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作家と軍人  作者: 藤戸 嘉太郎
幕間
25/26

シミエル家御令嬢毒殺未遂事件 始まり


「頼むよぉヴィットくん〰〰!」


 女性の悲痛な願いが締め切りの怒号飛び交う編集室の空気を裂く。

 あまりにも必死な声に、何も知らない者は了承してしまうだろう。


「駄目です」


 だが、事情を知っているこの男には通じなかった。

 男——ヴィットはこの、目の前で幼子の如く駄々をこねている女の要求を、凍った薔薇を砕くような冷たい目で見下ろして拒否した。


「なんで!? 殺人未遂事件の謎をちょっと調べるだけじゃないか!」

「それが駄目だって言っているんですよ。あんた自分の立場分かってます?」

「もちろん。遥か遠くの彼方から彗星の如く現れた今話題の推理小説家だよ」

「そうです。あんたは国民に新たな娯楽の提供をした。娯楽開拓をしたあんたは国の宝と言っても過言じゃないんです」


 ヴィットの言葉は予想外だったのか、鳩が豆鉄砲を食ったような表情でこちらを見上げる。

 間抜けな顔で自分を見つめたかと思えば、すぐに視線をそらして人差し指で頬骨を突く。彼女が照れたときにやる癖だ。


「え、そんな、宝だなんて……照れちゃうな」

「性格はドブとウンコを混ぜて鍋で長時間ぐつぐつ煮詰めた純度百パーって感じのドブクソっぷりですけど」

「喧嘩を売っているのか? ァア゛ン?」


 照れた表情が一瞬で破落戸のものになった。急な変化に野次馬感覚で二人を見ていた編集者達が小さく悲鳴をあげる。この先生の二面性に驚く者は少なくないが、ヴィットには慣れたものである。そこまでビビるものでもない。

 ——初めて会ったときは戦争帰りを一発で見抜いた上で『この殺害方法はどうだろうか!?』と推理小説のトリック推敲を頼む奴だ。相手を気にする心が死んでいる。


「とにかく、俺としては宝を失いかねる行動は許可できません。犯人がバレないようにあんたを殺す可能性があるんですよ」

「それでもその依頼は受けたい~!!」

「……被害者がシミエルだからですか?」


 ユイは何も言わない。それが肯定を示していた。

 彼女が作家として大成する少し前からの付き合いだ。だから、ユイがやけにシミエルを気にしていたのは知っていた。シミエル、という単語を聞けばその方向へ首を曲げたほどだ。

 そうさせるのはなんなのかまでは分からないが、それでも許すわけにはいかない。この人は犯罪に対する意識は高い癖に、危機感が薄い。

 その矛盾を見過ごすことはできない。

 ——本当なら俺が同行して守りたいが、戦争の反射条件が消えたわけじゃない。俺は一般人に擬態して生きている、自覚がある。

 悲しいことに、戦場で培った経験は生涯染みついたままだと確信している。

 自分が守りに行ったら、無実の人間を無条件で殺してしまう。

 魔族に斬り落とされ、義手になった両腕を見つめる。これのおかげで生き延びているが、同時に自分を殺すものにさせたものだ。八年経った今でも、どう向き合えばいいか分からないでいる。


「……きみに無理強いさせたいわけじゃないよ。でもシミエル家の依頼は見過ごせないんだ。向こうが依頼していなくても、事件解決を持ちかけていたよ」

「ガチじゃないですか……」


 片手で右目を覆う。人工皮膚に覆われていてもはっきり分かるほどの義手の冷たさと硬さ。

 ——自分が知らないだけで、ユイも自分とは違う苦労と傷を持っている。


 ユイは、どんなときでも腕や脚など、肌を晒すような格好をしない。


 日焼けを気にしているとかではなく、純粋に肌を晒したくない、というのはこれまでの付き合いで察している。恐らく、シミエルとはそこで関係があるのだろう。

 ——さてどうしたものか。彼女は本気だし、止めても振り切って行くだろう。護衛を用意すればいいんだろうが……正直、この性格に合うものはいないと思う。


「最低でも俺より強くて、責任感があって、俺と同じくらいあんたと話し合えて、なおかつ絶対に守る意思を持つ者でないと認めません」

「一日二日で見つかるわけないよ! きみは彼氏を連れてくる娘の父親か何かか!?」


 うぉ~ん、と泣き叫ぶユイ。正直凄く見苦しい。成人した女性が見せる姿ではない。

 関わるべきではない、と悟った編集者達はようやく自分達の仕事に戻っていく。行動が遅い。あと少し遅かったら見世物じゃないと怒鳴っていた。

 少し離れたところで誰かの話し声が聞こえたのがその証拠だろう。


「——ください、ミトラさん」

「はぁア!?」


 上半身を勢いよく起こして叫ぶユイ。編集室をつんざくような怒鳴り声。怒りをバネにしたみたいな勢いで体を起こす。

 話が聞こえた方へ体を向け、ツカツカと歩くとミトラと呼ばれた人物の胸倉をつかむ。一瞬のことだった。戦争帰りの自分が見逃すくらいの。


「誰だテメェ、喧嘩売ってんのか!?」

「あんたが現在進行形で売ってんだよこンのお馬鹿!!」


 義手で容赦なく背中を叩く。痛そうに呻いているが、頭じゃないだけ感謝して欲しい。

 ユイに胸倉をつかまれたミトラは崩れた襟元を直す。伏せられた橙色の目が開き、こちらを見る。その目に見られて一瞬肌が粟立つが、必死に押さえて謝罪する。

 ユイは謝罪して意味あんのか、みたいな顔でミトラを見ているが本当にやめてくれ。相手が誰か分かっていないのか。

 ——第四師団所属のミトラ大佐に何でそこまで喧嘩売れるんだよ。このお方がどれだけ強いのか知らないのか? 俺第三師団所属だったから詳しくないけど、この人が一般的な初級魔術一つ使っただけで地形を変えるほどの魔力と実力を持っていることくらいは知っているぞ。


「謝らなくて大丈夫だよ。まったく気にしてない」


 その声音に嫌味は一切なかった。自分の心の中で書いた文章をそのまま読み上げたような、感情が見えない声だった。

 猫っ毛な薄紫色の髪を整える。その仕草に見惚れそうになるが、思考を現実に戻して一礼する。


「少しだけ話が聞こえたけど、ジンシェン・トゥーディー学校で起きた事件について話しているのかい?」

「ええ、まぁ……被害者の親が先生に事件解決の依頼をしてきまして……。先生は乗り気なのですが、未遂とはいえ、殺人事件が起きた場所に行ってほしくなくて……」

「じゃあ、うちから軍人を出すよ」

「は?」


 言った内容が分からなくて、軍人だったらあるまじき返事をしてしまう。


「私も先生の活躍は見たいからね。師団内なら一人くらい見つかるだろう」

「しだん?」


 ユイが眉間にしわを作ったまま聞き返す。態度悪いから本当にやめて欲しい。


「ああ、私はレフセブㇲ王国軍第四師団第二連隊所属のミトラだ。階級は大佐。先生の小説は読んでいるよ。今のシリーズが特に好きなんだ」

「へー。どーも」


 耳に指を突っ込んで雑に返事するユイ。大佐になんて態度だ。ファンなのに何でそんな態度をとる。

 ——いや、他のファンに対してもそうだった。話はちゃんと聞いている上に覚えているが、態度が最悪だった。

 ほじくり出した耳糞をミトラの方向へ吹き飛ばす。何してんだこいつ。

 目を剥くヴィットをよそに「今日中に出せ」と偉そうに言った。唾でも吐きそうな勢いだ。ここまでくるとミトラが恨みを買うようなことをしたのか、と疑ってしまう。しかし自己紹介をしていたから、それはない。

 この不機嫌な態度は一体なんだ。


「強い奴を選ぶんだろうな?」

「もちろんです」


 ミトラ大佐、当然のように返さないで欲しい。


「それに追加だ。お前、第四師団なんだろう?」

「ええ」

「じゃあ、護衛は第四師団第二連隊歩兵式第四中隊第五小隊九番隊の中から指名して欲しい。

 ここまで部隊名をはっきり言ったのは間違いが起きて欲しくないからだ。ちゃんと指名してくれよ」


 黒い爪をミトラに突きつけるユイに、ミトラは了承の印として携帯を取り出す。

 両手で持って操作する。十代の女子か。


「ギャルかよ」


 ユイが言う『ぎゃる』とは分からないが、今の自分と同じことを考えているだろうことは分かった。

 眉間にしわを寄せ、唇を噛みしめる表情から見るに、携帯の操作に慣れていないのだろう。この時代において大変珍しい。七、八十代の老人ならありうるが。


「——うん、送ったよ」


 ミトラが文書を送信したのはそれから二十分経過した後だった。

 ミトラの後ろで控えている取材担当の者が意外そうにユイを見ている。携帯を奪って文字を打つとでも思ったのだろうか。

 ——ユイ先生は常識はないが、良識のある人だ。軍の機密情報が入っているかもしれないものを奪うわけにはいかないと思ったのだろう。

 まあ、小説のためならその良識もゴミ箱に投げ捨てるほどのドブクソな性格をしているが。


「遅くとも明日の午前中までには貰えると思うよ」

「そうですか。じゃあ、本来の用事に戻って、どうぞ」


 ユイは白い手を後ろの控えに向けて告げるとくる、と背を向けた。随分な対応だ。


「——護衛の仲介のお礼はこの事件を解決した後で言います。それでいいですか?」


 言い忘れていたことを思い出したのか、上半身だけ振り返ってミトラに訊ねた。

 ミトラは橙色の目を細めて微笑んだ。


「それで構いませんよ」

「分かりました。それでは、今度こそ失礼します」


 ユイは一礼することもなく、そのまま踵を返した。

 二時間後、護衛が決まった連絡が入った。

 魔族人間両方に恐れられた結果、終戦としての和平会談が生まれたと言ってもいいほどの活躍をした恐怖の象徴、『黒い悪魔』だった。編集部内に爆発が起きたような衝撃が走るが、ユイが行く気満々だったので止められず、そのまま事件に向かうユイを見送った。

 黒い悪魔は恐ろしいが、この一件だけで終わるだろうという考えが、ヴィット含む全員にあったからだ。

 それが二件、三件と続き、挙句の果てにコンビを組むことになってしまった。

 自分が行けばよかったかもしれないと、報せを聞いたヴィットはその月一番の後悔をした。

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