワトラはそう言って、机から立ち上がって俯きながら歩く。
外に出ると、カールの姿はなかった。
殴ってしまったため、ワトラが怒っているかもしれないと思って、逃げ出したのだろうかと思う。
こんな時に、相談に乗ってほしいのにと心の中でひとりごちる。
大きな溜め息を吐いて、ワトラはダルクの家へと向かう。
向かう途中で、島の外から入ってきた者たちが現在冒険者ギルドの内装を作り上げていた。
ようやく、このダルクが納める村も軌道に乗ってきたのだった。
宿屋も増築され始めている。
そんな風景を見ながら、ワトラは一番大きな家へと着きドアをノックする。
すると、扉が開く。
「はーい、おや? ワトラさんじゃないですか。どうされたんですか?」
「え、えっと、ダルクさん。相談したいことがあるんだ」
ダルクは、どうしたのだろうといった表情を浮かべてワトラを家の中へと入れる。
立ち話で済むような案件ではないと思ったからだった。
応接間へと通されたワトラは、ソファーに座って出されたお茶を一口飲む。
「それで、どうされたんですか?」
「えっと、その、実は帝国に一度着てくれって手紙が来たんだ」
「ふむ、なるほど……。その間、ワトラさんの代わりの治療師を一旦ファルグリッドから1人呼ばないといけませんね」
「うん、でも、その……」
「行きたく……ないんですね」
ダルクは、口ごもるワトラにそう言う。
すると、ワトラはこくんと頷く。
口には出さないが、ダルクもワトラがなぜ行きたくないかは想像がついた。
いや、この島にいる住民のほとんどが、ワトラの気持ちを知っていた。
これは、ティストが酔った勢いで言いふらしたのが原因である。
そのため、酔いつぶれていたカールは理不尽なフルボッコにあう。
このビスタ島に来てくれた救世主であるワトラ。
言葉遣いが男の子のようだが、ティストの酒の席の余興で、ワトラが可愛く大変身したのがきっかけにこの島で人気者になっている。
それが、あんなカールなんかに気があるともなれば、ちょっと殴ってもいいだろうとなる。
そして、そんなことを知らないのは当の本人とワトラだけなのであった。
ダルクは、少し考えてから、
「そうですねぇ。ワトラさんは帝国に行ったことはありますか?」
「え? 行ったことはないよ」
「そうですか……。あの街は大変広いです。それに、いい噂は聞きませんからねぇ」
ダルクは困ったなぁといった感じで顎に手を置いてから次の言葉を紡ぐ。
「1人で行かせるには少し不安ですねぇ。私の村の大切な人ですから」
1人というところをなぜか強調して言うダルク。
それに、ワトラの耳がピクンと反応する。
「誰か護衛に付けて行かれてはどうでしょうか? この島には沢山優秀な冒険者がいますからね」
「え、えっと、でも、迷宮の探索サイクルが……」
「私の納める領地で、先日頂いたファルグリッドもありますからね。冒険者の補充もできるので安心して下さい」
いい笑顔で、ワトラにそう言う。
要するに、カールと行って来てくださいと遠回しに言っているのである。
ワトラは、見る見る表情が明るくなっていく。
「え、えっと、いいんですか?」
「はい、ワトラさんは大切な人ですから」
「あ、ありがとう、ダルクさん!」
そう言って、笑顔で頭を下げた後、ワトラはダルクの家を出る。
ちょっとスキップ気味なのは、突っ込まないで笑顔で見送る。
「さて、問題はここからですかねぇ。どうやってカールさんを護衛として出すかですか……。バッドさんにでも言ってみましょうか……。いや、ここはティストさんがいいでしょうね」
そう言って、ダルクも家を後にする。
宿屋でくつろぐティストの下へと行く。
そこからは、話がトントン拍子で進んでいく。
相変わらず楽しそうな表情で、ティストは新しいおもちゃでも見つけたかのような表情で作戦を立てる。
自然にカールが選出されるように仕組むのだ。
バッドが話に入ってきたとき、他人のことに関しては察しのいい言葉を言った瞬間、ティストはイラッとした。
その鬱憤をこの作戦にぶち込んでやろうと思うのであった。
そして、その日の夜。
毎度おなじみの夜の宴が始まっていた。
皆、楽しそうに酒をどんちゃん騒ぎで飲むのだ。
ワトラは、その様子にげんなりとしてしまう。
二日酔いの最悪なパターンが翌日起こるからである。
特にティストに絡まれると厄介と本気で思うのだ。
そんなとき、ダルクがワトラの肩を叩く。
「ワトラさん、皆さんに報告しといた方がいいですよ。丁度集まってますから」
「え? あ、はい」
ちょっと不安げにワトラは立ち上がる。
ダルクもその横に立つ。
「皆さん聞いて下さい。1つ報告があります」
ダルクがそう言うと、宴会に集まった者たちが一斉に酒を呑むのをやめてダルクの方を見る。
そして、ワトラへとバトンタッチするのである。
「え、えっと、僕はこの前出した論文のことで……帝国へと説明をしに行かないといけなくなりました」
ワトラは、全員に向かってそう言う。
すると、探索者たちは「マジかよ! ワトラちゃん!! 俺らの治療はどうするんだよ!」と言うのである。
それに対しては、ダルクが説明を入れて話を続ける。
「それでですね、ワトラさんを1人で帝国へ行かせるのは、ちょっと危ないと思うんですよ」
その言葉に皆が合わせるかのように「あのクソ帝国なんかに1人は危ない」とがやがやと騒ぐ。
完全に茶番である。
「ワトラさんが、長い間このビスタ島を離れるのは私たちにとって不利益です。この島ではワトラさんは私たちの救世主ですからね」
そう言うと、ティストがここで立ち上がって言う。
「早く行って帰ろうって思うなら、スピカで飛行船に乗ったほうがいいだろうね。カール、あんた行ってやんなさいよ」
「はぁ? 何で俺なんだよ」
「【蒼き聖獣】のコミュニティメンバーなら顔が効くじゃない」
「だったらティストでも行けるだろ」
「アンタ馬鹿ね……。このビスタ島にバッドとあんた残したら絶対に毎日呑んだくれそうで嫌なのよ」
「……言い返せねぇのがつらい」
ティストに痛いところを突かれて、ぐうの音も出ないのである。
いや、今までの行動が物語っている。
仕方ないね。
「それに、カールの薬だってワトラがいないと出来ないのわかってんの?」
「あ゛!?」
「あんた……本当に……。ワトラが居ない間は禁酒よ。わかってんの?」
「何それ地獄じゃん!」
両手を頬に当て表情を歪める。
これは絶対に付いていかなければ、いろんなものが溜まってしまう。
「でもなぁ、ワトラは俺と行くの嫌なんじゃね?」
その言葉に、宴会に居るワトラ以外の者たち、特に男性陣からの「殺すぞ、クソ犬」と思われているなど知る由もない。
殺気立った目線に若干たじろぐカール。
助けてといった表情でワトラを見ると、ワトラは頬を赤らめぷいっとそっぽを向いてしまう。
なんでなんだ!? なぜそこでそっぽ向くんだ! といった感じでカールは涙目になる。
ティストはワトラの態度に、焦れったいなこんちきしょうと思うのであった。
「その……カールが、どうしてもって言うなら、べ、別にいいけど……」
もじもじとしてワトラはそっぽを向いたまま言う。
ほとんどの男性陣は、そんなデレたワトラにキュンキュンしてしまう。
たまに出るこういった仕草はなんとも言えない破壊力があるのである。
カールは助け舟が出たと思い、何度も頷きながら絶対に付いて行くと言って「禁酒回避だぜ、やったぜー」と思うのであった。
カールはワトラのところまで行き、肩に手を置いてから言う。
「長旅だ! よろしくな、ワトラ」
「ぁ……、うん。ょ、よろしく、カール……」
カールは屈託のない笑顔を向けると、ワトラは俯いてしまう。
真っ赤な顔を見られたくないためであった。
この瞬間、今日はフルボッコだと男性陣は決意する。
翌日、二日酔いという最悪な目覚めとともに、カールの体のいたるところから激痛が走り悶える。
ワトラに発見されたカールは、うなされながらも柔らかいワトラの膝枕で介抱され、ちょっと幸せと思っていた。
カールが頬ずりしたら、ワトラの悲鳴と共にチョップが飛んできたのは言うまでもないのであった。




