第1章 後編
「アップルティー、おかわり! あ、いや、キャラメルティーが飲みたいな」
「そんな高価なもんはウチにはねぇ! アップルティーで我慢しろよ」
キャラメルティーでもアップルティーでも変わらないだろ、と内心思いながら鈴宮はカップにアップルティーを注いだ。
「で? 事故って?」
ウェイドはファイルから古い新聞記事を取り出した。もう20年以上前の記事だ。
「なぁ、お前もう生まれてる?」
ウェイドはちょっと考えて、
「いや……まだだろうな」
と、首を振った。この記事はどうやら前の支局長の集めた物のようだ。
記事にはマーティング家が借りた別荘に滞在している時に火事にあったという内容が書いてあった。
「火事で赤ん坊の一人を死なせたように見せかけて、アンジーを別の場所に預けたんだ」
「遺骨は?」
「まだ赤ん坊だ。骨の量も少ないだろうし、適当な物で誤魔化したんだろ」
「でも税金調査が終わったら、自分たちで育てても問題ないんじゃないか?」
「育てるのはいいが、偽装がバレたら元も子もない。双子はまだ生後一ヶ月もたってなかったから、住民登録もしていなかった。いや、わざとギリギリまで延ばしてたのかもな」
ウェイドはファイルを閉じた。ふーっと息を吐きながら。
「それで商談は無事成立。マーティング家は一躍、お金持ちの仲間入りだ」
「アンジーはコープランド時計店に預けられたんだな」
「あぁ、コープランド時計店の親父とは大親友だったらしい。奥さんとの間に子どももいなかったし、向こうも願ったり叶ったりだったんだろ」
鈴宮はボサボサの前髪を掻き上げた。
「で、ジョセフが付けた条件はアンジーの存在を公にしないことだった」
「だからあんな地下に」
鈴宮は再び懐中時計を見た。ジョセフは確かに後悔していた。
『此処に我の罪あり』
そう刻まれた文字は、口に出して言うことのできない彼の苦しみをひっそりと伝えているようだ。
「まぁ、ザッとこんなもんか!」
「サンキューな」
スッとウェイドは手を差し出した。
「毎度ありー! 500ポンドでまけてやるよ!」
鈴宮はクルッと回って、扉へ直進した。
「待てッ!!」
鈴宮は路地裏から一目散に逃げた。
完全防寒体制の鈴宮は再びコープランド時計店に訪れていた。前回、帰るときに出た出入り口から侵入した。
「お邪魔しまーす……」
扉を開けてみるとアンジーの姿は無かった。コッソリと買い物にでも行っているんだろう。そこには一人の老人が暖炉の前に座っていた。
「初めまして、コープランドさん」
老人は少し黙っていたが、やがて口を開いた。
「こっちへいらっしゃい」
「じゃあ遠慮なく」
屈託のない笑顔で鈴宮は中へ入った。
「俺はこの時計を直す為の鍵を貰いに来ました」
ポケットから取り出された懐中時計を見た瞬間、コープランドの顔が曇った。
「どうして君がこれを?」
「マーティングの娘さんから頼まれたんです」
老人には酷な話だな、と鈴宮は思った。
「そうか、マーティング家の娘が……」
「祖父の形見だと言ってました。これは貴方が作ったんですよね?」
コープランドは小さく頷く。鈴宮は時計の裏の文字を指差した。
「これ、貴方が彫ったんですか? それともジョセフさん?」
「私だ。ジョセフに頼まれてな。そうか、君はすべて知っているようだな」
「すいません」
鈴宮はちょっと済まなさそうに頭を下げた。これは彼等の問題だから。
「いや、いいんだ。懐かしいな。ジョセフが自分を戒めるために彫ったんだよ」
遠い目をして老人は話す。富を得た者、子どもを得た者。どちらも損はない。では被害者は誰だ?
「ジョセフから金を貰ってたんでね、モグラみたいな生活も苦じゃなかったよ」
「奥さんやアンジーは?」
「妻は大喜びさ。ずっと子どもを望んできたんだ。アンジーは……良い子に育った。ワガママなんか言ったこともない」
鈴宮は何も言わない。
「幸せなんだ。アンジーが来てからずっと。君にも分かるだろ?」
鈴宮は黙ったままだった。自分が本当に幸せな家庭を経験したのか自信が無かった。
「……壊さないでくれ。あと少しだけでも。私も妻もそう長くない。あと少しだけでもアンジーを私たちの子どものままでいさしてくれ」
コープランドは悲痛な声を上げた。鈴宮は哀しそうに笑った。
「俺にそんな権利はありません。決めるのは皆さんですよ」
鈴宮は椅子から立ち上がり、お辞儀をした。帰ろうとした背中に老人は呟いた。
「ジョセフは文字は英語で彫ってくれ、と言ったんだ。知られた方がいいと」
「……けれど貴方はギリシャ語にした」
「私は知られたくなかった。アンジーを取られたくない」
鈴宮は静かに扉を閉めた。
その帰り、鈴宮はマーティング家に寄った。中からは、いかにも良い家で育った感じのキャリーが出てきた。
「コレ……届けに来ました」
懐中時計をソッと差し出した。
「直ったの? 嬉しい!」
「いや、直らなかったんです。俺にはどうしたらいいか分かりません。貴方や……貴方にソックリな女性が決めることなんです。」
「どういうこと?」
キャリーは不思議そうに首を傾げる。アンジーのあの怪訝そうな顔とは少し違う。
「この懐中時計がズレ続ける限り、可能性が続くということです」
鈴宮は静かに頭を下げて帰ろうとした。
「時計屋が見付からなかったの? だからそんな言い訳をするの?」
キャリーがちょっと怒った調子で言う。
「仕事が出来なかったんでしょ? 正直に言いなさいよ!」
鈴宮は背を向けて黙ったままだった。
「お金は払わないわよ!」
「お金? えぇ、結構です」
鈴宮は寂しそうな顔をしている。ジョセフに似るべきじゃない。君まで後悔しないように。
鈴宮はゆっくりと門へ向かった。
「ボランティア? 修復屋は金持ちの為にもタダ働きをするんだな」
門にウェイドが寄りかかっていた。
「うるせぇ」
鈴宮は真っ直ぐ、夕暮れのなかを歩いて行った。
そういえばアンジーの手は赤切ればっかだったな…。キャリーの綺麗な手を思い出した。
店は真っ暗だった。電気を付けるのも億劫で、真っ暗のまま鈴宮はソファの上に横になった。
「やってらんないな」
大きな溜め息をついた。
――俺は何か修復できたのかな?
あ、アンジーの家の地下のベニヤ板は直したな、と鈴宮は自嘲気味に笑った。
修復屋は夢を見た。キャリーとアンジーが再び出会う夢だ。二人とも笑ってる、幸せそうに。
彼女が諦めずにあの懐中時計を直してくれるといい。
次はきっと逢えるから……
ウェイド・ハサウェー
情報局支局長。
イギリス人。
19歳。
好きなものはサンドウィッチ。