歌姫落花死事件 1
昇りゆく朝日を眺めながらゆっくり食べる朝食はこんなにも優雅な気分にさせるのかと、感心と驚き半々の気持ちで、潰した黄身で濡れたパンを頬張る。
周りに人の気配はなく、自分と隣にいる女性しかいないのも、そうさせているのかもしれない。
太陽は着実に昇っているのに、時間の流れが穏やかに感じた。
「ん~! 小豆の皮がべちゃべちゃ歯にくっついてて噛む度にくしゃくしゃ音がしてる。つぶあんはあまり食べないので新鮮ですね~!
パンも唾液を吸い込んでぐしゅぐしゅであんこと混ざり合ってて美味しい~!」
こんな不味そうな感想がなければ、もっと自分は優雅でいられたかもしれない。
女性、ユイは食欲が失せそうな感想を言いながら鞄から紙束を出す。今回の事件の内容を見ているのだろう。彼女が食べているパンはあと二口ほどで終わりそうだ。
事件を解決してから三週間ほど経った、赤の八十四日。就寝間近にユイから待ち合わせ場所が記された地図と一緒に『明日の午前五時に歌姫落下死があった現場に来てください』という連絡が来た。始発の汽車では間に合わないから、急いで準備を整え、終車に乗って待ち合わせの場所の近くの宿に何とか泊まって間に合うように行動した昨日の自分を褒めたい。
シミエル家ご令嬢毒殺未遂事件とは違う路線を使うから、運行時刻を調べるのに苦労した。滅多に使わないから、余計に。
「出来立てのパンが食べたいという理由だけでこんな時間にするの、貴女くらいですよ」
「え~。照れるな~」
「褒めてません」
どこに褒める要素があると思っているんだ。
レナートは半目になって相手を睨んでしまう。ここに来るまでどれだけ苦労したと思っている。
「ご存知ないかもしれませんが、この町にある北路線は私達が利用している南路線と違うのですよ。時刻表を見て私に連絡したんですよね?」
「知ってますよ。二年前まで私はこの路線が通っている町に住んでいましたから」
知ってるならこの時間にするなよ。
故郷で住んでいたときにしていた言葉遣いが出そうになった。あまりにも口が悪いから、同期から常に敬語で話すように勧められたのだ。
「——ん? ここに住んでいたのですか?」
「ここじゃないですよ。もっと北——ワンジャに住んでいました」
「カーリァ国に近いじゃないですか……」
北の方にある山を一つ越えた先にある魔族の国、カーリァ。八年前まで争っていた種族と近いところに住もうと考えるものは多くない。
そんな辺鄙とも言える町に住んでいたのか。今の家に引っ越したのは、養父に説得でもされたのだろうか。
気になるが、そこまで踏み込んでよいものか。
——そういえば、調べていいって、前言っていたな。
「不愉快にさせたなら申し訳ありませんが、何故引っ越しを?」
最後のパンを食べたユイはこちらを見つめる。負けじとレナートも見つめ返す。相変わらず黒眼鏡で彼女の目を見ることができないが、目を丸くしているだろうことは分かる。
「……きみ、さては調べていないな?」
「基本的なことは知ってますよ。口が悪い。足癖も悪い。小説のためなら相手の地雷を遠慮なく踏む。そういったところから手段を選ばないところがある。眼鏡が特殊。食事の感想が吃驚するほど下手くそ」
「褒め言葉が吃驚するほどないな」
「あとは……」
「まだあるの?」
黄色に塗られた唇が思いっきり歪む。目元が隠れても素材の良さが感じ取れるほどの顔なのに、それを壊すほどの歪みっぷりだった。
「二年前、この北路線で起きた列車事故の生き残りの一人である、ということくらいです」
そこまで言って残りのパンを食べた。黄身が端まで広がらなかったパンは、マヨネーズの味だけがした。
レナートの言葉を聞いたユイは、パンを持っていた手をハンカチで拭く。
指が一つの生命のように艶めかしく、滑らかに動く指。雪のように白い肌に、黒くて四角い爪は一際目立っていた。
黄色い唇が動く。
「当時は未成年だったから、ダンタリオンの記事には載らなかったはず。よく見つけましたね?」
「お忘れですか? 私は第四師団第五小隊九番隊に所属しているのですよ」
その意味が分からないのか、ユイは首を傾げてこちらを見ていた。
本当に分からないようだ。
「——私は、あの列車事故の捜索隊の一員だったんです」
言っていることが理解できたのか、ユイは「あー」なんて感嘆の声をあげた。
「そういえば当時の一面に載っていましたね。翼の英雄に関する記事が」
翼の英雄。
五年前、九番隊に配属された少尉が魔物討伐や人命救助などといった様々な問題を、自身の特異魔術で解決したことで民衆から称えられた人。あの人のおかげで、九番隊の悪印象も随分と柔らかくなった。
このままいけば国から褒章を貰うのではないか、というほどの目覚ましい活躍だった。
——だけど。
「二年前、乗っていた列車の事故で行方不明になった、かつての英雄」
山を走っていた列車に落石がぶつかり、その衝撃で大規模な火災が起こった事故。戦後史上、最も多くの死傷者を出した事故であり、未だ超えるものはない。確か死者だけで八十一人。けが人は最低で二百人はいた。
列車には、翼の英雄である少尉が私用で乗っていた。十数時間もかけて捜索されたが、落石で潰された右腕しか見つからなかった。遺体は発見されていないため、行方不明として扱われている。
九番隊の希望の象徴であった彼の報せは、レナート達に大きな傷を残した。未だにショックから立ち直れない者がいるため、禁句とされている。
正直、二年も見つかっていないなら原型が分からないほどの状態で死んでいるか、記憶を失くしてしまい別人として生きている可能性が高いとレナートは考えている。
当時はダンタリオンを筆頭に様々な新聞会社が取り上げたものだ。仕事だと分かっているが、あの無神経さを思い出すと腸が煮えくり返りそうだ。
ユイも無神経なところがあるが、ダンタリオンとは全く違う。
ユイもダンタリオンも『面白いものを提供するための無神経さ』という共通する点があるが、そこに個人を意図的に傷つける感情の有無が、ユイとダンタリオンと大きく分けている。
それなら、傷つける意図が全くないユイの方がまだマシだ。
——いや、傷ついた相手の反応が見たいと敢えて傷つけそうだ。
結論。どっちもどっち。
「何か失礼なことを考えていません?」
「日頃の行いのせいでは?」
「否定して!?」
残念ながら否定できる要素はどこにもない。
「そんなことより先生。今回の事件についての概要を」
「そんなことより!? きみ私のことをそんなことで片付けたな!?」
「はやくしてください。私急いできたので確認する時間もなかったんですよ」
せいぜい知っているのは、この町の駅前広場の植え込みの中央に落ちて死んだ人間がいるということくらいだ。
そう告げれば、ユイの視線が呆れに似たものになった。
「マジで基本のきしか知らないんですね。まあ私と五十歩百歩と言ったところか。あのダンタリオンがまだ公表していませんからね。
簡単に説明しますね。
被害者の名前はヨランタ・レカルㇲトゥフォ、二十二歳。
昨日、赤の八十四日。午前八時十八分。北のシェスナシチェ駅に通じるこの円状交差点の中央に存在する植え込みに落下して死亡。死因も墜死による頭蓋骨骨折とそれに対する出血と破壊、胸部の内臓破壊によるものと判断したそうですね。まあ脳が破壊された時点で死亡は確定か。身元は血液型と下半身の特徴で判定したそうです。遺体の損傷具合から、地上五十メタの高さから落ちたと警察は推定しているそうです」
その高さで、頭から落ちたということか。確かにそれなら即死な上、上半身が判別不可能な状態になる。
歯型での身元特定もできない。
写真を提供してもらったようで、鞄から写真を取り出してレナートに見せる。誰かと撮った写真を切り抜いたのだろうか。長さが不自然だ。
紺色の髪に白が混じった茶色の瞳。顔で生活できると思う顔立ちをしている。レナートの顔の美に対する審美眼は故郷の花街で鍛えられている。そうそう間違えることはない。
「依頼はいつ頃来たんですか?」
「昨日の午後七時です。魔術装備をした被害者のファンが出版社に乗り込んで私を出せと脅したんです」
本当に面倒だったようで、あのクソ野郎なんて罵っている。口が悪い。
「現時点で分かっているのはこれくらいですね。後は警察と魔力解析官から話を聞くしかありませんね」
「素直に教えてくれるでしょうか」
「向こうはジエジッチ家の一件でこちらに借りがある。そう強くは出れませんよ。
さ、現場に向かいましょう。解析不可能な結界があるとはいえ、外から様子を見ることはできます」
「箒で上から見ますか?」
「えっ。空飛べるんですか!?」
提案したら、ユイの顔がこちらを向いた。ぐいん、と勢いがよかった。
——声音が少し高い。嬉しいのか?
「いえ、高いところは苦手です」
「なんだよチクショウ!」
ユイが地団太を踏む。怒りが治まらないようだ。
確かに高いところは苦手だが、必要とあればそうするだけの覚悟はある。
だから提案したのだが、伝え方がよくなかったみたいだ。
「申し訳ございません。言い方がよくありませんでした。高いところは苦手ですが、必要とあればどうにかなる程度です。だからご提案しました。よろしければ、こちらの箒にどうぞ」
「いつの間に用意したんだ?」
レナートの手に突然現れた箒にユイが低い声で突っ込む。
——よそ向けの声との高低差が激しいな。
何となく思っていたことだが、ユイは女性にしては声が低い。今の声は多分かなり素に近かった。いやそれでも聞けば女性と分かる高さなのだが。
何もないところに箒が出現した理由。それは目に見えないが、太陽の光に当てられて見えている、確実に存在することが分かっている空中の塵を箒に変換したのだ。
箒に乗ってユイに手を差し出す。
ユイは黒眼鏡のブリッジを指で押してかけ直し、レナートを見る。彼女の目が見えないから何とも言えないが、多分半目になって訝しげに見ているのは感覚で分かった。
「……無自覚なのか?」
「何がですか?」
言っていることが分からず、聞き返せば何でもない、と返された。
「箒に乗ったことないので、嬉しいです。お願いしてもいいですか?」
嬉しいと言えばそうなのだろう。だが、それだけではないものが高い声に含まれていた。
それを知ることはできない。そこまでユイと親しいわけではないから。
「動きますよ。口を閉じて」
前に乗ったユイに伝え、箒を浮かせて目的地まで一直線に動く。ガチンと固いものがぶつかる音が聞こえたが、噛んだのだろうか。注意したのに。
人通りの少ない時間帯でよかった。低空高速移動による衝突問題が起きない。
落下があった場所へは予想以上に早く着いた。
視覚として捉えることはできないが、結界が張られていることを感覚で分かる。範囲までつかめるのはそう言ったものに触れる機会が多かったおかげだろう。こんなところで従軍経験が活きるとは思わなかった。
若干白い顔をしているユイに上がることを告げ、ゆっくりと上昇する。高さが更新される度、レナートの胃がぞわりと震える。横から見ていると分かりにくかったが、こうして浮上することで、植え込みの形が円になっていることが確認できた。自身の身長による目線からでも確認できたが、こういうところで確認できたのは思わぬ成果だろう。
円の中心から赤いものが広がっている。現場保存の理由からまだ落としていないのだろう。
上空から見るとそれはまるで——。
「花、みたいですね」
こぼした呟きをユイの耳は拾ったようで、同意するように頷いたのが顎の下にある頭の動きで分かった。
「確かに。これは花のように見えますね。転落死というより、落花死と言った方が芸術点高そうだ」
何の審査をしているんだ。
浮かんだ疑問を呑み込んでレナートは更に上昇する。腹の中身の臓物が揺れるような不快感を無視して上昇を続ける。
既に地上から十メタほど離れている。落ちたら重傷だが、生還できる可能性がある。
なら、今いる高さより随分低いところから落ちて死んだあの人は、かなり打ち所が悪かったらしい。
落とした視線の先には、落ちていた、かつての——。
「レナートさん。今見て分かるものはすべて見ました。後は警察に交渉して結界を解いてもらうしかありません」
女性らしい高くて、凛とした、しかし柔らかさを持つ声が、レナートの鼓膜を優しく刺激した。
目線を落とせば、黒い眼鏡が文句なしの丸の形になっていた。そこに角度による歪みはない。
もう少し飛んでも大丈夫なのだが、ユイが不要だというのならこれ以上飛ぶ理由もない。
これ以上の浮遊はやめて、地面に降りる。レナートの足が地面についたのを確認してから、ユイは箒から降りた。
飛行者の足が地面についたときは降りる合図。
——基本は知っているみたいだ。
義父から聞いたのだろう。教える手間が省けたので、義父に感謝しながら箒の魔術を解除する。
空中の塵を使って変換した箒を解除したから、後に残っているのは太陽に照らされてキラキラ反射する塵だけだ。
ユイも仕組みは知っていたらしい。驚く様子は見せず、一番近くにあったベンチに腰を掛けた。
レナートもユイの隣に立って警護する。
「……きみ、空を飛ばない方がいい」
警護を始めて数分も経たないうちにユイが忠告をしてきた。意味が分からなくてユイを見る。
何も言っていないが、疑問に思っていることは伝わったのだろう。ユイはすぐに根拠を教えてくれた。
「さっき飛んでいたときに確信したんですが……あなた、高いところにトラウマ——嫌な体験をしたんでしょう? 箒の柄を握り締めている手が、震えていましたから」
気付かなかった。自分が自覚している物の範囲外にあった。気のせいだとか何とか言って誤魔化したいが、誤魔化すことができないほど納得できるだけのものが、ユイの言葉にあった。
「はい。先ほども言いましたように、私は高いところが苦手です。しかし、あの戦争である程度克服できたと思っていました。
今以上に高い場所で戦ったことが、数えきれないほどありましたから」
「そのときは戦闘に意識が集中していたのでしょう。他に集中しないといけないなら、あそこまでひどい反応はしないと思います。
少なくとも、箒を持っている手が震えることはないかと」
自分の手を見れば、指摘された通り、震えていた。この震えに気付いたから降りるように言ったのか。確かに、この状態で飛行するのは危険だ。
「申し訳ありません。不安にさせました」
「いや、スリル満点で結構楽しかったです。もう一回できるならしたいですね」
「もう一度恐怖体験しろと?」
さっきと言っていることが矛盾しているぞ。どうなってんだこの女。
思わず半目になって見下ろしてしまった。自分の表情がよほどひどいのか、ユイはむ、と唇を横に引きのばしながら噛んで見上げる。
「仕方ないじゃないですか。こっちにはジェットコースターがないんだから……。ああいうスリル味わうことができないなんて……」
もったいない、と口を尖らせてぶつぶつ呟いているが、何を言っているのか正直よく分からない。
——喋っている言語は、同じだよな?
ふと湧いた疑問は斜め後ろからくる気配で飛んで消えた。
ユイを背中に隠し、前方を警戒する。姿をとらえたわけではないが、奴らの足はこちらに向かっていることは確実だ。
まだ日が昇り始めた時間帯に来るのは限られるし、その中にユイの命を狙う輩がいるかもしれない。
いつでも抜剣できるように構える。
特異魔術で靴底を耳にして、足裏と繋げて地面の音を聞き取れるように変換する。直接耳をつけると戦闘態勢をとれない。これは自身の特異魔術の利点の一つだ。
足裏の耳で聞いたところ足音は四人。音の重さから考えて男性。うち一人は足音が小さく、音の間隔が一定だ。
——こいつは相当の手練れだな。
警戒するのはこいつ一人で十分そうだ。他の三人はそこまで警戒する必要はない。
「レナートさん?」
「……前方に人の気配を感じます。敵意はありませんが、警戒しておいてください」
ユイは頷いて、お腹を守るように鞄を抱え直す。
足音がこちらに近付く。目の前にはまっすぐで緩やかな坂道。ここを上ると先程食事をしたベンチがある。その坂道の入り口から二番目の交差する道から足音が聞こえる。あの道から曲がってくるのは間違いない。レナートは足の変換を元に戻して曲がり道を睨む。
正直、ここまで悟られやすい気配だと敵ではない可能性が高いが、それでも備えといて損はないだろう。
曲がり角から人影が現れる。男、男、女、男の順に姿を現す。
——女? 足音の重さ的に男だと思ったんだが……。
それなりに鍛えているということなのだろう。筋肉は重いから。
後ろで尖っていたユイの警戒心が萎むように消えていく。見知った顔なのだろう。レナートは空気を尖らせたまま、こちらに向かってくる四人を睨む。四人のうちの一人は初対面のはずなのに、見覚えがあった。
壮年の男がこちらを見て顔を歪める。嫌なものを見たという顔だ。




