第1章 中編
例の地下での一件の翌日、修復屋は朝早くから働いていた。ポットがコトコトと湯を沸かし、トーストも焼けてお皿の上に置いてあった。
「はぁ……何だか時計を直すだけじゃ済まなくなって来たぞ」
修復屋の少年、鈴宮綾は一人、憂鬱になっていた。トーストを少しかじりながら鉛筆をいじくっている。すると店のベルが鳴った。
「どうしたんだ? 今日はやたらと開店が早いな」
髪を一つに結んで、可愛いピンクのスカートをはいたシェリルがズカズカと入って来た。
「よぅ、シェリルちゃん。お前こそどうした? 可愛いピンク色を着ちゃってサ」
シェリルはちょっと赤くなって
「うっ、うるさい! 今から父さんに頼まれてた生地を渡しに行くんだ! わっ、悪いか!」
と、必死になって言った。鈴宮は少しニヤニヤしながら、ヘェ、とシェリルを見た。
「笑うな! 修復屋の馬鹿野郎! もう二度と仕事を依頼しないぞ!」
「それは困る! スマン、スマン!」
わざとらしく謝った。まだ彼女はお冠だ。
「もう行く! じゃあな!」
シェリルが店を出ようとした時、鈴宮は少し思い付いたような顔をして、「俺も行く」と店を空けた。
シェリルの父親は人気のあるデザイナーで、家に居ることは滅多にない。そのためシェリルは祖母のスーシャの家に預けられていた。スーシャは裁縫屋を営んでいて、シェリルの父親もよくスーシャの店の生地を利用していた。
「修復屋は何処に行くんだ?」
「ん? 俺? 俺は情報局だよ」
二人が並んで歩くと仲の良い兄妹のように見える。
「情報局? あぁ、ウェイド……何だっけ?」
「ウェイド・ハサウェー。何年付き合ってるんだよ」
「アイツ、嫌いだ。すぐ子供扱いする」
鈴宮はクックッと笑った。シェリルはキッと睨んだ後、早歩きをして前を歩いた。
「お前もウェイドんトコ、行くか?」
シェリルはちょっと立ち止まって、「後で行く」と小さく言った。
情報局というのは言葉のとおり、情報を扱っている。しかし公の機関ではなく、どちらかと言うと裏に通じている。情報局は各国にあり、局と言っても2、3人規模の極めて小さいもので、特にウェイド・ハサウェーが指揮をとる支局は現在、ウェイド一人しかいない。アルバイト募集中だ。
「邪魔するぞー! ウェイド、いるかー?」
情報局は路地裏にヒッソリと建っている。見た目は修復屋に負けず劣らず古い。
鈴宮は資料が散らばっているデスクの上にドカッと座った。
「ケッ、相変わらず汚いなぁ」
「お前には言われたくないぜ、アヤ」
檸檬色の金髪に、黒に近い深緑の眼。紺色のセーターを着て、首には更にマフラーを付けていた。相当な寒がりだ。
「久しぶりだな、アヤ。ま、じっくりお金の話でもしようか」
「……」
二人の間に沈黙が流れる。先に行動を起こしたのは鈴宮だった。
「あ、オレンジ買うの忘れてた。帰らなきゃ……じゃっ!」
手をバッと額に当てて、回れ右をした。前に進もうとした途端にウェイドに服を掴まれた。
「おい! 何回分の情報をツケにしてるか分かってるのか?!」
「えーっと、二回?」
「七回だ、バカ!」
「ラッキーセブッ」
言い終わらない内に頭を叩かれた。鈴宮は頭を撫でながらブツブツ文句を言った。
「修復屋って金にならないんだよ。俺だって毎日の暮らしに苦労してるのに」
ウェイドは知るか、といった態度だ。鈴宮は諦めて本題に入ることにした。
「マーティング家は知ってるだろ?」
ウェイドは少し不満そうだったが、コクリと頷いた。
「マーティング家の情報を集めて欲しいんだ。勿論、裏情報を」
ふーん、とウェイドは大きな本棚のMの場所からマーティング家のファイルを取り出す。
「マーティング家を興したのは最近死んだジョセフ・マーティング…」
「ジョセフ……そいつの家族構成は?」
ウェイドはペラペラとページをめくる。
「妻は、随分前に死んでる。あと息子が一人、その妻と孫が一人」
「依頼主は孫のキャリーだ。懐中時計を直してくれという依頼だった」
ウェイドは少し意地悪そうに笑った。鈴宮はカチンときて、声を低くして言った。
「……何だよ」
「いや、また厄介事に巻き込まれたな、と」
しっかり笑っている。
「悪かったなっ! どーせいっつもだよ! 貰う修復代以上の金が掛るから赤字だよ、全く!」
「何でも修復するんだろ? だからオマケが付いて来るんだよ」
ウェイドは壁に寄りかかりながら煙草を吸い始めた。
「で? 何があったんだ?」
「懐中時計を買った時計店に行ったら無かったんだ。でも実はあった」
「はぁ?」
「地下にあったんだよ。人目につかないように。電話帳にも載ってない。ウチの古い電話帳には載ってるんだけどな…」
苦笑してから、鈴宮は窓の外をジッと見ながら話を続けた。駆けてくるシェリルの姿が見える。
「で、その時計店にキャリー・マーティングに瓜二つな人がいた。店の名はコープランド時計店」
バシンとシェリルが部屋の中に入ってきた。息を切らしている。ウェイドは少しビックリしていた。
「うわ、珍しい。お迎えか? 小さなシェリルちゃん?」
シェリルは明らかに嫌な顔をして顔を大きく背けた。ウェイドは小さく笑った。
「修復屋! 用事が済んだなら、さっさと帰ろう」
シェリルが鈴宮の腕を引っ張った。しかし、シェリルの小さな体では立ち上がらせることはできなかった。鈴宮はノッソリと立ち上がった。
「じゃあ、頼んだぞ。また明日、来るからさ」
「早ッ! 俺は人気者だから、そんなに暇じゃないんだけどなぁ」
煙草をふかしながら、ハァと溜め息をついた。煙が綺麗に円となって上がって行く。
「あ……それでソックリさんの名前は?」
「アンジー・コープランド」
ウェイドはフッと面白そうに笑った。
店に帰ると鈴宮は懐中時計を調べだした。店の隅でシェリルはコーヒーを作っていた。
「それ何?」
「今回の仕事」
少しそっけない。しかし慣れているのか、シェリルもそう気にした様子ではない。ふーん、と呟いて、本棚からしおりの付いた本を取り出した。鈴宮は時計の裏に刻んである文字を読もうと虫眼鏡を当てていた。文字はどうやらギリシャ語のようだ。
「ギリシャ語かぁ……読めん!」
あー、と言いながら大きく伸びをした。するとシェリルがコーヒーと本を持って近付いてきた。
「修復屋、コレ」
「あ、サンキュー」
シェリルからコーヒーを受け取ろうとした。しかしシェリルはカップを渡さない。
「違う。こっち!」
シェリルは本の方を差し出した。ソコにはギリシャ語の解読表が載っていた。
「おぉ! 気が利いてないけど、気が利くな!」
鈴宮は早速、時計の裏の文字と照らし合わせてみた。
『此処に我の罪あり』
確かにこう書かれていた。
「罪? 何のことだ?」
鈴宮は困ったように天井を見上げた。天井には答えはなく、シミだらけで今にも崩れ落ちそうだった。
翌日、朝早くから鈴宮は情報局へと向かった。起きていないだろうと思っていたが、意外にもウェイドはアップルティーを用意して待っていた。
「もし俺が来なかったら、とんだ取り越し苦労になってたな」
「長い付き合いだからな」
腐れ縁だ、と二人は笑った。トスンと椅子に座って、鈴宮はハッキリとした口調で言う。
「さぁ、ゆっくりとお話を聞こうか!」
ウェイドはニヤリと笑った。
「マーティング家は表向きには孫は一人だが、実は二人いたんだ。しかも双子のな」
「それがキャリーとアンジーなんだな」
「その通り」
「どうしてアンジーはいないことになってるんだ?」
ウェイドはファイルを開けながら、チロッと鈴宮を見た。
「そう急かすなよ」
鈴宮は手をパタパタさせて、早く早く、と促した。
「マーティング家はジョセフから始まったと言ったな?」
「あぁ」
鈴宮は頷く。
「ジョセフから始まったと言っても、彼が成功したのは56歳の時だったんだ。息子のアンソニーは既に結婚して子どももいた」
ウェイドはアップルティーのたっぷり入ったカップを取って、火傷しないように飲んだ。
「ジョセフが55歳の時、あと一歩で財が成せるという時に双子の孫が産まれた。彼にとって、二人というのが問題だったんだ」
鈴宮は懐中時計を取り出して、それに少し目をやった。
「丁度その時期に税金の取り立てがあってな。当然彼等も払わなきゃいけない。ところがジョセフは儲けてたもんだから払う料金が高い」
「羨ましい」
修復屋の彼が払う税金なんか、ちっぽけなもんだ。ウェイドもうんうん、と相槌を打つ。
「赤ん坊にも税金を払わなきゃならないだろ? それも高いんだな、コレが。だが、ジョセフには大切な商談が待ってたんだ。金もかかる。人生を成功させるか否かの勝負だったんだよ」
「赤ん坊二人分の税金は払う余裕が無かったのか」
「余裕が無いと言うのは少し間違ってるぜ。出したくなかったんだ」
皮肉っぽくウェイドが笑う。こんなもんさ、人間は、と諦めたような笑い方だ。
「分からなくはないな。男は立身出世したいもんだ」
「それで娘を一人捨てたのか」
「捨てたのはジョセフだ。しかし、アンソニー達は死んだと思ってる」
「どういうことだ?」
「ジョセフは事故に見せかけて、孫を捨てたのさ」
既に30分が過ぎていた。
シェリル・スコット
修復屋のお得意様。
イギリス人。
17歳。
好きなものはビーズ。