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未読1件

作者: やぎっち

 短い着信音が鳴った。

 画面にはチャットアプリの未読数「1」が表示されている。


『こんにちは。山下さん』


 チャットの画面を開くと、見ず知らずの人からのメッセージだった。どうやら相手はこちらの名前を知っているようだ。


 このチャットアプリは最近ブームになっているものだった。

 今どきの若者同士はみなこのチャットアプリで会話するらしい。私も友人からインストールを勧められてサインアップしたものの、あまり友人が多くないこともあって滅多に使っていない。

 登録情報には、でたらめな名前とメールアドレスが入れられたままだ。だから私のことを探そうと思ったって検索に出てこない。それに、アカウントを知っている人は両手で数えられるほどしかいないはずだ。

 知人の誰かが新しい携帯電話でも買ったのかな。……いやいや。こんな余所余所しい感じでいきなり話しかけてくる人はいないはずだ。

 おそらくスパムメッセージの類だろう。この世の中には“山下さん”などたくさんいるのだから。


『山下さん、今日は雨が降るので傘を持っていってください』


 2通目のメッセージを見て、少しおかしいなと思った。今ちょうど出かけようと玄関の鍵を閉めたところだったのだ。

 急いで天気予報アプリを見てみる。なるほど、今日は天気が下り坂という予報。


『何か返事をくださいよ。

 でないと貴方が財布を忘れたことも教えてあげませんよ』


 3通目のメッセージ。

 ポケットに財布が入ってないことに気が付いて、急に気味が悪くなった。

 誰かが私をストーキングしているのか?


 そうした事件があることをよく知っているし、身の回りにも被害者がいないわけでもなかった。でも、まさか自分が対象になるとは思えない。

 何より、心当たりがない。

 不思議なことに、ストーキングされる恐怖より好奇心の方が勝って、妙にワクワクした気分になっている。

 軽い気持ちで返信してみる。

『あなたは誰ですか?』

 おそるおそる返信ボタンを押すと、すぐに着信音が鳴った。


『神様、とでも言っておきましょうか』


 馬鹿かこいつは、と思った。

 その日はそれっきりメッセージは来なかった。


 ◇


『おはようございます。山下さん』

『おはようさん』


『山下さんの今日の運勢は最悪です。交通事故に気をつけてくださいね』

 爽やかな朝をぶち壊す、有り難いメッセージだった。


『なんで悪い運勢をわざわざ教えてくれるの』

『神様の仕事ですから』


 初めのメッセージから数日。例のストーカーと私は何度かメッセージをやり取りし、どういうわけか打ち解けてしまっていた。

 部屋に盗聴器がないか探したし、誰かが侵入していないかも調べ上げた。友人たちにも思い当たる節がないか相談した。でも不審な点は見つからなかったし、友人たちも私の連絡先を第三者に教えたことはないという。


 そいつと会話をすることは別に苦ではなかった。だから気味悪く感じつつもメッセージを返信し続けた。こちらから何か相手の情報を引き出せないかという思惑もあった。


 今日は仕事で隣町に出かける用事があった。

 朝食にパン一枚を食べ、いそいそと出かけていく。隣町の駅に着いたのは朝の10時頃だった。

 駅前の喫茶店で打ち合わせの約束だった。どの喫茶店までは指定していなかったので時間になるまで広場のあたりでぼうっと待っていた。


『そこは危険ですから、駅の中に入ってください』


 またメッセージが来た。危険とはどういうことだろう。さっきから妙な運転をする車が駅前のロータリーをぐるぐる回っていることだろうか。何も無いところで止まったり、突然走り出したりしている。


『早く!』

 続けてメッセージが来たが、私は妙な指図をされて少し怒りを覚えた。

『仕事の待ち合わせなんだ。ここを離れるわけにはいかない』

『そんなものよりもっと大事なことがあります』

 それを読んだ直後、突然腹が痛み出した。


 ものすごい激痛で、まともに立っていられないほどに悪化していく。朝に食べたパンがカビっぽかった気がするな、と今ごろになって気が付いた。

 私は慌ててトイレを探す。痛みは鼓動に合わせて強弱を繰り返していた。もはや仕事の待ち合わせどころじゃない。

 トイレは駅の中にあり、すぐに駆け込んだ。

『パンがカビていて良かったです』

 トイレで落ち着いてから携帯を開くと、わけのわからないメッセージが届いていた。


『ふざけんな』

 そう返信したものの、トイレを出ると恐ろしい光景が広がっていた。


 さっきまで自分が立っていた場所のすぐ近くで自動車が大破していたのだ。パステルカラーのその車は横転し、喫茶店の中に半分突っ込んで鉄くずになっていた。

 その近くには、運転していたらしい男が血まみれで横になっていて、何人かの人が手当てをしていた。男は悪いクスリでもやっているのか、わけのわからないうめき声をあげていた。


 もし自分がさっきの場所に立っていたら。

 あるいは喫茶店の窓際で打ち合わせをしていたら。


『交通事故には気をつけないといけませんよ』

 届いたメッセージを見て、私は恐ろしくなった。


 お前は何者だ?

『神様ですから』


 ◇


『お前は、なぜ私に構う?』

 たまにはこちらからメッセージを送ってやろうと思ったので、質問してみた。


『神様の気まぐれです。ユビキタスって言葉、知ってますか?』

『コンピュータ世界の用語ってことしか分からない』

『もともとは宗教用語で、“神は遍在する”という意味です』

『知らなかったよ。それがどうした』

『神が遍在することを知ったあなたがどう行動するかという実験ですよ』

『神なんて存在しないよ』


 私は神など信じていなかった。

 このメッセージもどこかのストーカーから送られているんだろうし、この間の交通事故はただの偶然だろうし、そいつがどのように情報を得ているか理屈が通らなくても「そういうもんだろう」として流していた。理屈のつかないものにいちいち神の仕業だなんて理屈をつけていたらキリが無いからだ。


 そういうことを長々と返信すると、しばらく時間をおいて返信が来た。

『寂しいですね。そう言われると』


 その日のやりとりはそれっきりで、それ以来メッセージは来なくなった。


 ◇


 夏が近づいたある日、私は仕事の付き合いで釣りに出かけることになった。

 かなり親しい取引先の社長がプレジャーボートを保有していて、夜釣りに行こうというのだ。

 「君は相当釣りがうまいらしいから、一度サシで勝負をしたいんだ」と言われたので、私は気分が良くなって「受けて立ちましょう」と応じることになった。


 その夜は風が強く、海は少し荒れていた。

 我々二人を乗せたボートは暗闇のなかを照らしつつ沖へと進み続ける。

 波の高さの割に船がやたら上下しているのは、スピードが速く操縦が荒いからのようだ。剛気な社長はそんなことおかまいなしにスピードを上げていく。


 突然、船は大衝撃とともに停止した。

 船体はもはや壊れんばかりに大きく揺れた。私は一瞬天地がひっくり返り、バランスを崩したまま前方に投げ出され、船体と共に上下左右に転がり揺さぶられながら何度も体を打ち付けた。


 ふらふらした頭を押さえながら起き上がると、社長が操縦席から飛び出してきたところだった。

「流木かクジラあたりにぶつかったんだろう。エンジンがかからない」

社長は顔を打ったのか、ひどく鼻血を出している。

「とりあえず錨を降ろして、海保に連絡したいんだが……」

 社長はポケットの中から携帯を取り出した。二つ折りタイプのへしゃげた携帯電話だった。電源すら入りそうにない。


 私は自分の携帯電話を取りだした。結果は無情だった。

「圏外です」


 真っ暗な海上で、血を流した男二人に沈黙が訪れる。


 それでも、うかうかしていられなかった。船がゆっくりと傾き始めたのだ。

「沈没するぞ!」

 私は着ていた救命胴衣の紐を確認し、祈った。「神様、助けて」


 その時、場の雰囲気に合わない軽快な着信音が鳴った。

『呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん』

 ふざけた文が踊っていた。

 今もっとも心待ちにしていたメッセージだった。


『この船はたぶん10分くらいで沈没するので、とにかく社長さんと一緒に岸まで泳いでください。最短10km。気合いで3時間泳げばきっと着きます』


『岸の方向が分からない』

 興奮で震える手を抑えつつ、返信する。

『ここから見える一番大きい明かり。それが灯台です。それに向かっていけば大丈夫。山下さんならきっとできます』

 船の後方を見ると、人工のものらしい明かりがぽつんと見えた。

 まさに天の助けだった。

 まさか、こんな場所までストーキングできる人間が居るとは思えない。明らかに人外の仕業だ。


『神は遍在するのです。たとえ火の中水の中』


 そう言われて、ここが圏外だったことを思い出した。

「おかしいぞ。圏外なのにチャットだけできる……?」思わず、呟いた。


『もしかして、この携帯はどことも繋がってないんじゃないか?』

『いいところに気が付きましたね』

 途方もない、馬鹿げたような考えが頭をよぎる。

「どことも繋がってないまま、会話だけができている……」


『お前は神なんかじゃなくて、携帯電話自身なんじゃないのか?』

『仮にそうだとしたら、山下さんはどうします?』


 荒唐無稽な話かもしれない。

 でも、そうか。自分が持ち歩いているものなら、自分と同じものが見えていて当然じゃないか。

 ストーカーだとか想像していた自分が可笑しくなった。

 ……でも、待てよ。

 もし携帯電話自身が会話をしているのなら。

 防水でもないのにこのまま海に飛び込めばどうなる。


 大きな波しぶきが画面に飛び、画面の“どうします?”の文字が滲んだ。

『一生大事にする』


『プロポーズみたいですね』照れる顔文字が踊っていた。

『でも、もう時間がありません。ここでお別れです』


 周囲を見ると、船体の大部分が水没し、私もひざまで海面に浸かっていた。

 社長は放心状態で屋根の上に掴まっている。あと少し船室に水が満たされれば、あっという間に沈んでしまうだろう。

 今までありがとう。

 私は涙をこらえながら、それだけ送った。


『必ず生きてください。さようなら』


 それっきりチャットはオフラインになった。

 私はすぐに振り返り、社長のもとへ向かった。

「社長! こっちに来てください」


 辿り着いたちょうどそのとき、水没していた船のライトが消えた。

 辺りは真っ暗闇になり、それがかえって灯台の光を心強いものにさせた。


「あれを見て下さい。光です。これから海に飛び込んで、あれに向かって泳ぐんです。

 いいですか、せーので飛び込みますよ」


 青ざめたままの社長を抱きかかえ、正気に戻させる。

 携帯電話のバックライトで足下を確認して、ゆっくり反動を付けた。


「せーの!」


 ◇


 波間に浮かぶ二人の男。

 手のひらのバックライトすら消えてしまった闇の中で、

 灯台はさっきより明るく見えていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 防水仕様なら、帰ってきてくれるのかな。 そう思いました。 ちょっとせつなくなりましたが、きっと携帯さんは満足して逝ったと信じたいです。ありがとうございました。
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